35話 オバちゃんの仕返し
その頃、王都は混乱の波に襲われていた。
突然、何の前触れもなく傀儡石が消えたからである。
解放された魔族たちの報復を恐れ、民たちは女王や騎士らがいるであろうコロシアムと向かった。
自我を取り戻した魔族たちは、別の思惑でコロシアムを目指す。捕らわれた魔族王の救出である。
色々な感情を交錯させながら、人間も魔族も皆、コロシアムに殺到した。
そこで彼らが目にしたものは――。
今まで目にしたことのない巨大な二匹の魔獣。
揃って並び立つ魔族王と女王。
肩を組み合うウサ耳男と狼男。
そして止めに、側近フェンリルの腹にゴロンとだらしなく寝転ぶ中年女の姿である。
誰もがその光景に唖然とした。
――だが、やがて気づく。
「……皆、笑ってる」
誰かが口にした。
すると、続々と驚きの声が上がる。
「本当だ。魔族王様があんなに楽しそうにしているなんて!」
「あの恐ろしい女王陛下も……笑ってるぞ!」
「どういうことだ! 一体、何があったんだ!」
そんなざわめきがリコの耳に届いた。
「ん? 何?」
リコはフェンリルのお腹から起き上がり、周りを見回す。
そして、その目を疑った。
知らぬ間にコロシアムの観客席は、民や魔族で埋め尽くされていたのだ。
彼らの目すべてが、リコたちのいる競技場に向けられている。
(げっ! 私、なんて格好を皆さんに晒してんだか!)
リコは顔を真っ赤にして、そそくさとフェンリルから降りた。
そんな中、ルイが一歩前に進み、観客席をゆっくり見渡す。
群衆の目がルイに集中する。
静まり返るコロシアム。
そこにルイの心から発する声が響き渡る。
「ワタシは皆さんに謝ります。いえ、謝らせください。今まで苦しめて本当にごめんなさい。本当に本当にごめんなさい。許されるのであれば……ワタシに罪を償う時間をください。お願いします」
そう言うとルイは、その場に平伏した。
地面に額を擦りつけ許しを請う女王の姿に、息を呑む群衆たち。
だがやがて、魔族たちから非難の声が上がる。
「な、何を今更! 散々、我々を虐げたくせに!」
「我々がどれだけの辛酸を嘗めたと思っているんだ!」
「そうだ! 謝罪だけで済むものか!」
あちこちから怒号が飛び交い、コロシアムは騒然となった。
そんな魔族たちに、魔族王であるルカが叫ぶ。
「皆! もうやめて!」
「ま、魔族王様⁉」
女王の敵である筈の魔族王の制止に驚く魔族たち。
ルカは魔族たちを見回しながら訴える。
「皆、聞いて! ルイ姉さんが皆を苦しめたのは、全部ボクの所為なんだ。だからルイ姉さんを裁くというなら、ボクも同じように裁いて! お願いだよ!」
ルカの爆弾発言に、困惑し疑問を口にする魔族たち。
「ル、ルイ姉さんですと?」
「で、では……女王と魔族王様は……ご姉弟なのですかっ!」
「そうだよ」
ルカの簡潔な肯定に、どよめきが走った。
魔族たちの動揺を落ち着かせるかの如く、フェンリルが静かに告げる。
「魔族たちよ。女王を殺すことは簡単だ。気分も晴れよう。だが、それで終いだ。何も残らん。それより女王を生かし、我々にどう償うのか見届けようではないか。……その方が死よりも険しい道となるだろうに……敢えてこの者はその道を選ぶと言っておるのだ」
フェンリルに続き、ルイが再び切願する。
「魔族の皆さん、お願いです。ワタシに時間を……皆さんに償う時間をください」
お互い顔を見合わせ逡巡する魔族たち。
その時であった。
「おやおや、女王陛下。道具相手に何をしておられるのです」
耳障りな声を立てながら、神官と貴族たちがズカズカと競技場に足を踏み入れてきたのだ。
(あいつら……さっきはルイを見捨てて一目散に逃げたくせに! ん? あの神官は……)
リコは、先頭を偉そうに歩く神官に目を留める。
それはリコとケツァルを引き裂いた、あのにっくきデブ神官であった。
その神官は跪くルイの前に立つと、大袈裟に空を仰ぐ。
「まったく嘆かわしい! こんな道具たちなど傀儡石を使えば、すぐにでも服従させることが出来るというのに!」
ルイは頭を上げ、冷ややかな目を神官に向ける。
「傀儡石なんてもうない。いえ、例えあったとしても金輪際使うつもりないわ!」
「な、なんと!」
神官は、芝居がかったようによろめいた。
後ろにいた貴族のひとりが神官を支え、ルイに言い放つ。
「興醒めですな、女王陛下。夢でも見ておいでか? 早く目を覚まされるがいい」
「目ならとっくに覚めてるわ。覚めたからこそ自分の間違いに気づいた。自分がどんなにダメな人間か思い知ったのよ」
ルイは話を区切り、スクッと立ち上がる。そして、改めて観客席を見渡す。
「皆さん。ワタシはここに誓います! ワタシはエスタリカの女王の座を降り、残りの人生を魔族の為に捧げることを!」
力強く宣言したルイを、神官は鼻で笑う。
「ふん。馬鹿げた世迷い言を! 貴方は道具の為に、地位や名誉を捨てると仰るのか!」
「そんなもの要らない。でも……女王である内にひとつだけ訂正しておくわ。魔族は道具なんかじゃないとね」
「女王陛下、貴方は乱心なされたのですな……ならば致し方ない。貴方の代わりに私共がこの国を導くとしましょう。ただ……置き土産に傀儡石を頂けますかな?」
目を見開くルイ。やがて、心底軽蔑するようにその顔を歪ませる。
「この期に及んで、まだそんなことを……」
「貴方はエスタリカを捨てるのです。私共に丸投げしてね。であれば……それ相応の対価を頂かなければ。さあ、傀儡石を……」
下卑た笑みを浮かべ、ルイに詰め寄る神官と貴族たち。
神官がルイの腕を掴もうとしたその時、リコの堪忍袋の緒がブチンと切れた。
同時にやたらドスの利かせた声が、リコから発せられる。
「おい、デブ神官。ルイに触るなよ」
神官は殺気を纏うリコを見て、その目を皿のようにした。
「お、お前は……と、年増女!」
「久しぶり。また会えて嬉しいよ。私はね、あんたに会える日をずーっと待ち望んでたんだ」
リコはまるで悪魔のような笑みを湛え、神官の横にシレッと並んだ。
「お、お前! 何しにこんな所まで――」
「――友を助けにだよ」
「と、友だと?」
リコはケツァルに目を向ける。
すると、ケツァルがそれに応え、ドスンドスンと地響きを立てながら、神官のもとへやって来た。
『おお! 元気であったか、デブ神官! この間は、リコが大分世話になったのう』
ギョロッと睨みを利かせるケツァル。
神官は「ひいっ」と呆気なく腰を抜かした。
そこにネーヴェもドスドスと近寄って来る。
『ケツァル! このデブ、私のリコさんに何かしたのですか!』
「あーそのデブね。ケツァルを奪う為に、リコのことボコボコにしたんだよ。そりゃもう、俺が引くくらいボコボコにね」
カイルが、頭の上で腕を組みながら飄々と口を挟んだ。
『な、なな、何ですってぇえええ‼』
ネーヴェの絶叫が空気を切り裂く。
『わ、私のちょー愛するリコさんにぃいい、なんてことをしてくれたぁああ‼ クゥ、クズがぁああああ‼ この糞デブがぁああああ‼』
怒りを露わに翼をはためかせ、突風を巻き起こすネーヴェ。
神官たちは悲鳴を上げ、為す術もなく地面に蹲る。
突風は勢いを増し、嵐の如くコロシアム全体を襲う。
必死に椅子手摺りにしがみつく魔族と人間たち。
(マズイ。このままじゃ怪我人が出る!)
リコはありったけの声を張り上げた。
「ネーヴェ! 落ち着きなさい!」
リコの一言で、ネーヴェはピタリと動きを止める。そして、物が散乱して酷い有様の周りを見回すと、シュンとしながらリコの肩に顎を乗せた。
「すみません。私、怒りに我を忘れてしまって……」
リコはその鼻先を労るように撫でる。
「私の為に怒ってくれたんだね。ありがとう。でもね、ネーヴェ。ここは私がケリをつける。だからちょっと待っててね」
そう言うとリコは、ネーヴェから離れ、蹲る神官を見下ろした。
「おい、デブ神官。顔を上げな」
その呼びかけに、神官はこわごわとリコを見上げた。
リコは少し屈み、神官に顔を近づける。
「アンタを見てると虫酸が走る。欲と権力に溺れたその顔は、ここにいる誰よりも醜い。二度と私の前にその醜い面を見せるな! いいか、これはこの前の礼だ! しっかり受け取りな‼」
――ガツッ。
リコは神官に渾身の一発をお見舞いした。
赤く腫れた頬を押え、呆然とする神官。
リコはオマケに鋭い一瞥をくれると、今度は群衆に向かって叫んだ。
「人間共! 耳の穴かっぽじってよく聞きやがれ! 魔力に頼ってばっかいると、このデブみたくアホになるよ! ちゃんと働け! 少しは自分でなんとかしろ! 魔族は道具じゃない! 私たちと同じ命があるんだ! いいかお前ら! 同じ世界で生きてる者同士、仲良く平和に暮らせやっ!」
シーンとするコロシアム。
リコは構わず続ける。
「争い事はもうウンザリなんだよ! 転移したただのオバちゃんをこき使うな! せっかくの異世界、存分に楽しませろやっ! 私はな! 残りの人生、モフモフに囲まれてのんびり暮らしたいんじゃ! 分かったか! このボケナス共がっ!」
勢い余って、この世界の人間ではないことをブチかましたリコ。
心からの本音がポロッと出てしまったリコ。
やらかした後で彼女は、後悔に苛まれた。
(ヤバい。トップシークレットをサラッと放ってしまった。あー皆、目を丸くなさってる。だよねー。そんな顔になるよねー。きっと私、村八分になってしまう。ここは村じゃないけど……)
しかし、リコの心配を余所に――。
――パチパチパチパチ。
ひとりの人間から拍手が贈られる。
すると、それに続くようにあちこちから拍手が上がり始め、次第にコロシアムを揺るがす歓声へと姿を変えた。
歓喜の声が飛び交う中、ルカの隣に立つウェアウルフがボソリと呟く。
「やはりリコさんは人間じゃない」
「またなの? まぁ、この世界の人間じゃないけどさ。リコさんはれっきとした人間だよ。ウェアウルフ……ちょっとしつこい」
ルカは横目でウェアウルフを窘めた。
「……格好いい」
「は?」
ウェアウルフのトンチンカンなセリフに、ルカが目を丸くする。
そんなルカを気にせず、ウェアウルフは潤んだ眼差しでリコを見つめた。
「リコさんは非常に格好いいですっ‼ あの我が道を行くお姿、なんて勇ましいのでしょう。それにケツァルさんとネーヴェさんのような物凄い魔獣を友と呼び、信頼を得ている。そんな彼女に誰が逆らえましょうか。もう私、どうしたらいいんでしょう! ああ! あの御御足になら踏まれてもいい! いえ、寧ろ踏まれたい!」
ルカは堪えきれずに「プッ」と吹き出した。
「ま、魔族王様! な、なんですか! いきなり吹き出して!」
「だってさー、ウェアウルフもリコさんにすっかりメロメロだなぁと思って! ……っていうかウェアウルフの素ってそんな感じなのか! ボク、知らなかったよ!あはははは!」
ウェアウルフは「魔族王様ー、そんなお笑いにならなくてもー」と口を尖らすが、やがてルカに釣られて笑い出す。
二人の笑い声は、コロシアムの歓声と共に空に響き渡るのであった。




