新月程度の希望であっても 1/2
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準備万端のサリアを玄関で見送った楓達は再び、朝食を食べた広間に集まっていた。
「楓! どういうつもりですか!」
到着するなり翠が声を荒げてそう言う。普段は怒りを表に出すことすら珍しい彼女のそれだが、誰も驚かない。
「なぜ終わりが正午であると教えなかったのです!」
そう、今回のログイン限界時間は正午まで。サリアなら当然知っていると考えていた皆は、先程のサリアの発言に驚いていた。だから伝えようとしたが、それを楓が遮った。
翠は困惑しながらも最期の1日を彩るためにと、ここまで抑えていたのだ。
「それは必要なの?」
「……あなたならわかっていたでしょう。最期の時に、私達を居ることを選んでくれたのですよ!」
「それで見殺しにして、あとで後悔するの? 私はそんなのごめんだったから、この6時間を別のことに使う。話を聞いて一緒に来ないのならそれでいいし、サリアに伝えたければ行けばいい」
今にも楓に掴みかかりそうな翠の手を葵が握る。双子の妹である葵がそうしなければならないと判断してしまったほど、今の翠は怒っていた。
それとは対象的に楓は落ち着いている。少なくとも、凛達からはそう見えていた。
「そこまで考えての温泉か? いや、違うだろう?」
凛の言葉の意味を理解できたのは、この場にいる中で1人だけ。それを言われた楓だけ。
「まあいい。それで何をするんだ? まさか待っているわけはないよな?」
「ええ。要塞海月がいる場所の先にある門を目指すわ」
少し声の調子をあげた凛が問いかければ、楓は近くの駄菓子屋へ行く程度の雰囲気でそう言い放った。時雨を除く皆がそれを聞いて唖然とする。
「そこになにがあるの? 当然、納得できるものだよね?」
目前の魔物の強さを知らない時雨だけが続きを聞くことができた。他の皆はその魔物を、少なくとも通過しなければならないという難易度に、そこにあるものが必要なのだと悟る。
「ガンマ世界」
それは楓ではなく、四葉が告げた言葉。楓すらもなぜと視線を向けてしまう。
「……え? どういうこと?」
「きっと、その門はガンマ世界に、サリアの世界に繋がっているはず。見殺しにしないということは何かをするということ。こちらで何もできないのだから現実に赴くということ。違う?」
時雨の問いに答えた四葉は、楓の瞳を見つめる。間違っているか、と。
「そ、そんなものがあるのか?」
驚きを露わにした凛がそう言った。しかし、それは疑うような声音ではなく、むしろ納得しているようにすら聞こえるものだ。
「私は途中参加なので見守っておこうと思ってたけど、参加することにするね。世界を渡る方法は確実に存在するし、それならば知ってる人達もいるはずで、おそらく第1陣と呼ばれる人達ですよね」
翠の隣ではなくドアを塞ぐように現れたユウバリが、四葉と同じく楓に視線を向けたままそう言った。その視線に吸われるように、他の皆も楓に視線を向ける。
「そう、あそこには現実のガンマ世界に繋がる門があるはずなの。ただし、そこを潜れば残りは無くなる。そのうえ、どこに繋がっているかすらわからない。行けても何もできない」
楓は応えるように、静かにそう告げた。手を握りしめ、涙を隠すために振り返り、それでも声だけは揺らさぬようにと。
「原因はわかってるんですか?」
「呪いだそうよ。ただし呪術にも長けた妖族が解呪できないような、長年、引き継がれてきた厄介なやつ」
ユウバリが引き出した楓の声は僅かに震え始めている。
「勝算もないのなら、素直にこちらでおくってあげればいいのでは?」
「……これは私の我が儘なの。それにもしかしたら、ログアウト後も生きていられるかもしれない。その間になにかできるかもしれない。だったら、私は6時間を捨てて賭けに出る」
いつの間にか現れていたイロハが問えば、楓は僅かに間を置いてから答えた。
その答えを聞いたイロハは嬉しそうに微笑み、口を開く。
「では頼りなさい。判断を任せるのでなく強制しなさい。あなたは領土という集団の長を引き受けたのですから、それくらいしてみなさい」
「イロハ……」
振り向いた楓の頬には皆の予想通り涙が流れていた。しかし、その涙の理由を正確に把握できている者はこの場にいない。
「ところで、あの2人の姿が見えませんが?」
そう言ったイロハはわざとらしく部屋を見渡す。
「今回は声をかけるつもりはないの。だから何1つ、伝えてない」
「……まあ、それがあなたの判断なら従いましょう。あの状態のサリアを置いて別領土に行ったのですから、期待するのは間違っていますか」
「イロハ、言い過ぎ。私もあなたも気づけなかったのだから、何も教えられていないあの2人に気づいて行動しろというのは違う」
四葉の叱りを受けたイロハは顔をしかめる。
「でも、気づいてもおかしくないはず。領土が分かれる前、一番サリアと過ごしてたのはあの2人だから。それに彼らはそこまで鈍感じゃない。少なくとも何かある程度は気づけているはず」
「いいの、その話は置いておきましょう。私達が知っていればいいのは動かないでも動けないでも、知らないでもなくて、"動いていない"だから」
葵に手のひらを向けて言葉とともに静止を伝えた楓は、続いてユウバリを向き口を開く。
「それよりもユウバリさん、要塞海月って私達で勝てそう?」
「無理じゃないですかね。要塞海月はランク"7"の大物。力押しはまず無理で、しっかりと対策をするだけでなく相性の良い適正を有していなければ討伐までは至れないでしょうから」
「あれ、サリアからは8って聞いた」
「魔法という万能の手段を考慮して考えればランク7が妥当です。オリハルコン・ゴーレムにしてもそうですが観測当初ならまだしも、何度も戦っているのであれば脅威度は下がります。あちらはランク4でも高いくらいです」
そう言ったユウバリは、口元に手を当て何かを思い出したようにくくっと笑った。
「あ、ごめんなさい。私も来た当初はもっと高い見積もりをしていたのですが、魔法を知って解析してみればなんのことはなかったということです。しかし情報体も込みで考えての7なのでそこは間違いなく、お願いしますね」
「私の予想もおおよそ、そんな感じだから気にしないで。まあこっちの判断が8でも7でも相手の脅威は変わらない。結局は勝てないのよね~……はぁ」
部屋の中を歩きながらそう言った楓は、溜息をつくとともにソファーへと雪崩込む。そこにはあと6時間という鬼気迫った感じはない。
「じゃ、じゃあさ。ボクが引きつけておくから皆で行ってきなよ。大丈夫、あの刑部狸のもなんとかなったんだから」
時雨がそう言って力なく胸を叩いたが、楓の頭はあがらない。
「ちょっと見てきたんだけどね、刑部のあれって部品程度の力なのよ。時雨ちゃんの相手をしながら私達に攻撃することくらい余裕って感じだった」
「……ごめん」
そう呟いた時雨は今にも泣きそうな様子で俯いていた。
「ううん、いいの。どうせ私達も何もできないんだし、むしろ時雨ちゃん1人なら門に辿り着けるんだから、もしもの時はお願いね」
「……うん、頑張るよ」
時雨は楓の軽そうでありながら真剣な声音を聞き、再び顔をあげて僅かに迷ったあとに弱々しく、虚勢を張ったような様子で無理やり笑顔を浮かべてそう言った。
楓は時雨が返答するまでの僅かな間が気になったが、今はおいておく。そんな余裕はないのだから。
「イロハさん、どうにかならない?」
「残念ながら相性も良くないですし、実力も足りませんし、装備も不足しています。時間稼ぎ程度はできるかもしれませんが、そこ止まりです」
冷静に、落ち着いて首を横に振ったイロハはそう答えた。それを聞いた楓は持ち上げていた顔をソファーに置かれていたクッションに埋め、足をバタバタとさせる。
そんな楓の動きを見ていたイロハは呆れた視線を向け、隣に立っている四葉はくすっと笑った。イロハはそんな四葉の声を聞いてそちらを向き、ただ嬉しそうに微笑む。
「しかし迷っていても時間が過ぎるだけだ。場所も離れているのだろうし、まずは向かってみないか?」
「移動はいいの。転移門、開けるから」
クッションから聞こえる声は、それでもクリアに響き渡る。1人だけ呆れた表情を浮かべたユウバリを除いた皆はその言葉で納得し、僅かな焦りを消した。
唯一の例外たるユウバリはといえば、楓に呆れた表情を向けている。良くも悪くも皆、魔法への興味が薄いのだ。最低限の知識は得ておくが、それ以外は得意な分野に割り振る。そんな状況だった。
「楓。転移門で直接、向かえないの?」
「要塞海月がいなければ直接、行けたの。だから要塞海月の手前まで」
四葉の質問は皆の脳裏に浮かんだものだったが、楓はそれを曖昧な言葉で一刀両断する。魔法の知識がないのだから、扱える楓がそう言うのなら、そういうものかと納得してしまう。
「では、とりあえず何度でも復活できる私とユウバリで行くというのはどうですか? 情報も集まりますし、突破できる可能性もあります」
「あ~……イロハさん、それはダメです。あれは魂を逃しません」
「どういうことですか?」
軽く手を振って否定したユウバリに、イロハが問いかける。
「つまりあれの近くで器を失えば、マスターの中に戻れないということです。あれを倒せば問題はありませんが……もしかしたら次のログイン後ですら戻れていない可能性もありますので、今回に限っては翠達プレイヤーの方が情報収集に適しています」
それを聞いたイロハは苦い表情を浮かべた。その言葉を聞いてしまったことで、イロハが行くかどうかではなく四葉が許可をしなくなってしまったのだから。
「……まあ凛ちゃんの言う通り悩んでてもしかたないし、行こっか。アイテムの準備して玄関前ね」
クッションに顔を埋めたままの楓は、そう言って手をひらひらと振った。それは少し前の楓ならあり得なかった、全員が言う通りに行動してくれることを前提とした動き。誰1人として行かないという選択をしないと信じ切ったゆえのもの。
事実、そんな楓を見てすら皆は普段通りに部屋を出ていった。たった1人を残して。
「……翠ちゃん、ありがとうね。翠ちゃんがああ言ってくれたから、イロハの言葉に頷けたの」
「そんな……私は何も考えず声を、荒げただけで……また、楓の……」
楓の呟くような声を聞いた翠は、今にも泣きそうな様子で纏まっていない言葉を並べていく。それは段々と小さくなって、ついには楓の耳に届かなくなってしまった。
「ど~ん」
楓は顔をあげると同時に翠に飛びつく。当然、今の翠がそれに対応できるはずもなく、楓にのしかかられる形で倒れてしまった。
翠の顔の目の前に、楓の顔がある。息遣いすら感じらるほど近くにいる。
「私もね、伝えるべきだって思ってる。今でも思ってる」
翠はその言葉に驚きを見せた。
「でもね、これは保険……じゃないか。おそらく私達は失敗するって思ってる。だから、こうするしかなかった。私の力不足なの」
「え……」
「それにね、"私も"今のサリアはあんまり助けたくない」
囁くような最後の言葉は、目の前にいるはずの翠には届かなかった。ただ楓が口を動かしているだけ、翠はそうとしか受け取れなかった。
「でも諦めないから。新月程度の希望であっても、満月ほどの希望があっても、目を覆ってちゃ見えないの。だから闇に慣れ、浮かんでいるはずの月を探して」
そこで区切った楓は目を瞑り、おでこをおでこにひっつけて。
「落とすの」
その言葉の意味が翠にはわからなかった。それ1つ、理解できなかった。
それでも……自分が間違っていたことだけは気づけた。行動が間違っていたのではない、求めていた道を進めていなかったのだと気づけたのだ。
僅かな間だけ静かな時間が過ぎて、それが終わることない永遠にも感じられて。
「さあ、行こっか」
起き上がった楓はニッコリと笑ってそう言った。
「はい、行きましょうか」
翠はニッコリと笑ってそう返した。
そして2人立ち上がり、ドアの向こう側へ消えていく。また皆で笑い合えるはずの場を背にして。そうするために。