15話 オバちゃんの失態
最初、村の異変に気づいたのはカレンであった。
「あれ、男たちが戻って来た……さっき仕事に出たばかりなのに」
リコがその声に釣られて目を遣ると、カレンの言う通り、こちらに向かって来る村の男たちの姿があった。
「おーい。皆、どうしたんだー!」
ダンが呼びかける。
「大変だー! 村長ー! 奴らが来た――」
走りながら叫ぶ男たち。随分と焦っているようだ。
ダンが「奴ら?」と首を傾げ、ライデルに視線を移す。
首を横に振るライデル。
「分かりません。とにかく詳しい話を聞かなくては」
ライデルのもとへ続々と到着する男たち。早速、口々に状況を報告する。
「この村に神官と兵士たちが向かってる。山から見えたんだ。それで俺らは、村長に知らせようと裏道を急いで来たんだけど――」
「ああ、相手は馬だ。もう村に到着したかもしれない。遅くなってすまない、村長」
「いいえ、ご苦労様です。では、万一に備えてこのまま皆さんは、女子供を非難させてください。特にティーラさんとケツァルさんは危険です。絶対に彼らの目に触れぬようにしてください。私は入り口に向かいます」
ライデルに指示された男たちは「分かった」と力強く頷く。
「オレは義兄さんと行く」
ダンが名乗りを上げた。
ライデルはそれに無言で頷くと、ダンを伴い入り口に向かって足を踏み出す。
しかし、彼らはすぐ歩みを止め、前方を見据えた。
「どうやら……もうお客様が来たようですね」
「ああ、思ったより早かったな」
その言葉に、避難しようとしていたリコたちも振り返る。
神官の一団だ。
デップリと肥えた神官がローブを纏い、従者の担ぐ椅子のような輿に乗っている。それを護衛するように歩く兵士たち。
リコは、服装は違うが韓国ドラマに登場する両班の行列を思い出した。
(随分と仰々しいね。それにしてもアイツら、なんの目的でこの村にやって来たんだろう? …なんか嫌な予感がする)
そんなことを考えてる間にも彼らは、確実にリコたちとの距離を縮める。
神官の鋭い目が、男たちの背中に隠れるリコの姿を捉えた。そして、弾かれたように指を突き出し、声を張り上げる。
「あの年増女の肩を見ろ! アレだ! あの生き物だ! 早く捕らえろ!」
神官の命令と同時に、兵士たちは動く。
一斉に走り出した次ぎの瞬間、盾になる男たちを難なくかわし、あれよあれよとリコを取り囲んだ。
頭に黒い布を巻いた兵士のひとりが、肩のケツァルをムンズと捕まえる。
任務を終えた兵士たちは「もう用はない」とでもいうように、すぐさま踵を返した。
一瞬の出来事に、頭が真っ白になるリコ。
ダンやライデルたちも呆然と立ち尽くす。
「オ、オヌシら、ワシを捕らえて一体どうするつもりじゃ! リコーーーーッ‼」
悲痛な叫び声が響く。
――ケツァル‼
我に返ったリコは、勢いよく駆け出す。
そして、ケツァルを捕まえた兵士めがけて突進すると、後先も考えずにその背中へ飛び乗った。
兵士は体を揺すり、リコを振り落とそうとする。
必死にしがみつくリコ。
しぶとい彼女に、兵士が怒鳴り声を上げた。
「おい! 背中から降りろ!」
「断る! ケツァルを返すまで絶対に降りるもんか!」
リコはしがみつく腕と足に、ありったけの力を込める。
「うおっ! 年寄りの癖になんて力だよ」
「うるさい! この若造がっ! いいからケツァルを返せ!」
「カァーーッまったく、何なんだ? このオバちゃん」
嘆く兵士。
そこへ、彼の手に首根っこを掴まれたままのケツァルが口を出す。
「諦めろ、若造。リコはこう決めたらテコでも動かんぞ」
逡巡する兵士。
やがて彼は、トボトボとリコを背負ったまま神官の前に整列した。
一部始終を見ていた神官は、眉を顰めワザと大きな溜息を吐く。
「はぁー。お前……一体何を遊んでいる。その年増女を早く背中から降ろさんか!」
「無理です。亀の甲羅のように貼りついていて降ろせません」
生真面目に答える兵士。
神官は額に手を当て、もう一度「はぁー」と溜息を吐いた。
「まったく急いでおるのに……その生き物を女王がお待ちなのだぞ!」
「そう言われましても……」
言い淀む兵士の後ろから、リコがニュッと顔を出す。
「なんで女王がケツァルを待ってるのよ!」
「な、なんだ、いきなり! ……ふ、ふん。そんなこと、お前に答えてやる義理などないわ!」
「いいから答えろ! デブ神官!」
リコの暴言に「なっ⁉」と目を見開く神官。その太った体はやがて怒りに震え出し、持っていた杖を振り上げた。
「お、おのれーーーーっ! この年増女がーーーーっ!」
怒号を発する神官は、振り上げた杖をリコめがけて勢いよく振り下ろす。
「リコ! 危ない!」
叫ぶケツァル。
リコは覚悟を決め、キツく目を閉じた。
――が、痛みが襲ってこない。
恐る恐る目を開くリコ。その目に、頭上スレスレで止まる杖が映った。
よく見ると、リコを背負う兵士の手が、その杖を受け止めていたのである。
「お、お前! なぜ止める!」
「なぜって……俺に当たるじゃないですか」
「くっ、くぅぅぅっ――うがああああああああ!」
飄々とした兵士の態度が火に油を注いだらしく、神官は杖を無闇矢鱈に振り回した。
それを兵士は、リコを背負い、ケツァルを片手に持ったまま器用に避ける。
他の兵士たちも苦笑いを浮かべていた。
さっきまでの緊迫した空気が嘘のようである。
――この瞬間をダンは見逃さなかった。
杖を片手で掴んだ兵士の隙をつき、ケツァルを奪い返す。
「――リコさん! 逃げるぞ!」
ダンはケツァルを抱え走り出す。リコも兵士から飛び降り、夢中で後を追う。
しかし、兵士たちはそんなに甘くない。
すぐさま反応し、驚くようなスピードでダンの前に周り込むと、その行く手を阻んだ。
逃げ場を失ったダンは、リコにケツァルを投げると、そのまま兵士たちに突進する。
「うおおおお‼」
ダンと幾人かの兵士が、もつれ合いながら地面に転がる。
「ダン‼」
「リコさん‼ 逃げろーーーーっ!」
ダンは、必死に兵士を押さえつけながら叫んだ。
それに続くように、周りから雄叫びが上がる。
「行けぇぇぇぇーーーーっ‼」
「うおおおおーーーーっ‼」
ライデルと男たちが、他の兵士に体当たりをして押し止めてくれたのだ。
「リ、リコさん‼ は、早く‼」
ライデルの必死の言葉に、リコはケツァルをキツく胸に抱き締めると、皆が切り開いてくれた道を逃げようとする。
だが――遅かった。
無情にも、頭に黒い布を巻いたさっきの兵士が、リコに追いつき前に立ちはだかったのである。
逃げ道を探すようにリコが辺りを見回す。
すると、ダンたちが兵士に形勢逆転され、逆に取り押さえられていた。
ジリジリと距離を詰める黒い布の兵士。
後退るリコ。
「あっ!」
老体に鞭打ってのこの攻防、リコの体はとっくに悲鳴を上げていたのである。
後退る足がもつれ転んでしまった。
すかさず黒い布の兵士が、ケツァルを奪おうと手を伸ばす。
リコはその手を払い除け、ケツァルをお腹に抱え蹲った。
「おいおい。いい加減、観念しろよ」
「絶対、嫌!」
「オバちゃん、痛い目見るよ?」
「…………」
リコは何も答えず、ケツァルを抱く手に力を込める。
「何をしている! さっさとその生き物を捕まえんか!」
痺れを切らした神官が、怒鳴りながら歩いて来た。
「はぁ。ですが、このオバちゃんがこのように覆い被さっていまして」
「忌々しい年増女めー!」
神官は、黒い布の兵士を「どけ!」と乱暴に突き飛ばし、リコの前に立つ。
「こんな年増女は、こうすればいいのだ‼」
杖を振り上げる神官。そして、一気に振り下ろす。
――バシッ。
「くうっ……!」
リコの背中に激痛が走った。その激痛は一度で終わらず、何度も繰り返される。
バシッ、バシッ、ガツッ、バシッ――。
容赦なく打たれるリコ。
唇をキツく噛み締め、ひたすら痛みに耐える。
口内に錆びた鉄のような味が広がった。
「リコ! もうよい! ここを退くのじゃ――リコ‼」
ケツァルが必死に訴える。
だが、リコは歯を食いしばり決して退こうとしない。
(い、痛い。だけど……絶対……絶対、ケツァルを離すもんか!)
神官は目を血走らせ、狂ったように杖を振るう。
「早く、くたばれ! この年増おんなああああああ!」
ガツッ、バシッ、バシッ――。
「リ、リコ……このままじゃオヌシが死んでしまう――頼む、退いてくれ‼」
「嫌だっ。さっき……一緒に頑張るって……言ったじゃない。だから……だから絶対退かない――」
リコは無理やり微笑み、ケツァルをギュッと抱き締める。
なかなか倒れないリコに嫌気がさした神官は、一旦、手を止め額の汗を拭う。
「フゥー。まぁだ、くたばらんか。しぶとい奴だ! これだから年増女は始末が悪い!」
愚痴を並べる神官。その顔が残忍に歪められる。
「しかし……まぁ、私も神に仕える身だ。老体に苦痛を与え続けるのは実に心苦しい。そろそろお前に慈悲をくれてやろう! くたばれえええええええ!」
――ゴスッ。
「ぐはっ……!」
リコの脇腹が、勢いよく蹴り上げられた。
途端、視界が揺らぐリコ。
「リコーーーーーーーーッ‼」
ケツァルの叫ぶ声が、だんだん遠くなる。
(待って……ケツァル……ケツァルーーー……)
――。
――。
――。
リコの意識は、ここでぷつりと途切れた。




