満月ほどの希望があっても 2/2
皆で館を出て領土戦が行われるフィールドへ来てすぐ。優しい風が肌を撫でたかと思えば、間近にユウくんを抱えた大天狗がいた。
どうしてと思わなくはない。知っているとは信じていたが、来るとは思っていなかったのだから。
「どうしたんだい?」
「終了間近、皆がぞろぞろと歩いていれば気になるよね」
凛ちゃんが普段通りを装って問いかければ、ユウくんはニッコリと笑ってそう答える。私に気を使っての対応だろうが、ユウくん相手では意味がない。それでも何もしないということはできない。
「この方角なら要塞海月か。ぬしらでは勝てぬと思うが、それでも向かうのかのぅ?」
「勝てなくても通るくらいはできると思わない?」
大天狗には話してしまったのだから当然、予想できるだろう。目的地も、目的も。
「……楓、すまぬが金狐は動けぬぞ。何も頼まれていないのは知っておるが、私が止めてきた」
大天狗が申し訳無さそうな顔でそう言ったが、それは予定通りだ。そうしてもらわなければ、なんのために大天狗に対して目的を筒抜けにしたのか。
「そのつもりよ」
「……のう、楓。私が言えたことではないが、もう少し人を頼るということを覚えたほうがいいぞ」
「今さっき頼ったところ。私の近くにいる頼もしい仲間達が見えないかしら?」
自信ありげにそう言い、皆を紹介するように片腕を広げて身体を回す。
違う、大天狗の言っていることは違う。大天狗はイナバやユウくん、そして長門さんや仁淀さんに頼れと言っているのだ。それは理解しているが、ここでそれを言われては対処のしようがない。
「姉さんにしては頑張ったね。今回も1人で突っ走るかと思ってたよ」
そう言ったユウくんは、口に手を当ててくすくすと笑う。その態度に後ろの皆からムッとした雰囲気が感じられた。そう、ユウくんの予定通りに。
「それで、何をしに来たのですか? まさか今更、止める気ではないですよね?」
ムッとした雰囲気そのままの翠ちゃんがそう問いかければ
「そうであればここに来る必要はないよ」
笑顔を浮かべたままのユウくんがそう答えた。ハッキリ言って何をしに来たのかはわからないが、止める気がないのは理解している。この子にとって私達を止める程度の事をするのに、領土にある屋敷から動く必要はないのだから。
「姉さん、なんでイナバが動かなかったかわかる?」
「……知らないわよ」
嘘だ、知っている。
「わからないよね、そうだよね。姉さんもそっち側だったのは少し残念だけど……まあぼくが言えたことではないかな」
ユウくんは弱々しく笑いながら、悲しげな声でそう告げた。
その言葉を聞いて頭の中が真っ白になってしまう。つい聞き返しそうになってしまった。だってそうだろう。その言葉の意味は、私もあなたもイナバの傍にいられないということだから。
「姉さんなら気づけているかなって思って聞いたけど、それも高望みだった。だからぼくがついていくよ」
イナバがついてこない理由は私の予想しているものとは違う、それはほぼ確定となった。"サリアが生きることを望まないから"だと思っていたが、それだけでは足りなかったようだ。
「断ってくれてもいい。どうする?」
そう言ったユウくんの赤い瞳は私の眼を見つめていて、問いの答えを待っている。しかし、そこに断られたらなどという考えはないだろう。
断られたら1人で行けばいい。ユウくんは魔物に勝てないだけであって、勝負しなければ負けないのだから。それに、それすらしないため今のこの場に大天狗がいるとさえ思えてしまう。
「楓、ことわ「お願い」」
凛ちゃんの言葉を遮ったのは時雨ちゃんだった。直後に頭を下げていた時雨ちゃんだった。その光景に言葉を失う。
"いつかは"と思っていたが、予想よりも早かったのだから。
「ユウは私達とは違うものが見えるから、打開策の無い今は頼りたいんだ。頼りないかもしれないけどボクが全力で守るから、同行してくれないかな?」
「さすが時雨さんというか……ちょっと驚いたよ。次をあげるつもりはないけど……今回はかなり手伝う。そう決めた」
驚いた表情を浮かべているユウくんを見て、さらに驚いた。程度は違うが、この表情を見たのは2度目、つまり過去にただ1度しかない。
……どうせイナバは何度も見てるのだろうなと思うと、どうでもよくなってきたが。
「ということで姉さん、答えはどうでもいいや。そもそも姉さんは正解しているのだから、今回のこれはただの我が儘だし」
そう言ったユウくんは流れるように集団に加わり、大天狗もその横に移動する。皆の訝しげな視線が刺さりまくっているが、その程度を気にするこの子ではない。
「言っておくが、私は移動を手伝うことしかせんぞ。ただ友の姉を、その友の場所へ連れて行くだけ。場所も知らぬし、口出しもせぬ」
大天狗の呟きに頷いておく。
門の先、そこで場所を指定することができれば、その翼を貸してくれるというのだ。
「ありがとう。それじゃあ出発しよっか」
もう気が楽になった。出発前の覚悟は、沈みきった感情は何だったというのか。
負け分は昨日の夜、イナバの膝の上で泣いている。残りはその先の成否だったが、成功は間違いない。だってそうだろう。イナバを最も知るこの子が、太鼓判をくれたのだから。
そう思えば自然と笑顔になるものだ。声が軽くなるものだ。
「楓ちゃん、浮かれすぎですよ。そういうのがダメだって気づいてるでしょう?」
「う……」
ユウバリさんの言葉に気を引き締め直す。さすがユウくん達から手を差し出した人、よく理解している。
この中の誰よりも……いや、同率1位くらいでユウくんのお嫁さんに欲しい。
……と、そろそろ私も気分が悪い。なぜ私を想った行動で、ここまで嫌な視線を向けられなければならないのか。誰も彼もが笑われていたのが誰なのか、それを理解できていない。
だから、もうそろそろ流れを区切っておこう。
「『忘れなさい』。さあ、そろそろ行こう」
そう言い、ニッコリと笑って振り返る。そうすれば一瞬で雰囲気はもとの調子に戻り、これで解決……とはいかないか。
「楓。ぬしはそんなことまでできるのか?」
驚いた表情を浮かべた大天狗がこちらを向いて、そう言ってきた。
さすが金狐の長。金孤に通用しない言霊が通用するなんて思っていなかったが、これは届いてすらいない感じがする。それとあと1人、きょろきょろと皆の顔へ視線を巡らせている時雨ちゃんには当然、効力がない。苦い顔をしているユウバリさんは事後対応でしか対策できなかったのだろうか。
まあ所詮、真似事だ。本物のさらに上を見れば児戯としてすら拙く思えてくる。
「なんのこと? それよりも大天狗はユウくんを守ってくれるってことでいいの?」
私が歩き始めれば間も無く足を進め始めた大天狗に、返答ついでに問いかける。うやむやにしたことで少し苦い顔をされたが、大天狗は返答のための口を開いてくれた。
「いや、行き先が同じだけよのぅ。そもそもこやつに守りがいるのか?」
まあそうだろう。私の隣を歩くこの子には、世話焼きで心配性な兎の加護がある。たかだかこの程度の距離、離れているだけでどうこうできるものではないだろう。
ただ、それがランク8の魔物相手でもというのは笑えないが……まあ長門さんの能力を知れば無理とは思えない。私がいうのはあれだが、あれはずっこいと思わざるえない。
「……要るわよ」
そう小さく呟いた。誰に届いても、届かなくてもいい程度の気持ちで。
昔からこうなのだ。ある時までは守ってあげなければと、ある年からは嫉妬して、ある年からは途端に心配になった。その境があの事件よりも前なのだから、そのあともなのだから、これは何かしらの理由があるはずだ。
そして今も変わらない。それがなくても変わらない。この子はそんなに強くない。
「それはおいおいかの。ところで楓、今の調子で歩いていては間に合わぬぞ?」
「近くに行くだけならすぐよ。ただ何も思いついてないから歩いてるの」
歩きながら考える。自らの足で目的地に近づきながら考え続ける。意味のないような行動に思えて、これが結果を残していたりするから侮れない。
「やはり私としては、実際に見てみなければと思うな。相手に気づかれず、見える位置には行けないのか?」
「凛さん、要塞海月の感知範囲は少なくとも10kmって聞いてるよ。肉眼では少し難しいと思うな」
「ほう」
凛ちゃんがユウくんに向ける眼は先程までの訝しげな雰囲気を纏っていない。これが私達の現状だと見せられた気分だが、少しずつ改善していくから待っていてほしいものだ。
……はぁ、少し前まで焦りに焦っていたのに今はこんなにも落ち着けている。まあ状況的には焦っているのだが、冷静に考えることができている。そこに悔やみや悔しさや力の足らなさは存在するが、それでも最善の動きをできていたと思えた。
イナバという旗印だけが残ってしまっていたあの世界の私、そして優旗は馬鹿でしかない。1人だけ残してしまったイナバがどうなるかなんて、簡単に想像できるではないか。
それに……もしかして、私の相棒が出てきてくれない理由はそこかもしれない。
「あ!」
私の前まで駆けてきた時雨ちゃんは片手で胸の前にあるペンダントを掴み、私の前に差し出してくる。
「楓ちゃん、イナバから貰った情報体を見たら何かヒントがないかな?」
いつでも素直で、今も必死な様子で。だから甘い言葉なんてかけない。その結果として失敗すれば、この子は自分のせいだと抱え込むだろうから。
「ごめんね、あの情報体の仕組みは理解できているけど、実際に見てきて通用しないってわかった。あれはあくまで領土の核を破壊することが目的のものだから、本当にそれ以上の機能は備わっていないの」
情報体の役割の理解も、魔法の解析も終わっているが届かなかった。何がなんでもできるのかと悪態をつきたくなったが、それはいつものことだと落ち込むことで抑えている。
たしかになんでもできるのだろうが、掴み取れなければ意味がない。幾千幾万の"手段"を持っていても、たった1つの結果は得られなかった。
「そ、そうなんだね……。ごめんね、役に立てなくて」
しょんぼりとそう言った時雨ちゃんの歩みは遅くなり、元の位置へと戻っていく。もうちょっと余裕があればなにか言えるのだが、今はそちらに思考の大部分を回す余裕はないし、適当な言葉はかけたくない。
後は祝勝会と決めているのだから、そこで嬉しさのあまり零れ出る言葉を投げつけるのだ。
「姉さん「それは嫌」」
いつの間にか隣を歩いていたユウくんが何か言おうとしたが、即座に遮って止めた。
わかっている、『囮になろうか』と言いたいのだ。それができれば転移門の魔法を阻害されないし、ユウにはそれができてしまう。しかし、それができてしまうのは……見せたくない。
……ああ、私は我が儘が過ぎるのだ。何も失いたくないから結果の根を減らしていって、ついには失敗しかなくなってしまう。いつも理解してはいるのだが……結局、捨てられない。
あの時も、あの時も……リスクを受け入れればもっと良く救えたはずなのに。それでも、そのリスクを受け入れられなかった。今もそうだ。
「……楓。少し聞いてみてはどうだ? 彼の意見は参考に値すると、私は知っているぞ?」
まさかの凛ちゃんが助け舟を出してきた。私ではなく、ユウくんへ。
どう対処すればいいか迷い、つい足を止めてしまった。
「……ごめんね、そこまで信頼できないや」
呟きは誰に向けてしまったものか。皆が足を止めたのが気配でわかる。
足音すらも止まった空間で、風だけが流れる。
「面倒な娘達よのぅ。こやつらは大雑把に大胆に攻めてきたというのに、なんじゃそれは。何も思い浮かばんならいっそのこと、突っ込め。どうせ窮地で輝きを増すものばかりなのだから、それでいいだろうて」
大天狗の言葉を聞き、皆の視線がそちらを向いた。1つだけ訂正したいが、今することではないだろう。
「……うん、そうしよ。そもそも、私は策を巡らせるタイプじゃないし……私も皆も馬鹿でいっか。それじゃあ転移門、開くね~」
そう言いながら皆に視線を送り、無詠唱で転移門の準備を始める。
それにしても、さすが大天狗だ。年の功か天性のカリスマか。ここぞという時は大雑把に大胆に提案してくれた。
「……え。皆、馬鹿でいいの!?」
時雨ちゃんから抗議の声が聞こえるが、無視しておく。頭でっかちよりは馬鹿のほうがいい場面もあるのだ。結局、動かずに後悔するよりは失敗して泣き腫らすほうがマシだろう。
別に慎重に動くことを否定するつもりはないが、むしろそちらのほうが望ましいが……時と場合による。
「馬鹿なほうがカッコいいかもしれないよ?」
「え、そうかな?」
ユウくんの言葉に、時雨ちゃんがちょっと嬉しそうな声で返した。
ちょろい……が、まあ私も時雨ちゃんと同じ境遇で優旗かイナバに出会ってしまえばチョロくなってしまうだろうから何も言えない。
「無鉄砲と馬鹿は違いますからね」
「翠は馬鹿だから安心してください」
「ユウバリ?」
完成間近の転移門を見て思う。肉眼では何も見えないそれも、魔力を感じ取れば構築式が見えて結果が予測できる。
心も考えも見えないものだが、声や行動から少しは読み取れる。今回、イナバが動かない理由はわかってもユウが動かない理由がわからなかった。私を育てるためだとか、そんな理由ではないはずだ。
既に手を伸ばしているのだから、"イナバが"それを失敗に終わらせることを良しとするとは思えない。イナバはなんともないように過ごすだろうが、結局は抱え積み重ね続けるのだ。
あの子は優しいから。
目の前に出現した、真っ黒な"門"を見て思考を中断する。漆黒で真っ暗闇で、先が見通せないそれは、本当に"門"という様相だ。触れれば通過できるが、質感を感じられる形をしている。
「ほぅ?」
大天狗が疑問を浮かべたような声を出したが、知ったことではない。
「さっすが楓ちゃん。それじゃあお先に失礼します」
そう言ったユウバリさんは触れられないはずの門を"開けて"、その先へと消えていった。まあこの中で魔法に理解が深いのは彼女だけだろう。魔力を余計に消費してまで"門"の形をとった意味を理解できるのは、魔法への理解が深いだけでは難しい。しかし彼女は情報体への理解のほうが深い。
まさか詠唱の代用をこんな形でできるとは思ってもみなかったが……まあ上の人達は知っているのだろうか。
「あ、ユウバリ!」
慌てた様子で追いかけようとした翠ちゃんの腕を掴んで止める。
「……ごめんなさい。ありがとうございます」
さすがの翠ちゃん、何も言わずともその意味を理解してくれた。
ユウバリは不死の身体と最も強い実力をもって、安全確認をかってでてくれたのだ。いくらパートナーとはいえ、その邪魔をさせる訳にはいかない。
「じゃあユウバリさんが出てきたら出発ね。出てこなかったらもっと離れた場所から、要塞海月の討伐。さあ皆、頑張ろっか!」
そう言い、手を振り上げる。
いくらイナバの情報を得るためとはいえ、『輝夜』の名を掲げてしまったのだ。その内部から救われない者なんて出すつもりはない。
私達は甘くないよ。ねえ、サリア。