閑話 元部下の務め ——アリシア—— 前編
いろいろなことが、本当にいろいろなことがあった、翌日。
「おはよう。マヤ」
「ロッセーラ様、おはようございます……。あの?」
いつの間にか眠ってしまった私は、いつもより少し早く目が覚めた。
ベッドでぐずぐずしていた私を、マヤが起こしに来てくれた。
普通に挨拶をしたつもりだが、彼女は顔を曇らせ、私の顔をじっと見つめてくる。
「うん?」
「その、昨日は先にお休みを頂いて……申しわけありませんでした。あの後何かあったのでしょうか?」
「ううん、何も……。何も無いわ」
思い出したくもないし、話したくもなかった。
そう思うだけでも、目頭が熱くなるような気がした。
「お嬢様……。私は、お嬢様の味方です。いつでも、それが変わることはありません。だから、何でも、悩みがあればご相談になって下さい」
「うん、ありがとう……大丈夫よ」
「…………お嬢様」
私はマヤの言葉を受け、少しだけ心が軽くなった。
彼女は、私が事情を説明しないことに少し焦れているようだ。
ごめん、マヤ。
でも、ありがとう。
今日はレナートともヴァレリオとも出会わず、一人で講義室に入った。
そして、いつもの席に座る。
カリカの姿も見えない。
私だけぽつんと座る。
いつもみんなと座っている長机に一人。
レナートに顔を合わせずに済むのは、気が楽かもしれない。
でも、こんな考え方をするのは自分らしくないとも感じる。
しっかりしなきゃ……。
私がどんな思いだろうと、世界は何も変わらない。
いつもの講義が、いつも通りに始まった。
誰も側にいないというのは、とても寂しく感じる。
ヴァレリオやレナートは、なんとなく忙しいのが分かる。
カリカはいったいどうしてしまったのだろう?
「ロッセーラ様! おはようございますですわ」
「おはよう、アリシア……さん」
昼休憩に入ると、アリシアが姿を見せた。
どうやら尋問が終わったようだ。
王城から解放され、帰ってきたとのこと。
アリシアは、隣に座ると、首をかしげて顔を凝視してきた。
そして……有無を言わさず抱き締めてくる。
「アリシア……さん?」
「ロッセーラ様、元気を出して下さい。大丈夫、私がついていますわ。あのロクでもない悪魔をはじめ、ダークエルフやスケベ竜に、忠誠心では負けませんわ!」
「ちょっと、アリシア……しーーっ!」
慌てて周りを見渡す。
アリシアの、というか私たちの行動に目を見開いて驚いている生徒がいる。
きゃっきゃっと、何か喜んでいる人もいるし、アリシア様どうしたのかしらというような声も聞こえた。
でも、会話の内容まで聞こえていそうな人はいなかった。
もっとも、聞こえたとしても、何の話なのか分からないだろうけど。
「あぁっ、申しわけ……」
急に謝るアリシアの様子が面白い。
私は……。部下達に守られていたんだな。
前世の心地よさを今さらながら気付く。
わいわいと、森の奥で過ごしていた前世の記憶が頭に浮かぶ。
「ふふっ」
「あ、ロッセーラ様、笑われましたね」
「そうね。あなたを見ていると……思い出すわね。みんなと一緒だった時のこと」
「はい。ワタシの気持ちは、今でも変わりませんわ。愛しております」
「いや、あなたは、そういう重いところがねえ……」
ふっと遠い目をして言う。
すると、ぷうっとアリシアの頬が膨れる。
「もう。でも、そう思われても、ワタシは、ロッセーラ様に尽くしたいと思っています!」
「う……うん、ありがとう」
「わっ。わわっ。まおう——ロッセーラ様に感謝された……!」
顔を紅く染めて、にへへと笑う彼女は、姿は変わったものの、淫魔であった前世の姿そのままだ。
一通り、うねうねと身体を揺らした後、アリシアは周囲を見渡した。
「今日は王子様はお二人ともお休みなのですね」
「そうね。良かったわ」
「……王子と、何かあったのですか?」
こういうところは、鋭い。
さすが心を操る悪魔のなかでも、恋とか愛を司る淫魔なだけある。
「ううん。何も……何も無いわ」
「そうなのですか……わかりました」
アリシアは少し不満そうだが、彼女はそれ以上聞いてこなかった。
「カリカも休みなの」
「そうみたいですね。カリカさんに、ワタシは無意識とはいえ色々当たってしまって……ロッセーラ様と懇意にされているといいますのに」
入学式からのアリシアの行動。
彼女に言わせると、前世の記憶がまるでなく、何者かに操られるような感覚だったという。
「本気で謝ったら許してくれるわよ」
「あ、謝るというか……魅了してしまおうかと」
この淫魔……。
だめ、絶対。
「精一杯謝れば、許してくれると思うから……魅了とかやめて。それにしても、そういう力は残っているのね」
「はい……分かりました。前世だともっと自由にイロイロできたのですが、この身体では」
イロイロって何だ。
まあ、なんとなく想像は付くけど……。
「いいじゃない。その方が私も安心よ。カリカも可愛いからあなたに襲われなくていいし」
「カリカさんはともかく、ロッセーラ様はまだ諦めていませんわ」
「えっ? よしてよ」
「ふふ、冗談ですわ」
目が……目が笑っていないんですけど……。
彼女がそう言うときは、大抵本気だ。
今日から寝るときは、彼女の来襲を想定して悪魔よけの結界でも仕掛けておこうか……。
アリシアが来てくれたことで、ちょっと気が紛れたし、軽くなった。
感謝を少しだけ、しておこうと思う。
「じゃあ、今から神官の魔法について説明するぞ——」
授業は滞りなく進んでいく。
「カリカです。遅くなりました」
「うむ、早く席に着きなさい」
午後の授業の途中でカリカが講義室に入ってきた。
当たり前のように、私の隣に座る。
「おはよう、カリカ」
「ロッセーラ様、こんにちは」
「おはようございます。カリカさん」
アリシアが私越しに挨拶をした。
「アリシア……様?」
「カリカさん、あとでお話があります」
「えっと、アリシア様?」
今までの態度と大きく違うアリシアに驚くのは当然だろう。
カリカは驚きつつも、アリシアの物腰が柔らかくなっていることに気付くと、安堵の表情を浮かべた。
授業は何事も無く進んでいき——一通りの授業が終わった。
放課後の講義室。
そこには、アリシアとカリカ、そして私だけが残っている。
彼女なりの決着。
アリシアが今までの振る舞いを謝ることによって、関係を変えたいということなのだけど。
多分、カリカは許すのだろう。
でも、何かケジメは必要なのだと思う。
「カリカさん。今まで申し訳ありませんでした。ロッセーラ様に諭されて……心を入れ替えました。もしよかったら、これから仲良くして頂ければ、と思っておりますわ」
「カリカ、どうする? ビンタでもする?」
 




