33話 オバちゃんのだからこそ
『もう戻って来たみたいですね……』
ネーヴェの呟きに、コロシアムに残った者が一斉に空を見上げた。
『おや? リコさんの姿が……ん? ほ、ほえっ?』
素っ頓狂な声を上げるネーヴェ。
カイルは一定の距離を保ちつつも、ネーヴェに詰め寄る。
「ど、どうしたんだよ、ネーヴェ! リコに何かあったのか!」
そこに険しい顔をしたケツァルが、ズサーッと降り立った。
皆の目がケツァルに注目する。特に……その大きな口元に、視線がロックオンされた。
「うっ、うわぁーーっ! リ、リコがっ! リコがケツァルに食われてるっ!」
カイルがガタガタ震える手で、ケツァルの口を指さした。
ケツァルは煩わしそうに、カイルを一瞥。それから、カパッと口を開けリコをそっと降ろした。
リコが気絶したまま、ゴロンと地面に横たわる。
「リ、リコ!」
「里子さん!」
カイルとルカが慌ててリコに駆け寄り、その身を抱きかかえた。
ネーヴェが眉間に深い皺を刻み、ケツァルを鋭く見遣る。
『ケツァル……。これは一体……どういうことですか?』
『……出られんかった』
ボソッと呟くケツァル。
『はい? よく聞こえなかったのですが……ケツァル、もう一度――』
『――リコがこの異世界から出れんかったのじゃっ!』
ケツァルはそう叫ぶと、ネーヴェに掴みかかる。
『ネーヴェ! ワシはどうすればよいのじゃ! ワシは……ワシは……』
肩をギュッと掴むケツァルの前足を、宥めるようにポンポンと叩くネーヴェ。
『落ち着きなさい、ケツァル。あなたが騒いだところで何も変わりませんよ』
『じゃ、じゃが……』
項垂れるケツァル。
そんな中、意識を取り戻すリコ。
目を開けると、心配そうに覗き込むカイルとルカの顔が飛び込んできた。
「……ん? あれ? 私……どうしたんだっけ?」
目をパチパチさせながら、起き上がるリコ。
そんなリコの肩を、カイルがガシッと掴む。
「いいかっ! 落ち着いて聞くんだぞ! リコはな……リコは……ケツァルに食われたんだっ!」
「……カイルさん……だっけ? それは……明らかに違うと思うんだけど……」
極めて真剣にアホなことを抜かすカイルと、冷静なツッコミを入れるルカ。
ここはルカに尋ねるべきだと判断したリコは、カイルを敢えて放置することにした。
「ルカ君、何があったの?」
「それが……」
ルカは言い淀み、ケツァルに目を遣る。
リコも目を向けると、そこには力なく項垂れたケツァルの姿があった。
「ケツァル? どうしたの?」
『…………』
ケツァルは、リコの問いかけに答えようともせずに項垂れたまま。
そんなケツァルを執り成すように、ネーヴェが答える。
『リコさん。あなたはこの異世界から出られなかったそうです。それでケツァルが……』
リコは「なるほど」と頷き、ネーヴェの言葉を悪戯っぽく引き継ぐ。
「ははーん。さては……いじけちゃったんだ」
その言葉を聞き、ケツァルがクワッと目を見開く。
『なんじゃと! いじけてなどおらぬわ! リコ! 何を呑気な! オヌシ、これがどういうことなのか分かっておるのかっ!』
「分かってるよ。生きてる間はこの異世界から出られない……でしょう?」
『…………』
淡々と答えるリコに、ケツァルは絶句した。
そんな彼の代わりに、ネーヴェが怒ったように口を開く。
『リコさん……貴方って人は! そもそも貴方の世界には、リコさんの帰りを待つ家族がいるのでしょう? ならば一刻も早く、家族のもとへ帰らなければ!』
「うん、そうだね。でも……あの人たちならきっと分かってくれる。絶対、許してくれると思う。それにね。もしこの状況を知ったら、逆に応援される。『異世界だって! そんな奇跡がっ! こっちは大丈夫、母さんは余すことなく異世界を満喫しろ! こんな機会もうないぞ!』ってね」
そこにルカが怖ず怖ずと口を挟む。
「……あのね……向こうの世界のことは心配しなくても大丈夫……だよ。この世界を出たら入った時に戻るから……」
「ん? じゃあ、もとの世界に帰っても時間が経ってないってこと? ルカ君、それマジ?」
「……うん。ボクと会ったあの時に帰れる」
「うひょー! 何ソレ! 流石未来のゲームだね! 不燃ゴミの心配ナッシングじゃん!」
リコは何とも都合のいい事実に、戯けて見せた。
しかし、ルカは「で、でもっ」と叫び、辛そうに唇をキツく噛む。
――分かっていた。
ルカが辛そうなのも、ケツァルが落ち込む理由も、ネーヴェが怒る理由も……。
リコには痛いほど分かっていた。
それは……もとの世界に帰るには、死を乗り越えなければならないから。
皆、それを危惧している。
正直、リコだって死は怖い。怖いけれど……他に帰る方法がないのだ。
ならば逃げる訳にはいかない。
彼女は潔く腹を括ったのだ。
リコは安心させるように、ルカの頭をポンポンと叩くとパタパタとケツァルのもとへ行き、フカフカのお腹にギュッと抱きつく。
「ケツァル、聞いて。私だって……死ぬのは嫌だよ。怖いよ。だけどね。私、決めたんだ。この異世界を思いっ切り楽しんで怖いの吹き飛ばしてやるって! そんで幸せだって笑いながらここから去ってやるって!」
リコは抱きついたまま、ケツァルを見上げ微笑む。
ケツァルが泣きそうな顔で『オヌシと言う奴は……』と、リコの頬に鼻先を擦り寄せた。
そんなケツァルの頭を優しく撫でるリコ。
「ねぇ、ケツァル。あなたはすぐにでもネーヴェと一緒にここから出られる。だけど……だけどさ。私の我が儘を聞いてくれるかな? ……あのね。私がもとの世界に帰るその時まで……ずっと側にいてくれる?」
ケツァルは目を見開く。そして、金色の目を涙で潤ませた。
『勿論じゃとも。ワシはリコの守護神じゃぞ! ずーっと側におる!』
『わ、私だって、リコさんの側を離れませんからね! ずーっと0距離でリコさんを見つめていますとも!』
ネーヴェが慌てて、リコの背中に大きな頭をグリグリし始める。
「うおっ! ネーヴェ! 角がっ、角が当たるからっ! 地味に痛いから!」
リコの制止でグリグリを名残惜しそうにやめたネーヴェは、彼女の肩に顎をちょこんと乗せる。
両肩にケツァルたちの大きな頭を抱えたリコ。彼女はその首の付け根を、犬にするのと同じくワシャワシャと撫でた。
気持ち良さそうに目を細めるケツァルとネーヴェ。
リコは彼らに心からの言葉を贈る。
「ケツァル。ネーヴェ。ありがとうね」
ケツァルの一件が落ち着いたところで、リコは改めてルイと向き合う。
「ルイ、ごめんね。さっきオバちゃん、お父さんの目を覚ませてあげるなんて言っといて、当分行けなくなちゃった。なんだかカッコ悪いね。本当にごめん」
「…………」
ルイは何も言わない。
「でもね、ルイ。オバちゃん、必ず未来に行くから。だからその時は、絶対にオバちゃんをお父さんに会わせるんだよ! そんで二人でとっちめてやろうね。ルイ、オバちゃんと約束しよう!」
ルイが俯いたまま、小さく呟く。
「……ろして」
聞き取れなかったリコは、ルイを覗き込む。
「ん? なんて?」
ルイはバッと顔を上げ、リコの腕を掴み叫ぶ。
「ワタシを殺して!」
「はっ? な、何をいきなり! ルイ、どうしたの?」
「ワタシを殺せば、オバサンは今すぐ家族のもとへ帰れるわ」
「えっ?」
「だからワタシを殺してくれたら、未来に帰ってゲームの設定をもとに戻せる。そしたらオバサンは死ぬ必要ない。すぐにここから出られるのよ」
ルイはリコに懇願した。
確かにルイの言う通りであるが、リコは頷こうとしない。
ルイは何も答えないリコから視線を外し、周りのケツァルたちを見回す。
「ねぇ、誰でもいい。今すぐワタシを殺して! これは当然の報いなんだから躊躇しなくていいの! ワタシは沢山の罪を犯した。八つ裂きにされてもおかしくない人間よ! お願い! ワタシを殺して!」
誰も何も言わず、ルイを見つめたまま動こうともしない。
ルイは、僅かに残された頼みの綱としてルカに取り縋る。
「お願い! ルカなら殺してくれるでしょう? だってワタシ、散々ルカを苦しめた。血を分けた姉弟なのに、ここでルカを何度も何度も残酷に殺したわ。こんなお姉ちゃん、憎いでしょう? だからルカ、ワタシを殺して! お願いよ!」
「ルイ姉さん……」
戸惑うルカの胸元をギュッと掴むルイ。
「ルカ……今までごめんね。もう遅すぎるけどお姉ちゃんに罪を償わせて……」
「ルイ、それは償いって言わないよ。もっと罪を犯すんだから」
リコの言葉に、振り返るルイ。
「な、なんで?」
「だって……弟のルカ君に殺してなんて頼むんだもの」
「ワタシはルカに殺されて当然の人間なのよ? ワタシを殺すのはルカの特権だわ」
リコは静かに首を横に振った。そして、ルカに視線を移す。
「ルカ君。そんな特権……嫌だよね?」
「うん。絶対に嫌だ!」
ルカが力強く答える。
リコは、ルイに視線を戻し微笑んだ。
「ほーら! またルカ君が嫌がることを強要するの? ルイ、それって罪だと思わない?」
「でも……ワタシは死ななければいけない。そうしないと……オバサンが――っ」
ルイが顔を手で覆い、その場で泣き崩れた。
リコはルイの前にしゃがむと、彼女を抱き締める。
「それはもういいって。それよりも……ねぇ、ルイ。あなたは今まで苦しめた魔族や人間に罪を償わなくちゃならないよ。それは死よりも辛いことだと思う。だけどね、ルイ。どんなに罵声を浴びても、例え石を投げられても生きて謝り続けなければ……それが本当の償いだ。決して逃げちゃダメだよ。大丈夫、私が側でルイを支えるから」
ルイがパッとリコを見上げる。その顔は涙でグシャグシャであった。
リコは笑いながら、ルイの顔を拭う。
「あらあら、せっかくのいい女が台無しだ。ルイ。オバちゃんたちと一緒に、この世界で一生懸命生きよう! そして最後に笑って帰ろう?」
リコがせっかく綺麗にしたルイの顔。だがその頬に、止めどなく大粒の涙が流れ落ちる。
「あーあ。拭いても拭いてもキリがないね。しょうがない。オバちゃんの服でふいちゃいな!」
そう言うとリコは、ルイの頭をその胸に抱く。
すると、ルイがリコの腕の中で、まるで憑き物が落ちたようにむせび泣いた。




