少年と守護者と 1/1
部屋に残った女性と少年、アリサとユウはテーブルを挟んで向かい合うように椅子へと座った。
「サリアは甘いですね。少なくとも少年が部屋に入るのを見届けてから出かけるべきでした」
そんなことを言いながらも、ふふっと嬉しそうに微笑むアリサ。
「直感的にあなたが悪ではないと気づいているのだと思うよ。それで、なにか用事があったのかな?」
「はい。まずは本当に申し訳ありませんでした。言い訳のようで嫌なのですが、身体が勝手に動いてしまったというか……初めての感覚でしたよ」
そう言いつつ悲しそうな、それでいて悔しそうな表情を浮かべるアリサ。しかし謝罪を受けた側のユウはというと、気にしている様子もなくテーブルに置かれたお菓子入れに手を伸ばした。
「きっとあなたは悪くない。それにあれはお相子様ということで決着したよね」
「……それでは、なにか手伝えることがあれば遠慮なく言ってください。いつでもどんなことでも、とはいきませんが、可能な限り叶えましょう」
アリサの真摯さが感じられる言葉を聞き、お菓子の包みを破る手を止めたユウ。そして僅かな間だけ動きを止め、静かに口を開いた。
「それでは1つ。あなたはイナバと会ったことがあるかな?」
少しだけ考える様子を見せたアリサは首を横に振って口を開く。
「いえ、少なくとも私がイナバを認識したことはありません。あちらから認識された、ということであれば知りませんが」
「うん……うん、そうだよね。ごめんなさい、『忘れて』」
ユウはそれだけを告げて再びお菓子の包みを破り始め、会話も再開する。
「もう解決したことは置いておいて、次はなにかな?」
ユウの問に対してアリサは口を開き、閉じ、再び開いたところでようやく決心がついたのか、言葉を外に開放した。
「……聞くかどうか迷いましたが、あの可愛い兎……イナバは何者ですか? 無詠唱魔法に加えて未知の技術、情報体の知識も有している。日本国総理が召喚したと聞いている従魔と同様に」
「どうなのかな。ぼくが知っているのは可愛くかっこいいということだけ。あとは案外、いたずら好きかなと思っているよ」
最後の一言、何かを思い出したように付け足したユウの頬は少しだけ赤く染まっていた。
「……それでは、あの子はイナバなのですね?」
「あなたが求めている意味に添うかはわからないけど、あの子はイナバだよ」
要領を得ないといった様子のアリサの質問に、嬉しそうに微笑んで答えたユウ。
「はぁ。これでまた日本だけが……いえ、失礼。ところであなたは何歳なのですか? 見た目通り、ではないですよね?」
首を振り溜め息を溢したアリサは一区切りといった様子の軽い声音で問いかけ、同時にお菓子へと手を伸ばす。のりまきせんべいである。
「ふふっ、どうなのかな? あなたの想像にお任せするよ」
そう言ったユウが浮かべた、見た目通りの幼さを残すいたずら笑顔を見たアリサはうんざりとした表情を浮かべた。そしてせんべいの包みを破り、パリッと一口。
「おっと、飲み物が欲しいね。青汁でいいかな?」
立ち上がったユウはそう言い残してキッチンへ消えていく。
パリッパリッという音だけが時折、響く静かなリビング。アリサは手の中が空になると再びお菓子へと手を伸ばす。ひとくち羊羹である。
なにかから考えを逸らすように、あるいはなにかに集中しているかの如く、その手は止まらない。ゆっくりとだが、確実にお菓子を減らしていく。なので静かにテーブルに置かれた、見通せない緑色の飲み物が注がれたコップに気づかない。
時を刻む音が鳴る時計があれば、静かなこの空間に見合う音を奏でてくれたかもしれない。お菓子が手作りであり眺める他人がいたならば、妹が頑張って作ったお菓子を食べる姉と、そんな大好きな姉を眺める妹として映ったかもしれない。
それでも響く音はお菓子の破砕音。並んで座る2人は姉妹ではない。
「……1つ前。既に閉じられた世界で戯れていたあなた達と同じ存在に見えなかった。欺かれていたか、違う存在が入りこんだか、あるいは2つの世界の間にもう1つ……いえ、そうであれば……」
誰かに聞かれることを考慮していない、誰かが過ぎ去り1人となった場所で漏らすような、そんな呟き。なので答えるものはいない。
「それにどうして、私はあなたを殴ったのでしょうか。悔しさのような、怒りのような、なんともいえない気持ちに満たされ、気づけば止めるには間に合わない状況にあった。楓に見られなくて本当に良かったと思いますよ……」
時計は無い。気づく時間も存在しない。時から隔離されたような、布団の中で明日を望んで眠ってしまう一瞬前のような空間。
「……いいえ、今は凛が優先です。槍を交えた闘争の終わりに感じた何かを掴むため、再び強くなってもらわなければ。それに知り合ってみれば放っておけません。……もしかして、私はあの戦いで死にたかったのでしょうか。それを叶えてもらうために、今は凛を……?」
気づけばお菓子は無くなり、空いた両手は互いを強く握りしめていた。陶磁のように白い肌に赤い流れを描くほど。
「大丈夫、あなたは好意から凜さんを救おうとしているよ。だから今くらいは安心して、おやすみなさい」
手から力は抜け、瞼は伏せられ、規則正しく寝息を奏で始めたアリサ。いないはずの1人は痛々しい手に触れて、一言呟く。
「いたいのいたいのとんでいけ」
触れていた手を離してみれば、そこには白く綺麗な手だけが存在していた。用意していたタオルケットを優しくかぶせ、起きているのはただ1人。
「あなたも、おかあさまも、優しい妖怪も。みんな馬鹿なんじゃないかな」
渾身のデコピンをおでこにかましても色は変わらず、困ったように嬉しそうに笑い。
その他大勢なんて余力が足りていてこそ気にすればいい。そうしなければ、いつかあなたが壊れてしまうのだから」
悲しそうな声を残してそっと部屋へと足を進める。心地良い足音を奏でながら。
「おっと、これには録画・撮影機能があったん……だ、ね……」
と、そこで言葉を止めて急に屈んだユウ。頭を抱えたその姿はぷるぷると震えており、覗く耳は赤く染まっている。しかし、震えはすぐに止まり立ち上がり。何事もなかったように再び足を進め始めた。
「えへへ、まいっか」
幼く無邪気な笑顔が咲き誇る。ひっそりと。