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宿屋から出てきた厳つい男―――バロンは、酔っ払った船乗り達で賑わう夜の大通りを抜け、きわどい恰好をした女性達が客引きをする通りに入った。
そのうちの一人が、バロンの姿に気が付き声をかける。
「バロンさん。今日もお仕事?」
「今帰りだ。キャロン、そっちも調子はどうだ?」
「いつも通りよ。どう? 一杯ひっかけて行かない? 相変らず、つまらない男の相手ばっかりでうんざり」
色っぽい溜息をつきながら言う彼女に、バロンは手を振って断った。
「遠慮しておく。お前が相手だと、何故か飲みすぎちまうんだ」
「残念」
「また近いうちに顔を出すさ。じゃあな」
そう言い残し、バロンは通りの端にある事務所へと向かう。
地下へと続く階段を下り、頑丈なドアを開ける。
すると、事務所の中から生臭い匂いが漂ってきた。
鼻をつく異臭に、バロンは「またか」とうんざりしながら中に入る。
部屋の中は酒と人間の血が撒き散らされていて、とても凄惨な状態になっていた。
そんな中、半裸で爆睡している女がいる。
その女の肩を叩く。
「クレナイさん。起きてください」
「………? ………ああ、バロンじゃない。どうしたのよ、こんな夜中に………」
目覚めた女は艶めかしい動作で、人間の血がついた自分の髪をかきあげる。
めんどくさそうに開かれた黄金の瞳がバロンを捉えた。
彼女の名前はクレナイ。バロンも所属しているガザファミリーの一員で、人身売買や風俗経営を専門にしている女幹部だ。
普段は別の町を取り仕切っているのだが、突然、何の前触れもなくネクサスの町へ現れた。
そのため、ろくに受け入れ態勢を整えていなかったネクサスの支部長は、この町に精通している組員一人を警護役として彼女につけた。その組員がバロンだ。
事務所を再び汚されたことに怒りを覚えながらバロンは告げる。
「例の男に接触してきました。あなたが命じたんですよ」
「………ああ、そうだったっけ………。ちょっとそこどいて」
クレナイは道を開ける様にバロンに言うと、ソファから立ち上がって、既に半脱ぎ状態の衣服を部屋に脱ぎ散らかしながら浴室へと向かった。
バロンは渋々とその後に続くと、一旦浴室の扉の前で立ち止まり、扉越しに話を再開する。
「その男ですが、予想の通り、奴隷商人や貴族の類ではありませんでした」
クレナイの身体を洗い流す水の音がする。
その音を聞きながら、バロンは例の男のくたびれた顔を思い出した。
しわが刻まれ始めた口周りに、特徴的な糸目。
宿屋で会ったあの男―――あれは、どう考えても奴隷を所有できるような人物ではない。
「―――ふーん、それで?」
浴室からクレナイのこもった声が返ってきた。
「恐らく、暗示魔法を習得した貧民が、なけなしの財産で衣服を買い与えてやったのでしょう。そう考えれば、暗示魔法で詐欺をはたらいたのにも納得がいきます」
「馬鹿ね。あの年で暗示魔法を使える男が、今更、娘に衣服を買ってあげるわけないじゃない。そんなことするくらいなら、とっくに働き口を見つけているわよ」
予想外の指摘に、一瞬思考が止まる。
「………なにか、働けない理由があるのでは?」
「理由って何? 暗示系スキルを持つ男なら、どの業界でも引く手あまたよ。特にうちなんかは喉から手が出るほどに欲しいわ。そんな奴が、わざわざ私たちに喧嘩を売ってまでも働かない理由は?」
「……………」
的を射た彼女の回答に、何も言い返せなかった。
彼女に自分の不備を指摘されたのが気に食わなかったバロンは、代わりに彼女の予想を聞く。
「クレナイさん。そう言うあなたは何か思いつくんですか?」
「そんなの知らないわよ。私はあの子が手に入るなら何でもいいの。そのための口実を作るのがお前の仕事でしょ?」
傲慢な態度にバロンは舌打ちをする。
「違います。俺はあなたの警護と案内を任されただけです。あなたの趣味で汚された事務所を片付けている暇も、あなたの我儘に付き合ってる暇もないんだ」
「あら、男の癖に随分と生意気な口を利くじゃない」
バロンがきっぱりと言い切ると、クレナイが浴室の扉を開け放った。
露わになる、彼女の一糸まとわぬ均整のとれた体。
主張しすぎない程度に豊満な胸。すらりと伸びた手足に、すっきりとくびれた腰回り。
そして水に濡れた長い髪は紅く艶めき、その煽情的な姿に、バロンは呼吸することを忘れていた。
「―――ねえ、私の目を見て」
クレナイが動けないバロンの顎を指で持ち上げ、無防備に見開かれた彼の瞳を見つめる。
(これは―――魅了魔法⁉)
彼女の黄金の瞳が煌めくのと同時に、バロンは自分の身体に魔法を掛けられたのを感じた。
しかし、身体を駆け巡った魔法は直ぐに霧散する。
「―――ッはあ!」
魔法が解け、一気に身体の自由を取り戻したバロンは膝に手をつく。
クレナイはそれを見て不思議そうに首を傾げた。
「あら? 精神魔法の抵抗を持っているなんて聞いてないわよ。どういうこと?」
荒い呼吸を落ち着かせているバロンは、クレナイの強力な魔法に驚きながら首元のペンダントを握りしめる。
(まさか、魔道具を付けていてもこんなに効果が出るなんて………!)
魔道具を握りしめて落ち着きを取り戻し始めたバロンは、ゆっくりと口を開く。
「………対精神魔法用の魔道具です。………例の男が暗示系の魔法を使うので、装備しておきました………!」
彼女に魔法を無効化した理由を伝える。
しかし、この魔道具は例の男のためでなく、黒い噂が絶えないクレナイを警戒するために購入したものだ。彼女の警備に任命された時からつけていたが、勿論そのことは黙っておく。
「あら、そうだったの。良かったわね」
からくりを聞いて興味を失ったクレナイは、未だに膝に手をついているバロンの横を素通りして自室へ戻った。
クレナイは自室に戻る途中で、思い出したかのように振り返る。
「あぁ、これ以上強い魔法を掛けられたくなかったら、明日までにはあの子を連れて来なさい。男の方はどうでもいいわ。それじゃ私は寝るから、この部屋の掃除と別室の死体の処理、よろしく頼むわ」
そう言い残して自室に消えた。
「………イカれクソ女が」
憎しみが籠ったバロンの呟きは、部屋を漂う異臭に溶けて消えていった。




