3-4 擬態する魔女
「久しぶりに外で飲もう」と誘い出されたノアだった。誘った相手はもちろん、オスカー。
久しぶりもクソも、外で飲むのは初めてだった。いつもこの年下の友人は勝手に屋敷に上がり込み、これまた勝手に酒を飲むからだ。
夜の街を促されるまま歩き、着いた先は青いランプがぶら下がる、小さな扉だった。どうやら小さなバーらしい。
開くと酒瓶が立ち並ぶカウンターに、店主と思わしき、妖艶な女。それから数人の客がいた。こちらは年齢こそばらけているものの、いずれも男。
カウンターではなく、店の奥のテーブル席に座る。
(いやに青い店内だな)
とノアは思う。
テーブルの上に置かれた花は青い、店内の壁もまた、青い。その中でオスカーのタイだけが、調和を拒むように目立っていた。
「改まってなんだ」
「家の中じゃ、ちょっと都合が悪い」
「シェリーに聞かれてはまずい話というわけか?」
言うとオスカーは「相変わらず勘がよくていらっしゃるな」と少し笑った。だがその笑みは暗い。
「ノア、お前は魔女の見分け方を知ってるか」
「知るわけない」
「ここだけの話だ。魔女は、その性質上、特定の色を好む傾向にある」
「それは男好きということか?」
「おいおい、ここで天然爆発されちゃ敵わないぜ。たしかに奴等は男を誑かすのが上手だが、俺が言ったのはそのままの意味だ」
つまり、魔女は色が好きなのだ。
「本当か? そんな話、聞いたことがない」
「もちろん、本当だ。しかし秘密だ。だって考えてみろ、特定の色が好きな人間なんてこの世にあふれかえっている。それが全て魔女な訳じゃないのは考えりゃわかるが、一般人はそうは思わない。彼らは恐れ、罪のない人間を殺す可能性だってある。だから、普通の奴等は知らない――」
店主の女により酒が運ばれてきたため、オスカーは黙った。色っぽい目を、二人に向け、女は去った。
青い、カクテル。
ノアはそれを見る。
青、青、青――。
初耳だが、オスカーの言うことには一理ある。
ノアにしたって黒い服をよく着るが、それで魔女の疑惑をかけられてはたまったものではない。集団パニックに陥れば、無実の人間が処刑されることもあり得る。
「それに魔女って奴は、中々複雑怪奇でね」
女が去ったため、オスカーは話を続ける。ノアはカクテルから視線を戻す。
「自分すら欺くほどの暗示を自分にかけ、人間だと思い込んでるのもいる」
「なんのために?」
「その方が、人間社会に入り込めるからだ。人を意のままに操り、財産を奪いやすいから」
ならば、既に魔女が人の社会に溶け込んでいるということか。
「だが魔法使いは、魔女を見分けられるだろう」
「弱けりゃ簡単だ。だが強大な魔女であればあるほど、隠れるのが上手くなる」
「なんだか、哀れな話だな」
人間に紛れた魔女が自分は人間ではなく魔女であると思い出したとき、抱くのは幸福だろうか、絶望だろうか。
ノアはカクテルを一口飲み、その美味さに思わず唸った。甘美で魅惑的な味だ。
だがすぐに自分の失言に気がついた。両親を魔女に殺され、ひたすらその存在を抹殺することで絶望を紛らわし生きてこれた友人の前で言うことではなかった。
「オスカー」
「確かに、哀れではある」
意外なことに、オスカーは認めた。彼の後ろの壁が、ゆらりと歪む。それほど飲んではいない。目がかすむ。
「ノア、それを踏まえた上で、お前に聞きたい」
オスカーの声が、遠く聞こえる。
「たとえば急に、統一された色のカーテンや絨毯ににかえたりだとか、庭の花をその色一色にしたりだとかそんなことはないか」
聞いた瞬間、朦朧としかけていた意識がぶん殴られたように突然明瞭になる。オスカーが何を言わんとしているか悟った。頭に血が上る。
「言っていいことと悪いことがある!!」
「魔女が一領地の領主になれば、どうなるか。お前だって予測できないわけじゃないだろう」
オスカーは冷静だった。
――正義を成すことで、自分の大切な人が傷つくとする。そんなとき、お前ならどうする?
あの問いは、ノアに向けられていたのか。
オスカーの目は真っ直ぐに向けられる。ノアの胸に広がるのは絶望だ。
「シェリーが、魔女だと言うのか……」
青いカクテルが、青い壁と混ざっていく。
空間が歪み、揺らぎ、自分の存在も、なにもかも、揺れる、揺れる、揺れる――。世界が青く塗り替えられていく。ノアもオスカーも、青く青く青く青く……。
店主の女が妖艶に微笑んでいるのが目の端に見えた。
(魔女……!)
*
気がつくと床に倒れていた。猛烈な匂い。酷い頭痛だった。起き上がろうとして、ふらつき、こみ上げたものを床に吐き出した。先ほどの青いカクテルが胃の中から外に出される。
全て吐き終わったところで、気づく。青い店内は、赤く様変わりしていた。鼻につく匂いは……
「ノア、大丈夫か」
オスカーの声が聞こえた。見上げると、血みどろの彼がいた。お前こそ大丈夫かと思うが、どうやら彼に怪我はない。返り血だ。
そこでやっとノアは店内を見渡した。店主の女の姿はない。客の男たちが血を流し死んでいた。この匂いは、人の血の匂いだ。
「一体……」何がどうなっているんだ。
「魔女と使い魔退治だ」
こともなげにオスカーは肩をすくめる。
「この店は魔女の店だ。客は全員、使い魔だった。酒を飲んで、お前も危なかったな」
オスカーは平然と笑っている。ノアは初めて恐ろしく思った。魔女にではない。この友人に対してだ。
彼はここに魔女がいると知っていて飲みに来て、酒を飲んだら魔女の手下になると分かっていたのに、ノアがそれを飲むのを止めなかった。それは魔女に疑わせないためだ。客が自分を殺しに来たのだと。
「オスカー、お前は、私が使い魔になってもよかったのか」
「その前に、魔女を殺すつもりだったよ。魔女を殺せば、魔法は消える。実際、そうしただろ」
まだ床に這いつくばったままのノアの目の前に、使い魔の血で汚れたオスカーの手が差し出された。
その手を見ながら、ノアは問いかけた。
「さっきの話は……」シェリーが魔女という話は、冗談か。ノアは問う。
「まだ、確証に至っちゃいない」
オスカーは答える。
「だけどノア、何が起きても、絶望しないでくれよ」
もし魔女が人間に擬態して近くにいるのであれば、それは間違いなく人間の敵だ。殺さなくてはならない。もしそれが、愛する人だったとしても。
(なんと、この世は残酷なことか……)
それでも、ノアはオスカーの手をしっかりと握り返した。ノアの手に、使い魔の血が付く。