第6話 なんだか様子がおかしいと思いました。
「カリカです。あと、レナート殿下とロッセーラ様も一緒です」
「どうぞ」
「失礼します」
カリカが黒い扉をこんこんとノックして、ソイン教授の部屋に入った。後にレナートと私が続く。
十人くらいが入ってもまだゆとりがある広さの部屋だ。大きな本棚が四つ並び、分厚い本がびっしりと並んでいる。教授が座る机と、あとは数人が座れそうな応接用のソファ、そして秤や皿など、実験器具のような物が置いてあるテーブルがある。
椅子に座っていた教授が立ち上がり、私に向かって……いや、どちらかというとレナートに対してだろうけど……恭しく挨拶をした。
「殿下、わざわざお越し頂きありがとうございます」
「教授、私と、あと我が弟には、そのようなお気遣いは不要です。どうか、他の生徒の方々と同じように接していただければと思っています」
レナートが胸に手を当て、訴えるように言う。
「しかし、なかなかそういう訳にも……平民もおりますし……」
「仰るとおりですが、私どもは少なくとも、この学園にいるうちは、なるべく生徒と教授の皆さんとの間に壁を作りたくないのです」
レナートは頑なだ。強い意志が見え隠れしている。
呼び方一つでそうそう変わる物でもないのだと思うのだけど、彼なりに考えた答えなのだろうか?
「ふむ。王族らしからぬ……いえ、失礼しました。ヴァレリオ殿下も同じ意見をお持ちでしょうか? 今は姿が見えませんが」
「ヴァレリオは急用があって王城に向かいました。彼は、私と同じ意見です」
「なるほど」
ソイン教授はあごひげを触りながら考えているようだ。しばし、間を置いてから、深く頷いた。
「承知いたしました。では……レナートさん、でいいですか?」
「いや、そのまま呼び捨てで。ロッセだって俺たちをいつも呼び捨てで呼んでますし」
そう言って、レナートは口角を上げて私を見た。いつもの彼だ。
私は「あはは……」と愛想笑いをして誤魔化す。
「なるほどなるほど、ロッセーラさんはヴァレリオ……さんと婚約されたうえ、レナートさんとも親密でいらっしゃるのですね。眠り病の解決の糸口を発見した件は噂に聞いております。そちらのカリカ君とも、親しい関係のようですし、人柄なのでしょうね」
褒められていると思うのだけど、人柄なんて……イマイチ実感がない。
ソイン教授は、私の方を見てにっこりと微笑んだ。この人、微妙に不思議な色気があるな……。
「そうだと嬉しいのですが」
「ふふっ。そういう控えめなところも、人を惹きつけるポイントなのでしょう。分かりました、できるだけ意識させていただきます。さて、皆様にいらして頂いたのはほかでもありません——」
ギィ。
教授の言葉を遮るようドアの開く音がした。音の方向に目を向けると、スタスタと歩いて研究室に入ってくるアリシアの姿が見えた。
いや……あんた呼ばれてないでしょう? と思うのだけど……そのふてぶてしさに妙に既視感がある。乙女ゲームの中のロッセーラのようだ。
「教授、ワタシをお忘れですわ」
「アリシア様。貴方は……仕方ありませんね、では貴方も話を聞いて下さい」
ソイン教授は認めながらも、深い溜息をついた。
私としては、追い返して欲しかったのだけど、彼女の声の大きさが勝ったようだ。
「もちろんですとも。ワタシはそこの、ホワイトボックスを壊した小汚い平民とも、間違って聖女判定が行われたニセモノの公爵令嬢サマとも違って、本物の聖女なのですから」
視界が赤く染まり、全身の皮膚が沸騰し、一気に頭に血が上がるのを感じる。
ドン、と私は一歩前に踏み出した。
カリカを小汚い、ですって——?
「アリシア! あなた、なんてことを。訂正しなさ——」
大きな声で注意をしようとする私の言葉を遮り、肩をぐっと掴んだのはレナートだ。
私は手のひらの熱を感じ、はっと我に戻った。
「アリシア君……」
ソイン教授が窘めるように名前を呼ぶと、アリシアはふん、と言って応接用のソファに座った。
私は怒りが治まらないまま、カリカが心ない言葉に気を落としていないか心配になった。私はきょとんとしている彼女の手を取る。
「ロッセーラ様……! 私の事で怒って下さって……!」
「えっ?」
彼女は私の心配をよそに、にっこりと手を握り返してくる。そのあまりに可愛い笑顔に、吸い寄せられてしまいそうになった。ま、まあ……カリカが落ち込んでないようでよかった。
カリカが私に親しくしてくれるのは嬉しいのだけど、ヴァレリオともレナートとも、知り合ってしまった。彼らのことをどう思っているのか……そのうち聞いてみよう。
特に、ヴァレリオについて。
乙女ゲームでヴァレリオとの婚約を破棄する原因は、ゲームの主人公であるカリカなのだ。
「では、みなさんはそちらへ、私はアリシア君の隣に座ります」
教授の言葉に促され、私達はソファに腰掛けた。
やや固い座り心地に、早くもお尻が痛くなりそうな予感がする。
「さて、皆さんは聖女のことはご存じですか?」
「聖女とは、国を悪しきものから守る、守護者のことです。この数百年は顕現していないと伝えられています」
「レナートでん……いえ、レナートさん、さすがにご存じでしたか」
「はい。王家には、聖女に関する盟約が伝わっているのです。私よりもヴァレリオが詳しいのですが」
「なるほど。その件はまた後ほどにしましょう。そして、ロッセーラさん、あなたに聖女の判定が表示されたと」
突き刺すような視線でソイン教授が私を見つめてきた。少しだけ心臓が飛び跳ね、どきっとする。
「は、はい。でも私には何のことだか……聖女などという自覚もありませんし」
「そうですね、あくまでホワイトボックスによる検査は、仮の物です。聖女というのは突然発現すると言われています。体に、痣のような印が浮かび上がると伝えられていますので、時々全身を誰かに見てもらい、異変がないか確認して下さい」
「は、はぁ」
毎日見てもらうとしたら、マヤが適任だろう。寮に戻ったら、話してみよう。
「あれは、ホワイトボックスに不具合があったと考えるべきではなくて? そこの平民の時に、おかしな動きをしたということですし。きっとそうですわ。だいたい、その時、一瞬でも黒く染まるなんて……正体は平民の皮を被った魔王じゃないのかしら?」
アリシアは私とカリカの方を向、一気にまくしたて、ニヤリとする。
どうして、この人はこんなにもカリカに突っかかるのだろう? 当のカリカはまったく堪えてなさそうだけど。
私がぬいぐるみになった時、カリカは、ちょっとしたことで落ち込んで泣いていたはず。でも今は、酷いことを言われても意に介さず、完全に無視して別のことに目を向けている。
「私も一瞬とは言え黒くなったのだし、元々調子が悪かったのでしょう。カリカが魔王なんてあり得ないことです」
だいたい、魔王判定を受けるとしたら私のはずなのだ。カリカであるはずがない。
「そうですね。ロッセーラさん、カリカ君、お二人の検査は別の機会にもう一度やりましょう。一旦は二人とも神官として認識をしておいて下さい。魔法を使うときも、意識をするように」
「はい」
私とカリカは同時に返事をした。
「あの、私も再検査ですよね?」
私も私も、とすり寄るように、アリシアが猫なで声で言った。
「いいえ。貴方は、妖術師の結果が出ているはずです」
「そ、そんな……教授は本当に私が妖術師だと思っているのですか?」
「はい。貴方のグループのホワイトボックスは、正常に動作していたはずです」
ソイン教授の声に、少し棘のような物を感じる。
「そ……そんな……」
「だ、か、ら、再検査は不要です!」
「…………がーん!」
アリシアは、ソイン教授の言葉を聞いて、深々と頭を垂れた。がーんて言う人初めて見たかも。そんな口癖のキャラ、乙女ゲームにいたっけ?
「…………。そんなはずは…………そんな……そんな……」
その場にいた全員の視線が、アリシアに集中する。
彼女は言葉を失って、口に手を当てたまま硬直している。
「ロッセ、彼女……アリシアの瞳を見て下さい」
「えっ?」
レナートが私に耳打ちをしてきた。
私は悟られないように視線だけを動かして、彼女の瞳を覗いた。彼女の青色の瞳が、ゆっくりと金色に変化していく。それは、ひどく不気味に思えた。
この瞳、どこで……? 見覚えがある。
「ロッセ……話があります。とても大切な話です。この後、二人きりになれる場所……そうですね……先ほどの広場まで来て下さい」




