嵐の前の 2/3
玄関で待機していた楓に案内されたのは、こぢんまりとした可愛らしい部屋だった。板張りの床にカーペットが敷かれ、ピンクや水色を主体とした色彩の家具が置かれ。
勧められてテーブルの片側へと腰を下ろせば、反対側に楓が腰を下ろした。
腰を撫でる真っ黒な黒髪は揺れ、黒曜のような黒い瞳は瞼の奥に隠され。小童としか見れぬ容姿からは想像もできぬ、流れるような動きが面妖に思えた。
「ここは自室であったか?」
「今は私以外、誰もいませんからね。話の途中で割り込まれても邪魔ですから」
邪魔ではなく関わらせたくないだけだろうにとは思うが、言葉には出せない。不機嫌そうな表情が『早く帰れ』と告げているように思えたのだから。
「それで、用件をお聞きしましょう」
「次の領土戦、ぬしの領土を通過する。手を出すな」
「……目的地は?」
僅かに考えた様子を見せた楓が問いかけてきた。
不機嫌そうな表情など吹き飛ばした真剣そのものな様子を見せたこの子は、どこまで考えが至っているのだろうか。ここで嘘をついてもいいのだが、それではわざわざ来た意味が無くなってしまう気がする。
「領土『日本』。その一箇所だ」
結局、隠すことなく真実を告げた。
「なぜ?」
「言えぬな。そもそも、これはぬし達に対する警告だ。邪魔をするようであれば領土ごと潰し通るだけ」
"この"大天狗を前にして、怖じけず対等に会話をできている時点で普通とはかけ離れている。鬼すら弱い者なら腰を抜かし、震えるだけだというのに……この少女は、いったいどれだけの覚悟をしているのか。
「なぜうちを通るのですか?」
「目的地に辿り着くのに、最も体力を温存できる」
唯一の空き地であった場所に領土を得てしまったから。『アイギス』も『蜂』も通れば、ただでは済まない。『日本』へ到達した時点で満身創痍かもしれない。
「アリサさんや透さんに援軍を頼む可能性は考えられましたか?」
「『救い蜂』は動かんだろう。アリサに関しては少し前ならば考慮しただろうが、今は領土長。益もなく動けんだろうし、ぬし達ではその益を払えぬだろう」
なぜ、なぜ承諾しないのかと思ってしまう。
止めるには強大に過ぎる相手を通したところで、美波が縁を外すとは思えない。ただ領土の核を守るために隠れていればいいだけだというのに、それを理解しているはずなのに、なぜ首を縦に振らないのか。
「それでは、お帰りください。我が領土は、恩ある日本の長を裏切ることはできません」
「……なぜ、そこまで美波の肩を持つ」
たかだかゲームの中でのことだ、といえば恩を売るのも間違っていないだろう。しかし、この少女がそれをするかと問われれば……首を傾げずにはいられない。
「あなたに語ることではありません。ご忠告は感謝しますが、こうして言葉にされた以上はこれ以外の選択肢はありません」
その言葉に悟る。私が良かれと思い設けた席のせいで、断るという選択肢を奪ってしまっていたのだと。
それさえなければ、通過するとはいってもアイギスや蜂へ向かう可能性で逃げられた。日本へ向かっても追いつけぬと逃げられた。
……まったく、昔から無駄なお節介しかできないのだろうか。
「そうか。すまぬな」
「いえ、お気になさらず。ここはそういう場所なのでしょうから」
本来、ぶつかってはいけない者達がぶつかれる場所でもある、と言いたいのだろうか。
「それでは失礼する。無駄な時間を過ごさせてすまなかった」
そう言い終え立ち上がり、部屋を後にしようと足を進めれば
「お待ちを」
その言葉に振り返る。
そこには空間に手を突っ込んでいるとしか表現できないような姿の楓がいた。そして手を抜き出したと思えば、そこには風呂敷に包まれた何かを持っている。
「これをどうぞ」
「なんぞ、これは」
「中身は私も知りません。次に来た相手に渡してほしいと頼まれただけですから。ただ……」
楓はそこで迷うような素振りを見せ、それでも続きを語るための口を開いた。
「毒でしょう。それはきっと、毒でしょう」
「毒と思いながらに渡すのか?」
「私だって嫌でしたよ」
そう言った楓は言葉通り、苦そうな表情を浮かべている。
大勢力の長に毒を渡すということの意味を知らないはずがないのだが……それでも楓は、目の前の少女は渡してきた。これはこれで興味が湧いてくる。
「受け取ろう」
そう言い近づいて手を伸ばせば、楓はほんのりと暖かなそれを渡してきた。お腹をくすぐる匂いを撒き散らすこれは料理ではないだろうか。
「大天狗、理由は知りませんがやめませんか?」
「止まれぬな」
「あなたではイザナミに敵いません。それを知っていても止まらないのですか」
なぜ、これから領土に攻めてくる相手を心配するような言葉を向けてくるのか。風呂敷に向けたままの視線では楓の表情が見えない。
「ぬしは凛が、翠が、葵が待っていれば、止まれぬだろう。似たようなものよ」
違う。間違いなく違う。それは自分でもわかっているが、他に納得させる言葉を探し出せなかった。
「そもそも負けるつもりはない。通過する程度ならイザナミすら寄せつけぬ」
八雷では当たらぬし、沼鉾を扱うには追いつけぬ。ただ通過するか、逃げるだけならば美波相手ですら問題ない。
大天狗という称号は伊達ではない。
「せめて日本との境界線で待ち構えよ」
応えを聞かぬまま、それだけを言い残して振り返り足を進める。風の様子だけでも楓がこちらを見つめているのはわかるが、動いていないのもわかっている。
このような者がいるから、人族は厄介だ。皆が愚かであれば、滅ぼせていたというのに。