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狐の矜持 1/1

********************

 

 

 

 蜂は口を開かず、静かに流れる風を肌で感じていた。

 "後ろ"には領土『日本』の境界線、前には狐を先頭とした妖族の一行。睨み合う……といえば少し違うが、妖族からの視線を一身に受け、それでも動くことすらせず、領土の線を超えなければ手出ししないという約束を守っている。

 そんな場所へ1人の少女が駆け寄ってきた。少し前に妖族側の先頭に立つ狐が、事実確認のために送り出した少女だ。

 

「金狐様、ご報告します」

 

 流れるような金髪と翡翠色の瞳を持ち、人形でありながら狐と呼ぶに相応しい頭頂に生える耳と、腰下で揺れる8つ尻尾という特徴を有する人物。

 静かに目を伏せていたその人は瞼を持ち上げ、駆け寄ってきた少女を見やる。

 

「大天狗様から……私"達"へ、『領土へ戻るように』との指示を頂きました」

 

 場所が違えば膝を折り報告しただろうが、ここは敵の目前。少女は立ったまま、大天狗から託された言葉を伝えた。

 

「そうか。確認ご苦労であった」

 

 厳かに頷いた金狐は振り返り、今か今かと待機していた面々へと視線を巡らせ、口を開く。

 

「大天狗様から皆へ『領土へ戻るように』との指示を頂いた。しかし出発した領土は既に楓達の手によって失われている。よってこの領土、その小さな集落へと移動せよ。先導は鬼人に任せる」

 

「はっ!」

 

 金狐が鬼人に視線を向ければ、鬼人は引き締まった声で了承を告げた。

 しかしその他の者たち、報告した少女すらもどよめいている。理由は簡単で、絶対だと思っていた領土の守護が破られたからだろう。

 

「狼狽えるな! よもや刑部程度が絶対だと思っていたわけではあるまいな。私も刑部も、上から見れば雑魚当然である。大天狗様が出られた領土など、いつ陥落してもおかしくはなかったのだ」

 

 その言葉にどよめきが止まった。

 

「幸い、小さくとも領土を得られている。思い出があるのならば取り戻せばいい。まずは今を乗り越えよ」

 

 皆を見て、そう言い終えた金狐は鬼人へ「行ってくれ」と小さく囁く。

 

「殿は金狐が引き受けてくれた! 迅速に、振り向くことなく移動する。遅れるな!」

 

 金棒を持ち上げてそう言い放った鬼人は駆け出した。当然速度は抑えているのだろうが、それでも速いもの速い。妖族側の皆は焦って動き出し、既に集団を挟んで金狐とは反対側にいる鬼人のあとを追い始めた。

 1分も経過すれば集団は森の中へと姿を隠し、残ったのは殿を任された金狐と、すべての経過を見守っていた蜂だけ。

 

「難儀な性格をしているね」

 

 微笑みそう言った蜂に対して、金狐は真剣な眼差しを向ける。

 

「何もせず逃げたなど、大天狗様の強さに泥を塗るような真似ができるか」

 

 勝てないのはわかっているだろう。勝つつもりがあるのかすらわからない。

 それでも多くの強者が見ているだろう領土の争いの中、大天狗の勢力が、立ち塞がった救い蜂に対して何もせず逃げるなどあってはならないということだろう。

 大天狗の"甘さ"は有名であり、仮に右腕とも呼べる金狐が負傷したならば無理な侵攻と判断して退いても理由はつく。蜂の存在自体がイレギュラーなのだから、鉾を交えた結果として退く理由にはなる。

 しかし鉾すら交えずに退けば、大天狗が蜂に劣っている、勝てないと認めていることになってしまうのだろう。そんなことしか思い浮かばない馬鹿は放っておけばいいのに、それすら許したくない金狐を見たからこその一言目。蜂は微笑ましいと思わずにはいられなかったのだ。

 

「そうか。それでは君の想いに敬意を評して、全力とはいかずとも相応の力をお見せしよう」

 

 表情を引き締めた蜂は右手に槍を出現させ、それを握り取る。そして、それを右側へと突き刺せばその先に黒い穴が出現していて。静かに草を鳴らしながら、ゆっくりと時間が流れているように金狐は倒れた。何1つできず、何1つ語れず。

 卑怯とは言わないだろう。出会った瞬間には戦闘が始まり、蜂はただ待っていただけなのだから。これだけの実力差がありながらも待っていて、開始の合図さえ口にしてから動き出したのだから。

 ただ早かっただけ。金狐が1つの妖術を満たす時間すら必要とせず、仕留められただけ。

 

 輝く粒子となって天に昇っていく様子を蜂が見上げている。

 

「……もしかして、僕の能力を見せるために金狐さんを選んだ……ということはないよね?」

 

 蜂はここに居ない黒幕へと呟きかけた。

 千里眼の気配は感じ取れないが、見られていない保証はない。あの大天狗の風すら逸してのけた兎の眼なのだから。

 

「……いや、違う気がするな。そんなことを必要としているようには見えなかったし……まあ、大天狗と戦っている姿を見せたくなかったんだろうね。そうでなければ僕やあなたの眼すら欺いた意味がない。そう思いませんか、イザナミ様」

 

 独り言を呟いていたはずの蜂が振り返れば、なにもない空間から1人の女性が出てきたところだった。

 真昼が反転したような深夜色の髪は風に揺られ、月夜のような真っ黒な瞳で蜂に視線を注ぐ、紺色を貴重とした着物を纏うその女性は不安げな表情を浮かべている。

 

「あの子を知るには力不足、ということでしょう」

 

「あなたですら力不足なのですか」

 

 遠方に視線を向けて微笑む女性に対して、蜂は問い返す。

 

「……あの子は大天狗に何をしたのでしょうね」

 

 しかし、女性は答えず代わりの問いを提示した。その言葉を聞き、蜂は諦めたように女性と同じ方向へと視線を向けて口を開く。

 

「楓ちゃんなら知ってるかもしれませんよ?」

 

「教えてくれるとは思えませんし、なにより……守護神と謳われながらも、たった1人の子供すら救えなかった私が聞けるものではありません」

 

 女性はそう言いながら、地面へと視線を落とした。

 蜂は思う、彼女を知るものが見れば驚く光景だろうと。そしてよく知るものが見れば当然の光景だろうと。

 

「僕の意見は違いますね。長年日本を護ってきた『イザナミの化身』に聞く権利がないとは思えませんので」

 

「別に護っていたわけではありません。現に人族同士の争いは見逃すことが多いですし、自然災害はそのすべてを見逃しています」

 

「滅びない程度ならかまわない、ですか? それでも何度か滅びから救っているでしょうに」

 

「日本相手ではないとはいえ、加担したこともありますので」

 

 それらの声は流れない。この空間だけに響き、この空間にいるものだけに伝わる。僅かでも範囲から外にいれば、たとえ千里眼を持ってしても聞き取ることはできない。

 なにせイザナミが立っている場所は『日本』の領土なのだから。

 

「何を言ったか聞こえませんでしたが、今回の原因は珍しくあなたが"加担した"件です」

 

「……守護者のくせに世界を滅ぼそうとしたから、それを咎めに来たと?」

 

 女性は驚きの表情を浮かべ、静かに問い返した。

 それを聞いた蜂は『やっぱり知らなかったのか』と思ったが、口には出さない。なにせ

 

「まさか。むしろ大天狗はあなた"達"の行動を好むでしょう。世界を救った勇者を追い込んだ人類が原因だと、僕は予想しています」

 

「あなたも知らないではないですか」

 

 女性の言葉通り、蜂も真実は知らない。すべては蜂が所属する領土で副総代を務める少女の予想だったのだから。

 

「……どうして守護者から外されなかったのですかね」

 

 女性は俯いていた顔で空を見上げ、風に流すように呟いた。

 

「正しい行動だったのでしょうね、少なくとも世界にとっては。事実、世界は滅ぶことなく続いています」

 

「まだ私に利用価値があるのかもしれませ――あいたっ!?」

 

 突然、女性は驚いたように目を閉じて、両手で額を抑えた。

 

「ほらほら、義息子さんが怒ってますよ」

 

「あの子にこんな力はないはずだけど……もしかしてイナバちゃんかしら?」

 

 女性は曇っていた表情を晴らし、片手で額を抑えたまま再び空を見上げる。

 

「兎のお嬢さんですよね? 実力はよく知らないんですが、どんな感じです?」

 

「ものさしがあれだけど、私よりも上。かつあの子よりも最初かしら?」

 

 そう言った女性は口元に手を当てて、くすくすと笑った。

 

「今日、頑張った褒美として教えてくれてもいいと思うんですけど?」

 

「私もよく知らないのよ。ただまあ、2人が一緒にいる時のあの子の表情を見てれば……私も混ざりたくはなったわね」

 

「義息子を任せます、って言って近づいてはどうですか?」

 

 そう言った蜂はくくくっと笑っていた。間違いなく冗談だと伝えるように。

 

「私にその資格はありません。私はあの子に場所を提供して、ついでに楓ちゃんを日本に縛っているだけですから」

 

「でも花嫁姿を見たら泣くんでしょう?」

 

「……念のため聞いておきますが、誰の花嫁姿ですか?」

 

「似合いますよ、きっとね」

 

 そう答えた蜂は冗談とも本気とも見られる笑顔を浮かべていた。それを見て溜息をついた女性は、しかし何を想像したのか「まあ」と呟きながら微笑みを浮かべる。

 その様子を見た蜂は……別の笑みを浮かべることとなった。困ったようでありながら嬉しそうに微笑む女性を見てしまったから、これ以上に兎の情報を聞き出すという無粋な真似はできない。しかし、いまだ大天狗に膝枕をしながら穏やかにしている3人の姿を見れば……その心配はないと納得はできたのだから良しとした。


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