機巧少女 1/2
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ベアリアス・ワールド、最大勢力の1つ。領土『日本』がサカフィに有する領土館を1人の少女が見上げていた。
翠色の浴衣で身を包み。肩下で翠色の毛先を揺らし、不安そうな翠色の瞳で館を見つめ。大きめの胸の前で両手を組み、握りしめ。
場違いかつ、ここにあるべきといった雰囲気の少女に行き交う人々は視線を向けるが、声をかける事はしない。人族竜族精霊族妖精族等など、誰も声はかけない。
「うぅ、なんでこんなに立派で大きいのでしょうね」
少女『ユウバリ』はそういう場所に慣れていないわけではないが、知らない世界の知らない場所ともなれば足が竦んでしまう。
先程までいた場所でも翠という知り合いに似た少女を見つけてテンションが上がっていただけであり、もしいなければ恐怖に身を竦ませていたかもしれない。
「しかし翠のため、今後のため。政府にパイプは作っておいたほうがいいですし、なにより今を知りたい」
今を知りたい。今の"日本を"知りたい。
情報体に熱中して徹夜して、風邪を引いて年下の男の子に看病されてドキドキしていた少女がどんな世界で生きているのか。それを知りたかった。
正確にはその少女と同じ姿、同じ魂をして別の環境で生きてきた少女なのだが。
「ええい、近くに巨大な次元断層が出現したあの時よりはマシです! さあ、行きましょう!」
無理やり自分を納得させ、少女は進み始める。
そして大きなドアをノックして……
『なにをしているのですか、ユウバリさん』
目の前に現れた仮想ウィンドウに身体を揺らす。
黒髪黒目の美人の顔だけを映し出し、呆れたような声を発生されるそれはユウバリの知っている人物に該当する。
「わ、わ……仁淀さん、ですよね?」
『ええ、仁淀です。日本国首相補佐の仁淀ですよ、大和機巧開発開発室室長補佐のユウバリさん』
知っているものしか言えないその肩書を聞き、ユウバリは安堵した。
この人は自分の知っている、自分と同じ世界を知っている仁淀本人であると。
『ですが、今はただのユウバリさんです。私も首相に召喚されましたが、ただの仁淀です。立場など気にせず、同級生と話すような感じでかまいませんよ』
機巧少女に同級生などいないのだが、召喚主のユウバリと四葉の関係を思い出し、それを当てはめる。
「は、はい。それでは失礼します」
とは思いながらも、慣れ親しんだ間柄は急には変えられない。そんなに器用ではない。
硬い動きで目の前のドアを開け、中へと足を踏み入れる。
「ユウバリ、久しぶりだな」
そうすれば見知った顔が迎えてくれて安堵が重なり、不安が和らいだ。
"機巧少女にしては"短めの黒髪と真っ直ぐで揺れない黒い瞳を持つ、憧れの1人。きっと日本に所属していた機巧少女の多くが憧れていたであろう人物。
長門、その人だ。
「なに、今日は現状を教えるだけにしろと釘を差されているから気楽にしてくれ」
"今日は"という部分を不思議に感じながらも、それが自分を勧誘してくれるかもしれないのだと考えれば嬉しくもなってくる。自分にそれだけの価値を見出してくれているのだから。
「お久しぶりです、長門さん。えっと……今さっき召喚されたばかりで……」
「大丈夫だ、おおかた聞いている。まずは仁淀のいる部屋に行って、座って落ち着いてから話そう」
「は、はい」
何度も情報体を整備していた間柄なので慣れてはいる相手なのだが、それでも憧れを抱いてしまう。
絶対に届かないと思わせる在り方が、そう思わせる。
それが健在で嬉しく思い、それでも違っていて欲しかったとも思ってしまう。彼女がまた、日本に所属していたのだから。
領土『日本』の領土館の一室。
大きくも小さくもないテーブルといくつかのソファーと、窓を背にした机椅子のセットがあるそこは仁淀に与えられた部屋であり、仁淀や長門が個人的に会いたい人物と会う時に使うと決めていた場所である。
「お久しぶりです、仁淀さん」
「こちらこそお久しぶりです。今日はとりあえず、現状についてお話しましょう」
ユウバリが勧められるままソファーに座れば、その対面に仁淀が座る。
「とりあえず……何を聞きたいですか?」
「日本は……"現実の"日本は……安全なんですよね? 魔物のいない、安全な世界なんですよね?」
「はっきりいえば、歴史上で最も安全でしょう。魔物はいませんし、守護神イザナミ様がおられ、国自体の技術力も他の国と比較して遥かに高い。イギリスのアテナ様を除けば、まず勝負にならないほど安全です」
「そう、ですか」
仁淀の口からその事実を聞かされ、ユウバリはようやく納得からの安堵を漏らした。
仁淀という人物は"日本に関して"、間違いなく客観的な評価をくだす。その人が安全だと言ったのだから、まず安全だろうと。
「……あなたなら情報体から聞くと思っていましたが、やはりマスターの安全が第一ですか?」
「翠の笑顔以上に必要なものなどありませんから」
ユウバリの浮かべた眩しい笑顔を見て、仁淀も、仁淀の後ろで立っている長門も微笑んだ。かつては国有数の技術者と言われた女性のパートナーといえど、普通の機巧少女だと知れたのだから。
国民は笑顔でいるべきというのが2人の考え方であるのだから。
「では、次は魔物について話しましょうか。基本的な考え方としては日本の魔物ランクから2つ落とせば、この世界の基準になります。世界や国々で差はありますが、それを基準として考えて問題ありません」
「種類はどうですか?」
「圧倒的に増えていますが一部を除き対処できないほどではないでしょう。まあチュートリアルでランク6を倒させるようなゲームですからね」
ランク6といえば、旧基準でランク8相当。昔の日本ならば国が総力を上げて多大な被害を出して、なんとか討伐できるような魔物だったはずだ。
情報アクセサリーが進歩しているとはいえ、ユウバリにとっては信じがたい事実だった。
「まああれはランク6とか言われてますが、実質ランク2ですからね。基準が魔法のある世界のものなので、情報体をもちいれば簡単という場合もあります」
「実質ランク2? どんな魔物だったのですか?」
「外装が魔法を弾き、内核が物理を遮断する魔物です。情報体はどちらにも通りますので、ただの一撃が重いだけの魔物です」
情報体が突き刺さる魔物だからこその"実質"ランク2。他は基準通りの強さと考えたほうがいいだろうと、ユウバリは判断する。
「まあ今のところ、近くに出現する魔物はすべて対処できたから安心してくれていい。街まで逃げてくれさえすれば、私が対処しよう」
「相変わらず強いんですね」
長門の相変わらず力強い言葉に、ユウバリはつい聞いてしまった。
「私は日本の旗印、長門だからな。そこに国民がいれば守るだけの力を求めるし、手に入れる。魔物や敵国という見える脅威としか戦えないが、それに負けるつもりはない」
自信満々というよりも、それが当然といった様子で長門は語った。
実際ユウバリは、日本国民は長門が負けたところを見たことがない。あらゆる状況ですべての民を守りながら勝利を収めている。
長門という旗の背中にいれば必ず生き残ることができると確信させるほどの実績を重ねてきたのが、この女性である。
他のビッグ7が所属する国の国民さえ、長門に憧れるものは多かった。多すぎた。
「……長門さんは、ゆっくりと過ごすつもりはないのですか?」
「護が国を守る役目についていて、弓弦と仁淀がいて、日本国民がいる。ならば私は護りたいのだ、国民を」
日本最優先。正確には日本国民最優先。
それが目の前の女性たちの方針だった。あらゆる状況で変わらなかったそれは、生まれ変わったともいう状況の今も変わっていなかった。
憧れはするものの、そうなれはしない。なりたくはない。
それが彼女達への、賞賛だった。
「かっこいいままですね」
「ただの我が儘だ。君が気に病む必要はない」
長門の優しげな声音にハッとしたユウバリはつい、顔を触りそうになった。表情に出ていただろうかと。
「長門も私も、もとからこんなですから気にしなくていいですよ。それよりもあなたは我らが護るべき国民を、マスターを笑顔にしてあげてください」
「はい、それだけは必ず」
ユウバリは自信を持って答える。答えなければいけないと直感的に思った。
彼女達の億分の一以下であっても、彼女達の負担を軽くするためならばと。なによりマスターを笑顔にしたいと思う機巧少女はとても多く、ユウバリもその中の1人なのだから。
「他に聞きたいことってありますか? 思ったよりは話すことがありませんでした」
「……あとを聞いても……いえ、忘れてください」
ユウバリは言葉を霧散させるように首を振って、テーブルの上に用意されていたコップへと手を伸ばした。
ほんのりと暖かく、慣れ親しんだ匂いのするそれは、きっとお茶なのだろう。
「ああ、それがありましたね」
仁淀が忘れていたといった様子でそう漏らせば、ユウバリの動きが止まる。
イナバの反応から、まさか教えてもらえるとは思っていなかったのだから。
「一切、語るつもりはありません。今後一切、他の機巧少女にも聞かないようにお願いしたいです」
その言葉を聞いたユウバリは残念な気持ちと、納得の気持ちが入り交じった感情を抱える。
理性は告げるのだ、聞くべきではない内容だと。
心は囁くのだ、聞いておかなければ後悔すると。
「わかり、ました」
しかしユウバリは"大人"だった。大人であってしまった。
その表情を見た仁淀は口を開き
「私や長門はかまわないのですが、それがトリガーとなって思い出してしまう子もいるのですよ。それなら蓋をしたまま、それを開けずに今を幸せに生きていて欲しい。私たちはその道を選びました」
そう告げた。困ったような笑顔を浮かべて。
結局は輪の外なのだ。命を断つという選択をした自分は、輪に加わらなかった自分は、知るべきではない話なのだ。そう思い至ったユウバリは頭を下げた。
そして持ち上げられた顔は真剣そのもので
「必要となるその時まで」
今しがた宣言した。約束した。
マスターの表情が曇り続けるようならば、なんとしてでも探り出す。他の誰の心が壊れようとも、マスターの曇りを晴らす。
だから申し訳ないが、聞き入れられないと頭を下げた。
これはユウバリが"外れている"のではなく、機巧少女の多くがこうなのだ。皆がマスターの笑顔を見るために、その手を取り、現れるのだから。
ゆえに先程、自身が言っていた通り仁淀や長門が例外である。
「まあ、そうですよね。可能な限りでいいので、それに関しては口を閉ざしておいてください。それよりも」
額に手を当ててため息を漏らすようにそう言った仁淀は、一転して声音を変えて続ける。
「無事、召喚できた機巧少女達に何かしらを贈りたいのですが……あなたは何が良いですか?」