蜂と狐の内緒話 1/2
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精霊族の少女ただ1人だけが守るコアを破壊した金狐達は、領土で復活した仲間と合流して進行していた。そして今、目の前には領土『日本』との境界が見えている。
そして、そこに立っている『蜂』も。
「……なぜ、あなたがこちらにいるのですか?」
金狐は聞かずにはいられなかった。
真っ黒な髪と真っ黒な瞳をした、中肉中背の男性。真っ黒なTシャツと真っ黒でゆるいズボンを着ていて、とても戦場の真っ只中にいるとは思えない。
ここまでならば、場所さえ考えなければ日本の街中にいる普通の青年だった。そう、背に"生える"蜂のような薄羽さえなければ。
とても透き通っていて先の森や空すら見通せる薄羽は、彼が人族ではないことを示している。
「大天狗が来ると思っていたんだけどね、どうやら既に終わってしまったようだ」
そう言った男性は緊張感の様子で金狐達とは別の方向へ視線を向ける。口調と声音は軽くとも、その表情は言葉通り想定外のことが起こったことを伝えるように、苦い笑顔だった。
「っ!? 大天狗様が負けたなど、欺くのですか?」
青年の言葉を聞けば、欺くことが得意な狐も素直に驚きの表情を、態度を表さざるえなかった。
普段の金狐なら今から争う相手に欺くのかなど愚かな言葉だとは思うだろうが、今はそれらを気にする余裕すらない。それほどの言葉だったのだから。
「欺く理由がないんだけどな。そもそも君たちを欺いても意味がないから」
金狐の慌てようとは対象的に、蜂は余裕を失わない。
その言葉は先程の言葉も併せて、金狐を憤らせるに十分だった。
「言ってくれますね、『救い蜂』。確かに私はあなたよりも格下でしょうが、こちらには数がいます。大天狗様がこられるまで保たせる程度は可能でしょう」
いくら焦っているとはいっても部下が見ている手前、迂闊な言動はとれない。無意識に刻み込まれたそれが、金狐に冷静な見せかけを与えていた。
荒れる海で旗が揺れれば船員たちは怖がってしまう。嵐の海でも旗がしっかりと受け止めていれば、船員たちは希望を見られる。どこかで聞いたような、夢で見たようなそれは、上に立つ者としての金狐を形作る大切な柱だった。
「いや、大天狗が戦意喪失しているみたいでね。ぼくもちょっと驚いているよ」
男性はそう言いながら金狐から視線を外し、そして小さく笑った。それがまた、金狐の感情を撫でてしまう。
「嘘を吐くな! あの方が戦意喪失するなどあり得ない!」
感情を剥き出したようなそれも、部下たちの前だからこそ。これを"強く"否定しなければ部下たちの士気がさらに落ちる。金狐が会話から始めているという時点で相手が強いのは理解しているのだから。
もし部下たちの前でなければ……きっと、金狐は殴りかかっていただろう。負けると知っていても。
「いや、信じなくてもいいさ。その境界を超えないのなら待っていてあげるから、見てくればいい。あるいはこのまま終わりの時間まで、大天狗を待っていてもいい」
そう言いながらも男性は、嬉しそうに微笑んでいる。その瞳は金狐達に向いておらず、明らかに千里眼に類する能力によって大天狗を見ているのに、だ。
だから金狐の感情も落ち着いた。落ち着けることができた。
「……それを信じろと?」
「僕が頼まれたのは境界を超える"敵"を排除することだからね。敵でなければ、あるいは境界を超えなければなにもしないよ」
男性は金狐達に視線を戻してからそう言い、再び他の方向へと視線を向けた。
金狐にはわかっている、それが大天狗のいる方向を教えてくれているのだと。今までの言葉に嘘はないだろうと。それでも納得するわけにはいかない。
「余裕ですね」
そう言った金狐なのだが、実力差から"余裕"すら違うだろうことは理解していた。大天狗をして"勝負になる"相手と同格なのだから、自分達であれば同じ舞台にすら立てないと。
「まあ僕が負けても後ろには美波さんがいるから。大天狗か君たち、どちらかを止められればいいよ」
大天狗の目的を叶えるためには大天狗以上の相手を2人、突破しなければならない。それを叶えるためには酒呑童子か、少なくとも天狐がいなければ……金狐はそう考えて頭を抱えたくなった。
「誰か……いや、あなたに頼む。嘘偽りの無い真実を確かめてきてくれ」
振り向いた金狐は、歩を進めてとある少女の手を取りながらそう言った。
その少女は多くの仲間を失った森で、伝えるのすら難しい状態で金狐の勘違いを正してくれた少女。最近、新しく妖族と成った者。
「は、はい!」
ビクッと身体を揺らした少女は、金狐が手を離すと同時に振り返り駆け出した。
そもそもだ。この少女は真実が、あの男性が嘘を言っているか程度は見抜けていた。彼女はそういうあやかしなのだから。それでも金狐の茶番の意図を読み取ってくれて、口を閉ざしてくれていた。だから男性が見ていた大天狗の位置も知っているし、まっすぐそこに向かえる。
もしコアを奪う前なら心配で送り出せなかった程の戦闘力だが、今なら問題はないと金狐は考えていた。コア通じて生存者を確認していて、楓達は観戦場に移っていたのは確認している。
残りは副総代とあの『時雨』という少女だけ。しっかりと調べ終えて、時雨という少女には攻撃能力が無いとわかっているし、副総代は"魔物にも勝てない"と知っている。
そうであれば彼女は見つけられない。見つけられても探し出せない。彼女が本気で隠れれば金狐や鬼人ですら手を焼き、結局は圧倒的な実力差であぶり出すしかないのだから、見つけられるはずがない。
そこまで考えて誰もともにつけず送り出したのだ。そして悪いとは思ったが、もし大天狗の千里眼に彼女1人の姿が映れば異常事態を知らせてくれる。
そうであれば戦意を失っていても動いてくれると信じていた。
金狐は遠くに離れていく小さな姿を見送り、再び振り返り蜂を視界に収める。表面上の言葉を素直に信じられるほど、信じていいほど、金狐の立場は低くない。
たとえ救い蜂の噂を知っていても、今の状況で信じてはいけない。救い蜂の性格を知っていても、信頼してはいけない。たとえ天狐の恩人が所属する領土の、その恩人が慕う相手だとしても。
そう、今は敵なのだから。