楓 1/2
金狐と鬼人は森を抜け、小さな川を超え、森を越え、小さな山小屋を視界に収めていた。その周囲に立ち並ぶのは5人の少女……いや、と金狐は首を振る。
4人の少女と、繋がる1人だと。
「あなたが領土『輝夜』の総代『楓』ですか。なるほど、良い輝きですね」
「それはどうも」
金狐の言葉を聞き、1人の少女が1歩前に踏み出て答えた。
腰を撫でる夜闇のような黒髪と、月を覆う黒い闇のような瞳を持った小さき少女。しかし、金狐の瞳に映る輝きはとても大きかった。ハッキリいえば異常だった。
金狐自身、輝きがどういうものか完全には理解してはいない。ただ強き者に輝きの小さき者はいなかった。少なくとも1歩踏み出した少女『楓』は強者である可能性を満たしていた。
「副総代『金狐』さん、どうにか退いてもらえないかしら?」
「あれだけの挨拶を頂いたのですから、顔程度は見ておこうと思いまして」
笑顔だけで交わされる会話に他の者は口を出さない。
「それにしても進路を変更しろ、ではないのですね」
あれだけの攻撃を受けた時点でそれはないと、金狐は分かっていた。しかし、それを行うだけの理由の先か、横か……どこかに大天狗の目的の欠片でも見当たらないかと思って問いかけたのだ。
「さすがに恩人を見捨てるのはね」
金狐は注意深く楓の顔を、表情を、動きを観察するが、なにも得られない。結果としてわかったことは、明らかに慣れているということ。そうでなければ天性の才のなせる業かと。
「救い蜂ですか? ですが、総代の命なので退きませんよ。退いてほしいなら総代を止める他ありません」
総代の命、というは嘘だった。しかし生きて合流するという約束はした。
金狐にとって、その2つに大差はない。
「どうせ救い蜂には敵わないのだから、諦めたらどうかしら? 主に進言するのも配下の務めよ?」
「大天狗様が負けるとは思ってませんので」
金狐の脳内で、大天狗が負ける姿は想像できない。救い蜂やイザナミが強いのは知っているが、それでも大天狗が負けるという姿が想像できない。
ただ1度も余裕すら崩したことのない実力がそうさせている。
「間違いなく負けるわよ。あそこは戦闘力に関してバランスを欠いた"異常"だもの」
「それでも負けるとは考えていません」
「……まあ、そんな想いもあるわよね。私には選べないわ」
楓が諦めたようにそう言えば、もう戦う準備は整っている。しかし金狐には話の続きがあった。むしろそちらという本命があったから、奇襲すらせずに姿を見せたのだ。
「ところで、大天狗様の目的を知りませんか? もし少しの"有益な"情報でも話せたのなら、領土戦が終わった後に小さな領土をお渡ししますよ?」
「今から勝ったつもりとは恐れ入るわ。まあ目的について予想はできるけど、それはあなたの求めているものじゃないでしょう?」
「ええ」
欲しいのは確かな証拠。予想など金狐にもできていて、それを裏付けるための証拠が欲しいのだ。
「それなら結果を教えてあげる。"大天狗は退く"。必ずそうなる」
「……なにを理由に?」
「大天狗程度じゃあの子は、あの子達は止められない。勝ちは決まっていて、ただ道を整えているだけ。終わった後の風景を整えているだけだもの」
「あの子とは?」
「その様子だと、どうせ大天狗も気づけなかったんでしょうね。それだけでも理由の1つとしては十分すぎるわ」
これから戦う相手の長が負けると告げているのに、それを告げる楓は悔しそうで悲しそうだった。それが金狐に妙な信憑性を感じさせる。
さらに言えば思い当たる節があった。金狐自身が伝えた噂話だ。
「それでも、私があなた達を全滅させれば大天狗が引き返すかもしれない。それはあの子達にとっても、大天狗にとっても益のないことかもしれない。大天狗から幸せを奪い去るものかもしれない」
「たとえそうであっても、私は大天狗を止めるために、あなた達を討つと決めた。だから大人しく、いえ。精一杯、足掻いた上で帰って頂戴」
それが開戦の合図となる。真っ先に動き出したのは話していた2人ではなく、金狐に同行していた鬼人と、楓の後ろで腰に挿した刀に手を置いていた少女『凛』だった。
勢いよく飛び出して、1つに結った黒い髪を風になびかせ、汚れの無き黒い瞳で鬼人を正確に捉えて。その刀を振り抜く。
大地をしっかりと踏みしめる1歩を踏み出し、金棒を振り上げながら2歩目を踏み出し、力強い3歩目とともに金棒を振り上げきる。
楓達の居た場所が巻き上げられた土砂に流され、鬼人の金棒を持つ手に一閃が描かれた。
疾き2人が示した開戦の合図。振り向く鬼人と刀を返す少女を解き放ち、それでも静かに戦場が進み出す。
風によって強制的に流された土煙の中からは無傷の4人と、その真下の綺麗な大地が顔を覗かせた。
直後に煌めく一撃。風を斬り突き進む矢が1本。それは金狐が居たはずの位置を貫き、その姿を軽く揺らして後方に並ぶ木の1本へと突き刺さった。
「これは見事な挨拶へのお返しです」
突然、湧き出した声に楓、翠、葵、ユウバリの4人が視線を向ける。いや、1人は視線を向けていた、だろうか。
翠の腹に突き刺さる真っ青で液体のような腕。その繋がる先はたった今、葵の放った矢が貫いたはずの人。なぜか翠の目の前に立っている金狐。その足元から無数の氷の針が突き出るが、金狐は優雅な曲線を描きながら居たはずの位置へと飛び退いた。
残ったのは気づいたように倒れる翠と、唖然としている双子の妹と、悔しそうに視線を金狐へ向けた楓と。
「1人の枠を2人の枠へさせないための対策程度、用意しています。私の前で弱き主が従魔を活躍させることは叶わぬと思ってください」
金狐はそう言いニッコリと笑った。
翠は倒れた"だけ"、ユウバリは消え去った。それはつまり従魔を封じるすべがあるということ。それを楓達の倒すべき相手、金狐が有しているということ。
しかし、その切り札をきったということは
「あれの正体までは気づけなかったと。じゃあもっともっと怖がってなさい。あれを撃ったのは私よ」
その対策しかなかったということ。事前に準備を行った者を封じるしか対策が打てなかったということ。
楓は強がりを含んだ笑みを浮かべ返した。
「2人、足りませんね。まあ、あなたがあれを撃ったということはあなた以上はいなかったということ。それを聞けて安心しました」
金狐は余裕を持った声音でそう告げ、その姿を霞へと変えた。それはすぐに霧散し、楓達の視界から姿を消す。
そうして静かな空間が生み出され、崩したのは楓のうめき声だった。1度、2度と聞けても残る2人は何もできない。翠は倒れたままであり、葵は周囲に視線を巡らせるが、何も見つけられない。
金狐にとって何が脅威であったか。それは楓による全範囲攻撃だった。あのような未知の魔法、鬼人であったから耐えられたものの金狐であればひとたまりもなかっただろう。それだけ鬼人の耐久力が逸しているということだが、それは今、願ってもすぐ手に入るものではない。
であれば、撃たせなければいいのだ。
姿を消して小範囲攻撃を躊躇させ、あえて弱い2人を残すことで全範囲・広範囲攻撃を撃たせない。楓という優しく甘い人物はけっして撃たないだろうと、金狐は確信していた。
あまり敵に向ける感情ではないのだが、調べた結果として楓という人物は金狐の好む存在だったのだ。ならば信じることに躊躇は要らない。望む存在であれと願う。
仮に望む存在でなければ、やりやすくなる。好む存在という無意識の枷が外れるのだから。
氷壁、土壁、風壁、結界とすべてが意味をなさない攻撃は、ついに楓を地に伏せさせた。
真っ青な炎が地面に円を描き楓を囲む。細長く燃え上がった部分がまるで縛るように楓の身体を沿って痕跡を残していった。
そこまでして、ようやく金狐は姿を現した。葵の真横で。
「終わりですね」
金狐の腕が振るわれれば、葵が吹き飛び小屋に叩きつけられる。そして起きることなく、光の粒子となって空へ昇っていった。
「こっちも終わったよ」
少し離れた場所から聞こえた声は鬼人のもの。片手で満身創痍の凛を持ち上げ、翠の傍へと投げはなってから金狐へと向かって歩いてくる。
どさっと投げ捨てられた凛の横では倒れたままの翠と、動けないままの楓が地面へと並んでいた。
「この子、きっと口を割らないよ?」
「楓以外は問題ないでしょう。いくら英雄視されているとはいえ、それは実力の高さを示すものではない。眩しい物語の主人公であって、世界の強者ではない。起き上がったところで何もできませんよ。むしろ消滅しないままのほうが利用しやすいです」
金狐としても封印などという面倒な手段を採りたくはなかったのだ。それでも大天狗の驚異となる一撃、その情報を欠片でも得られればという考えから解析封印などという面倒なことを行っている。楓が見せられている夢の中で、件の魔法を撃ってさえくれれば何かしらの情報が金狐に伝わるのだ。
「それで、どう?」
「ちょっと耐性が高すぎますね。時間があればなんとかなるとは思いますが……それでは大天狗様をおまたせしてしまう。あと少しだけ試して、手応えを感じなければ終わらせてコアを探しましょう」
そう言った金狐は苦い表情を浮かべていた。
金狐の仕掛けようとしている術は精神に干渉するものだ。その耐性が高いということは、精神に干渉するにあたり防壁が張られているということ。強靭な精神であれば仕掛けられた"後"で解き放つものだが、それ以前で止まっているということは事前に何かしらを仕込んでいなければならない。
その段階であれば精神の強さなど関係なく、なにも対策できていなければ確実に術中へと陥るのだ。
第3陣が参加してから得たにしては強力すぎる防壁。聞き及んで学び会得するには高すぎる技量。天才では説明がつかないそれは現実で訓練されたものであり、平和なアルファ世界には似合わないはずのこと。
そこまで考え、楓に視線を向ける金狐は背に冷たいものを感じた気がした。しかし首を振り考えを振り払い、ただ天才なのだと結論付ける。
「……せめて良い経験になっていればいいな」
そう呟いた金狐は空を見上げ、その姿を鬼人が見つめる。そしてひっそり、ばれないように微笑んだ。