観戦室 1/4
激痛が走り抜け、気づけば視界が一変していた。
少し肌寒さを感じながらも見渡せば、そこは小さな部屋の中。イナバちゃんの部屋よりも少し広く、端に真っ白で縦長の箱と真っ黒で横長の箱が並んでいて、中央には端から暖かそうな布団が覗くテーブルが1つあるだけ。窓もドアもなく、それでいて自然と明るい不思議な部屋だった。
「ごめんね、負けちゃった」
両手を顔の前で合わせて、できるだけ明るい声と表情で謝っておく。
「気にすることはないさ。今回は相手が悪かったのだし、なにより私達は君よりも先に負けている。まあ炬燵に入って温まってくれ」
暖かそうな布団に下半身を突っ込んでいる凛ちゃんは、そう言って誰も座っていない一角の布団を軽く叩いた。それに従って移動し、布団の中へ下半身を突っ込みながら座ってみれば……なんと、内部はとても暖かい。肌寒い部屋がスパイスとなって、気持ちがとても和らぐのを感じる。
宙ぶらりんの足の先が気になって布団をめくり内部を覗いてみれば、真っ暗な中に綺麗な足が6本。そして最下層では温かみのある橙色が灯っていて、それが布団で区切られた空間をちょうど良い温度に温めているのだと知れた。
「獣人族狐種みたいな人と、髪の中にちらっと角みたいなのが覗いてた人が来たんだけど、あんまり抵抗できなくて。魔法みたいに見えたけど魔法じゃなくて、あれが妖術なんだね」
外から見れば魔法を行使しているようにしか見えないが、魔力の流れはまったく感じられなくて。そのうえ火を消すはずの風魔法は相手の火を大きくしただけで。そちらはなんとか防いでいたが、もう1人の鉄塊みたいな棒を持った人にコアを壊されてしまった。
せっかく重要な場所を任されていたというのに、不甲斐ない気持ちでいっぱいだ。
「その2人は私達が全員でかかって負けた2人だから、1人で勝ってしまわれると立つ瀬がないですよ」
凛ちゃんの向かい側、私の右隣に座る、なぜか翠ちゃんを抱きかかえているユウバリさんがそう言ってくれた。
「……」
とりあえず報告を終えたところで改めて部屋を見渡せば、声をかけにくい人が2人ほど。
1人はユウバリさんの膝の間で俯いていると言うか、膝を抱えている翠ちゃん。普段から表情が変わりにくいというか、冷静に立ち回ろうとしているしっかり者だけど……今は落ち込みを格好だけでなく表情にも出している。とっても声をかけにくい。
そしてもう1人は……部屋の隅で、おそらく床に"の"の字を書いている楓ちゃん。こちらにはほぼ背を向けているような位置関係なので表情も動きも少ししか覗けないけど……声をかけにくいことは変わらない。
「それにしても、戦いは見させてもらっていたぞ。あの2人を相手にして……といよりかは、狐さんをほぼ足止めできていたじゃないか。私なんて鬼さんにこてんぱんにされたよ」
前半で褒めてくれた凛ちゃんは、後半であははと笑った。
止められたと言っても得意な風は通用しなかったし、なにより相手がとても疲れている様子だったのだ。もしあの状態で楓ちゃん達が相手をできていれば、きっと違う結果を得られたと思っている。
「サリア。時雨とルビーは?」
今まで黙って傍観してくれていた、私の向かい側に座っている葵ちゃんがそう問いかけてきて、身体をビクッと揺らしてしまった。
「物音がしたから見てきて貰ってたんだけど、その時にあの2人が来てね。後は知らないけど、そのまま逃げてくれたと思ってる」
おそらくへんてこな笑顔を浮かべて答えてながら、脳内ではあの時の様子を思い出していた。
領土内の森、その一角にある大樹の中に隠されていた魔法陣の先。行き来する魔法陣以外と、中央に鎮座する反対側の景色がそのまま見えるほど透明な色をした大きなクリスタル以外は、ドアや窓すら土壁に覆われた部屋の中。時雨ちゃんと2人で、唯一の入り口であり出口である魔法陣に視線を注いでいた。
『……ねえ、サリアさん』
『なに~?』
開始から何時間かが経過した頃、たまに喋る程度だった時雨ちゃんが緊張した様子で声をかけてきた。それまでの時間も緊張を露わにしていたので、そこまでなら不思議ではない。それこそ1つ前と同じ他愛ないお喋りだと思っていた。
『あ……えっと……う……』
何か言おうとしては言葉を止めたり、視線を逸したり、俯いたりと表情すらも忙しく変化させている様子に重要なことなのだろうと覚悟をする。
アルファ世界、平和な世界で過ごしてきた普通の女の子なのだから、戦うのが怖いから観戦室に行きたいと言われても不思議ではない。
そんな子ではない、それこそ最後までその場に留まるような子だとは思っているが、戦場の恐怖というのは普段と違う一面を表に出してくると知っている。普段は勇猛果敢な獣人族の戦士であっても、とてつもない脅威となる魔物を前にして逃げ出したこともあると聞いている。結局、生き残って情報を持ち帰れたのはその1人だったのだから間違って"は"いなかったのだ。
次のために観戦室で情報をまとめておく1人がいるくらいは、いいのではないだろうか。
『大丈夫。とりあえず私の胸の内で留めておくから言ってみて』
焦っているままの時雨ちゃんに、できるだけ優しく声をかけてみた。
死んでも観戦室送りになるだけのこの場所なら私は無敵だ。少しくらいお姉さんもできるだろう。
『……うん』
珍しく効果を成したのか時雨ちゃんは動きを止め、深呼吸をして落ち着いた。そして少しだけ黙っていて、決意をしたように口を開く。
『ごめんなさい』
まずはそう言って頭を下げてきた。
ここまでなら予想通り、逃げることは悪いことではない。見捨てることも時には必要だ。あとで後悔したとしても挽回できる場所なのだから問題ない。
と、そんなことを考えていれば
『ここを離れて、ユウから指示された場所に行ってきたいんだ』
こちらを見つめる瞳はまったく揺れなくて、たとえ拒否の言葉を返したとしても他の言葉を並べてくることを予想させる。それでも私が頷くまで動いてはくれないだろう。
知っていた、彼女は優しすぎるのだ。
『うん、いいよ。ここはお姉さん1人でバッチリ守っちゃう!』
そう言い片手でポンと胸を叩けば、驚いたような表情を浮かべた時雨ちゃんが固まった。
『……え? 本当にいいの?』
『いいよいいよ。というかさ、言い難かったんだけど……今回の領土戦は負けると思ってるから。居ても居なくても変わらないっていうのとは違うけどさ、居ても結果は変わらないよ』
この子は真実を見抜く直感がある気がするから、嘘で覆わず真実を語る。
領土に関して、ある程度は調べていたが……今回の相手は上位だ。そもそも新参、それも第3陣だけで構成されたうちの領土が最も弱いのは普通なのだが、私の見立てでは勝てる相手も少なくない。第1陣がいない領土であれば可能性はあると思っている。
それでも今回の相手『妖族の里』には第1陣の大天狗がいる。
実際に第1陣が戦っている姿を見たことはないが、街を歩いている姿くらいは見ることができた。そして確信に近い直感が、あれは『王』に近いと告げてきたのだ。
まず勝てない。たった1人で広大な領土を護りつつ、それでいて相手の領土を攻め落とせるような、そんな存在なのだ。
領土戦で戦った竜人族なんて比較にもならない……というか、そもそも私は竜人族の大人を倒した経験があるのだから差は知っている。竜人族の里で格が違うのは長1人だとも聞いているので、あの2人も大差なかったはずだ。
まあ今は勝てない私が何を言っているのかと笑いそうになるが、知ってはいる。楓ちゃん達が戦っている様子を見て、その差を、王との差を埋められるかと問われれば即座に首を横に振るだろう。
私は王の戦いを知っているから。
『で、でも……それじゃあ、サリアさんだけが痛い思いをすることになっちゃうんだよ?』
とても心配そうな瞳に、身体の痛みだけでなく心の痛みすらも心配しているように思える。それは安全な世界の子供が知っていていいはずのものではないように思えて……逆に彼女が心配になってしまう。
『ひとときの痛みで、あなたの心の曇りが晴れるなら安いものだよ。それに、ユウくんにいいかっこしたいでしょう?』
『……うん』
否定されるかと思っていたが、時雨ちゃんは少しだけ顔を赤くしながらも頷いてくれた。
ちょっと2人の様子というか、距離感が変わっていたからカマをかけただけだったのだが……どうやら当たりだったようだ。それでも距離感が変わっているのは時雨ちゃんの方だけで、ユウくんからの距離感はずっと一緒なのだけど。
『ならパシッと決めて、終わったあとにでもちょこっと教えてくれればいいよ』
そう言って頭を雑に撫でる。幼い戦士を送り出す時はこれなのだ。
そうして手を離せば、ぼ~っと頭に手を当てた時雨ちゃんがこちらを見つめたままで……少し経てば決意を決めたように私の目を見つめてくれる。
『ごめ……ううん。ありがとう、サリアさん。それじゃあ行ってくるね』
時雨ちゃんはそれだけ言って、1度だけ手を振ったあと魔法陣へと駆けていった。その背中が消えたあとは知らない。
と、ここまで思い出して頭を抱えたくなった。コアのある部屋は異空間らしく、外の音なんて聞こえないのだ。
「る、ルビーちゃんは私よりも少し早く負けちゃったみたい。皆の反応が消えた時にちょっと見回りを頼んだんだけど、帰ってこなくて……」
あれは焦った判断だったかもしれない。ただ楓ちゃん達が負けたのを知ったルビーちゃんは、飛び出して行きたそうにうずうずしていたから……どうしてもその背中を押してあげたくて。
ユウくんもイナバちゃんも経験の場と決めていたみたいだから、どうせなら動きやすい外で戦わせてあげたかった。中で待っていたのも不意の一撃で少しでも有利にするためだったけど、楓ちゃん達からの連絡でそれも難しいって思ったから。
そして、そのルビーちゃんはこの部屋にはいない。それは召喚者であるユウくんが負けておらず、まだこちらに来ていないからだろう。
「ふむ。そうなると時雨は生き残っているだろうから、もしかするとコアを奪還してくれたりはしないだろうか?」
凛ちゃんは口元に軽く握った拳を当てて、真剣な表情でそう返してくれた。
一瞬だけ何を言っているのだろうかと思ったが、可能性がないわけではない。仲間を信じるというよりも、希望を捨てないという意味合いで頼もしい意見だった。この場所に来た時点で、どうせ祈り願うことしかできないのだから、次に備えて前向きでいたほうがいい。
ただ……
「凛ちゃん、たしかコアを取り返すことはできなかったと思うよ」
「む、そうなのか?」
「コアの染め直しは領土戦の終わりに1度、権利を回復するって書いてあったと思うから、私達は既にその権利を使用してると思うんだ」
所属領土全員で1回なので、楓ちゃんの領土に所属した私達は当然0回。
唯一の例外は領土に所属しておらず傭兵枠で参加してくれた凛ちゃんだけど……でも、今の状況でそんなことは言いたくないから、つい言葉を濁してしまった。
「……そういうことか。まあ私に隠れていることは向いていないだろうから、これでよかったのだろうな」
僅かに考えた様子を見せた凛ちゃんは、そう言って微笑んだ。
言葉にはしていないが、間違いなく気づいているのだろう。楓ちゃん達が『凛ちゃんは重要なところで感が良い』と言っていたが、とても納得できた。
「ところで楓、そろそろ機嫌を直せ。残っているユウくんや時雨が何もしないとは思えないから、活躍を見逃すぞ」
凛ちゃんは振り返ることもせず、そう言い終えて炬燵の上に置かれていた湯呑に手を伸ばした。まるで立ち直ることを信じ切っているようなそれは、すぐに証明される。
溜息を1回だけついた楓ちゃんは、立ち上がってこちらを向いてくれたのだから。
「……あれ、私はどこに入ればいいの?」
「おいでおいで」
手をこまねいてみれば、首を傾げていた楓ちゃんはたったったと近寄ってきてくれて、そのまま脚の間にイン。ユウバリさんと翠ちゃんの位置関係に近い……というか、そのままの格好となった。
「私が入る予定だった位置がここだったの。ちょっと重いかもしれないけど、よろしくね」
楓ちゃんは体を捻りこちらを向いて、そう言いニコッと笑う。その姿が可愛くて? ……少しドキッとしてしまった。
まあ、そんなことは置いておいて……少し重い気がする。いや、軽いのは間違いないのだが……なんとなく重い気がしたのだが……あ、ユウくんより……胸の内に秘めておこうと思う。
「全然、重くないから。もっと食べても大丈夫だよ~」
そう言いながら、先程の考えを放り出すように楓ちゃんを抱きしめた。
その身体は冷えていて、それが部屋の寒さを感じさせるようで……もう少しだけ腕に力を込める。
「私も太らない体質だから……あ……」
楓ちゃんは何も考えずに呟いたのだろうが、その直後にしまったといった様子で口に手を当てて言葉を止めた。
そんな楓ちゃんに突き刺さる視線が3つ。それとは別に楽しそうに笑う視線が1つ。
「あはは。翠や葵ちゃんには悪いけど、そもそも太り過ぎる生活環境だと身体を壊すからね。その体質ってあんまり優位点ではないから気にする必要はないですよ」
それは楽しそうに笑ったユウバリさんの一言。その一言で2人が顔をしかめる。
「しかし大切な時期を目前に、食べざる得ない状況で運動する時間もないというタイミングならば嬉しいぞ。私も以前、忙しい時期で運動ができなくて太ったことがある」
「凛の太ったは一般的な太ったではありません。口を閉じていてください」
「む、すまない」
凛ちゃんは普段から規則正しい生活と運動をしている"蓄え"があったから太らなかったんじゃないかと思うけど……まあ、あちらの世界の常識を把握しているわけではないので口には出さない。
そもそも私はいくら食べても太らないし、健康なままだから……ちょっと言い出し難い。お母さんもお父さんもその傾向があるから、きっと種族による差なのかな。竜人族でも太らないことはないみたいだし。