敗北の余韻 1/2
ピロリン。そんな前時代の電子通知音が歌声に重なり、意識を切り替えます。
静かな森の奥地で大樹に身を預け木漏れ日を浴びていたところに大きめのイノシシが現れたような気分です。周囲の皆もやや不機嫌そうな、それでいて満足しているような表情を浮かべています。
十分な休息が得られたようでなによりです。
『掲示板機能を解放しました。また、30分後に始まりの街へと転送を行います』
今の状況から近くにいる者達で掲示板を利用しても意味がなさそうなので、この場にいない別の参加者と交流ができるということでしょう。
今度はハブられることなく、私の目の前にも掲示板の利用方法が表示されているので目を通していきます。
情報アクセサリーを利用して街の機能の一部を遠隔地から利用でき、その1つが掲示板機能ということのようです。つまり違う街に接続している相手とは交流をはかれませんよ、と。
「都市型魔力機構の連絡システムにある掲示板と同じ使い方でいいみたいですね」
「うぬ、そのようだな」
ルークのコマを譲った耳長の少年と竜人族の青年は使い方を把握しているようです。というか、ほぼ全員が把握しているようです。
おそらく例外は1人。
「え、わからない」
ユウの膝の上に頭を置き目をパチクリとさせている少女、サリアです。
まあ説明書があるので存分に読んで理解してください。興味があるので私は早速、利用させてもらいましょう。
『匿名掲示板のマナー』
1つ目に作成されているのがこれですよ。おそらくアルファ世界の誰かでしょうねぇ。
少し覗いてみれば日本の匿名掲示板を利用する上では常識とした内容がつらつらと並べられています。一応は目を通しましたが、私の常識はかけ離れていませんでしたので問題はないでしょう。
『なんか難しかったんだけど!?』
『開幕死んだのだが?』のレスから始まるスレッドです。
マナースレを読むのに少し時間がかかったとはいえ、開いた直後で50以上のレスがあり、今なお凄い勢いで増え続けていることから同じ感想の人が多かったのかもしれません。
『開始直後に遭遇した魔物が強かった』、『難易度が高すぎる』、『負けイベント』などなど。しかし、途中で投稿された『俺らのとこは勝ったけど?』というレスにより負けイベントではない可能性が検討され始めています。
楽しそうなので開いたままにしておきましょうね。
『情報を交換』、『情報体の情報交換』、『情報体の加工』、『魔物』など、様々なスレッドが作成され始めました。
『情報体を回収す忘れたバカおる?』と煽ったようなレスもありますが、正直なところ感情を引き出しながら失敗を記憶させるありがたいレスともいえます。
事実、『忘れた馬鹿だよ! ありがとうな!』と理解したようなレスもあるので、感謝している人がゼロではありませんね。
「ぬ、これは……」
ぬ、だけで誰かわかりましたが、竜人族の青年が気になるレスをみつけたのでしょうね。空中に投影されているように見えて実際は情報アクセサリーを通じた個人にしか見えないものなので、彼が何に興味を持ったのかは知ることができません。
「イナバ、大正解だったみたいだね」
それは囁くようなユウの声。
はてさて、どれが正解だったのでしょうか。私の中の正解といえば、キングの駒に関すること、ユウのパンツにスライムを直撃させたこと、多くの果物の情報体を回収できたことです。
その中でユウが"大"をつけるほどの正解というと……まあキングの駒でしょうね。竜人族の青年が立ち上がり、こちらに近寄ってくることからもそれが予想できます。
「兎殿、主殿、危ないところを助言いただき、感謝する」
その言葉とともに竜人族の青年は頭を下げました。
今、掲示板から必死に情報を探しているのですが、彼を無視するわけにもいかずユウの背からぴょこんと、小さく跳ね出します。
そして竜人族の青年が口を開く前に、なんとか目的の情報を得ることできました。
「掲示板で竜人族をキングに据えた組が開始直後、風景すら見ることも叶わずに敗北しているのが確認できた。真実と確認が取れたわけではないが、私はこれを真実だと受け取った。ゆえにあのまま私がキングの魔法陣を踏んでいれば戦わずして敗北する未来が待っていただろう」
どの世界の竜人ですかね、あちらは。
そもそも"竜人"ではない可能性もあるのですけどね。
「しかし貴殿らの助言により戦うことができたどころか、勝利すら得ることができた。そこで感謝の言葉とともに何かしらの礼をしたいのだが……なにかあるだろうか?」
そんな竜人族の青年の行動を見てか、ユウが"嬉しそうに"微笑んだのがわかります。私もまあ、嬉しいですかね。
それよりもお礼ですよ、お礼。対価は"既に頂いたのですが"、相手の立場を考えれば何か受け取っておいたほうがいいでしょう。
己だけではなく、集団に対しての危険だったのですからね。
「ぼくは何もしていないよ。だから、お礼はイナバに聞いてほしいな」
首を横に振ったユウは答えます。
正直なところ、ユウが適当に決めてくれれば楽だったのですが……何がいいでしょうかね。相手の負担にならず、それでいて周囲を納得させるようなもの。それなりに価値はあり、それでいて価値の高くないもの。
「兎殿、どうだろうか」
もう少し後ならば適当な情報体を提案したのですが、今の状況では情報体の価値は大きいでしょう。
森での会話を聞いていたところ彼の世界どころか、この場にいるすべての世界で情報体が存在しないようでしたので、数が少ない貴重なサンプルをもらうわけにはいきません。たとえランクの低いものであっても。
彼も気づいたように情報アクセサリーに格納されている勝利者報酬、宿屋の無料券でもいいのですが……7日分というのが気になります。竜人である彼ならば宿代程度は軽く稼げそうですが、それを貰っても無駄にするだけだと思えるのです。
ああもう、『軍森』を倒す方が楽だった気がします。
「今は私も持つものが少ないゆえ、フレンド登録という機能を用いて繋がりを確保し、のちに決められてもよいが?」
それは却下です。竜族、それも統率者側と思われる彼に貸しなんて残しておけば、互いに利用される可能性が生まれてしまう。僅かな可能性ですが、そんな面倒事に巻き込みたくはないですから。
今の汎用魔法を見せてもらってもいいのですが、それでは価値が足りない可能性も……。
「イナバ、竜の鱗ならお守りにいいんじゃないかな?」
それです。他の種族から見れば価値は高いですが、竜族から見れば価値は高くない。なにせ生え替わりますから。
ユウの提案に頷くと同時に、空中へ竜族の文字で言葉を描きます。
『それを1枚』
「む。竜鱗、それも1枚でいいのだろうか? 貴殿らの行いの価値を考えれば、もっと――」
「竜麟だって!?」
竜人族の青年の言葉はやり取りを見守っていた周囲からの叫びで絶たれます。しかし続く言葉は叫んだ本人ではなく耳長の、おそらくエルフ族の少年が引き継ぎました。
「竜人が認めた相手にだけ与えるという証ですか。まあ今回の件であれば認められるに値するでしょうね。竜人にとって戦うことすらできないというのは相当、堪えるようですから」
いえ、証とか欲しくないのですが……まあ周囲が納得するものであると竜人族の青年に伝えられたのは都合が良いですので黙っておきます。
「外ではそのような認識だったのか。それならば鱗を引き抜くゆえ、少々待ってほしい」
そう言い残し近くに誰もいない広いスペースへと移動した竜人族の青年は、僅かに顔をしかめつつその身を巨大な竜へと変化させました。
周囲から「おおー!」という歓声があがります。そして大きな爪を身体に突き立てようとしたところで空中に描かれた文字を見たのか、動きを止めました。
『私が抜きましょう』
顔をしかめた理由はおそらく、痛みが伴うからでしょう。頑強な鎧となる鱗はその結び付きも強いもので、慣れない者が抜くと痛いはずです。
「し、しかしだな。竜の鱗は頑強ゆえ、兎殿や主殿の力では引き抜けぬと思うのだが……」
私達が無様な姿を晒さないようにと気を使っての言葉でしょうが、無理やり抜くから力が必要であり痛いのです。
とてとてと可愛らしく駆け寄った私は彼の全身を眺めます。逆鱗を避け、比較的古く近いうちに抜け落ちそうな1つを視界に収めたところで間近まで近づきその身体にそっと手を触れます。
そして……てぃ。
「ぬ、抜けぬであろう?」
彼の心配そうな、不安そうな声に応えるように空中へ文字を描きます。
『確かに頂きました』
既に私の手は身体から離れており、そこには鮮やかな青い鱗が1枚だけ載っています。
振り向いてそれを皆が見えるように掲げれば、小さな感嘆が場を包みました。
「ぬ、ババ様の時ですら相当に痛かったのだがな……」
状況が違うというものです。
そもそも生え替わる際は苦痛を伴わないのですから、選んで抜ける状況であれば同様の結果が得られても不思議ではありません。ババ様が誰かは知りませんが、抜く必要がある鱗を抜いたために痛みが発生してしまったのでしょうね。
竜の姿から竜人の姿へ戻る彼に背を向けユウのもとへ駆け寄ります。その途中、先程の森で回収した樹木の情報体を加工して小さな青空色の巾着を作り展開すれば、入れ物のできあがりです。
竜麟が入ったそれを差し出せば、ユウは笑顔を浮かべて受け取ってくれました。
「うん、預かっておくね」
展開は仮初めの実体化。私が展開を解除すれば、あるいは微々たる維持エネルギーが尽きれば幻のごとく消え去ります。中の竜麟を残して。
ですが、それでいいのです。
既に竜鱗の利用方法は思い浮かんでいるのですが、この場でそれを行うのは気が引けます。そのため次に2人きりになれる時まで利用できる入れ物が欲しかっただけなのですから。