魔界最強の魔王の息子
火山の麓で全裸に一枚布を着た青髪の少年が赤い空を見上げていた。
血の様な色をした空に雲は浮かんでいない。
「あの親父が死んだ以上は俺の天下……だと思っていたが、相変わらずバカどもは一向に消えそうにはないな」
忌々しい、と呟いて少年が火山へ背を向けた。
その視線の先には、羽の生えたグレーの体、クネクネと曲がっている角を持つ人型の悪魔が5匹。
「エヴィル! やっと見つけたぞ!」
全裸の少年の名はエヴィル。
彼は魔王の息子だが、彼の父である魔王は既に死亡している。
彼は近づいてきたのを見て言った。
「親父がいた頃は大人しかった癖に、あいつが死んでからはよくそこまで強気になれたな」
嘲笑う様な表情と共に放たれた皮肉にリーダー格らしき悪魔が叫んだ。
「だ、黙れ、所詮お前は子供だ。 調子に乗ってると……」
「一匹じゃ何も出来ない大した実力もない悪魔風情が騒ぐな、大方、そこら辺の奴にちょっと唆されて散歩中の俺を狙ったんだろうが、時間の無駄だ」
子供らしい高めの声はよく響き渡り、決して聞こえないという事はなかった。
今の言葉で、エヴィルを睨んでいた彼らの表情が大きく変わった。
敵意から、憎悪へ。
それは彼に対してではなく、その父に対する長年溜まり続けた鬱憤。
親の加護を受けられない力のない子供なら、という浅い考えで、魔王の息子を殺しに来た。
「……とにかくお前の父親が邪魔で好き勝手出来なかったのも、もう終わりだ。 その証拠にお前をまず殺す」
「そうか、やってみろ」
エヴィルは武器の類を持っていない。
対する者達は、槍、弓、銃。
素手では間合いの差が余りにも違いすぎる。
それでも余裕を崩さずに五匹の悪魔に囲われている今もリーダーだけを見下す様な視線を向けている。
「今だ、行くぞ!」
かけ声に合わせて、4人が前後左右から、1人が上から攻撃を仕掛けてくる。
接近しているのは左右の槍を持った2人。
そして、その全てが空中からの攻撃だ。
「ハッ!」
エヴィルの体から、黒いオーラが広がる。
それは銃弾、弓矢を消滅させただけではなく、槍を持っていた悪魔ごと消し去った。
仮にも魔王の息子である彼には、安価な武器程度なら、触れずとも粉々に破壊する事ができる。
「フン、もう終わりか?」
「ヒッ!」
悲鳴を上げながら上方向に距離を取り、地上に立ったままの彼に矢と銃弾の雨が降り注ぐ。
攻撃が止み、土煙が晴れる。
「やった……か?」
「俺はここだ」
その声が発された時、もうエヴィルの敵は1人しか残っていなかった。
圧倒的な魔力を持つ彼にとって、対する悪魔達の動きは遅すぎた。
「許し」
最後の1人の救いを求めた声は、唐突に身体中に発生した火によって遮られた。
エヴィルは燃える体に悲鳴を上げている事に一切気にも止めず、火山から離れ始める。
「親父が死んでからずっとこれだな……」
彼は毎日、こんな風にして襲われていた。
元々悪魔に、他人を殺してはいけないというルールや風潮など存在しない。
だからこそ本来はこれが正しいこの魔界という世界の姿だ。
そんな世界にルールを作ったのが彼の父親、魔王クリストだ。
魔界の法であった父は、嫌われ者だった。
力こそが正義という悪魔流の法においては、クリストこそが完全な正義だった。
だから、どんな意味の分からないルールであっても父がルールを作れば誰もが従った。
彼の父は恐怖の対象で、礼儀を知らない悪魔でさえも一部は尊敬の感情を覚えた程だ。
そんな彼が嫌われていたのは、人間に影響を受け、その法を真似たからだ。
他人を殺す事を禁止し、強奪や詐欺を法で縛った。
千を超える魔界全ての歴史においても、そのような法が存在した事は初めてだ。
しかし、そういった人間界の常識は血の気の多い悪魔にとっては、到底耐えられるものではなかった。
「クソオヤジめ……俺が殺す前に死にやがって……」
悲しみ、虚しさと言った感情は一切含まれていない純粋な怒りだった。
彼にとって父の死は悲しむ物ではない。
火山帯を抜けようとしたエヴィルに、襲いかかってくる人型ではない流動性の高い粘液、魔物としての名をスライム。
体の色は地域によって違うのだが、全種に共通して中心にある白い液体はエヴィルの好物だ。
「お前を殺せばお」
またもや、言葉を言い切る前にその姿形は跡形もなく消え去ってしまった。
魔力の質も、量も悲しい程にレベルが違った。
今度は見向きすらせずにまた歩き出す。
「またか、今度は多いな」
一瞬で囲まれた、と気付いても彼は全く慌てなかった。
今度の敵は全員が銃を持っている。
人間が作った物を模倣した魔力を撃ち出す武器だが、人間の物とは驚異度は比べ物にならない程に高い。
数は4人、一撃で終わらせようと膨大な魔力の渦を小さく、細い人差し指の先に練り上げる。
丁度その時、その真ん中に何かがゆっくりと浮遊しつつ降りてきた。
どこか楽しげに、どこか嬉しげに、魔界に降りてきた。
薄紫のリボンに印象の支配を許す先端を軽く巻いた白髪に、胸元の赤のハートマークが膨らみを主張する白いローブ、背中から伸びる白く小さい羽。
白が多い、と言ってもそれは先天的な色で、そこに文句を言っても仕方のない事だ
これらの持ち主である可愛らしい天使はエヴィルに気付き、優しい雰囲気で話しかける。
「初めまして、わたしマーシーっていうの」
背はエヴィルより高い。
可愛らしさの中に大人びた雰囲気を醸し出し始めている辺りから、年齢も彼より上だと予想が付く。
マーシーと名乗る女天使に、砲撃が襲い掛かる。
反応が遅い。
攻撃を認識してからの動作全てが遅すぎる、とエヴィルは感じた。
彼は魔王と呼ばれた父自身と、父が従える魔神と呼ばれる悪魔達に対し、かつて互角に戦ったと言われる天使という種族に敬う様な気持ちを持っていた。
機会さえあれば一度だけでも闘ってみたかった。
しかし、実際に初めて会ってみれば、現実はこれだ。
たかが数百程度の砲撃に何も出来ず、驚愕するのみ。
「本当にその程度なのか……?」
エヴィルは何処か信じきれない様子で、呆然と彼女を眺める。
救いを求める様な目が、呆れる彼を捉えて、それがすぐさま何かの使命感に変化する。
彼女がくだらない感情を抱いていると、ぼうっと眺めていた彼には分かった。
その瞳がひどく、ある人に似ていたから。
彼女の羽が、ほんの少し大きくなる。
悪魔にはない、天使の力。
魔力と対を成す聖力。
彼女の使命感に似た強い意思により、聖力の強さが増した。
それは、世界最強の魔王の息子であり、その血を受け継ぐエヴィルにとっても十分評価出来るだけの力だった。
身体から放出された眩い輝きにより、全ての砲撃は消滅し、彼女はその場のエヴィル以外の魔力を完全に支配していた。
幼いとはいえ、彼の魔力を支配する事は天使の中でも相当に上位の者でなければ不可能だ。
恐らくは、天使界の頂点に立つ大天使でさえ命を懸けてやっとだろう。
その更に上を行く神ならば、何とかなるかもしれないが。
魔力を経由し、強制的に床に平伏させられたのを見て、エヴィルは言った。
「……天使がわざわざ魔界に降りてくるとはな……用件はなんだ?」
「えぇと、お名前を聞いても良い?」
「…………エヴィルだ」
「あなたが!?」
「そうだが、何を驚いている?」
申し訳なさそうな表情でマーシーは謝る。
「あっごめんね、想像より可愛らしかったものだから……」
エヴィルはマーシーに汚らしい物でも見るような視線を向ける。
すると、彼女は真面目な顔になって言った。
「本題、に入るね。 あなたのお父さんから話は聞いているはずだけど」
「親父から? 何も聞いてないぞ」
困惑した表情を見せつつ彼女は言った。
「えと、じゃあとりあえずお父さんに会わせてもらえる?」
「あいつはもういない」
「いない……っていうのはどういう事?」
お姉さん的関係を崩そうとしないマーシーに苛立ちを感じ始めていたエヴィルは少し大きめの声で言った。
「本題を早く言え! 親父ならもう死んだ」
「……ごめんね」
「良いから本題を言え!」
「あのね、それでも……」
「お前、死にたいのか?」
「え? え?」
唐突な死という音に戸惑うマーシー。
悪魔の文化を彼女は知らない。
綺麗なものばかり見てきた彼女には少し、厳しすぎる言葉だった。
「本題には入れと言っている!」
「あっ……ごめんね。 私は、貴方の婚約者と、いう事になってて」
また真面目な顔になって、告げられた言葉は一種の告白のような物だった。
「そんな事は知らん」
「これはあなたのお父様と私のお父様が話し合って決めた事」
「だから?」
「私の父、ダミ……名前を言っても分からないかな。 大天使って言う未来視の力を持つ天使の偉い人がそうすべきって言ってるの」
「だからなんなのだ、あと、子供扱いするな」
彼は容姿は子供でも、人間であれば爺と呼ぶべき年齢をとうに通過している。
しかし500歳、と言うと結局は悪魔や天使の中では子供なので子供扱いは仕方のない事だった。
「結婚しよう?」
純真な笑顔で言われ、一瞬返しに詰まる。
「なぜ俺が親父のいいなりにならなければならない?」
「ごめんなさい、辛いことを思い出させちゃったね……」
申し訳なさそうな顔でまた謝り、座ったままのエヴィルに一歩近付く。
抱きしめようとするのをその場から飛び退いて回避する。
彼女は明らかになにかを勘違いしている様子で。
「なんだお前……」
不審に感じていることを隠そうともせずに呟いたエヴィル。
それに不快感を一切見せず笑って返してくる。
「大丈夫だから……おいで」
彼女はそんな事を言いながら手を広げて待ち構えた。
彼は攻撃を加えるか、迷った。
彼は今、先程の彼女と戦えるかという可能性にひどく気を引かれている。
「何を勘違いしている? 俺はお前と結婚する気などない!」
「分かったわ、だけどそんな状態のあなたを放ってはおけない」
「たかが天使風情が……俺を心配だと? 調子に乗るなよ」
彼の表情はやはり何処かマーシーを見下した物だった。
それに対し、ただ慈悲深い微笑みを浮かべている彼女は、天使の中では異端な存在だ。
悪魔は力さえあれば天使を認める事は多々あるが、基本的に逆はない。
天使の価値観において悪魔とは絶対的な悪だ。
互いに不干渉となる前の時代では、いつも戦っていた程に天使は悪魔に嫌悪の感情を抱く者が多い。
彼女はその台詞を無視して言った。
「えと、魔王の息子さんがこんなに小さいとは思わなかったけど、あなた年は?」
「……523」
「私は1342歳、これからよろしくね」
悪魔や天使は、人間と違い明確な寿命は存在しない。
人間ほど貧弱ではないという点以上に、人間と比べれば、身体の成長が遅いという点も関係している。
エヴィルは不敵な笑みを浮かべながら半身になって片手を突き出す。
「……さぁ、これで自己紹介は終わりだ、かかってこい」
マーシー目をパチパチとさせて、問いかける。
「かかってこいって、どうして?」
「俺はお前の本気と、本気になった天使とは一度戦ってみたいと思っていた、今日はきっとその時なんだろう」
そう言ったエヴィルの顔は、子供らしい純粋な笑みをしていた。
返ってきたのは苦笑い。
「あんまり危ない真似しちゃダメだよ……もう」
彼にはもう、これ以上話すつもりはなかった。
伸びた手が赤紫の闇を纏い、一瞬の内に音速を超える。
先ほどの彼女の力を見て、この程度はエヴィルにとっては挨拶程度のつもりだった。
しかし、彼女の動きは遅い。
彼の動きがまるで見えていないかのように、ゆっくりと反応する。
赤紫の闇は、彼の手を超えて彼女の胸を貫こうと先走る。
それでも、彼女はまだ反応しなかった。
右手から創り出した魔力の槍が触れる直前、エヴィルは自らが放ったその槍を掴んで止めた。
「…………ふざけるな」
「え?」
驚いた様に、彼を見る。
先程の攻撃を意に介していないのか、それとも本当に見えなかったのか。
幼い彼には、それを見抜くだけの洞察力がない。
見抜こうとする意思もなかった。
「何故抵抗しない?」
「どういう事? 私は貴方と戦うつもりなんて……」
「くだらない、目的はなんだ?」
「だから、私達は結婚しないといけなくて……」
エヴィルは苛立ちを隠そうともせずに言う。
「何故だ? 親が決めた道が俺の道じゃない」
「私は、その為に来たの」
「馬鹿馬鹿しい、俺は天使の力を持つお前と戦えればそれでいい。 だから、かかってこい!」
もう一度構えた彼に、マーシーはようやくどう対処すべきか気付き、小さく笑った。
「あ、もしかして本気の私と勝負したいの?」
「そうだ」
謎の自信に満ち溢れた回答に優しく笑う。
エヴィルは手応えがあったと喜んでいて、そんな笑みは全く気にしない。
「じゃあ貴方のお城まで連れて行ってくれる?」
「良いだろう! 来い!」
マーシーが走り出した彼に向けた笑顔は、天使が悪魔に向ける類の物では決してなかった。
エヴィルは叫び声を上げながら自身が所有する城の中を歩いていた。
「パフィ! どこに隠れている!」
パフィと呼ばれたのは彼の腐れ縁で、同時に部下でもある女性だ。
隠れているつもりのなかった彼女は二階の廊下から声をかけた。
「あ、バカ王子じゃないですかー」
ツインテールと呼ばれる類の黒髪に、赤のショートパンツ、胸部だけを覆う胸当。
他には頭にヘアピンを二つ付けている。
露出が多いのは、そもそも悪魔の対異性における羞恥心が人間と比べて、薄めだからだ。
「誰がバカ王子だ!」
手を振り上げ、勢いよく振り下ろし、身をワナワナと震わせながらムキになって叫ぶ。
楽しげに笑みを浮かべるパフィとマーシー。
それを見てエヴィルは諦めたように呟く。
「全く……お前のせいで酷い目にあった。 寝ている主を活火山の火口に突き落とす奴がどこにいる!」
「はーい、ここに〜」
悪びれる様子もなく手をヒラヒラさせる。
「クソ、今度という今度は許さん!」
「あ、もうご飯みんな済ませてますよ」
「なんだと!? お前ら……俺を差し置いて……俺もすぐに食べる!」
アッサリと目的をすり替えられたエヴィルは全速力で走り出した。
「あ、待って!」
「ん? 誰この子?」
「あ、初めまして。 エヴィルさんの婚約者のマーシーと申します。 天使です」
「は、あ、あぁ……パフィです、けど…………えぇ……? まじかぁ…………」
世界観を共有する魔界シリーズの一作目
過去に投稿済みの魔界転生少女が二作目予定
雰囲気が大幅に違いますが最後の魔法の物語が今メインの作品です