1-1 結婚なんてまっぴらごめんよ!
舞台は回転する。
屋敷の一室と、修道院。
二人の少女が現れる。
「結婚なんてまっぴらごめんよ!」
シェリーは対面する母に大声で叫んだ。後ろのガラス窓がびりびりと揺れる。
日の光が部屋を明るく照らすが、シェリーの顔には陰りがさす。いつもは花に例えられるほど眩しい美しさを持つ彼女だが、突然未来を決められた今日ばかりはそうもいかなかった。
父亡き後、当主となった母は大げさにため息をついて、まるで幼子に言い聞かせるような口調で言う。
「いい子だからシェリー。婚約はもう決まったのよ。いい加減、夢を見ることは諦めて納まるところに納まってちょうだい」
それからこうも言った。
「結婚式までその勝ち気な性格を直しなさい。近くお相手の方も挨拶に来られるわ」
「この性格はお母様に似たのよ!」
「挨拶の後に、修道院で花嫁修業をするのよ」
言い返すが母の作り笑顔は崩れない。穏やかながらも有無を言わせぬ母に、従うしかなかった。
シェリーは十六歳になったばかりだ。同じ年頃の友人の中には既に嫁いでいる者もいるが、シェリーはまだ結婚をしたくはなかった。
まだ、というか、この先もする気はなかった。それよりも、やりたいことがあったのだ。
部屋に戻った後で、持っている中で一番のお気に入りのドレスを着て、鏡の前に立ってみる。母親譲りの瞳と同じ色のドレスだ。それはシェリーが初めて自分で縫ったものだった。完成させたとき、母は褒めてくれたのに、夢を見るなと今は言う。
――シェリーは若くしてその人生を失う。
“魔女の呪い”を、母は信じない。シェリーには時間がなかった。
* * *
アリスは孤児だった。正確な年齢は分からないが、十六年前、まだ赤ん坊の時にこの修道院の前に捨てられていた。拾われて、下働きとして身を置かせて貰っている。
今日はシスターに命じられて床の拭き掃除をしていた。なんでも、貴族のご令嬢が新しく花嫁修業にいらっしゃるとのことで、見栄張りなシスターは修道院中ぴかぴかに磨き上げたいのだ。
(結婚かあ。あたしには一生縁のない話だわ)
憧れはあったものの、孤児で、鶏ガラのように痩せている自分を好きになってくれる人はいないだろう。ぼんやりとそう思いながらせっせと布を左右に動かしていると、廊下の隅に置かれた花瓶が大きな音を立てて唐突に落ちた。
バリン、と悲しい音とともに陶器は割れる。中の水は床にぶちまけられ、花は無残に床に転がる。
唖然と見ていると、クスクス、という笑い声が降ってきた。
「あら、ごめんあそばせ? 汚い犬がいるかと思って洗ってあげようとしたの。あなただったのね、アリス」
「ローラ様……」
見上げると、いたのは艶やかな黒髪の美しい顔の少女だ。名をローラといい、花嫁修行のためこの修道院に来ているご令嬢の一人だった。彼女はいつもアリスに冷たく当たる。
「何事です!?」
アリスに命じたシスターが鼻息荒くやってくる。そしてローラとアリスがいるのを見ると、怒りに目を歪ませた。
「またあなたですか、アリス!! まあ! これは神父様にいただいた大切な花瓶なのに!!」
「ち、違います、ローラ様が!」
釈明をしようとしたところ、ローラが大げさな声を出した。
「ひどいわアリスさんったら! 私のせいにするなんて……!」
「まったくアリス。今日はあなたがお世話をする予定のお嬢様がお一人いらっしゃるというのに。手を出しなさい!」
(そんな……! あたしのせいじゃないのに!)
どんな弁明もこの修道院では通じない。ローラが全面的に悪くても、それはここでは関係がない。お預かりしているご令嬢たちは何をしても許される。花嫁修業とは名ばかりの、結婚前の最後のバカンスだ。
シスターが鞭を取り出し、アリスの手を何度もぶつ。あかぎれの手に、また数本の赤いすじができた。ローラの罪を、アリスが罰せられる。ローラが貴族で、アリスが孤児であるからだ。
皆が去った後で、そっと首から下げた鎖に触れる。鎖には指輪がぶら下がっており、そこには白鳥の刻印が成されていた。
(お父さん、お母さん。あたしを守ってね)
それはアリスが捨てられた日に手に握っていた、唯一の財産だった。両親へと続く、手がかり。
それを握ると、アリスの心は慰められた。きっと両親は、どうしようもない理由があって自分をここに捨てたのだ。いつかきっと迎えに来てくれるはず。
やがて修道院の前に馬車が到着する音が聞こえた。アリスは窓の外をそっと見る。馬車から現れたのは、絹のようなブロンドの髪、そして宝石のような輝く瞳を持つそれはそれは美しい少女だった。