心が止まるような一撃 2/2
食後のお茶を頂けば、気分は既に昨日の夜と変わらぬものに。凛ちゃんがいなかったら、1人だったらどうなっていたかと考えれば身が震えるようだが、今の私は頭がお花畑。
「……そういえばさ、イナバちゃんは知ってたの?」
皆がどんな反応をしていたか知らない。それどころではなかったから。
「あなたの呪いですね。最初に会った瞬間から知っていましたよ」
「え゛……」
ちょっとではなく驚いた。それでいて魔法が使えないことを切り出してきたのがなんとも……まあイナバちゃんらしいのだろうか。
「しかし私だけではどうしようもない問題ですから。そこに希望を見せるなど、ましてや絶望を思い出させるなど、どうかと思いまして」
そこまで言ったイナバちゃんは湯呑に口をつける。
「呪い、呪いか。解呪はできないのか? 必要なら巫女姿で踊るぞ?」
「適当に舞って解呪できるなら、それは解呪ではなく固有能力でしょうね。そもそも、それで解けるのなら楓は街を走り回ってはいないでしょう。あの子はそういうことも知っているはずですから」
そしてイナバちゃんは「ねえ?」とユウくんに視線を向ける。
「まあ、ぼくも奉納できるからね。うん、巫女服は着ないよ?」
「別にそんなこと言っていませんよ。それにあなたの奉納は舞いよりもむしろ、他のものでしょうから」
今どきの女子高生は神様へ捧げる舞いもできるらしい。……いや、そんなはずはないか。
「というか楓ちゃん、駆け回ってくれてるのか~……えへへぇ~」
思わず頬が緩んでしまう。自分のために、こんな遅くまで駆け回ってくれる人がいるのだからしかたがないだろう。
「今頃、翠さんも葵さんもサリアさんのために何ができるか、部屋にこもって悩んでるんだろうね」
そうか、皆が私のために悩んでくれているのか。それを実感した今、やはり早くに言わなくて良かったと思ってしまう。
貴重な時間を無駄に浪費させたくはないから。それでも……
「……うん、今度は嬉しいって言うよ。凛ちゃんも、ありがとう。あなたの申し出はありがたく受けさせてください」
立ち上がり、そう言って、頭を下げる。最後の時間を私に頂戴と。
「ああ、任せてくれ。今ならランク7程度は倒せる気がするぞ」
顔を上げれば凛ちゃんのにっこりと笑った顔が見えて、とても心強く感じられた。しかしランク7は言い過ぎではないのだろうか……とも思わなくはない。しかし凛ちゃんはランク6のアダマンタイト・ゴーレムを切り伏せた実績があるらしいから、なんともいえない。
「凛、そこはランク8くらい倒してください」
「む、そうか。ではランク9……いや、8の中でも強い魔物すら倒してみせよう」
「なんでちょっと躊躇するの~、もう~」
そう言ってあははと笑えた。
しかし言ってから気づく、凛ちゃんなら本気なのではないだろうか。ランク8の魔物が見えたら立ち向かわず逃げてほしい。一緒に逃げてほしい。
8はその周辺一帯ごと封印しなければいけない魔物だ。あと1歩で魔王でもある。
「しかし、出処は金狐ですかね。ちょうど昨日、楓を訪れていたようですし」
「そうだろうね。姉さんは気づけなかったから、誰かがきっかけを与えないと動けなかったはず。そこで確信できる情報ともなれば金狐さんが最も近いかな」
「しかし、この状況で楓が動かなかったとなると……どういうことでしょうね」
出処が軽く告げられたことにも驚いたが、そのあとでイナバちゃんが悩んでいるのも気になってきた。
というか金狐さんか。そうかそうか。あとでお礼を言ってこないと。
「む、金狐さんだったのか? しかし、なぜ金狐さんが気づけたんだろうか?」
「聞いたのなら楓が知っていますよ。その楓が言えないのなら、自分で調べるしかないでしょう」
「……まあ妖族は特別な能力を有しているらしいから、それだろう。楓は絶対に教えてくれないだろうからな」
そのやり取りを聞いて狐の妖怪について思い出してみるが、そんな能力はなかったはずだ。むしろ『覚』という妖怪であればわかったのではないだろうか。そこから金狐さんに伝わって……と、そこまでする理由が思い浮かばない。楓ちゃん達ならまだしも、見ず知らずの人が私のために動いてくれるとは思えないから。
……そう、楓ちゃんは駆け回ってくれている。
「……私は何をすればいいんだろうね」
それを知った私は、のほほんと食後のお茶を楽しんでいていいのだろうか。
「別に今までどおりでいいんじゃないか? 楓が何も言わなかったということは、少なくとも楓は君に何も求めていない。言い換えれば、そのまま過ごしていればいいということだ」
「でも……でもさ、皆が動いてくれてるのに、私が先を目指さないっていうのは違う気がして……」
誰も知らない、誰も動いていなかった今までなら日常を楽しめた。それでよかった。
しかし今は違う。皆が動いてくれていて、可能性なんて無いに等しいのに頭を悩ませてくれていて……そんな皆を見て日常を、とは思えない。
もう、そこに日常なんて無いのだから。
そんなこんなで腕を組んで頭を悩ませていれば、ユウくんが近づいてきた。これはあれだろうか、抱きしめてくれたりするのだろうか。ユウくんは抱きしめれば落ち着くと思っている節があるから……まあ、彼がするのならば間違っていないことがほとんどだけど。
「思う存分、我が儘を吐き出せばいいよ。叶う叶わないじゃないくて、ただ並べればいい。いつか叶うかもと秘めている時間は終わったんだ」
頬を両手で触れられて、目を覗き込まれてそう言われた。
まったく揺れない赤い瞳はとても綺麗で、ドキッとしてしまう。この状況で即座に言葉を選べて、躊躇なく告げられる。それがかっこいいのだ。
「でも、したいことはだいたいしちゃったから。我が儘なんて思い浮かばないな」
思考を逸らすために、とりあえずそんなことを言ってみる。でも嘘ではない。
この2ヶ月と少しで思い残すことがないくらいには楽しめた。バレてしまったのは予想外だけど、それ以上にかけがえのない想いを貰った。決めていた最期を今、叶えることはできないのだから……これ以上、何を望めというのか。
「どうせなんて捨ててしまって、常識を放り投げて、あるいはと空の先を望み見て……それでも何もない?」
「常識は最初から放り投げてるからね、私は」
そう言ってあははと笑っておく。それでも目の前の少年がくれた言葉は一言一句、忘れぬように記憶した。どうしても引っかかるそれを目一杯、考えるために。
「いや、サリアは私達の中で一番、常識人だと思うぞ。私や楓は言わずもがな、翠と葵もあれで外れているし、ユウくんとイナバを常識人と考えたくはない。時雨は……人が良すぎるな。あれは行き過ぎている」
「おや、私は常識を弁えているつもりですが?」
「他に押し付けないという意味でならば間違ってはいないが、君の行動が常識から外れている。良い悪いで言えばとても良いが、常識というか、普通かと問われれば間違いなく首を横に振るだろう」
私も凛ちゃんの意見に異論はない。何も求められていないとも言えるのが少し悲しいけど、求めたことだけは答えてくれるというのはどうかと思うから。
最初も、私が本心から留まりたいと思っていれば手は離されていただろう。ただ奥底に沈んでいた願いを浮かばせられて、進むようにと帆を押す風を送られた。
「そうだね。世の中がイナバちゃんで満たされていたら……きっと壊れちゃう。イナバちゃんは1人だからイナバちゃんなんだよ、きっと」
自分で言っていて意味がわからない。あの凛ちゃんですら何かを考えるように固まってしまった。
「サリアは時々、面白いことを言いますね。たしかに私のようなので満たされていれば、その種族は消滅するでしょう。ですが覚えていてください、単独の集団はいずれ滅びます。個々別々の集団だからこそ続くのです」
そう言ったイナバちゃんは楽しそうに笑う。それは見惚れるような表情で。
私はその笑顔の意味を知れるのだろうか、あと少しの時間で……。いやいや、私が優先すべきことは我が儘を考えることだ。彼女のそれを知って、今の私ができることなんてないだろうから。
凛ちゃんが笑顔から思案顔に変わって、ユウくんとイナバちゃんが笑っていて、私は首を傾げている。そんな中で来客を告げる音が鳴った。
「どうぞ」
「なんだか楓が走り回っていたけど、どうしたの?」
ドアから入ってきたのは、先日から少し遠くへ足を伸ばしていた四葉くん。イロハさんがいないのは召喚されていることによるエネルギーの消費を抑えるためだろうか。あるいはエネルギーを使いすぎていて、そんな余裕がないか。誰もがイナバちゃんとユウくんのように、いつでも召喚状態とはいかないのだ。
「私が次のログインを約束できなかったから、かな」
ログアウト後、すぐに死んでしまうとは言えなかった。これなら問題を解決するために、と思ってくれるかもしれないから。
四葉くんとイロハさんは、なんだか忙しそうなのだ。何かを目指して、遥か果てに手を届かせようとしているような、そんな気がするから邪魔はしたくない。
楓ちゃん達はいいのかと言われればちょっと言葉を詰まらせてしまうが、知られてしまったのだから諦めた。
「政治的な問題?」
「あはは、気にしないで」
そう言って軽く手を振っておく。たいした問題ではないから気にしないでと。
「……なんだか扉について調べているみたいだけど、本当にそう?」
「ん、扉って何?」
四葉くんの切り返しに、今度は私が首を傾げることとなった。扉なんて知らない。
「さあ。ただイロハがそう言ってるから」
どんな扉だろうか……あ、扉。
「あ、もしかして要塞海月の先にある扉かな? でも護ってる要塞海月が強すぎて誰も辿り着けてないんだよね?」
たしか掲示板でそんな愚痴を書き込んでた人がいたような。その人も領土内部の、上位の人が愚痴ってたのを聞いたとか。
「要塞海月といえば、時雨が勝てたのではないのか?」
「凛ちゃん、違うよ。あれは確かに要塞海月だっただろうけど、人が真似てもエネルギー総量が足りないから本物にはなれないんだと思う。うまく扱ってようやく能力の一部を再現できていた、が正しいのかな?」
まあ要塞海月は見たことがないから予想だけど、それでもランク8があの強さとは思えない。あれではよくてランク7の下限付近だろうか。
「刑部狸ですか。まあ、ランク7とはいえ能力の一部をひとときでも再現できたのなら、とても優秀です。少しもったいないとは思いますが、まだ道の途中ということでしょうから」
「え、ランク7?」
たしか、どこの世界でもランク8認定だったはずだ。まあ他の世界でのランクは掲示板で見たものなので、そのまま信じるつもりはないが。
「……サリアの世界ではランク8でしたね。私なりの判定ですから気にしてはいけません」
そう言ったイナバちゃんは頬を少しだけ朱く染めている。これは珍しいものが見えたと少し笑ってしまった。
まあ、すべての世界のランクを覚えて使い分けるなど、間違えてもしかたがないことだと思う。私なんて最初から諦めて自分の知っているものだけで突き通しているのだから笑えない……ことだが、イナバちゃんの失敗が、それも頬を染めるような失敗が珍しくて嬉しいのだ。
それは彼女の知らない一面なのだから。
「サリア、私はよく失敗しますよ?」
「私の見てたイナバちゃんは失敗なんてしなかったから、たまにはいいじゃない」
「イナバは失敗を成功に整えてしまうから、そう見えるんだよね。今回も他のことに気を取られてるからだよ」
「大筋では関係のあることですから問題ありません」
イナバちゃんの眼が広いことに関しては知っているから、きっとどこかを見ていたのだろう。できれば目の前の私を見て欲しいな……なんて、我が儘だろうか。
……そうか、これも我が儘なのか。こんな心に秘めておくような、些細なものですら我が儘なのか。
「イナバちゃん、ちゅ~しよ?」
「……サリア「ダメ」」
皆の驚いたような視線が私に集まったが、欲しかった目も向いてくれたから我が儘が叶ったのだが……イナバちゃんの言葉を遮った2つの声があまりにも冷ややかで、ちょっと身震いしてしまった。
「手段として使うのはいいけど、それの先に進むのなら邪魔をするよ」
そう言ってくれたユウくんはいつもどおりの穏やかな表情であり、声もいつもどおり。しかし、その声がなければ私は……そのまま突き進んでいた気がする。
アルファ世界において、その行為が特別だということは知っていたから。イナバちゃんの心の隅に、少しでも残りやすくと考えてしまったら……きっとしていただろう。
「別にするつもりはありませんでしたよ。それにサリアの行動の意味がわからないほど、鈍感ではありません」
ちょっと怒ったようなイナバちゃんがそう言えば……ユウくんが僅かに慌てている気がする。本当に、微かに匂う程度だが、そう感じた。
「それは知ってるよ。でも否定されるのと、自分からやめるのでは意味が違ってくるから」
「……あなたも成功に調整するではないですか」
呆れたような顔のイナバちゃんは少し嬉しそうで、そのことがユウくんの失敗の珍しさを伝えてくる。
それにしてもだ。一緒に遮ったもう1人が黙っているのも少し楽しい……ではなく、気になる。
「……サリア、それは特別な行為になるかもしれない。アルファではそういうこともあるから、気軽にするべきではない?」
それは私のためを思ってか、もう1人のためを思ってか、あるいは……。あまり表情を変えない四葉くんの真意もわからない。隣にイロハさんがいてくれれば、そちらから何かわかったかもしれないが、今は四葉くんの中にいる。
「あはは、ごめんね。でも、我が儘が少しわかった気がしたから……ありがとう?」
私は誰に謝ったのだろうか。それでも感謝したのは、この場にいる全員と、今頭を悩ませてくれている3人と、走り回ってくれている1人だとわかっている。
「そうか、それはよかった。悪巧みをする時はぜひ、声をかけてくれ」
満足そうに頷いた凛ちゃんは立ち上がり、軽く手を振って部屋から出ていった。
「……もし私もユウもいなければ、凛はどうしていたのでしょうね」
凛ちゃんを追うような小さな呟きが聞こえ、少し気になって
「どうって?」
つい問いかけてしまった。私から見た凛ちゃんであれば、変わらない行動をしてくれると思っていたから。
「私とユウが止めないということに、安堵しているように思えます。より親しいものに委ねるというのは正しくも聞こえますが、諦めているようにも思えませんか?」
止めないというのは楓ちゃんの行動を、ということだろうか。
「楓ちゃんの行動の意味を考えていないってこと?」
「姉さんに任せていればうまくいく、と決めてかかっているところだよ。僕が"見た"あの子は程遠いけど、それでも凛さんらしいといえばらしいかな」
……。
「それは悪いこと?」
「必ずしもそうとは思いませんね。聞こえの良い役割分担という言葉を送りましょうか」
……できないことをしようとして、失敗するよりはいいのではないだろうか。
「私は……楓に余裕がなかったのだと思いたい」
その言葉はちょっとイラッとくる。普段の楓ちゃんが、お友達ごっこをするためだけに一緒に行動しているというのだろうか。
「私の友達に、そんなことを言わないで……!」
つい口から言葉が出てしまったが、そんな意味が込められた言葉ではないことくらいはわかる。それでも、まるで凛ちゃんと翠ちゃんが楓ちゃんの言葉を受け取らなければ動けない人形のように言われるのは嫌だった。
……違う。そんな理由で言ったのではないと、自分でもわかる。
「あ、いえ……ごめんなさい。ちょっと休んでくる」
「あ……私の方こそ、ごめんなさい。でも、あの"3人は"本当に友達だと思うから」
ただ傍にいるだけが友達だとは思えないから。互いを必要として、互いを求めて……だから友達なんだと思うから。でも、だったら私とあの子は……。
「大丈夫、私もそう思っている」
四葉くんは、つい見惚れてしまう嬉しそうな表情を浮かべてそう言い、身体をくるりと回転させてドアへと向かっていった。イナバちゃんはそんな彼を呆れ顔で見送る。
「"空の玉座"に座れはしないよね。それはそうとイナバ、そろそろ止めなくていいの?」
「イロハがついていますから、彼女にすべて任せます。私が出しゃばる問題ではありません」
なんというか、この2人にはすべてが見えている気がしてならない。もし楓ちゃんが世界の反対側で窮地に陥っても、この2人は駆けつける気がする。
だから私には凛ちゃんが間違っているなんて思えなかった。だから楓ちゃんが間違っていないと思えてしまう。
では異世界ではどうなのだろうか。じゃあ……私ならどうなのだろうか……。
「じゃあぼくたちも部屋に戻るね。サリアさん、今日はしっかりと眠って気分を落ち着かせてから、明日を見たほうがいいよ?」
ユウくんは兎形態で胸に飛び込んでいったイナバちゃんを受け止めて、腕に抱えた。そして「それじゃあ」と軽く手を振って、部屋から出ていく。
「……寝よ」
開きかけた口を閉じ、代わりの言葉と方針を口に出す。