決戦の朝 1/1
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領土戦の朝。決戦の日。
既に目は冴えていて、テーブルを囲む皆の顔を眺めれば、寝起きなのかぼけっとした顔ばかりだった。1つの例外を除いて。
「皆、一大事よ」
今日の寝起き、よもやと思って確認してみれば『正解です』と告げられた。それを答えてくれた人物はもう領土館にはいない。
「どうしたんだ、楓。もしかして大天狗でも攻めてくるのか?」
そののんびりした声に身体をビクッと揺らしてしまった。どうにも彼女は、凛ちゃんはこういうところで鋭いのだ。
「……冗談で言ったんだがな」
頬をかく彼女の様子を見れば冗談だったとわかるのだが、数ある領土から的確に言い当てるのはどうだろうか。
そんな凛ちゃんは普段と違い髪を結んでいない。叩き起こしてしまったからだが、それでも外行き……というか、戦闘をするに十分な服装をしていた。他の皆がパジャマであるにもかかわらず、だ。
「目標はここじゃないみたいだけど、通り道として通るみたいなの。しかも総代『大天狗』が率いて」
いや、嘘を言った。
大天狗は通らないが、副総代の金弧か刑部狸が通るだろうと聞いたのだ。それでも絶対はないし、最悪のケースは知っていてほしかった。
「上位勢力、それも総代が率いる1軍……どうするのですか?」
翠ちゃんの言葉を聞き皆も状況を飲み込み終えたのか、表情が緊張に引き締まった。
「どうするもなにも、領土を失わないために迎撃するしかないわ」
何もしれなければ通り過ぎるだろうとは思っている。
それでも背に日本を、隣に恩人を置いている状況では動かざるえない。なにより、せっかく得た避難場所を捨てるようなことはできない。
「まあ、そうなるよな」
凛ちゃんが納得したようにそう言った。
「楓なら話し合いで多少は解決できるかと思っていましたが、無理なのですね?」
翠ちゃんの確認するような問いに頷くことでも答え、口を開く。
「大天狗は人族が嫌いなことで有名だからね。一応、連絡はしてみたけど、取り付く島もなかったわ」
「それは私も聞いた噂だな」
連絡して少し後悔をしたが、まああちらもそれどころではないようだった。なので取り付く島がなかったというのは間違いではない。
そもそも、昨日はああ言ったがギリギリ間に合わなかったことを演出するつもりだった。大天狗、ただ1人だったなら。
いや、全力で迎撃したところで足止めにすらならないだろう。天狐ならばまだしも、大天狗と酒呑童子は別格だと聞いている。風の長たる大天狗に全力で駆け抜けられれば、姿を捉えることすら叶わず風を感じるだけだろう。
だから誰にも打ち明けず、私だけで対応するつもりだった。それで良いはずだった。
「それでは全力で迎撃ですね。どこかに援軍を頼んでみますか?」
平然と迎撃前提で話しを進める翠ちゃんが心強い。まあ長い付き合いだ、私が曲げるつもりがないことなどお見通しだろう。
「アイギスから1人。今からじゃあそれが限界ね」
「……よく引き受けてくれましたね」
今、存在している領土に弱い場所などない。最も弱いのが第3陣だけで構成されているうちの領土なのだから。
そのため援軍に来てくれる領土などないはずなのだが……私以外はアイギスの長が誰であるか知らない。まだ巧妙に隠されているから。
私は現実のアリサさんを知っていたから、それが予想できているだけ。凛ちゃんも翠ちゃんも葵ちゃんも実際に会って知ってはいるが、そこ止まりなのだ。どこで何をしているかなど知ってはいない。
「ユウくんがね、どうやってか取り付けてくれたわ」
まさか、アリサさんをこんな形で動かすとは思っていなかったのだ。ちょっと乱れていた時期を狙ってきっかけを作り、どうせこの間のお昼寝に来た時にでも頼んだに違いない。
私が邪魔に入らないように動いていることは間違いない。
「彼の伝手はどうなっているんでしょうね」
翠ちゃんが不思議そうに首を傾げるが、私にとっては不思議でもなんでもない。伝手など必要になった時に"作れる"のだから、そんな疑問は思い浮かばない。まあ既存の伝手であることがほとんどなのだが。
「まあ、今は置いておきましょう。それよりも大天狗を援軍の人に任せるとして、他全ては私達が抑える必要があると思うの」
想像通りなら、大天狗は通過"できない"。毒を受け取って帰って、それを食べただろうから。
仕込みまで行って、イナバまで連れて行ったのだからまず間違いなく思い通りに進む。それを前提として他を考えるべきだ。
「楓、援軍1人で大天狗は抑えられるの?」
今まで黙っていた葵ちゃんが、貫くような視線とともに問いかけてきた。
それは、あの2人はどこと問われているようにも思える。
「抑えられる前提で動かないと話にならないわ」
「……そう」
僅かに視線をぶつけたままでいれば、葵ちゃんは納得したように引き下がってくれた。実際に大天狗どころか、金弧と形部狸の内1人相手ですら止められる気がしない。
それでも止めなければならず、そこに大天狗を考慮する余裕はない。
「それで最大の問題となるのが同行している中で最高戦力となる副総代の金弧と刑部狸よ。大天狗ほどではないけど、私達には厳しい相手ね」
昨日、あの時点で対策に動けていればとは思わない。思わないが、それでも今よりはマシになっただろうかとは思ってしまう。
一応、情報を集めてはいたが……詳細がわからなかったのだ。妖界からログインしている子達に聞いてみたが、やはり答えは得られなかった。彼ら彼女らがアルファ世界の人を好まないこともあるが、全員が全員ではない。むしろ人を好んでいる子が多かったように思えたが……そうではない。
誰も知らなかったのだ、3人の実力を。まず全力で戦うことすら稀で、その場にいれば生き残れないだろうと。
「楓をして厳しい、か」
難しそうな表情を浮かべた凛ちゃんが呟いた。
私達も竜人族や獣族鳳種という強種族に勝てたのだから、と思わないことはない。強いことは強いと認めている。ただ……上がいないとは思っていない。
第3陣で、同じ時期に始めた中で強いというだけで、1陣・2陣を含めれば頂上が見えないなんて知っていた。
その頂上に近い大天狗や、その側近ともなれば勝てるなんて欠片も思えない。"だから"相談したのだ。
それでも勝ちたかったから。
「弱点は無いのですか?」
「わからなかったから、戦いながら探すしかないわ」
弱点を狙ってどうにかできる程度の差ならばいいが、それ以上であれば……。そんなことを考えてしまうから気が滅入ると知ってはいるが、知っていれば考えないようにできるというものではない。
「なら、なるようになれだな」
「ごめんなさい、そうなるわ。だから皆、なにか気づいたらすぐに教えてちょうだい」
ニッコリと笑って締めくくる。
笑っていられる状況ではないが、旗が余裕を失ってはいけないのだ。嵐の海に旗が暴れれば船員は不安になるが、余裕を持って揺れていれば安心できる。これは超えられる嵐だと思える。
皆を眺めてみれば不安げな表情はしているものの、心が折れている様子はなかった。時雨ちゃんですら頑張るぞのぽーずをしているので、まだ私が諦めるような状況じゃないと安心できる。
「じゃあ10時までに準備して、もう1度ここに集まってちょうだい。私はもう少し調べてくるけど、もし万が一、11時になっても私が戻らなければ、皆だけであちらには行っていて。絶対に追いかけるから」
皆の頷く姿を見て、緊急招集は終わり。これから私は最後の情報収集に向かわなければならない。対価が用意できれば透さんや真白さんに聞いても良かったけど、今の私に対価となるなにかはない。それがなくとも教えてくれるかもしれないけど、それはもっと近くにいる人に聞いていない私が行っていいことではない。
「……ユウバリ、どうしたのですか?」
皆を見送っていれば、部屋を出ていこうとしていた翠ちゃんが足を止めて部屋の一角へ視線を送る。その先にいるのは召喚されているユウバリさんで
「ちょっと話がありまして。翠も聞いておいてもらっていいですか?」
彼女は待ってましたと言わんばかりに口を開いた。とてもとても真剣な表情で。
「"も"ってことは、私に話よね?」
「はい」
この先が予想できるだけに聞きたくはなかった。パッと思いついた戦術の内、1つがそれだったのだから。
「楓ちゃん、私が突っ込んで情報収集をしてきます」
「それはみとめ「駄目です!」」
予定通り否定しようとすれば、それに重なるように、打ち消すほど強い声が翠ちゃんの口から放たれた。普段は冷静で静かな翠ちゃんがここまで大きな声で否定するのだから、先程の一言で理解したのだろう。
「クールタイムは必要ですが、私は何度でも生き返れます。その利点を殺すつもりですか?」
冷静な声が、払いのけるような表情が翠ちゃんを襲う。なぜか翠ちゃんを、その他にも私や凛ちゃんまでもよく知っていたユウバリさんだ。最も意識を向けていた翠ちゃんの反論は予想できていたのだろう。
「そのような、探索機のような、物のような扱い方は嫌だと言っているのです!」
私はユウバリさんの望む行動を否定するつもりはない。ただ翠ちゃんがこう考えるだろうから、否定するつもりだっただけだ。
「そんな甘い考えをしていいのは、余裕がある時だけです。否定もしませんし好ましいですが、今はそんな状況ではないとわかっているでしょう?」
鋭く抜ける声と乱れない表情は、彼女がそれを経験しているのだと思わせてくる。それでも諭すような、納得してほしいと思っているような雰囲気があるのは相手が翠ちゃんだからだろうか。
「し、しかし……たかだかゲームなのです。そこで心を殺してまで「翠ちゃん」」
その言葉を静かに遮れば、翠ちゃんはしまったという表情を浮かべた。しかし、私のそれに意味はなく、ユウバリさんが口を開く。
「そのたかだかゲームで生まれたのが私ですよ」
致命的な一言だったから遮ってまで止めたのだ。自分の状況を囮に使ってまで止めたのだ。
それでも翠ちゃんをよく知っているユウバリさんは止められなかった。
「それで楓ちゃん。認めてくれますか?」
私を認めさせなければ従魔の暴走として扱われ、召喚主の翠ちゃんに迷惑がかかる。だから認めさせなければならない、ということだろう。
「駄目ね」
「あなたまで甘い考えに浸るのですか? あなたも翠と同じ、あの子とは違う平和な世界を生きていたということですか?」
後半の言葉が胸に刺さる。甘いことは自覚しているし、それを直すつもりはない。
しかし望まれた、私は平和な世界で甘く生きていなければならない。少なくともそれを目指し続けなければならない。私が彼にそう望んだのだから、私も満たさなくてはならない。
甘い世界こそが私の戦場なのだ。
「そんな甘い考えをしていて、あの人達から有用な情報を奪えるなんて考えてるのなら、サリアちゃんと同じ場所にいなさい」
その戦場で何年を過ごしてきたと思っているのか。
「死んで良いのは2回まで。3回を超えた時点で再召喚は禁止にするわ。何度でも生き返られるなんて甘えは捨てて」
その言葉にユウバリさんは驚きの表情を浮かべ、手を握り締めた。
やはり長門さんやイナバとは違う。あの2人が別格と考えるべきか、あるいは何かしらの差があるのか。イロハさんもイナバ達よりだけど、やはり違う。少し一緒に戦闘をしたことがあるが、あの人は生き残ることではなく強くあることを願っていたように思えたから。
「翠ちゃん、それでいいよね?」
「……助かりました」
そう言った翠ちゃんは僅かに俯いていて、誰かと同じく手を握り締めていた。
「それでは部屋に戻って情報体を調整してきます」
そう言ってニコリと笑った翠ちゃんはこちらに背を向け、ドアから出ていった。本人は気づいてないみたいだけど、あんな不自然な笑顔を浮かべれば感情を隠していますと言っているようなものだ。まあ翠ちゃんを知らない人から見れば自然な笑顔にも見えるのだろうけど、よく知っている私達が相手では。
「楓ちゃん、手間を取らせましたね。私は翠の傍に居ますので、情報収集頑張ってくださいね」
言葉の最後に音符マークでも付きそうなほど上機嫌な声が聞こえた。当然、残る1人、先程までは翠ちゃんと同じく悔しがっていたはずのユウバリさんのものだ。
そちらを振り向けばまったく気にしている様子はなく、むしろ嬉しそうに笑いかけてくる。そして歩き出した彼女は、手を振って部屋を後にした。
「……あ~、そういうことか~」
つい先日、彼女はユウくん達と出かけていた。本人は否定していたがデートだろう。そのあと、あまり会える時間はなかったので見落としていたが……今の彼女の笑顔は、生き残るものの笑顔だ。死を前提としていない、死ねば終わりであっても命を賭けられるものの笑顔だ。
あれはよく知っている。とても良く知っている。
そういえば最近、"きちんと"鏡を見ていなかった気がした。見たくなかったのかもしれないし、見る必要がなかったのかもしれないし、それを忘れるほど焦っていたのかもしれない。
「最近、きっと酷い顔をしてたんだろうな~」
自分以外、誰もいない部屋に『空の声』が響く。返事が返ってこないと知っていて、それを求めて発した空っぽの声が。
これではイナバが心配するはずだ。そこまで酷い顔をしていたのだろう。
ただ……心地よい時間であったことに違いはない。あんな時間が味わえるのなら、酷い顔をしている時間も悪くないと思えてくる。
まあ、鏡を見るのは領土戦を乗り越えてからにしよう。
「それにしても……またお嫁さん候補が増えてくれた」
自分でもわかるほど嬉しそうな声で呟いていた。
大本命はイナバだけど、一筋である必要はない。選択肢は多いほどよく、決めるのは私ではない。ただ場を整え、逃げられないように居着いてもらうだけ。
それにまあ……イナバに関しては私も欲しい。イナバの心が欲しいと思ってしまった。
アルファ世界、日本で暮らし続けるのならそこの常識に従うけど、もし別の場所に移るのなら……新しい常識に従う。私は同性だからとか、姉弟だからとか、一切、気にしない。
そもそも優旗も私も子を成す気がないのだから、性別など考慮に入れていないのだ。その心に惹かれたから、結ばれたいと思うだけ。だから1対多であろうとも、逆であろうとも気にしない。絶対条件は皆が心の底から溢れ出るような笑顔を咲かせ続けることだけ。
「2人の背中は遠いな~」
そんなことを呟きながら、干渉阻害と遮音の結界を解除して部屋のドアへと手をかける。
まずは金弧と刑部狸を退けて、サリアちゃんの問題を解決して、凛ちゃんの足を治して、時雨ちゃんの問題を解決して……ああ、先は長い。
そこから不思議と気になる四葉について調べて、全部終わったら……イナバを陥落しにかかろう。
そう思えば廊下を進む足が軽くなった気がした。そう、イナバはもっと甘えればいいと思うのだ。