第8話 都合のいいことばかり言います。
「ベア吉!」
カリカの自室に戻った私は、部屋の片隅で倒れているベア吉を見つけた。
その近くには、地下に続いているような階段が見える。
「ベア吉!?」
くまの縫いぐるみは返事をしなかった。
いつもの魔力切れかと思ったけど、それにしてはベア吉の存在をまったく感じない。
「ロッセ、トラップだ」
どうやら、この隠し階段を調べると何かしらの仕掛けが発動したようだ。
それに巻き込まれ、ベア吉の意思が消滅。
よくよく見ると、ベア吉の表面には傷がたくさんできており、綿が所々はみ出している。
殺傷性まであるのかは疑問だけど、それなりの怪我をしてしまうようなものだったのだろう。
「さて……この階段、先ほどはありませんでしたね」
「うん。実はこのクマのぬいぐるみを魔法で動かして調べてもらっていたの」
その結果、ベア吉の意識が消滅。
途轍もない喪失感を抱いた。
「そのぬいぐるみには意思があったのですか? 便利な呪文もあるものですね。調べてくれるし罠があっても人的被害は無い」
その言葉にすこしイラっとして私はレナートを睨んだ。
「被害はあった。あったのよ」
「……すまない。貴女にとって、大切な友人だったのですね」
「ううん」
思いのほか、レナートの顔が沈むのを見てびっくりする。
動揺を隠すように私はベア吉を抱えると、階段を降りようとする。
しかし、降りようとする私をレナートが手を引っ張って止めた。
「この先は、何かとても嫌な予感がします。おそらくカリカさんか、この事件の首謀者がいるのでは?」
「そうね。だから、すぐ向かわないと」
「いいえ……。その前に話をさせてください」
「その話は、今必要なこと?」
「必要ですし、すぐ済みます」
レナートは、いつもの冷静な姿を見せつつも、やや顔を紅潮させていた。
私はその気迫に押され、うなずくことしかできない。
「う、うん……」
「この先、ひょっとしたら貴女は命を落とすかもしれません」
「元勇者がどうしたの? 私を守ってくれるんでしょう?」
「気弱にもなります。なぜなら……」
レナートが語り始めた。
この世界に転生する前の話。
ある強大な魔物を追いかける途中、様々な理由でパーティの仲間と別れ、最後はたった二人になった時のこと。
そして、その最後の同行者を死なせてしまったらしい。
「それは、レナートの責任なの?」
「……そうだ。私に力がなかったばかりに。あのとき、身代わりになれなかったのかと随分悩んだものだ」
「レナートにできなかったのなら、もうどうしようもないでしょう?」
勇者だったとしても万能ではない。
神にでもなったのなら、話は変わってくるかもしれないが。
所詮勇者といえども人間だ。
「そうだとしても……私は、もうあんな想いはごめんです。次、同じ状況になるなら、私は命を賭して貴女を守ることに徹します」
「だめよ。お互いが自分の命を守ることを優先すべきだと思うわ」
「ロッセ、貴女は…………言わないといけませんか」
「何を?」
レナートは真剣な眼差しで私の目を見つめてきた。
「前にも言いましたが、私は、貴女のことが……貴女のことを想っています」
改めて彼の声で、彼の口から聞くと嬉しさで心が溢れる。
でも、それは叶わぬと拒絶したのは彼自身だ。
「それはいけないことだと、思いはあっても封じるべきだと、あなた自身が言ったわ」
「確かにその通りだ。今でも、そう思うことがある。だけど君と距離を置いてから思い知ったことがある」
「思い知ったこと?」
「ああ。そうだ。私は、君を……愛しています。多分、前世のころから」
私の中で二つの感情が渦巻いた。
あのとき拒絶したのは何だったのか、という苛ついた気持ちが一つ。
そして単純に嬉しいという気持ち。
「そんな……都合のいいこと言って!」
「その通りです。だが、言わせて下さい。私には君が必要だ。ヴァレリオに渡したくないという気持ちですら、今では肯定してしまう。それがどんな意味を持つことなのか、知っていてさえもだ」
「だから、都合がよすぎよ!」
言葉が詰まる。
目頭が熱くなる。
駄目だ。
今泣いては、駄目だ。
私はぐっと、涙を堪えた。
「その通り。私は、こんなにも傲慢で都合よく物事を考える人間のようです。それを君が教えてくれたのです」
レナートはそう言って私の目頭を指で拭う。
溜まった涙がこぼれないように。
「それ、私のせいかな?」
「いいえ。私のせいです」
レナートは、私の心を和らげるように微笑んでくれた。
彼の笑顔を久しぶりに見たような気がする。
私は気持ちを落ち着かせるために大きく息を吸って、溜息をついた。
「ほんっとに……ほんっとに! レナートは都合がいいことばっかり言うわね。でも、全部、落ち着いた後にゆっくり話しましょう。全てを終わらせた後で」
「はい。私の話はこれで終わりです。行きましょう」
彼が手を差し伸べてくれる。
私は、彼に拒絶をされたとき、もうあんな思いをしたくないので、素っ気なく接してきた。
それでも、彼は私のことを好きだと言ってくれた。
後のことは、全部うまくいってから考えよう。
全てを良い方向に持っていくために。
私は彼の手を握り、二人で意思を一つにして階段を下っていく。




