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12時の鐘 1/x

 霧の先は見通せず、どこを見ても色鮮やかな葉っぱが舞い落ちてきている。それが儚い人の命のようにも見えて、つい体を震わせてしまった。

 冷えた感じはしないが、目の前には湯気を立ち昇らせる温泉があるのだ。早速と思い足をつけ、身体を沈め、全身でその暖かさを感じ取る。

 この前はイナバちゃんが、今回は楓ちゃんが招待してくれた謎の温泉。今日は番台に座っていた管理者の女性、真っ赤な髪と真っ青な瞳を持つ彼女がかなりの実力者であることは見ればわかった。なにせ魔力がまったく漏れていないのだ。王ですら微々たるものであっても魔力を漏らしている。だから魔力を持つものなら誰もが漏らしてしまうものだと思っていたが、その考えは打ち砕かれた。

 3人。そのうえアルファ世界から来た皆すら漏らしているのだから、彼女が特別だということは間違いない。

 

 視線を落とせば透明でありながら他人の身体を隠すお湯が目に入る。しかし自分の身体は隠さない。底は石のようにも思えるが、触れているお尻は柔らかに受け止められている。

 腕を上げれば水を受け止める水面の音が耳を通り抜ける。とてもとても静かな、自分しか居ない世界であるような……まるで死者が審判を待っている場所であるような。

 

「横はあいておるか?」

 

「どうぞ」

 

 振り向くことすらせずとも、それが誰なのかはわかっている。少し前に番台から聞こえてきた声であり、今日の招待客が私1人だと教えてくれた女性のものだ。

 ちゃぽんと音が聞こえ、水面が揺れ、隣に気配を感じるようになった。

 

「1人は暇でな。少し話し相手を頼む」

 

「私も1人だと寂しくて、是非お願いします」

 

 そう言いながら両腕で脚を抱える。こんなにも温かいお湯の中だというのに寒さを感じるのだ。

 

「汝は……ガンマの精霊族か。いや、あそこの区分だと妖精族か?」

 

「どっちでもいいです」

 

 今更、妖精族でも精霊族でもどっちでもいい。

 

「前回と比べて、かなり不機嫌だな。何かあったのなら、この私に打ち明けるといい。そんなに言いふらさんのでな」

 

 女性はそう言ってくっくっくっと笑う。なんとも見た目に似合わない笑い方に思えた。

 

「……私、このログインが終わったら死ぬんです。それなのに最後の時間をあなた達と居たいって言えなくて」

 

 本当は楓ちゃん達と一緒に居たかった。最後だからこそ、その1時間の価値は違うというのに……寂しく1人でお湯に浸かりたくはなかった。

 

「私が友たちか、同伴者達か。いずれにせよ、それは言えなかった汝が悪い。言わねば伝わらぬ。読み取ってくれなとど、それは甘えに過ぎん」

 

「ここの招待権を得ることがどれだけ難しいことか知っていたから……その気持ちは受け入れたかったんです」

 

「まあ、そう言ってくれるな。汝が来なければ私が友の誰かを招待していたのだ、それを蹴ってまで汝を選んだのだ。価値のある時間としたい」

 

 ではイナバちゃんを呼んでほしかった、なんて言えはしない。それにさっきからなんだ、無関係のこの人に強くあたって。

 

「ということで根本的な悩みを聞こうか。これでも長生きしておるからな、なにか言えるかもしれん」

 

「……別に何もないです。この時間が終わるまで一緒にいてください」

 

 根本的な問題なんてない。だから1人でいる寂しい時間を、せめて誰かと一緒に過ごしたい。

 

「そうか。では私の問いに答えてくれ。この場所だが、どう思う?」

 

「良い場所だと思いますよ。ただ中途半端というか、都会に出たおのぼりさんができる限り真似たけど、所々に自分の曲げられないものを入れたような感じがします」

 

 そう言いながら自分の部屋を思い出して、少しだけ顔が熱くなる。

 最後に王都に行ったのはいつだったか……今なら千里眼も使えるし、残り僅かな時間で覗いてみるのも悪くないかもしれない。

 

「くっくっくっ、まさにその通りだ。友と語る場に無粋な物など置かぬほうが、とも思ったが……どうにも必要なものが足りていないらしい」

 

 女性が楽しげに笑いながらそう言ったが、話が噛み合っている気がしない。

 

「イナバのやつ、この場所でも私でもなく、隣におった少年ばかり見ていてな。まあ、その表情を見ておれば微笑ましかったが、どうにも負けた気分がして気に入らん」

 

 そう言った女性に顔を向けてみて、全身を見渡して……といっても胸より上と浮かぶそれしか見えなかったが、なんとなくユウくんには勝てそうにないなと思ってしまった。

 

「まあそれは良い。追加するとしたら何が良いか?」

 

「えっと……身体を洗う場所、とか?」

 

 プレイしていたゲームの数々から温泉や銭湯を思い出して、この場所を当てはめてみて、なんとなくそれが欲しいかなと思ってしまった。

 

「……入る時に清潔の魔法がかかるのだが、それでも必要か?」

 

 真っ青な瞳が疑問を宿してこちらを見つめている。

 

「それが常識じゃない世界のものを取り入れたんだから、その常識は要らないと思う。それにイナバちゃんが身体を洗っている姿をここから眺めて、その合間に言葉を交わして……素敵じゃない?」

 

「む……むむ、たしかにそうかもしれん」

 

 そう言った女性は私から水面に視線を移して何かを考えるポーズとなったので、同様に視線を水面に移す。

 私もゲームから知っていなければこんなことは言わなかっただろう。清潔魔法という便利なものがあるのに、なぜ洗い場を設けるのかと。

 でも、それは必要なのだ。ここは身体を洗う場所ではなく、友と語り合う場所だというのなら。

 

「うむ、良い意見を貰った。早速、次のログインで取り入れてみるか」

 

 弾むような、まるで子供が秘密基地を思い描くような声につい振り向いてしまう。

 無邪気な笑顔は美しいこの人に似合わないように思えて、とても良く似合っていた。

 

「ところで……ふむ……。子を成さなかったのか?」

 

「ぶっ!?」

 

 いきなり何を言い出すのか。

 

「ど、どうしてそんな話になるの!?」

 

「いや、知らなくていい」

 

 冗談かと思ったが、女性の声と表情があまりに真剣で、そうは思えなかった。

 

「ひやぁ!」

 

 しかし、いきなりお腹を触るのはやめてほしい。慣れていないのだから、こんな声も出してしまう。

 

「いや、すまぬな。しかしやはりというか……汝の先祖は何をしたんだか」

 

 一気に思考が冷める。

 

「……呪いのこと、わかるんですね」

 

「ああ、見えるよ。イナバも見えるだろうし、イザナミも、汝の世界なら『名もなき王』も見えるだろう」

 

「え、王も?」

 

 思い返してみれば王の行動はおかしい点がいくつかあった。ただ、王が来てくれたという事実が嬉しくて隅に追いやっていたのだろうか。今まで考えもしなかった。

 

「あとは大天狗のところの金孤もか。あやつも生きにくい性格をしているから、動けないのは辛かろうよ」

 

 そう言いながらこちらを見る彼女の目は、とても悲しげに見えた。

 

「まあ恨んでやるな。基本的に世界を跨いでは救えぬのだ。汝の魔法のように"ここでなんとかなるもの"ならば問題はなかったが、その呪いはどうにもならん。そのうえ、仮に動けたとしても何ができるというのか」

 

 ……そう、世界を超えられた輝夜という集団が異常だったのだ。普通は、世界を超えることなんてできない。

 

「別に恨んでなんてないよ。できないことをできなかったからって、それで恨むのはおかしいもん」

 

「ほう、では何ができないのか?」

 

 一瞬、思考が止まった気がした。何ができないのかとは、いったい何だろうかと。

 

「呪いを解けないことか? あるいは汝を生きながらえさせられないことか?」

 

「……」

 

 言葉を返せなかった。私が欲しかったのは何だったのだろうか。

 

「……そうか。あやふやなそれは願いにすらならん。楓という少女は汝に何を望んで、生かそうとしているのか。すくなくとも汝の願いを、手を取ってということではないのだな」

 

「……そうだよ、私は何も望んでない。ただログアウト前を皆で楽しく過ごせて、最期の時までにあの子に楽しかったって告げて」

 

「死んでいくと?」

 

 思いっきり唇を噛む。血の味などいつ以来だろうか。

 

「生きたいよ! 生きて、次のログインでも皆と笑いあって、あの子にも元気な姿を見せて、一緒に空を飛んで……!」

 

 思いの丈はついに溢れ出して、口から漏れ出てしまった。

 ずっとずっと心の底に沈めていたはずのそれが、たかだか数分のやり取りで引き上げられてしまった。

 

「私だって楽しい青春を過ごしたかった! どきどきする恋もしたかった! あの子と色んな場所へ行ってみたかった!」

 

 そしてこの場所に来て。

 

「得意な魔法でどどーんと活躍してちやほやされたかった!」

 

 それでも、あの子を救ったことに後悔はない。

 

「それで……」

 

 でも、そこじゃない。今の気持ちは違う。

 

「皆と、透明な気持ちで向かい合いたかった」

 

 どうせ、もうすぐ死ぬからなんて心持ちで向かい合いたくなかった。

 私は優しくないし、謙虚でもないし、お姉さんでもない。ただの我が儘な小娘で、それを受け入れてほしかった。

 

「そうか」

 

 静かに聞き終えてくれた彼女は、優しく微笑んでくれる。ただ聞いてくれただけだというのに、ここまで嬉しいとは思ってもみなかった。

 頬に涙が伝うが、視界は滲まない。優しく暖かな手で隠されているのだから、ただ先の見えない夜が映るだけ。

 

「汝が私が世界におれば……生かすことはできたであろう。その後は子頼みになるが……流石にそこまでは期待できんか」

 

 その言葉に耳を疑った。皆が投げ捨てるような願いすら、彼女は叶えられるというのだ。たとえ最期を"伸ばす"嘘だとしても、"凄い"と思う。

 私ならおそらく、泣いて謝るしかできないだろうから。

 

「世界の勇者に願おうにも、汝が世界にはおらぬ。ゆえに生き残れる可能性があったのは私が世界か、イザナミのおる日本であるか。あるいはこの世界ならば、とも思う」

 

 ……嘘ではないと思えてしまう。あまりに真剣で、微かに震える手を感じてしまえば。

 

「哀れな子よ、この世界が区切られる頂点の針止めまで私が夢を見せてやろう。なんなりと望むがいい」

 

「じゃあ……え?」

 

 望みを口にしようとして、疑問に止められた。わざとぼかしているのか知らないが、頂点の針止めとは12時ではないだろうか。それが世界の区切りとは、どういうことだ。

 

「ど、どうして……?」

 

 そんな嘘を言うのか。そう思い情報アクセサリーから運営情報を開いてみれば……そこには終了時間が『午後0時』であることが示されていた。

 なんだと安堵しかけたが、振りほどけぬ不安から24時間表記にしてみればそこには……『12時』と表示されていた。あれだけ午前午後表記のゲームをしてきたというのに間違えていたのだ。

 笑うしかない。アルファとアルファ2以外は24時間表記しか存在しないというのに、なぜこちらにしていたのか。

 私に残された時間は、既に5時間を切っている。この温泉がお昼までということは、もう……。

 

「ど、どうした?」

 

「ご、ごめんな、さい」

 

 隠されても隠しきれない涙が頬を伝って落ち、お湯を汚してしまう。後悔の水が暖かなお湯を冷ましてしまう。

 楓ちゃん達は知っていたはずなのに、あんまりだ。あの子達なら、楓ちゃんなら私が間違えていることすら気づけたはずなのに、なぜ教えてくれなかったのか。

 私は、最後の最後で裏切られた……。


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