4-4 人として
ノアに揺さぶられたアリスははっと我に返る。目の前で必死の形相を浮かべる夫を見つけた。
「ノア様……」
「アリス、よかった」
彼はアリスの本当の名を呼び、抱きしめる。そして彼の体の向こうからこちらを見つめるシェリーの姿に気がついた。
アリスは思い出す。さっきの自分はどうかしていた。彼女を殺せと、囁く声に従ってしまった。
「シェリー様! あたし、なんてことを!」
「アリス、だめだ! あれは魔女だ」
「なんですって!?」
シェリーが魔女? そんな馬鹿な。
だって彼女はいつも優しくしてくれた。彼女の強さが好きだった。それは理屈を越えた友情だ。人と人との間にしか生まれ得ない、絆だ。
信じられない思いでシェリーを見つめると、彼女は優しく微笑んだ。
「アリス。いいえ、本物のシェリー。どうか幸せになってね、わたしの分まで――」
*
――シェリーの幸せが、わたしの幸せだから。
そう思って、シェリーは燃えさかる炎の中に身を投げた。
魔女の心は人を殺せと叫ぶ。シェリーの心は魔女を殺せと叫んだ。
もう全て、何もかも悟った。たとえ生き延びても、所詮自分は魔女だ。人を幸せにすることなんて出来ない。修道院でのあの日々は、束の間の夢だ。覚めたら消えてしまうだけの、淡い夢。
体を包む炎が痛めつける。
今まで、魔女としてたくさんの人を殺してきた。それは魔女がそういう種の生物だからだ。後悔はしていないつもりだったが、なぜ自分は人の子の赤ん坊に鳴ったのだろうと考えた。
もしかすると、魔女は人間になりたくて、嫉妬で人を殺すのかしら。
シェリーは目を閉じた。体が燃えていく。炭になってしまえばいい。欠片もこの世に残らないくらいに――。
暗闇があった。
目の前で、女が泣いていた。誰だろう。ああこれは、魔女の自分だ。
なぜ泣いているんだろう。
(泣かないで)
シェリーは声をかけた。
(もう、誰も恨まなくていい。わたしは幸せだった。……ということは、あなたも幸せだということよ。人の優しさに触れて、わたしはいつか、魔女ではなくなってしまった)
人になり、人として死ぬ。それがシェリーの答えだ。
そっと目を開ける。
相変わらずの暗闇。
だがそこに、一筋の光が見えた。
光。
「シェリー様!」
自分を呼ぶ声。温かな手が差し出され、気がつけば握り返していた。
――アリス!
ぐいっと、シェリーの体は炎の中から出される。
「ここに魔女はいない!」
オスカーが村人に叫ぶ声がする。
「ここに魔女はいないんだ! さっき、俺が殺してきた! この少女の母親こそが、魔女だったんだ! 彼女は操られていたに過ぎない!」
(お母様!)
シェリーはその輪郭を思いだし、気を失った。
火傷はオスカーによってすっかり治療された。先ほどシェリーが攻撃した村人たちも、軽傷だったらしく速やかにオスカーが魔法により治していた。
彼のシャツにはおびただしい量の血が付いている。目を覚ましたシェリーはまだ呆然としていた。
「魔女は、お母様だったの……?」
「そうだ。君たちにはじめ近づいたのも、魔女を探るためだった」
村人を帰し、ようやく静寂が訪れた時、オスカーによって、此度の騒動の説明が成される。
「魔女は君たちの父親を殺した後、母親も殺して成り代わった。それで双子の片方を捨て、もう片方を手元に残したんだ」
シェリーとアリスは顔を見合わせる。
「あたしたちが、双子だったなんて――」
ならば、顔がよく似ている理由も分かる。
「なぜそんな回りくどいことをしたんだ?」ノアがアリスに寄り添いながら尋ねる。
「復讐だ。今みたいに二人が殺し合えば、憎い男に復讐ができる、そんなところだろうな」
「だけど、お母様は厳しくもあったけど、いつも優しかったわ」
シェリーは不思議だった。
なぜオスカーは、そんなことを言うんだろう。
だが、即座に思い至る。
きっとオスカーはシェリーを愛しているのだ。
「君を使い魔にして、利用しやすくしていたんだろう。全部、嘘だったはずだ」
オスカーはシェリーの肩をそっと抱く。温かな、彼の手を感じた。いつかあげた赤いタイが彼の胸元で目立っている。シェリーは人の間に戻ってきたのだ。
「さあ、もう魔女は死んだ。これで幕だよ」
そう言って、オスカーはシェリ-に優しく口づけをした。




