10話 オバちゃんの図太さ
日も沈み、村に静寂が訪れた。
――待ち人来たらず。
とうとう夜中になってもダンは戻らなかった。
仕方なくベッドに入ったリコは、まんじりともせずに寝返りを繰り返す。
そんな時、外から微かな足音が聞こえた。
リコは隣に丸まるケツァルをそっと起こすと、窓を少しだけ開けて覗いてみる。
――ダンであった。
彼は玄関を通り過ぎ、家の裏手の方に歩いて行く。
リコとケツァルは頷き合うと、早速ダンを追うべく家を出る。
外は耳が「キーン」とする程の静けさであった。もちろん街灯などない。月明かりを頼りに、リコはケツァルを肩に乗せ、ダンを尾行する。
ダンは周囲を警戒しながら、物置小屋らしき建物に入った。やがてその小屋から明かりが漏れ出す。
リコは足音を忍ばせそっと近づき、扉の隙間から中の様子を窺う。
視線の先には、ダンと向かい合って座るエルフの少女がいた。
またしても、その少女の首には、赤い石が怪しく輝いている。
必死に何かを囁くダン。
しかし少女は何も答えない。ただ人形のように見つめるだけ。
ダンは悔しそうに顔を歪めると、いきなり少女の手を掴み立ち上がる。そして、そのままリコたちが覗く扉へと歩き出した。
慌てて隠れようとするリコとケツァル。
だがダンの目は、バッチリその姿を捉えていた。
「リ、リコさん、ケツァル‼ ……あんたたち、どうしてここに?」
――見つかってしまった。
(うー。いい歳してなんてバツが悪いの。穴があったら入りたい。いっそトンズラするか? いや、そんなのダメだ。ここは……開き直るべき! 厚顔無恥上等!)
リコは頭を掻きながら、ワザと戯ける。
「いやー、あははは。ちょっと寝られなくて? ……ってあれ? 其方さんは……もしやエルフ? うわっ、超絶美しい!」
リコの軽口に面食らうダン。
その隙に、リコはちゃっかり小屋に入り込み、しっかりと扉を閉じた。
「で、なんて名前なの?」
「……知らない」
「ん? どうして?」
「……ごめん、リコさん。オレたち、もう行かないと」
会話をさっさと切り上げ、この場を立ち去ろうとするダン。
だがリコは、彼を逃がすまいと引き止めるべく叫んだ。
「ちょっと待ちなさい! ダン! 彼女の様子かなり変だけど……もしかしてその赤い石の所為なの?」
さっきまでとは違うリコの厳しい口調に、ダンは足を止め彼女を見つめる。やがてその顔に自虐的な笑みを浮かべた。
「……そっか。リコさんたちは知らないのか……そうだよな。魔獣を友達だなんて言うリコさんの国には、こんなのないよな」
ダンはそう呟き、隣でボンヤリ立つ少女の首輪を忌々しそうに睨む。そして手を伸ばし、その赤い石に触れた。
「コイツは傀儡石と呼ばれている。魔族を操り、彼らの魔力を人間が使えるようにする石さ……コイツの所為で彼女はこんな風にっ……」
ダンは辛そうに言葉を切った。
そこへケツァルが怒りを押し殺したように、静かな声で問いかける。
「……ダンよ。何故その首輪を外さんのじゃ。オヌシ、昼間のエルフから外しておったではないか。そんな物さっさと――」
ケツァルが言い終わらない内に、ダンは声を荒げる。
「――そんな簡単じゃないんだ! オレだって今すぐ外してやりたい! けどダメなんだ。この首輪は傀儡石がある限り外せない。昼間は……あのエルフが死んで傀儡石が消えたから……だから外せたんだ!」
ケツァルが「ならば」と声色を変え、ダンに鋭い視線を向ける。
「一度その首輪を嵌められた魔族は、死ぬまで人間の操り人形ということか?」
ダンは何も言わずに、唇を噛み締める。
それを肯定と捉えたケツァルが怒りを爆発させた。
「ふざけるなっ‼ 一体、原因はなんなのじゃ。魔族がオヌシら人間に何かしたのか? 何をしてこんな馬鹿げたことになった? 答えろ、ダン! 答えるのじゃ!」
「……彼らは何も悪くない……あの女さ……あの女がすべての発端なんだ……」
そう言うとダンはずっと握り締めていた所為で、白くなった手を見下ろす。そしてより一層の力で握り直すと、震える声で語り始めた。
――その女がこのエスタリカ王国に現れたのは、ダンが生まれる少し前。まだこの大陸に幾つかの国があり、エスタリカもその中の一つに過ぎなかった頃である。
女は誰もが息を呑む程の美女で、瞬く間にエスタリカの国王を虜にした。
王城に上手く入り込んだ女は、欲深い貴族や神官を焚きつけ、国を上げての領土争いを引き起こす。だがそれは小国であるエスタリカにとって無謀な戦いであり、逆に自らの首を絞める形となった。
そこで女は不思議なペンダントから生み出した傀儡石を使い、魔族を意のままに操り、まるで余興のように国を一つ落としてみせたのである。
この許し難い所業に、今まで女の言いなりであった国王はじめ、多くの者が非難の声を上げた。
遙か昔から人間と距離を置き、静かに暮らす魔族たち。そんな彼らを人間の争いに巻き込んではならない――操るなんて言語道断だと。
だが女は怯むことなく、反対する者たちを悉く葬り、挙げ句の果てに国王をも亡き者にした。
女は自らエスタリカ王国の女王となり、魔族の圧倒的な力を武器に列国を制圧。そのすべてをエスタリカ王国の領土としたのである。
だが女王の魔族に対する悪行はこれだけで終わらず、あろうことか生活の道具として売買を始めたのだ。
女王を恐れるあまり、魔族の悲惨な現状を見て見ぬフリをする人間たち。いつしか魔族を道具として扱うことに慣れていった。
「最近じゃ、王都から離れたこんな村でも魔族を買うようになっちまった。リコさん、ケツァル……オレ、本当はこんなの嫌なんだ。魔族が優しい奴らだって知ってるから……。ガキの頃さ、森で迷子になったことがあったんだ。そんでオレ、転んで足を怪我して……痛くて心細くてただただ大泣きしてた。そしたら、魔族が怪我を癒やしてくれたんだ。オレ、人間なのに……笑って助けてくれたんだよ……だからさ……だから、せめて彼女だけでも逃がそうと……」
力なく頭を垂れるダン。そんな彼にケツァルが怒号を浴びせた。
「オヌシはバカか‼ それではなんの解決にもならん! 第一、そんな状態のエルフを一体、何処に逃がすというのじゃ!」
「……じゃあ、どうすればいいんだ! ……オレは……オレは……」
ダンは打ち拉がれ、怒鳴ったケツァルの方も解決策を出せずに黙り込む。
行き詰まった状況の中、眉間に深い皺を寄せたリコが、少女の前にスタスタと歩み寄った。
「なーにが傀儡石だ! ホント腹立つ。ねぇ、これマジで外せないの?」
悪態を吐きながら、リコは手を伸ばすと傀儡石を指で弾いた。
リコの指先が触れた瞬間。
傀儡石は血のような赤から灰色に色を変えた。
そして――。
ポロン――。
首輪から呆気なく床に転げ落ちたのである。
「あらやだ! ビックリ!」
リコは落ちた石を無造作に拾うと、まるで宝石鑑定士のように調べ出した。
どう見ても、ただの石だ――とあるゲームの世界であれば、拾うと『ただの石コロ』と書かれたカードに変化するだろう。
確信したリコは、その石を掌に乗せると、満面の笑みを浮かべた。
「石だ、石! ただの石コロになった!」
喜びの声に、口をあんぐりと開けたまま固まっていたケツァルとダンは「はっ」と我に返り、リコに対して口々に疑問を投げつけた。
「な、なんじゃ! リコ! オヌシ、何をどうした!」
「そうだよ! リコさん、一体どうやったの?」
自分でも訳が分からないリコは、半ばヤケクソ気味に返す。
「知らんよ。ちょこっと触っただけだよ……でも簡単に取れるじゃん傀儡石」
「か、簡単って⁉ 今まで何をしても取れなかったのに……どうしてっ!」
尚も食い下がるダンに、なんとも答えようがないリコは肩を竦めた。
「ダン……そんなこと、もうどうでもいいじゃん。とにかくこれで首輪、外せるんでしょ。サッサと外そうよ……奴隷みたいでなんか嫌だ」
「……えっ⁉ あっ、そ、そうだね」
リコに窘められ、ダンは慌てて少女の首輪をカチャカチャと外した。
傀儡石の呪縛から解き放たれ、無粋な首輪も外されたエルフの少女。
少女は本来の姿を取り戻し、イキイキとした緑色に輝く瞳でリコたちを見つめている。それは女のリコでもドキリとしてしまう程の可憐さだ。
「え、えーと……ケ、ケツァル、どうしよう? な、何話せばいい?」
「同性相手に何を照れておるんじゃ!」
「うるさいな! 会いたいと渇望していたエルフ様が目の前に降臨なされたんだよ! 照れて何が悪い!」
「……オヌシという奴は」
そんなリコとケツァルのやり取りを見ていた少女は、声を立てて笑う。
「あははっ! 可笑しい。降臨って……私はただのエルフよ。エルフのティーラ。ふふっ。こんなに笑ったの久し振り……助けくれてありがとう」
素直に感謝を伝えてくるティーラに、リコは胸を締めつけられた。
魔族を散々な目に遭わせてきた人間。
そんな人間に、なぜこんな屈託のない笑顔を見せられるのだろう。
ダンも同じ気持ちなのか、悲痛な表情でティーラに訴えた。
「礼なんて止めてくれ……オレたち人間は憎まれて当然なんだ。嬲り殺しにされても文句言えない。それ程のことを君たち魔族にしてきたんだ……だからオレを煮るなり焼くなり、気の済むようにしてくれ」
「えっ? えーと……私、そんな趣味ないわ」
「冗談で言ってるんじゃない。本当に悪いと思って……オレ、覚悟なら出来てる。頼む! 好きにしてくれ」
ダンは直立不動の姿勢で静かに目を閉じた。
過ちを心から悔いての言動だということはよく分かる。分かるのだが……なぜか滑稽だ。現にティーラは、眉をへの字にして苦笑いを浮かべている。
見るに見かねたリコは、この場の収拾を買って出た。
「まぁまぁ、ダンさんよ。謝罪する相手を逆に困らせてどうすんのさ。とりあえず落ち着こう」
ダンの肩をポンポンと優しく叩きながら、リコは目線をティーラに移す。
「私が聞くのもなんだけど……ティーラ、人間を憎んでないの? 私だったら許せないし復讐してやるって思うんだけど……」
ティーラは軽く肩を竦めた。
「確かに傀儡石を生み出した女王は憎くて仕方ないわ。だけど人間は……んー、魔族王様も半分人間だし」
「む⁉ ティーラ、それはどういうことじゃ」
ケツァルが口を挟んだ。
「随分前にお亡くなりになったけど、魔族王様のお母様が人間の方だったのよ。だからかな、復讐なんて考えたことないわ」
ティーラの驚きの告白。
黙って聞いていたダンは、その事実を知らなかったのか目を白黒させた。
そんな彼を余所に、ケツァルは「うむ」と頷き、話を続ける。
「そうであったか。だがな、ティーラ。復讐はせんでも何故、魔族は抵抗せんのじゃ。どうして大人しく捕まってやる。命を奪わん程度の抵抗は出来るはずじゃろう? 情に絆されている間に魔族が滅んでもよいのか?」
ティーラは顔を歪ませて、辛そうに答えた。
「そんなんじゃないわ。私たちだってちゃんと抵抗してるのよ。だけど……傀儡石を持った兵士には……魔力や物理攻撃がまったく効かなくて……」
その言葉に二の句が継げないケツァル。
リコが頭を抱え「はぁー」と大きな溜息を吐く。
「――っていうことはよ! 傀儡石を持っていれば無敵ってことじゃん。うー、どんだけウザイんだ傀儡石っ‼ 防御したり、操ったり……ってか女王はなんて物を生み出しやがった! ウガーーーーーッ!」
奇声を上げ、頭を乱暴に掻き毟るリコ。
次々と理不尽なことが明らかになり、リコの脳は最早キャパシティオーバーとなったのである。そんな彼女の首に、ケツァルは必死にしがみつきながら叫んだ。
「リ、リコよ。オ、オヌシの怒りは最もじゃ。じゃ、じゃが落ち着くのじゃ!」
「これが落ち着いていられるか! キィーーーーーッ!」
「大丈夫だよ、リコさん。傀儡石はもう無敵じゃないから」
突然発せられた言葉に、リコはピタリと動きを止めた。そのおかげで振り落とされずに済んだケツァルが、声の主に問いかける。
「ダンよ、それはどういうことじゃ?」
「ヤダなー。さっきケツァルも見たじゃないか。リコさんが傀儡石をただの石コロにしたところ」
ケツァルがポンと前足を叩く。
「そうであった。リコ、オヌシこそ傀儡石の天敵じゃ!」
リコは必死に頭をフル回転させる。
確かにさっき、そんなことをしでかした。しでかしたが――たまたまだった可能性もある。なにせただのオバちゃんなのだ。残念なオチが待っているような気がしてならない。
リコが「そんなに期待されても――」と言いかけた。
その時「バタン」と勢いよく扉が開く。そして幾人かの村人たちが、ドカドカと足音を立て小屋に入って来た。
「ダン! お前、こんな所で何しているんだ!」
村人のひとりが怒鳴り声を上げた。
予期せぬ出来事に「うっ」と言葉を詰まらせるダン。そんな彼にまた別の村人が非難を浴びせる。
「ユズリが産気づいたんだ! だから呼びに来たのに――」
「――ね、姉さんがっ!」
姉のことを聞き余計動揺するダンに、村人たちは更に追い討ちをかける。
「そうだ! そのエルフが必要なんだ! 早く村長の家に行こう」
その言葉に疑問を感じたリコは、ダンと村人たちの間に割って入る。
「ちょっと分からないんだけど……なんで出産にティーラが必要なの? もしかして逆子とか難しい状態なの?」
「うるさい! 余所者は口を出すな! ダン! エルフを連れて行くぞ」
ピシャリと言い返されたリコは、一瞬口を噤んだ。
(ほう……そうくるか。余所者ね。余所者結構。気を遣わずに思ったこと言えるじゃん。こうなったら恥も外聞も捨てて、思いっ切り踏み込んでやる!)
リコはスーッと目を細めると、村人たちを見据えながら、ダンに向かってワザと大声で叫んだ。
「ダン! 来いって言ってるんだから、この際みんなで行こうよ……所詮、私は余所者だけど、村長に言いたいことがある。丁度いい機会だ。さあ、行こう!」
反対する村人たちを尻目に、リコはケツァルやダン、ティーラも引き連れ、ライデルの家を目指し颯爽と歩き出した。




