目が覚めて 1/1
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『いつか、それを書き換えるほどの幸運があなたに訪れますように』
目を開ければ知らない天井が……いや、知っている天井だった。あまり見慣れない天井だったから、本当は見慣れたかった天井だったから……。
「ん、目を覚ましたか」
身体を起こせば凛ちゃんが椅子に座っている姿が見えた。相変わらず腕を組んでいる姿が似合う。
「あれ、ボクどうしてベットの上にいるの?」
「詳細は知らないが、タオル"だけ"を巻いたユウくんが置いていったぞ」
直前の記憶が思い出せない。たしか脱衣所まで行って、イナバに会ったのは覚えているのだが……。
「君といい、サリアといい、無茶をしすぎではないか? 親友とはいえ多少は手を抜かねば、相手を悲しませることになるぞ?」
「いや、何も……」
そこまで言って気づき、立ち上がる。しかしベットは柔らかく、足場として安定しておらず、すぐに転びそうになった。
「まあ焦るな」
転ばなかったのは凛ちゃんが支えてくれたから。傍にあるとはいえ、椅子に座った状態から支えられるのは凄いと思う。
「既に事は終わっている。私達の大敗北だ」
「え……今何時!?」
慌てて周囲を見渡せば壁際の大きな時計が9時を示していた。外は暗いので夜だろう。
「……ボクはまた、何もできなかったんだね」
「それはユウバリの1人勝ちだから気にするな」
頭の隅を燃え上がる炎がチリっと焼こうとしたところで、凛ちゃんの言葉がかき消してくれた。思考がそちらに向かってくれる。
参加していなかったユウバリさんの1人勝ちとはどういうことだろうか。もしかしたら、あのあとで参加して……その……確認できたのだろうか。
「どういうこと?」
考え込んでもわからず、結局は問いかける。
「それは「健康診断の結果を持ってたからですよ~」」
どこから湧いて出たか、凛ちゃんの真横にいたユウバリさんが手を振りながらそう言った。
「実際に見たり触ったりして確認したわけじゃないですけど、イナバから貰ったデータなので間違いはありません。彼は生物学上、間違いなく男の子です」
「それが偽物の可能性は?」
つい聞き返してしまう。イナバなら、彼のためなら欺くだろうと思ったから。
「無いです」
即座に返されたそれは、容易されていた言葉というよりは反射的なものに思えた。真剣な眼差しは信じ切っているように見えた。そこからさらに確認することを躊躇するほどに。
だから話題を変える。
「なら、なんで教えてくれなかったのさ」
そうすれば楽しく遊びに来て終わりで済んだのに、と。
「あれは建前で皆、そういうのが気になる年頃なのかなと思いまして。正直、好奇心だと思ってました」
「……」
なんで凛ちゃんも否定しないのだろうか。
「そ、それはサリアちゃんに伝えたの?」
「いや、実はサリアもサリアで倒れてな。のぼせたらしい」
前半を聞いて心臓が飛び跳ねたが、後半で少し安心した。それと同時に疑問が浮かんでくる。
なぜお湯に浸かっていたのだろうか。
「イナバが見てるので大丈夫ですよ。だから私はこちらにいたのですけど」
ホッと安堵の息を漏らす。イナバが見ているのなら大丈夫だろう。
「彼女が起きたら夕食ですから、もう少しゆっくり休んでいてください。明日は忙しいですから」
ユウバリさんはそう言いながらボクの身体を軽く押してきた。思ったよりも疲れていたのか抵抗する力もなく、素直に倒れてしまう。
そして、手で目を覆われて一言。
「おやすみなさい」
そんなことを言われれば、安堵の助けもあってかすぐ睡魔の誘いにのってしまった。
昼間は遊び回って、夜は夜で動き回って……結局何もできなかったけど、解決するのならそれでいい。サリアちゃんの望みが叶ったのならそれでいい。
暖かなベットの上、力を抜いて眠りの錨を見送る。おやすみなさい。
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最後の1日。
いつも通り瞼を開き、見慣れた天井を視界に収め、起き上がりんん~っと背伸びをして部屋を見渡す。昨日は決めていた通りのぼせてしまい、予想通りユウくんが部屋まで運んでくれたらしい。
そしてユウバリさんがいて、ユウくんの性別については間違いないと太鼓判を貰った。彼女は必要になれば躊躇なく巻き込むタイプだろうから、その言葉は信用しておく。
そもそも、だ。私が手を伸ばしてギュッと握れば確認できた話なのだから、それをしなかった私がごちゃごちゃ言うものではない。それよりも彼の言葉が気になった私は、あの件について諦めるべきだ。
窓の先へ目を向ければ、しっかりと青空が広がっている。起きてみれば夕焼けがとか、真っ暗でとかはなく安心した。
……もしも、起きる機会すらなかったと考えれば身体が震えてくる。さすがにそれは、最後の1日を……彼女に最期の言葉すら残せないのは心残りどころではない。
いつもの癖で羽を消そうとして、それをやめて。ベットからおりてドアへと進む。そしてドアノブをひねりながら願うのだ、『今日も1日、楽しくありますように』と。
さすが最後の朝ごはん、皆が揃っていてくれた。ここ最近、姿を見ていなかった気がする楓ちゃんもいてくれた。……まあ、住んでいる場所が違うユウくんとイナバちゃんはいないけど。
「サリア、今日の予定はある?」
「ううん、無いよ」
楓ちゃんの問いに無を告げる。予定なんて入れられなかったから。
「じゃあ私からの贈り物、温泉への招待券。午前中までだけど、どうかな?」
そう言い差し出されたのは2つ折りの小さなカード。受け取って開けてみれば、手書きながら綺麗な字で時間と場所だけが示されていた。
この場所は覚えている、イナバちゃんが連れて行ってくれたあの温泉だ。
「楓?」
「ううん、ありがとう楓ちゃん。あそこは不思議と落ち着けるから、お昼までの間、満喫してくるよ」
凛ちゃんが楓ちゃんに向けた視線を遮るように口を開き、おそらく笑顔でそう告げた。
知っているのだ、あそこへの招待券がどれだけ貴重なものかを。いや、貴重かどうかではない。そもそも入手できないのだから。
街の一等地に存在するあそこは当然、掲示板でも噂になっている。純和風らしき装いは目を引いて、店主らしき女性は美しく、入るのを見かけた人々はほぼすべてが第1陣。第3陣で招待されたのは、おそらく私達を除いてただ1人。
もう1度、浸かりたいなと調べてみれば手が遠のいていく。
まず店主の女性に出会えない。招待されたのは領土の長ばかりで取り次いでもらえるはずもなく、手が届きそうな招待客は皆私達と同じく『同伴者』。
というか王が断られてて笑った。
「でも、よく手に入ったね」
「1度限りだから、それだったら私でも手が届いたの」
そう言った楓ちゃんは弱々しく笑う。その意味は『これが限界だった』ということだろうか。
それでも……私は嬉しい。その苦労が、想いが、手に入るだろうはずもないランク9の情報体よりも、積み重ねられた金塊よりも、価値を重くする。
「あ、でもお昼からは一緒に遊びたいな。……ダメかな?」
最後の半日を私に頂戴と、精一杯の我が儘を告げる。
「――「ええ、しっかりと会いに行くわ。だから安心してちょうだい」」
何かを言おうとした翠ちゃんを手で遮り、強く笑った楓ちゃんがそう言った。
……なんだろうか、いつもと同じはずなのに、とても輝いて見える。
「さあ、朝ごはんを食べて始めましょう」
食べ始めましょうを聞き違えたのだろうかと気にはなったが、それよりも目の前に並ぶ朝ごはんに続く温泉と。そしてお昼から目一杯、心置きなく遊び尽くすのだ。