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最初の妖怪 2/2

「少女を抱えた天狗は自らの住処としていた山へと降りていった。そこにあったのは小さくとも出来の良い山小屋。その扉を開け、少女をおろした天狗は頭を下げる。『すまなかった』と」

 

「そんな天狗を見た少女は『違うでしょ』『そういう時はありがとうっていうんだよ』と言い放ち、自らも頭を下げて『ありがとう』と告げる」

 

 先程とは違い、とても暖かな語り声が耳を侵してくる。

 

「少女は成長し、成人した。天狗は時折、人里を千里の目で見通すが、口から読み取れるそれはいまだ少女を害することもある」

 

「女性は歳を重ねる、笑顔で。天狗は歳を重ねる、鍛錬を積み」

 

「老女となった女性は、ついに人里に戻ることなく生涯を終えた。微笑み涙を流す天狗の傍で」

 

「涙のあとを残す天狗は亡骸を抱え、世界を超える。超えてしまう。煩わしい者が誰もいない、今は妖界と呼ばれるその場所へ」

 

 ここまで語られれば疑問しか浮かばない。

 "交渉かもしれなかった話"までであれば、生き残った村人が語り継ぎ子孫が知っていた可能性はあったのだ。しかし"交渉に関係のない話"は私と、あの娘しか知らないはずの話。未熟だったとはいえ、イザナミすらいなかった日本で千里眼を有していた私から隠れられる存在はいなかったと思っている。

 それなのになぜ、この少年はまるで見ていたように語ることができるのか。

 

「何故、そこまで詳細に知っておる……」

 

 疑問は口から漏れ出していた。

 

「あなたが知っていたからだよ。最初の妖怪、大天狗」

 

 そう言いニッコリと笑われた。

 私が知っている中で、私よりも早く生まれた妖怪は存在しない。それを知っている者は誰もおらず、それこそ最古と言われている酒呑童子すら知らないことだ。

 私は酒呑童子のあとに妖界へと渡ったことになっているのだから。実際に1度、戻ってから再度渡り、そうなるように仕向けたのだから。

 それになにより『あなたが知っていたからだよ』という言葉が気になってしまう。サトリの長にすら読み取れなかった記憶を、どうやって読み取ったのか。

 

「ねえ、少女は何を思っていたんだろうね」

 

 少年はそう問い、一切、荒れた様子のない草原へと腰を下ろした。私の手を引きながら。

 油断していたのだろうか、気が抜けていたのだろうか。私はそれに一切反応できず、みっともなく尻もちをつくように草原へと腰を下ろすこととなった。

 

「好まれていたのは知っておる。それでも、心の奥底では私を恨んでいただろうな。人としての、女としての生涯を奪った私を。そして恐怖していただろうな、逃げれば恐ろしい力で殺されるかもしれないのだから」

 

 そう語る私の顔はどんどんと俯いていた。自覚してはいるが、どうにも上を向く気にはならない。

 

「最初は心揺り動かされて私を選んだとしても、残りの長き生涯では心も変わる」

 

 そう告げ終えれば、私の頬に暖かな手が触れた。それは優しく、しっかりと逃げないように顔を持ち上げてくる。

 

「ぼくの意見は違うかな」

 

 手が離れれば、少年の顔が目の前にあった。その赤い瞳は優しく刺し貫くようで、心が揺れてしまう。

 

「何?」

 

「あなたは見ていたはずだよ。人里から立ち去る時、少女がどんな表情をしていたか」

 

 その言葉に当時の光景を思い浮かべれば、今までは思い出そうとしてもぼやけていた光景がはっきりと描かれた。村人達の身体も顔も、少女の動作1つすら逃さず。

 当然、その表情も。

 

「人々を塵のように吹き飛ばす、私の力に恐怖しておったな」

 

「そう、恐怖していた。愚かしい人々の所業に」

 

 その言葉を聞き終えた瞬間、時が止まったように感じた。周囲から風の気配すら消え去って、耳を撫でる風の音すら聞こえなくて。

 

「……ありえぬ」

 

 なんとか動き出して、否定する。

 あの表情がそんなものなわけがない。

 

「少女は常に笑顔であなたに接していた」

 

 語られた次の言葉に当時の光景を思い出す。最初は失敗ばかりだった料理を振る舞われた時も、寒く震える最初の冬も、同じ湯に浸かった時も、雷のやまぬ夜に手を繋いで眠った時も。

 思えばずっとずっと笑顔を浮かべていた。笑ってくれていた。私の前では。

 

「……1人でいる時、時折悲しそうな表情を浮かべていた。心揺らす衝動に身を任せ、愚かな行動をしたと。人里で女として暮らしたいと」

 

「そう。"1人でいる時"、時折、悲しそうな表情を浮かべていた。自らの愚かな行動で、好む相手を縛ってしまったのではないかと」

 

 心臓が握り締められたかのように胸が苦しい。

 しっかりと、しっかりと、あの時に千里眼で見た姿を思い浮かべられているのだから。そこに恐怖や憎しみなど感じられなかったのだから。

 

「……それは、そちらはありえぬよ」

 

 違う、私はあの娘の将来を奪ってしまった。あの子を縛り、笑顔を強要してしまった。

 言葉に出して否定して、頭を振って、心に否定を並べても……考えは変わらない。変わってくれない。あの子はとても嬉しそうに笑い、慈しむように悲しんでくれていた。

 その考えは変わらない。

 

「浮かべる太陽は真実の楽しさ。隠す闇夜は後悔の念」

 

 歌うような声にそちらを向けば、少年は空を、その先を見上げていた。

 

「最期の時、ようやく心は定まった」

 

 最期という言葉を聞き、弱々しく横たわる姿を思い出す。それでも掴んでくれた手はとてもしっかりしていたのを覚えている。

 

『あなたといられて幸せでした』

 

『縛ってでも、後悔してでも幸せでした』

 

『こちらを選んで、本当に良かった』

 

「告げられたミコトは、声にならなかったそれは、きっとこうだと思うよ」

 

 少年はそう言い終え、こちらを向いて、ニッコリと笑う。それは嬉しそうに。

 少年の考えを聞き、声を聞き、笑顔を見て。顔を天に向けてしまった。涙がこんなにも暖かいものだったと、久しぶりに感じることができた。

 

「そう、あなたは人類と敵対して正解なんだ。少女が最も恐れた敵を滅ぼすべきなんだろうね」

 

「でも、あなたは人類に敵対してはいけない。あなたが好んだ少女もまた、人類なのだから」

 

 まったく、どうすればいいのやらと笑ってしまう。

 でも、それは間違いなく正しかった。少なくとも、私にとっては。

 

「大天狗」

 

 そう名を呼ばれ、頭を両手で引き寄せられた。抵抗することなく後ろに倒れてみれば、頭に柔らかい感触を感じる。そして天を見上げていたはずの視線の先には、慈しむような微笑みが1つ。

 

「あなたが嫌ったのは勇者を排する世界でもなくて、勇者を理解する者がいない世界でもなくて。きっときっと、求めたのは勇者を守った者が肯定される、正しいとされる世界だった。少女が正しいと迎えられる世界だった」

 

 違う、はずだった。

 世界を、国を、人を救った者が邪魔者だと、危険な存在だと排除される世界が気に入らなくて動いていたはずだった。しかし、その言葉を聞いてみれば違うと理解してしまう。

 私は見ず知らずの勇者など、どうでもよかった。見ず知らずの愚か者達など、どうでもよかった。視界に映らないのだから、そこで何をしていようが、こちらに干渉してこなければどうでもいい。

 しかし少女は視界に映っていたのだ。何度も日本を見る内に、少女があの中に入ったと考えたら……どうしても弾かれる気がしてしまった。

 それは日本の民が間違っていたのか、少女が正しくなかったのか。その結論がどうしてもでなくて……結局、少女が正しいと証明すればいいと気づいた。

 救った者を敬える世界であれ。危険な存在だとしても受け入れられるだけの感謝を伝えよ。それができぬなら、救われなかった道を進め。

 そうすれば救われたことが正しかったと、救う存在は必要だったと、救う存在を護ろうとした者は正しいと、そう結論が出ると思って。

 

「でも、それは必要だったのかな。少女は間違っていたのかな?」

 

 必要かと問われれば『したかった』と答えよう。間違っていたのかと問われれば『間違っていなかった"はずだ"』と答えてしまう。

 

「違うよね。あなたにとって、少女は正しかった。それだけで救われたはずだ」

 

「……どうだろうな」

 

 その答えを知っているのはあの娘だけ。私でも、こやつでもない。

 

「だからあなたの動く理由をこうすればいい。想い返すために、少女が笑顔でいられる場所を作りたい。それを伝えて、一緒に考えてと言って……そうすれば、きっと少女は手を取ってくれたと思うよ」

 

「……馬鹿を言うでない」

 

 けっして失敗を疑っていないような輝く瞳から目を逸らしてしまった。見続けていれば確実に、そう思わされてしまうと悟ってしまって。

 言いたいことは理解できた。その道が私の幸せに繋がっていることも否定はしない。しかし少女の想いは、考えは少女だけのものだ。こやつが提案するだけならまだしも、私が肯定してはいけないものだ。

 

「1人だけ成功例を知っている。ともに歩むために人を超えて、あやかしの最期を看取った存在を知っている。でも、その人は今も街中で暮らしているよ」

 

 その言葉には絶句するしかなかった。提案した方も馬鹿だとは思うが、受けた方はもっと馬鹿だと思う。

 人が望んで種族を超えることが、どれだけ難しいことか。不老不死を目指して死んでいった者達がどれほどいたか。もとより永く生きる存在が、短き輝きを見送るだけで、なぜ満足できなかったのか。

 

「ぼくとしては、我が儘であればよかったのかなって思ってる。もう少し我が儘だったら……」

 

 そう言った少年は空を見上げ、「きっと……」と呟く。その先は太陽でも青空でも雲でもなく……陽が照らす世界に見える綺麗な月のように思えた。

 静かな風が3ほど流れた時、少年は顔をこちらに向け直して口を開く。

 

「さて、大天狗。あなたはちょっと頑張りすぎたから、少し眠るべきだよ」

 

 まったく、何を言っているのか。

 

「毎日、何時間も寝ておるわ」

 

 私はとても健康的な睡眠を目指している。立場上しかたのない時も多いが、暇な時はよく眠るようにしている。

 

「ほら。背負っていた重荷をおろして、あの娘に会っておいで」

 

 その声が思考にもやをかける。その言葉がもやの先で手招きしているような気がして……視界が夢夜に闇に塗りつぶされて……。


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