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32話 オバちゃんの怒り矛先

 ルイの母親は、彼女を産んですぐにこの世を去った。

 科学者である父親は、妻を亡くした寂しさから仕事に没頭し、ルイの面倒はすべて実家の両親に任せていたと言う。

 ルイが物心ついた頃、父親の前に同じ科学者のハルカという女性が現れた。

 ハルカは次第に父親の傷ついた心を癒やし、ルイにとってもまた、母親の愛情を教えてくれる大切な存在となる。

 そして、父親とハルカがめでたく結婚。

 やがて弟のルカも生まれ、家族四人、幸せで穏やかな日々を送っていた。


 だが、その幸せをいとも簡単に悲劇が壊したのである。

 その悲劇とは、ハルカの突然の死であった。

 最愛の妻を二度も亡くした父親は絶望し、また仕事に没頭する毎日。

 しかしルイの母の時とは違い、子供たちを親に押しつけることはしなかった。しなかったのだが……扱いづらい年頃のルイをほったらかし、まだ幼いルカだけを溺愛した。

 父親に愛されたいのに、その愛情はルカだけに注がれてしまう。


 家族でいても、いつも孤独なルイ。


 彼女の心は、徐々に歪んでいった。

 怒りを父親にぶつけるのではなく、弟のルカにぶつけるようになったのである。

 それは段々とエスカレートしていき、父親の作ったゲームの世界で何度も何度もルカを苦しめ鬱憤を晴らしていたのだ。



「そっか。それであの時、ネーヴェは『悲劇がまた繰り返されてしまう』って、言ってたんだね」



 リコはネーヴェを見上げる。



『はい。魔族王を殺すとどういう訳か、女王がエスタリカに現れる場面に戻っていたのです。そしてまた、魔族王を追い詰め殺す。その繰り返しでした。見ていてとても辛かった』



 項垂れるネーヴェ。

 リコはネーヴェからルイに視線を移す。



「ねぇ、ルイ。ルカ君を苦しめてスッキリした?」



 ルイが俯いたまま、かぶりを振る。

 リコは、そんなルイの肩にそっと手を置く。



「だよね。弟をいじめた罪悪感と後悔で、もしかしたらルイの方が苦しかったかもね。ねぇ、ルイ。こんな苦しくて悲しいことはもう終わりにしよう。そうだ! オバちゃんがぶん殴ってでも、お父さんの目を覚ませてあげる!」



 ルイが「えっ?」と顔を上げる。

 リコは生真面目な顔をして、甲冑を纏った腕をカシャンと組んだ。



「本来、人様の家庭の問題に、他人が口を出すべきではないと思うんだが……こいつは頂けない。ダメ親父過ぎる。そもそもの原因はこのダメ親父だよ! 大体、お年頃の娘さんが『パパ大好き! 私をちゃんと見て!』って心から叫んでいるんだ! 嬉しがるのが普通でしょうが!」



 鼻息を更に荒くするリコ。



「うちの旦那なんて、娘に相手にされなくなってうち拉がれとるわ! ……不幸が続いたことは辛いと思うし同情もする。でもね、親が子供をシカトするなんておかしいにもほどがある! 子供は親を選べないんだぞ! 覚悟と責任を持って育てるべきだ! さあ、ルイ! さっさと未来に行くよ!」



『おっ! リコ! オヌシ、またまたやる気じゃの! どれ、乗りかかった船じゃ。ワシも行くとしよう!』



『リコさんの進む道ならば、もちろんこのネーヴェもお供します。ダメ親父、どんと来いですよ! 性根を叩き直して差し上げます』



 未来に行く気満々のリコとケツァル、それにネーヴェ。

 リコは動きやすいようにといそいそ甲冑を脱ぎ、ケツァルとネーヴェも大きな体をボキボキとほぐし、気合いを入れた。



「ちょっと待て! リコ! 未来ってなんなんだ!」



 カイルが、彼にしてみればもっともな意見を述べた。

 眉を八の字にして、苦笑いを浮かべるリコ。



「うーん。なんて説明したらいいのか……。そうだ、カイル! ちょっとここで待っててよ! ダメ親父、矯正してすぐ戻って来るからさ!」



「なんだよそれ! 俺、リコの相棒だろう?」



「そうだけどさ……」



 言葉を濁すリコ。

 ふて腐れるカイル。


 彼の言い分も当然と言えば当然なのだが、さっき本当のケツァルたちの姿にビビって、腰を抜かしていたウサ耳男である。

 もし未来に連れて行ったとして、果たして彼の精神がどこかにブッ飛んでしまわないだろうか。何か別の人格が生まれたりしないだろうか。

 リコはそう心配した

 そんな彼女の気持ちを汲み取ったのか、ネーヴェが助け船を出す。



『カイルさん。移動には、多分私かケツァルの背に乗ることになりますが……その……大丈夫ですか?』



 そしてオマケとばかりに、ネーヴェがサソリの尻尾でカイルの頭を軽く突いた。

 ギョッと目を剥くカイル。



「ひぃーっ! え、えーと。あっ、俺ー。リドルとガーズが心配だからー、ここで大人しく待ってるよー。未来とやらでしっかり頑張って来いよー。リコー」



 目を泳がせ、スゴイ棒読みで辞退するカイル。

 よっぽどケツァルとネーヴェの姿が怖いようである。

 リコは生暖かい目で「分かった」とカイルに伝え、ルイに視線を移す。



「よし! 準備はOKだよ! ルイ! いつでも未来に向かっちゃって!」



「…………」



 やる気に満ち溢れたリコたちとは裏腹に、ルイは暗い表情で黙り込む。



『どうした、ルイよ。早く未来に行こうではないか!』



 急かすケツァルに、ルイは意を決したように口を開く。



「未来に行くとかそういう問題じゃないの。アンタたちドラゴンは、この空の上にある境界線を抜けてこの世界から出られる。だけど……ワタシとオバサンは無理だわ。今はこの世界から出られない」



『はっ? それはどういうことです?』



 目を丸くしたネーヴェが尋ねた。



「ワタシがルカを苦しめる為に、ゲームのシステムを少し替えてしまったの。この世界に入った人間は、死ななければ抜け出せない……ただし、自殺は無効と。ルカが自殺してここから逃げ出さないようにってね」



『そこまで徹底していたなんて! し、しかし……あなたは? あなたはこの世界で一度も死んでいないですよね?』



「ワタシは『ドラゴン・ジュエル』のおかげで特別だったのよ。生きていても出られてた。だけどもう……」



 言葉を濁すルイ。そこにケツァルが口を挟む。



『ルイ! そのシステムとやらにリコは関係ないじゃろう? なにせ、ワシが巻き込んでこの世界にきたのじゃからな!』



 ルイはケツァルを見上げ、力なく首を振る。



「言ったはずよ。人間がここを出る条件は死だと。例え巻き込まれて入り込もうが、オバサンはただの人間。生きてる内は絶対に出られないわ」



『いや! きっと大丈夫じゃ! リコは傀儡石を石コロにしたし『ドラゴン・ジュエル』まで消したのじゃぞ。つまりこの世界の常識が効かん人間なのじゃよ! よし! リコよ、ワシの背に乗れ! 試しに一旦ここから出てみるぞ!』



「ちょっと! ケツァル! 私たちだけがここから出られてもダメじゃん。肝心のルイがいないと、なんの解決にもならないよ」



 リコがケツァルに待ったをかけた。



『じゃから、試しにじゃよ。リコがここから抜け出せることを確認したら、すぐ戻って来れば良い。ルイとルカの問題はそれからじゃ!』



「でも、この異世界って入るのって大変だったんじゃないの? ケツァル、散々苦労したって言ってたじゃん。そんな簡単に戻って来れるの?」



 リコの核心を突いた質問に、ケツァルがギョロと目を動かしルイを見た。



「境界線からなら入れると思う。この世界にいないドラゴンの力は特別だから」



 ルイの答えに、自慢げに頷くケツァル。



『ほう。やっぱりワシは偉大じゃのう。憂いはなくなった。さあ、リコ。とりあえず試そうじゃないか!』



「でも……」



 中々、煮え切らないリコにケツァルが食い下がる。



『リコよ。ワシはオヌシに約束した。必ずもとの世界に帰すと。じゃが……もしルイの言う通り、リコが死ななければ帰れないとしたら……オヌシを巻き込んだワシは気が狂いそうじゃ! じゃから、頼む! 一度、試させてくれ!』



 ケツァルが伏せて、大きな前足をスロープ替わりに突き出す。



(ケツァル……。そんなに気にしてくれてたんだね。だからそんな必死に……)



「よし! 分かった。ケツァル、試してみよう!」



 リコは力強く答えると、その前足をよじ登り、ケツァルのフカフカした背中に跨がる。



「おお! 何コレ! 初めての感覚! ケツァル、いつもと逆だね!」



『あまりはしゃぐな。リコよ、振り落とされんようにしっかり掴まるんじゃぞ!』



「うん。じゃあ、皆! ちょっくら試してくるね。ここで待ってて!」



 そう言うとリコは、ケツァルの首に腕を回す。

 ケツァルはそれを確認すると、ゆっくり翼をはためかせ宙に浮かんだ。そして、大空に向かって飛び立つ。



「ふうおおおおおおおお!」



 リコの女性らしからぬ雄叫びと共に、上へ上へと異世界の果てを目指すケツァル。

 すると目の前に、巨大なカーテンのようなオーロラが現れた。



『おお! あれが境界線じゃな。リコ! 一気に行くぞ! しっかり掴まれ!』



「ふっ、ふぁいっ!」



 リコが風圧に耐えながら返事をした。

 巨大なオーロラに迷わず突入するケツァルとリコ。


 途端、ケツァルは異変に気づく。

 背中にある筈の温もりが、パッと消えたのだ。



『リ、リコッ⁉』



 ケツァルは一目散に引き返す。

 そして、気絶しながら憐れに落下するリコを見つけ、パクッと大きな口で咥えた。



(ふぅー、肝が冷えた。じゃが……どうしてじゃ! 何故なにゆえ、リコは出られんのじゃ!)



 ケツァルはその顔を悔しそうに歪める。

 そしてリコを咥えたまま、コロシアムへ急ぎ戻るのであった。

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