2-6 オスカーとの和解
「アリス! 今度デートしようぜ」
オスカーはまた修道院に姿を現すようになった。
どういうつもりか、入れ替わりを言い当てたことなどすっかり忘れているようにしつこくシェリーに絡んでくるのだ。ご丁寧に『アリス』と呼んだりして。
「もう魔女の使い魔はいないんでしょう!? 来る意味ないじゃない。わたしにつきまとわないでちょうだい!」
「つれないなぁ。俺は君に興味があるんだよ」
掃除するモップの手を止め、オスカーを睨む。
「ね? わからない? わたしって、見ての通り忙しいのよ。あなたが代わりに修道院中を掃除してくれるっていうなら話は別だけど?」
できっこないでしょ、とシェリーは微笑む。しかしオスカーは「なんだそんなこと」と微笑み返すと指をパチンと鳴らした。
シェリーは目を見張る。
瞬く間に修道院中は見違えるようにように美しくなった。何度拭いても落ちなかった窓の汚れも、届かずに諦めた屋根の上の鳩の糞も綺麗さっぱり無くなっている。
「うそ!?」
「忘れがちだけど、俺ちゃんはエリート魔法使い。こんなことくらい朝飯前さ」
オスカーは器用に片目を閉じるとシェリーの手を取る。
「さあ、街へデートだ。よかったら君の作ったとびきり上等なドレスを着てきてくれよ」
とはいえシェリーも心が躍った。
久々の街だ。布を買いに修道院の令嬢たちと行くことはあったが、向かうのは仕立屋だけで手持ちの金も多くないシェリーが遊ぶことはなかった。
オスカーが奢るというので、なら彼の注文通り、お気に入りの服を着てやろうと思った。市中出かけるのはドレスでは不便だ。だからブラウスとスカートにした。軽くて動きやすいこの服も、もちろん自分で作ったものだ。
着替えてからオスカーの前に姿を現すと彼はにこりと微笑む。
「めちゃくちゃ似合ってるな。可愛いよ。さあ、行こう」
腕を出してきたので、そっと掴まった。魔法使いなら瞬間移動くらい使うのかと思いきや、馬車である。
「瞬間移動なんて、できるわけないだろ」
「一瞬で修道院中片付けられるのに?」
「色々と、違うんだよ」
そんな会話を交わした。
「いつか来てみたかったの! やっぱりおいしい」
行きたい店は決まっていた。最近流行のケーキを出す道沿いのカフェだ。仲良くなった少女から時折差し入れをもらうことはあったが、店でしか食べられないものもあると聞き、いつか来たいと思っていた。
テラス席でケーキを堪能していると、真向かいでにこにこと様子を見ていたオスカーが唐突に口を開いた。
「なあシェリー」
急に本名を呼ばれ、ゲホゲホとむせてしまう。
「わ、わたしはアリスよ!」
紅茶でケーキを流し込みながら反論する。しかしオスカーは茶化すように笑う。
「俺って奴は顔はもちろん、勘もよけりゃ、頭もいい。シェリーとアリス、両方を見てるんだぜ? そりゃあ、ちょっと誤魔化しきれないな」
「……何が目的よ?」
もうケーキどころではない。シェリーは入れ替わりを認めた上で、この魔法使いに向き合った。
からかっているだけだろうか。自分の推論を確かめたいだけなら、それでもいい。入れ替わりは認める。納得してさっさと去ってもらおう。
しかし彼が言ったのは想像していなかったことだった。
「シェリー、俺の弟子になれ」
「は」
(はぁ!?)
「なる訳ないわ! ばっかじゃないの!?」
「おっと、“アリス”は大人しいんだろう? そんな暴言吐いて」
「わたしは仕立屋になるのよ! 夢に一歩ずつ近づいているの! 弟子になるヒマなんてないわ!」
「その仕立屋が問題だ」
と言うとオスカーはシェリーのスカートをつまみ上げる。「ぎゃー!」と叫んで彼の手を蹴った。往来の人々が何事かと見る。
「ただの痴話げんかですぅ」
オスカーが人々に手を振って軽く流す。それからシェリーに向き合うと初めて真剣な顔になった。
「君が仕立てたドレス。町中で噂になってる。“幸せになれるドレス”って」
「それの何が問題なのよ? わたしの腕がいいんだわ」
まだスカートを掴んだままだったオスカーの手を払いのけながら不機嫌に答える。
「確かに腕はいい。流行の形も熟知してる。だが、それだけじゃない。君の仕立てたドレス……ハンカチの刺繍に至るまで調べさせてもらったが、間違いなく練り込まれてる」
「何がよ」
「魔法だよ」
流石のシェリーも不機嫌を忘れて思わず前のめりになる。
「魔法ですって? 誰かがわたしの仕立てたものに魔法をかけたって言うの?」
「あー、まさかと思ってたが、やっぱり気づいてないのか? 誰がって、君しかいないだろう」
「わたし!?」
シェリーの驚愕にオスカーは苦笑で答える。
「君には魔法の才能があるって言ってるんだ。仕立てるとき、『幸せになれ』とでも願いを込めただろう? それこそ魔法だ。だから君から何かをもらった修道院の令嬢達は皆幸せになれた」
「な……」
(なんですって!?)
だから作った服を着てこいと言ったのか。魔法を確かめるために。わざとらしい笑みまで作って。相変わらず一筋縄ではなさそうだ。
オスカーは続ける。
「だが魔法ってのは、自覚してないと危険だ。例えば君が誰かを嫌いだとする。そいつのハンカチに『死ね』と呪いながら刺繍でもしてみろ」
「死ぬの?」
「ま、君が持つのはそれほど強力な魔力じゃなさそうだ。死なないまでも、骨折くらいはするかもな」
自分の両手を見る。
仕事ですっかり荒れている。
この手で魔法を使っていたなんて。
「魔法は使い方次第で幸せにも不幸にもなる。だから扱いには知識がいる。普通、魔法使いってのは小さいときにその素質が分かるもんだが、箱入り令嬢シェリー。君は大事に育てられすぎて誰にも気づかれなかったようだな。俺がいてよかった。だから、弟子になれ」
「嫌よ」
即答する。驚愕したのは今度はオスカーだ。
「どうしてだよ! 言っただろ、魔法って危険なんだ。このままずっと生きていけば、君だって不幸になるかもしれないんだぜ」
「ずっと生きていくことなんてないもの」
シェリーは目を閉じる。
『魔女の呪い』
胸にずしりとのしかかる。
不可解そうな表情のオスカーに告げてやる。
「……わたしのお父様って、女に手が早くて。結婚してるのに、ある日、ひとりの女性に手を出した。だけどお母様にわたしの妊娠が発覚して、その女性とは縁を切ろうとしたの。
でも、その女性は魔女だった。怒り狂った魔女はお父様を殺してしまった……」
「魔女は男に取り入るのが上手い。その嫉妬もまた深い。それだけじゃ、おさまらなかったというわけか」
顔を上げるとオスカーの真剣な顔がそこにあった。つられるように、シェリーも頷く。
「そう。魔女の凄まじい怒りはお父様を殺しただけじゃ済まなかった。お母様のお腹の中のわたしに呪いをかけた」
――この娘は、若くしてその人生を失うことになる。
「お母様はアバズレ女の暴言だと言って信じてないけど、生まれる前のわたしの性別をぴたりと当てるなんて、やっぱり魔女よ。
わたしは呪いを信じてる。仕立屋になるなんて、自分だって馬鹿みたいってわかってる。なれっこないって。でも、死ぬ前に一度くらい夢を追いたい。やれるところまで、やってみたいのよ」
オスカーは黙っている。
シェリーは自分の言葉に何度も頷いた。
「うんうん。だから、わたしもう少しで死ぬの。若くしてって、やっぱり十代かしら? ね、分かったでしょ、心配ご無用だって。杞憂に終わるわ。だって魔法の力を本格的に習得する前に、わたしは冷たい土の下だもの」
一気に言い終わって、ふうとため息をついた。呪いの話を母以外の誰かに言ったのは初めてだった。
不思議と少しだけ心は軽くなった。
「なら俺が――」
静かに聞いていたオスカーが口を開いた。その瞳には同情も疑いも浮かんでいない。ただ、静かに見定める。
「――その魔女を探しだし、始末するってのはどうだ? 呪いも解けて、君も仕立屋の傍ら俺の弟子になれる。
もちろん入れ替わりのことは口が裂けても言わない。君のその、ルビー色の瞳に誓うよ。君も俺もノアも本物のアリスもオールハッピー、めでたしめでたし、だ」
両手を広げてにこやかに言う。
シェリーもその瞳を見つめ返す。
魔女を倒す? まさか。
だが宮廷付きの“魔女狩りオスカー”。信頼はできる……のかもしれない。
「本当に……?」
「魔法使いオスカーは嘘はつかない。本当だとも」
「本当に、呪いが解ける!?」
「ああ、跡形もなくね」
「嬉しい! こんなに嬉しいことって無いわ!」
立ち上がり、オスカーの両手を両手で包む。
「ありがとう! 心から、ありがとう!! あなたって、見かけによらずすごくいい人なのね!!」
「おっと、礼は魔女を倒してからだ」
ぶんぶんと上下に激しく振られる自分の両手をそのままにしながらオスカーも微笑みで答える。
何があったのかと再び注目をする往来の人々に「痴話喧嘩から仲直りしたんですぅ」とうそぶきながら。