兎女 3/3
美味しそうに料理を食べる皆を羨ましそうに眺めていた食事の時間も皿が空になることで終わりを告げ、このあとの話となりました。真っ先にユウが部屋で眠ると告げ、他の3人は街を見て回るとのこと。
「それでは、私は街の外で素材を集めてきます。夜までには帰ってくる予定ですが、戻らなくても気にしないでください」
思わず空間凍結を使ってまで扉を開かなくしてしまうほど恥ずかしい状態を解決するため、用意しなければなりません。気が緩んでいたのでしょうか、浮かれていたのでしょうか。まさか衣服の情報体を準備し忘れていたとは。
幸い街の外、少し離れた位置には羊系統の魔物がいましたので素材には困らないでしょう。
「え、1人で行くの?」
「ユウを連れて行ったら危ないでしょう?」
少なくとも装備を揃えてからでなければ魔物の前に出したくはないです。あの子の戦場はあそこではないのですから。
「なんか悔しいけど、まあラビットにも負けたからね」
その言葉にぴくっっと反応したのはサリア以外の2人。正直なところ魔法が扱えるのならば6歳くらいの人族でもラビットは倒せると思います。魔法ならば弱いものであっても、魔物が有する情報強度に干渉できますので。
逆に魔法も情報体も扱えないのであれば情報強度の高い、情報強化された魔物の身体に傷をつけることすら難しくなります。
ラビット程度の情報強度であれば、それなりの科学兵器で突破はできますが、一定以上の魔物になれば核兵器ですら影響1つ与えられません。撃っても戦場が汚染されて不利になるのは人類側です。
「それでも1人で行くのは……危なくないかな?」
「私は死んでしまってもログアウトにならず再召喚を待つだけですから。ペナルティが少ないのですよ」
これは身体に刻まれていた知識からの受け答え。実際は弾かれて外に放り出される可能性もありますか。
「それでも……うん、私も一緒に行く」
両手を胸の前でぐっと握り、やる気を見せるサリア。まあこの子がこの程度で諦めるとは思っていませし、そもそも諦めさせる必要もないですし、そのつもりもないのですが。
「街巡りはどうするのですか?」
「行きと帰りでいいじゃない。急ぐことでもないから」
「それなら私も同行しよう。正直なところ情報体を回収し損ねたうえに素材も残らなかったから、今はあまりお金を用意できそうにない。ショッピングをするというのに先立つものがなくては、十分に楽しめないだろうからな」
私が断らないようにか、あるいはサリアが同行したとしても心配だったのか。こういうところは相変わらず、と言っていいのでしょうか。
それにしても、回収し損ねたということは何かを倒せたのですね。それが最初の森であるのか、チェスゲームの盤上であるのかで相当な差があります。
クリア組の特権といえるこの宿に来ているのですから、チェスゲームに勝利しており、"あまり"と言ったのですから少しは回収できているともとれます。そこから考えれば回収し損ねたのはチェスゲームでしょう。これは楽ができそうです。
「ほう。私と少年を2人で残してもいいのですか?」
そんな無事解決といったところで口を挟むお節介焼き。放っておけば気になる2人で密談ができたものをとは思いますが、放っておけなかったのでしょうね。
「う……」
微妙な表情をして余裕の表情のアリサ、そして手を振る笑顔のユウを見つめるサリア。ここで迷うということは、ある程度はアリサを信用していたのですね。普段はあのようなことをする人ではないのだと。
短時間の評価であるからこそ、短時間で書き換えられる。それでも完全には書き換えられない。むしろ私は、出会い頭の出来事でアリサの評価を上げたのですけどね。
さて、ここで長引いて出発が遅れてしまうのは避けたいですね。魔物がいないアルファ世界から来た凛と、魔物がいる世界から来ていても魔物に苦手意識を抱いている様子のサリアが一緒なのですから。必要のない無理は禁物です。
「わかりました。この宿には出入りに関する制限が設定できますので、ユウの部屋にアリサの出入り制限を設定すればいいのですよ。部屋の主しか設定を変更できないのであれば安心ですよね?」
「そんなことできるの?」
「ええ……設定しました。アリサ、ユウの部屋に押し入ろうとしてみてください」
首を傾げるサリアに頷きつつ設定を終えました。ユウと私は同部屋ですので、"互い以外"に対する設定の変更が可能です。
「なぜ押し入りなのですか……」
ジト目で私を睨むアリサですが、その足はしっかりと部屋に向かっています。
皆が見守る中、アリサが部屋の境を跨ごうとして……その動きを止めました。いえ、止められたと表現すべきでしょうか。足を引っ込め、手で見えない壁を確認するような動きからも、正常に機能していることが窺えるのですから。
「これはどこまで耐久性があるのでしょうか。少し気になりますね」
興味津々といった様子で口から漏れ出た危なそうな意見は置いておき、アリサが入れないことは確認できました。これが演技だとしても、障壁を破る力があったとしても、ここで信じられなければあとは自分で確認するだけです。自分が入れなければ、それが機能している証明となりますから。
「……ごめんなさい」
僅かに俯いたサリアの小さな呟きは、きっと皆の耳に届いてしまったでしょう。それでも誰も聞こえた様子は見せません。
「うん、納得できた。ありがとう、イナバちゃん」
一転して明るい声をあげ、納得顔を浮かべたサリア。間にユウが存在していたからこそ、疑わずにはいられなかったのかもしれません。もしサリア自身が殴られていたのであれば、彼女はアリサをどう捉えていたのでしょうか。
「それでは行きましょうか。アリサ、途中まで一緒に行きますか?」
「いえ、私は少ししてから出発します。知人に頼まれたこともありますので」
いえす、みつだんちゃんす。は置いておいて、それよりも確実に伝えておかなければ。
「そうですか。それでは夕食をお願いしますね?」
「……イナバ、どういう意味かな?」
笑顔のユウが問いかけてきましたが、声は笑っていません。なに、単純なことですよ。食べるならアリサの料理ということです……なんて言いません。
「ユウはなにか考え事があるのでしょう。そちらを優先してください」
「私がなにも考えていないような言い方をしないでください。ですがまあ、初めて魔物と相対して疲れているでしょう。料理は私に任せてしっかりと休んでください」
これを自然と本心からといった様子で言えるのがアリサなのでしょう。
同時にそれは凛もなのでは、と思いましたが、ユウの見た目は幼いですからね。多少は過保護になるのはしかたのないことかもしれません。実際に体力はありませんし。
「ありがとうございます。それでは出発しましょう。
「うん」「ああ」
手を振って見送ってくれる2人に背を向け、3人でリビングから廊下へと繋がる扉から外に出ます。