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なまえ 1/1

 気づけば小さく汚らしい山小屋にいた。少し肌寒い室内にはテーブルがあるだけで、暖炉どころか囲炉裏すらない。絨毯すら敷かれていないその部屋でも窓はあって、その先には木々を彩る銀世界が広がっていた。

 とにかく寒さをやわらげようと、こたつはどこにしまったか思い出しながら2つあるうち片方のドアへと足を進めれば……そのドアは勝手に開き体当たりしてきたのだ。

 

「痛っ!」

 

 特別製のドアだったのだろう。そうでなければ私が額を抑えて蹲るなど、無様な姿を見せるはずがない。

 

「あれ、なにやってるの?」

 

 降ってきた声に見上げれば、そこには少女が立っていた。手におぼんを持ち、顔を湯気のカーテンで隠したその姿はドアの向こう側で料理を作っていたと想像させる。

 

「あなたが開けたドアで頭を打ったのよ!」

 

 憤りながら勢いよく立ち上がってみれば、それでも少女の顔を見上げていた。150を超えぬ私なのだ、当然だろう。

 

「あ、ごめんごめん。でも早く食べてもらいたくて、ね?」

 

 おぼんを片手で持ち、もう片方の手でジェスチャーする姿を見れば怒る気も失せてくる。あの料理が誰のために作られたものか、それがわかっているのだから。

 

「おっと」

 

 そんな少女の声を聞く前には既に、手を持ち上げていた。それは傾きかけたおぼんを支え、大切な料理が溢れることを防ぐ。

 相変わらず詰めが甘い少女だと思った。いつもいつも、思いが先行して結果まで想定しておきながら、結果の直前で失敗しそうになる。山盛りの山菜を籠に帰ってくれば自慢げな表情を浮かべ、後ろから熊がついてきていた時は心臓が止まるかと思ったものだ。

 

「ありがと」

 

 軽くそう言った少女は移動し、この部屋で唯一の家具といってもいいテーブルへおぼんに乗っていた皿達を移す。飾られるテーブルを視界の内に収めれば、そこには色とりどりの料理が並んでいた。それはどれも私の好物……というか、私が美味しいと伝えた料理だ。

 普段と比べて明らかに多い料理に首を傾げてみれば

 

「今日は出会いの日だから。あなたの誕生日は知らないけど、私の中であなたが生まれた日は今日だからね」

 

 私の動きから予想したのか、求めていた答えを語り始める。

 

「誕生日、おめでとう」

 

 笑顔で告げられた言葉に心が揺れるのを感じながらも、再び首を傾げることになった。

 誕生日などという言葉を聞いたことはなかったのだから。

 

「誕生日?」

 

「生まれてから今日まで一区切りの期間、生きられたことを祝う日。太陽が昇って沈んで、365回それを見たから」

 

 生まれた子を涙の先に捨てなければいけないこともある世の中だ。無事生まれ、生き残れたことを祝うのは良いことかもしれない。

 しかし……

 

「なんで365日なの?」

 

 そう問いかければ、少女は考えるポーズをしながら悩み始める。

 

「なんとなく、365区切りで生きていられることを祝いたくなったの。村でもそんな風習はなかったんだけど……なんとなく?」

 

 悩んだままの姿をした少女は口を開き、言葉の最後には首をコテっと傾けていた。言葉も料理もすぐに覚えた器用な少女だったが、稀に『なんとなく』と不思議なことを言い出すこともある。

 しかし、そのどれもが納得できる程度の理由は与えられたので、無意識のうちに求めていることを形としているのかもしれない。

 

「まあまあ、なんでもいいよ。私があなたを祝いたくなって理由をつけただけだから」

 

 少女は笑顔を浮かべてそう言い、私の手を引いて料理の並べられたテーブルの前へと誘う。そのままに誘われ座れば、湯気の立ち昇る料理の数々が視界を満たし、良い匂いが鼻をくすぐり、お腹が「ぐ~」と鳴ってしまった。

 

「ほら、お腹は正直だよ?」

 

「別に嬉しくないなんて言ってないもん。だからあなたも座って、早く一緒に食べよう?」

 

「はいは~い」

 

 狭い部屋に明るい声を響かせた少女は向かい側へと移動して座る。"私の向かい側"が少女の定位置だった。

 

「それじゃあいただきます」

 

「いただきます」

 

 いつしか習慣になった言葉を奏で、料理を口に運ぶ。それはとても暖かく、冷えた身体を中心から温めてくれた。

 生きるためだけに食べていた時とは比べ物にならない、食べることが楽しいという思い。それが2人で喋り笑い合いながらであれば、もっと幸せで。

 もう、もとの生活に戻ろうなんて思えなかった。

 

「どう?」

 

「いつもどおり、美味しい」

 

「よかった」

 

 そう言い笑った少女は、ようやく料理を口に運び始める。

 最初は毒味させているのかとも思ったが、相手の食べている姿を集中して見たいから、らしい。しかし、それでは少女が食べる間が無くなる……というか、最初は本当に最初から最後まで見続けていて、食べ物が無くなったところでようやく自分の分がなくなったことに気づいたほどだ。この辺りにも詰めの甘さが見て取れる。

 だから最初の一口まで、それが2人の約束だった。

 

 

 

 空の皿が並ぶテーブルを挟んで向かい合い、いつものように談笑へと移行する。

 

「ねえ……いえ……ううん……」

 

 真剣な表情で何かを問おうとして、首を振っていつもの笑顔へ戻っていった。

 

「言って」

 

「え……別にいいよ。そこまでのことじゃない……と、思うから」

 

「言って」

 

 目の前の少女は内に秘め込むことが多い。そのすべてを明かせとは言わないが、こちらも気になる時は言ってくれるまでこの言葉を繰り返している。

 あちらから聞こうとしてきたのだから、聞く権利はあると思うのだ。

 

「名前、教えて欲しいなって思って」

 

「無い」

 

「……え?」

 

 なんだそんなことかと思い答えてみれば、少女は唖然とした表情を浮かべた。

 千里眼で遠くまで見ているが、名がないことは珍しくない。何をそこまで驚くのか。

 

「ど、どうしてって聞いてもいい?」

 

「どうしてもなにも、名付けられていないからだよ?」

 

 あれは親という存在が与えてくれるものだ。親がいなければ当然、名はない。

 

「……それじゃあ、私がつけてもいい?」

 

「親になってくれるの?」

 

「いや、違うけど……別に名付けは親しかできないことじゃないからね」

 

 その言葉に衝撃を受ける。どの人間も、名は親に送られたものだったはずだ。そうであれば名付けというのは特別な行いであるはずなのだ。

 

「ほら、名前が無いって不便……じゃないね。でも私が呼びたいから」

 

 どれだけの期間、名前をなくして過ごしてきたと思っているのか。それを思えば少女が言った通り、不便ではない。

 しかし

 

「なら名付けて。あなたに呼んでもらうための名前を」

 

 呼びたいのなら……呼んでもらいたいから、名付けてもらいたい。

 

「よしきた! じゃあ考えとくから。決まったら突然、呼んであげる」

 

 飛び跳ねるように……ではなく、実際に跳びはねた少女は私を指さしてそう宣言した。

 

「今じゃないの?」

 

「ちゃんと考えたいから。私が呼んで、あなたが振り返ってくれるような名前を」

 

 別に呼ばれれば振り返ると思うのだが、なにかこだわりがあるのだろう。それに私は与えられる側なのだから、待っていればいい。

 

「お願い」

 

「任された」

 

 少女はそう言って平たい胸を叩く。

 食べるものが少ない村だったからか最初は細かった少女だったが、今は私並に肉がついてくれた。あの、風に煽られれば吹き飛びそうで折れてしまいそうな身体のままではとても怖かったが、今の少女なら安心して森へ送り出せる。

 しかし、胸には他の女性のように肉がつかなかったのだ。幼いからしかたがないと思っていたが、もう大きくなってもよさそうな齢になっても平たいまま。それが少し不安でもあるが、成長には個体による差がある。少女はまだ大きくならない個体なのだろう。

 そこまで考えた時、あのときの出来事が脳裏をよぎった。

 

「さあ、もう寝ましょう。今日は抱きしめて寝ちゃうぞ~!」

 

 しかし移動してきた少女がぎゅっと抱いてくれればそんな光景も上書きされる。この暖かく柔らかい少女は大丈夫だと知らしめてくれる。

 きっと表情に出ていたのだろう。何度か、あったのだ。

 

「ほらほら、寝部屋に行こう~」

 

 少女はそう言いながら、私を持ち上げて移動を始める。少し足取りが遅いのはしかたがないだろう。

 そうして移動した部屋で布団にもぐりこめば、少女の暖かさをいっそう感じられた。薄い布で区切った世界だというのに、僅か先とは違い寒くない。

 

「じゃあ、おやすみ」

 

 私の頭を撫でた少女は目を瞑る。私も目を瞑る。

 寒いだろう風の音を、少女の呼吸を、少女の心音を聞きながら意識は底へと沈んでいく。

 その日の夢は、少女から名前を貰った夢だった。


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