3-3 指輪の家紋
シェリーとオスカーの関係性は、同居人、師と弟子である以上に奇妙な友情が生じるようになっていた。
オスカーの生活は凄まじかった。朝も晩もなく飛び回り、その合間にシェリーに魔法について教え、わずか寝て、またどこかへ姿を消した。
近場であればシェリーを伴い行動したが、そうでなければ単身でいずこかに姿を消した。時折酒の匂いを漂わせながら朝方帰ってくることもあったが、多くの場合は本当に仕事らしい。
「そんな生活してると体を壊すわよ?」
たまらずそう言うと、
「壊してから考えるよ」
と返される。
ならば、と彼の安全を願いこさえたタイを渡すと、大層喜ばれた。そう素直にうれしさを表現されるとこそばゆい。
「一応、わたしにも魔法が使えるんでしょう? 貴方の無事を祈りながら作ったわよ」
「ありがとう、いつも身につけておく」
そう笑う彼に、ほっとした。
仕立屋の方はどうか、というとあまり順調ではなかった。修道院から場所を移したからか、令嬢たちからの注文はめっきり減った。おまけに魔法についての訳の分からぬ本を読んだり道具の使い方を覚えたりしなければならず思うように時間は取れない。
シェリーに魔法をかけたという魔女の報せはまだない。焦りばかりが膨らんだ。
それが届いたのはそんな折だった。
修道院からの手紙だった。
“アリス宛の手紙を送ります”
拍子抜けするほどの短いメッセージととにも入っていたのは更に手紙だった。送り主を見ると「シェリー」。
「アリスからだわ!」
中を開けると、彼女らしい几帳面な文字でこう記されていた。
“拝啓『アリス』様
そちらはお変わりありませんか?
こちらの生活は順調です。本当に大きなお屋敷ですがなんとか慣れてきました。カーテンや絨毯を明るい色のものに新調してみました。あたしは“アリス”のようにセンスはよくないからどうかなっと思うけど、まあまあ雰囲気はよくなったと思います。
ノア様は最初は少しぎこちなかったけれど、最近はとても優しいです。上手く暮らしていけそうです。
今日手紙を書いたのはお願いがあったからです。ドジなあたしは、本当にうっかりしていて、両親の手がかりである指輪を持ってくるのを忘れていました。どうか、修道院の『アリス』の机の引き出しにある、それをこちらに送ってはくれないでしょうか?
忙しいのにごめんなさい。以前送ってもらったハンカチ、いつもポケットに入れています。これを持っていると勇気を貰える気がします。
では大好きな『アリス』。どうかお元気で。
あなたの一番の友達の『シェリー』より”
「まあ、大変だわ!」
修道院にいるとき、部屋の机の引き出しは一度も開かなかった。そこにアリスの一番大切な物がしまい込まれていたなどとは思いもよらなかった。
一度修道院に戻る、と告げるとオスカーは快諾し、馬車まで用意してくれた。
(意外にも紳士なのよね)
だからか、彼を信頼していたし、友情を抱くには十分過ぎるほどの恩を感じていた。
*
修道院に着き、幾人かと再会を喜び合った後で、使っていた部屋に入る。
机を探ると目的の物はすぐに見付かった。
「これね」
大事そうに布に包まれた木箱。振るとカラカラと音がする。
中身を確かめようと開いて、確かにそれであると確認した時、シェリーは衝撃のあまり木箱ごと床に取り落とした。
(どうして……!)
拾い上げる気にもなれない。
中身は間違いなく指輪であった。であったが、刻まれていた紋章が問題だ。アリスは指輪を丁寧に扱っていた。シェリーがそれを見ることは今までなかった。
脳裏に、幼い頃、繰り返し聞かされた話が蘇る。
母はいつも言っていた。
――シェリー、あなたは赤ん坊の頃に一度行方不明になったのよ。誰かに誘拐されたの、家紋の指輪と一緒に。
犯人は侍女だった。すぐにシェリーは発見され無事保護されたが、家紋が刻まれた指輪だけはどこをさがしても無かったという。
家紋である白鳥が刻まれた、その指輪だけが――。
「アリス! 嬉しいわ! まさかあなたに会えるなんて!」
扉が突然開かれ、思考が止まる。現れたのは美しく着飾った夫人……ローラの姿だった。
「ローラ」
「寄付をしようと思って、来たのよ。それで、あなたもいるって聞いて……」
ローラは満面の笑みの後、様子のおかしいシェリーに気がつき不思議そうな表情になった。
「どうしたの? あなたったら、真っ青よ」
(ああ、ローラ。ローラになら話してもいいかもしれないわ)
ローラは気位が高くとっつきにくいが本物の淑女だ。賢く、強く、だからシェリーの今考えていることを打ち明ける気になった。
「ねえ、どうか、驚かないで聞いてちょうだい。わたし、アリスじゃないのよ」
シェリーはローラに全てを話した。アリスとの入れ替わり、魔女の呪い、アリスが持っていた、家紋の刻まれた指輪……。
ローラはかなり驚いていたが、黙って最後まで聞いていた。そして聞き終わった後で、静かに笑った。
「入れ替わってたなんて驚きだわ。でも、納得。あなたって急に性格きつくなったもの。だけど、そしたらわたしは、遂にアリスに謝れなかったのね……」
それでも彼女もシェリーと同じ結論に至ったようだ。確認するように聞いてきた。
「……魔女の呪いは『この娘は若くしてその人生を失うことになる』だったんでしょう?」
「ええ」
「……魔女って、魔力が強力であればあるほど、暗示の力も強くなるのよね?」
「ええ」
「……自分に暗示をかけることも?」
「ある、と思うわ」
じゃあ、とローラは言いにくそうに、顔を歪めた。
「アリスが、魔女ってことが考えられるんじゃないかしら。だって、あなたの人生をそっくり奪ってしまったじゃないの! 自分は人間だと強い暗示を、自分にかけているんだわ! 自分さえ欺けば、あなたの人生を奪えると思って」
アリスが魔女だとして、なぜシェリーの顔をしていた?
それはきっとシェリーの人生を奪い取るためだ。そしてゆくゆくは命を。そしてその先は……?
魔女はノアに嫁ぎ領地を手に入れた。最悪の事態だ。きっと多くの人間を操り、その勢力を拡大し、望むまま世界を動かす。
(わたしのせいだわ!)
なぜ入れ替わりなど思いついたのだろう。疑問に思うべきだった。顔が瓜二つの人間に、こう都合よく出会うはずがない。
「ああ、なんてこと! ローラ! どうしましょう!」
「まずは、アリスに会いに行きましょう。すべて勘違いの可能性だってあるわ!」
*
シェリーとローラ。密室での会話は、たった二人だけで行われていた。しかし、もうひとり、不幸にもその話を聞いてしまった者がいた。
(なんということだ! 奥方様が……魔女だと?)
扉の前で立ち尽くす青年。それはノアの召使いであった。
なんという運命のいたずらか、この若い召使いもまた、ノアより修道院に寄付を申せつかりこの場に来ていた。そして聞こえた知った名に、いけないと思いつつも盗み聞きをしてしまった。
(旦那様に、伝えなければ!)
彼は急ぎ、領地に戻る――。