閑話 決意と誓い ——ヴァレリオ—— 前編
翌日。
講義室に行く途中にレナートが校舎の入り口に立っている姿が見えた。
制服ではなく王族が身につけるような白いジャケットを纏っている。
彼の姿は、朝日に照らされ輝いているように見えた。
一方の私は、少し寝不足で精彩に欠けているように見えるだろう。
昨晩私のベッドに侵入しようとするアリシアをロープで簀巻きにするのに手こずってしまったのだ。
彼の姿はとても目立つ。
周囲の視線を一身に浴びながら、レナートは私に近づいてきた。
「おはよう。ロッセ」
「おはよう……」
レナートは私に目を合わせてくる。
でも、私はどうも、彼に目を合わせられず俯いてしまう。
「うん。今日、ヴァレリオに会うんだろう?」
「どうしてそれを?」
私はつい、驚いてレナートの瞳を見つめてしまう。
そうしたら最後、もう逃れられない。
「本人から訊いた。俺からは……貴女たちの関係に口を挟むつもりはないが一つだけ」
「う、うん……」
彼の言葉に、少しの焦りを感じた。
それは、弟であるヴァレリオを心配するような、そういう兄としての気持ちを含んでいるように思う。
「ヴァレリオは、ロッセのことを考え少し無茶をしている。具体的には、騎士団に対し、抵抗している、と言っていいだろう。理由は、本人がこの後話してくれるだろうけど——」
騎士団。
王国の誇る精鋭部隊。
魔物や、対外勢力、強い力を持つ犯罪者など衛兵などで対応できない者に対応する集団だ。
「——ロッセは、そのことに負い目を感じることはないと思う。でも、彼の気持ちを少しでも汲んで、考えるようにして欲しいと思う。できれば、ロッセからも、あまり無理をしないように伝えて欲しい」
「何? 何の話をしているの? ヴァレリオの無茶というのは私に関係があること?」
レナートは、事態をかいつまんで話してくれた。
まず、私が聖女の可能性があると騎士団に伝わってしまった。レナートとヴァレリオは伝わらないようにしてたにもかかわらず。
幸い、カリカも候補であることは伝わっていないようだ。
そして、ここからが大切なところだと、レナートは言った。
「いずれ騎士団は貴女たちに婚約の破棄を迫るだろう。そして、その後、騎士団は聖女候補を召喚するつもりだ。その実態は聖女の自由を奪い、いつでも使えるように軟禁すること意味している」
「軟禁? どうして……?」
「詳しい理由は分からない。だが、どうやら騎士団は、聖女を兵器のようなものだと考えているようだ。そこに、聖女本人の意思は介在しない」
私を捕らえる……。
乙女ゲーム内の処刑のルートにつながる状況だ。
私は視界が暗くなるような錯覚を覚えるほど、愕然とした。
「そんな……」
「私でさえ知らない秘密があるようだ。ヴァレリオもそれを調べつつ、騎士団に対して説得を続けている。しかし、どういうわけか彼はおろか、私でさえ騎士団が聞く耳を持たぬ状況になっている——」
第二王子でさえ手に負えない……そういう力関係のようだ。
もしくは、それより上位の者からの指示があるとか?
「——なぜ騎士団が頑ななのかも含め、これから調べるところだ。私はヴァレリオがこれ以上無茶なことをしないか心配している。貴女も、そのことを念頭に置いておいて欲しい」
「うん。わかった」
「じゃあ、ロッセ。私はこれで……あの、昨日のことは……」
立ち去ろうとする彼は、急に眉を下げ、寂しそうな顔になった。
「ううん、大丈夫。もう、終わったことだわ」
「そうか。……そう……か。分かった」
「じゃあ、ね」
少し元気になりつつあったけど、また気分が沈んでいくのを感じたので、踵を返し、私はその場を後にした。
振り返りもせず、講義室に向かう。
レナートに縋るのは、何か違う気がした。
結局、その日の講義は殆ど上の空で聞いてしまった。
カリカは今日は姿を見せず、簀巻きから脱したアリシアが途中から来てくれた。
いつも、煩わしいと思っていたアリシアに、今日だけは少し救われた。
私の様子に彼女は驚いたようだけど、結局いつもの調子だった。
そして……講義が終わり、私は一人、学園の広場に向かった。
「ひさしぶり、ヴァレリオ」
「ロッセーラ。久しぶり」
「王城に戻っていたって聞いたけど?」
「ああ——」
ヴァレリオが陰のある表情を見せる。
少し、痩せて……というより、やつれているように見えた。
「——ロッセーラ、君に渡したいものがある」
そういって、彼は右手私の方に突き出した。
その手のひらの上には、一つの指輪があった。
「これは?」
「精霊の雫と呼ばれる宝石が載った指輪だ。実はソイン教授に相談して……いや……君に受け取って欲しい」
私は、指輪を手に取った。
シンプルなシルバーの指輪に丸い宝石があしらわれている。
赤く燃えるような色の宝石だ。
「ありがとう。さっそく——」
「これは指に嵌めて祈りを捧げることで発動するものだ。とても強力な、攻撃魔法が発動すると聞いている。いざというときに使って欲しい。普段はできればつけないで」
「う、うん……わかった」
確かに少し目立つし、常備するのはやめた方がいいのかもしれない。
私は、その指輪を大事にバッグにしまい込む。
「それで、本題だ。もう兄さんから聞いたと思うけど、王族は聖女と結婚できないことになっている」
ヴァレリオが何を言おうとしているのか分かる。
なんとなく予想していたけど、こんなタイミングで婚約破棄イベント?
ただ、幸いというか、乙女ゲームのように断罪のあげく、拘束され処刑されるということもなさそうだ。
だとしたら、破滅の可能性も低いはずだけど……。
だとしたら、このまま婚約破棄をされて、彼との関係を終わらせるのは、返っていいことなのかもしれない。
彼が無理をしているとレナートが言っていたけど、このままその「無理」もしないということなら。
でも、本当にそれでいいのだろうか?
自分の真の気持ちを伝えずに、彼に何も知らせぬまま関係が終わるのが……いいのだろうか?
私が、あのとき、婚約を受けなければ。
今、ヴァレリオが無理する必要などなかった。
私は改めて、彼の様子を見る。
目の下にくまがあり、瞳もやや精彩を欠けているような気がする。
今気付いたのだけど、顔に新しい小さな傷がある。
無理をしているというのは、想像以上のことなのかもしれない。
それなのに……彼に何も知らせぬまま……いいのだろうか?
違う。
その前に、することが、言うべき事がある。
「ヴァレリオ——」
「ん?」
「私は——」
いざ言おうと決めても、私の心が揺れて……言葉が出て来ない。
ヴァレリオは、私の顔を見つめると、少し微笑んだ。
何の……裏もない、優しい笑顔。
私は促されるように言葉を絞り出す。
「私は……。私は、あなたのことを……あなたのことは好きだけど……でも、でも、本当はレナ——」
胸が痛くなり、言葉が途切れる。
目を逸らせず、顔を上げたまま、私の頬を涙が伝う。
その時。
「知ってるよ」
私の声を遮るように、ヴァレリオが言葉を放った。
それは、とても温かくて、でも、強くまっすぐな意志がこもっていて。
私の悲しみを、自業自得な辛さを包んでくれるようだった。
「君のことをいつも見ている。ずっと見ている。ロッセーラが、今何が楽しいのか、今何が苦しいのか、今誰を好きなのか……俺は分かっているつもりだ」
「ヴァレリオ……」
そのあまりの優しさに、涙を抑えられない。
たまらず、顔を両手で覆い下を向いた。
「初めて会った時から、ずっと君を見てきた。気づかないはずがないだろう?」
「じゃあ……どうして?」
俯いたまま、震える声で訊く。
なぜ、私と婚約をしたのか?
今まで、私に優しく接してくれたのか。
無理をしているのか。
「そんなこと、決まってるさ。君のことが好きだから、ただそれだけだ。君が、嫌だと思わない限り……俺はずっと側にいる」
お読みになっていただき、ありがとうございました。
 




