わがまま 2/2
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館の中の脱衣場。男女は別れていないから、ここから見えるドアの先には彼が……裸のユウがいるはずだ。
皆のように気配を消して暗い森の中を進むなんてできなかったから館の中から直接脱衣所に来たけど……あのドアを開ける勇気は無い。男の子の、それも同年代の子の裸を見る勇気はない。
そんな躊躇から部屋の中を見渡してみれば籠の中に、綺麗に整えられた衣服が見えた。下着が見えなかったことに少し安堵しながらも、いまさらながらに後ろめたさを思い出す。
いくらゲームの中とはいえ見に行ってもいいのだろうかと。ボク程度の実力で見えるとは思えないが、ボクは運が良い。もし、もしも幸運に見えてしまったら……どうしようかと。
そう思えば自然と蹲って頭を抱えていた。顔が熱い。
「どうしました、時雨」
突然、落ち着いた声が振ってきた。声で誰かはわかっているが、それでも恐る恐る顔をあげてみれば予想通りの人物がそこにいる。
「イナバ」
真っ白なうさ耳と真っ白な髪、赤い瞳に大人な身体。普段と変わらずフード付きパーカーに真っ白な膝上丈のスカートを身につけている。
手には何も持っていないから、一緒に入るわけではないのだろうか。
「今はユウが入浴中ですが大丈夫ですよ?」
「な、なにがだいじょうぶなのさ!?」
何が大丈夫なのか、イナバが何を考えてそう言ったのかまで頭が回らない。
「あなたと凛の移動速度を考えてみれば、静かなのはおかしいと思いませんか?」
「……」
再び頭を抱えて蹲る。凛ちゃんは足がとても速く、ボクは歩いて移動してきたのだから当然、決行したあとだろう。それでいて静かなのだから……"問題なく"終わった。そこにイナバが関わっていて、少なくとも凛ちゃんが来たことは知っているはずだ。
「まあ詳細は知りませんけど直接、入ってしまうのがいいでしょうね。あの子を相手にするのなら策を練るよりかは力でねじ伏せたほうが楽ですし、可能性が高い。もう入って走って押し倒してしまえばいいのでは?」
「はい、はしっ、押したお!?」
思わず顔をあげて途切れ途切れで暗号のような言葉を口走る。ちょっとだけ想像して……押し倒したところまで想像して最高に顔が熱いように思う。
「それにしても……ふふっ。翠もそういうことに興味がある年頃なのですかね。まあ頑張ってください」
イナバはそう言って、脱衣所から出ていった。
何を頑張ればいいのだろうか。余計に頭が混乱する。
というかイナバ公認なのだから躊躇する必要はないのではないだろうか。もう服を脱ぎ捨てて、タオル片手に突っ込めばいいのではないだろうか。
もともと考える方ではないのだから、それでいい気がしてきた。
もうどうにでもな~れと服を脱いでいき、近くにあったタオルを手にとって前を隠して歩こうとして……ふと視線を振った先にあった鏡、そこに写った自分を見て動きを止める。
想像した彼の身体は、そこにある貧相な身体よりも色気があった気がしたのだ。
これでも年頃の女の子で、ちょっと可愛いなどと持て囃された時もあった。そんな記憶が心を抉ってくる。そして再び、タオルを抱えて蹲った。
ちょっとじゃなくキツイ、ツライ。浮かんでは沈んでいくそれらが頭を叩いてくるようで……立ち上がれそうにない。
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空高く、木々の背丈すら超えたそこは空気で満たされた海のような場所。視線を巡らせれば開けた場所に小さな館と、不釣り合いな広さの温泉が見えていた。以前、入った時は何も思わなかったがどうしてあんなに広いのか。まあ、それは置いておく。
風の魔法を応用して強引に飛んでいるのでスカートが捲れているが気にしない。こんな場所の空高く、誰が覗くというのか。そもそも、そこまでの価値はないと思っている。
次いで身体強化と水魔法を応用して遠見の魔法を再現し、温泉を覗いてみるが湯気に覆われてよく見えない。あの場所は平然と突風"が"避けたので払うこともできない。
ゆえに決めた作戦は突撃。突撃である。着地に失敗したら死んでしまうが、今更だ。残り1日とちょっとが消えるだけ。……それはそれで泣いてしまいそうだが、そのリスクを負うだけの価値はある。最悪の場合は私から言い出した『あの決まり』を破って、皆に写真を送ろうと思う。
「……あの子の飛んでいた空は、こんなにも気持ちよかったんだね」
空を見上げ、周囲を見渡し、目を瞑って空を感じる。大きな翼を持つあの子はいつも、こんな空を飛んでいたのだろう。『いつか一緒に』『背中に乗せて』などと約束した過去が遠くに感じられた。
この世界なら一緒に飛べたのに、あの子と一緒ならもっと楽しかっただろうに……そう思えば後悔が湧いてきそうになったが、強引に押し込めて蓋をする。
過去の『もしも』に意味はない。
胸の下で組んでいた腕を解き、千里眼で見ていた景色から目標の位置を想定し、もしも衝突しそうになった時に備えて風大砲の魔法を構築し終えて、いざゆかん。
「私は先見えぬ靄を切り開く風。我が眼を遮る白き壁を晴らし未来を得んとする者」
今考えたものだが、言葉にすると笑ってしまう。
「……叶うなら、大切なあなたの不幸を払えますように」
願うような呟きを風に溶かし、風の弾となって弾けるように飛び始める。流れる景色はすぐ白の世界に包まれ、底を認識する前に自らの勢いを消し飛ばす。
割れた水の道、水に押し流される白い靄。1人の少年は当然、座っていて、脚とお腹の結合箇所付近に視線を向けて……見え、見え……大丈夫、動画は撮ってある。これくらいは想定内。
「いたっ!?」
すぐに立ち去ろうとしたが、背中に衝撃を受けた。視界が空を映している。
「まさかイナバの入れ知恵じゃないよね?」
頬を赤く染めた少年の顔が見えた。
身体を隠す白い垂れ幕、その先には望む光景があるのだろうか。今、手を動かしてめくってみれば。あるいは風が吹いて揺れるだけでも。
しかし、そのどちらも起こらない。身体は動かないし、この場所に布を揺らすほどの風は期待できないと知っているから。
「それにしても……ふふっ、なかなかのいたずらだったね。あなたは子供なのだから、こんなふうに我が儘を言ってもいいんだよ?」
少年は楽しげに笑う。今まで見ていた表情が嘘だったかのように楽しげに笑う。しかし、それも一瞬のこと。靄が再び場を満たせば、蜃気楼だったかのように普段通りの笑顔に戻っていた。
そして伸ばされた手を掴み身体を起こせば、吹き飛ばしたはずのお湯も戻ってくる。
「ほら、そのままでは風邪をひいてしまうからお湯に浸かって。衣服のままでも大丈夫って聞いているけど、気持ち悪かったらタオルも用意してあるよ」
お湯に満たされた先は見通せない。透明なはずなのに、いつの間にか座っていた彼の身体は見えない。
「あったかいね」
思わずお湯の感想を呟きながらも、情報アクセサリーで録画していた映像を再生する。なんとなくだが、失敗している気がしたから。
「1つだけ。自分の我が儘も言えないような人が僕を心配しようだなんて甘いと思わない?」
動画をスローにしても、確認したかったモノは1コマすら映っていたなかった。半透明のその先では彼が小さく笑っている。
「これが我が儘だったんだけどな~」
どうか彼が幸せでいられますように、と。
空を見上げれば青く澄んでいて、上空から見ればあれだけ湯気が邪魔をしていたのにと笑ってしまう。再び視線を平行に戻せば目の前に彼の顔があって
「ぼくを幸せにしたいのなら、まずはあなたが幸せにならないとね。それでようやくスタートライン。そこから先は地獄かも」
そう言いニッコリと笑う。
この子はいつも笑っている。不思議なほど笑っている。まるで笑顔自体が無表情のように、それでいて自然なものと見紛うほどに笑っている。
「じゃあぼくはあがるね。あまり長湯をすると心配になった姉さんが入ってきちゃうから」
そう言った彼は湯を持ち上げながらざばっと立ち上がって……なぜか、どうしてかタオルを巻いていた。情報体、情報体である。便利な便利な情報体のタオルを身体の周りに展開したのである。
「温かいお湯の中で少し考えてみて」
彼はくるっと振り返り湯気の向こう側へと消えていく。
考えるといえば、今の言葉は珍しいと思った。いつもならこちらに選択肢を与えてくれるような言葉なのに、今のものは『みて』と指示のような言葉だったのだ。
だからちょっと、のぼせるまで考えてみよう。のぼせたら彼か、イナバちゃんが助けにきてくれるだろうから。