狐とは化かすもの 2
余談ですが、昨日、ストーンヘンジに行って参りました!やっぱり実物は大きくて迫力がありますね……。
トン、と軽やかに地面に着地する。高い距離からのその着地、凛の周りにかすかな土埃が舞い上がった。
羽織った黒いマントの裾を軽く払って凛が立ち上がる。数メートル先には、先ほど鬼をキリキリ舞いさせていた件の天狗の少年がじっとその姿を見つめていた。
「やっぱり、決勝はお前と当たることになるだろうと思っていた、……白狐の凛」
きっと凛を睨み付けてそう言った彼に、凛はどうでもよさそうに首を傾げた。
「光栄です……とでも返しておけばいいのかな?悪いけど、私は貴方の名前も知らない」
「言ってくれるじゃん、昇級確定したからっていい気になるなよ。ここでお前を倒せば、昇級試験への推薦も取りやすくなるってもんだ」
そう言ってその天狗はパッと手にした扇子を広げた。彼自身の背に生えるその羽で作られたのであろうそれは、彼が仰げばほとんどの者が吹き飛ばされること必須の代物である。
しかし凛はそれを見てもあわてることなく、むしろ余裕の笑みで剣を構えた。
「無理だと思うよ……あんたじゃね」
ポツリと凛がそう呟くが、その声は彼にまでは届かない。
天狗の少年はニッと笑って扇を高く掲げると、試合開始だ、と大きな声で宣言した。
まずは小手調べ、とばかりに彼は躊躇なくその扇を振り下ろす。一つ前の闘いの時はいくらか力を抑えていたのだろう、先ほどとは比べ物にならないくらいのその風塵に、同じ中級クラスのギャラリーがどよめく。
閃は、先ほどと同じ場所から欄干に頬杖をついて、ジッと二人の様子を見つめていた。
土埃がいくらかおさまり、浮かび上がるのは凛のすらりとしたシルエット。突風の名残にその長髪が揺らめいているが、どこかにダメージを受けた形跡のないその姿にまた観客席がざわめいた。
天狗の生徒は、チッと舌打ちをするとひらりとその黒い翼を開いて上空へと舞い上がり凛から一定の距離をとる。
「ま、前例のないこの速さでの上級クラス昇級__一筋縄ではいかないのは承知の上ではあったけど……後学のために聞いておこう、どうやって風を回避した?この威力、一時的な筋力の増加で踏ん張っていられるような限度ならとっくに超えていると思ったが」
「いいね、学ぼうって姿勢は大事だ。……でも、一つ間違ってる」
剣を一振りして舞い上がる土煙を振り払いながら、凛は淡々と答える。
「回避なんてしてない。私は君のその竜巻みたいな風を真正面からちゃんと受けたよ」
凛はニヤリと笑って地面を指さす。
「確かに貴方の言う通り、さっきのその風の威力は中々強い。だけど、所詮風は風。吹き飛ばされなければ痛くもかゆくもない__いや、土埃はちょっと目に染みるかな、でもそれだけだ」
「だが、あの威力の風を受けて立っていられた者なんて今まで__」
凛はまどろっこしそうに剣を彼に向かって一振りする。と、その軌跡が鋭い刃となってまっすぐに宙を飛び、彼の敵へと向かっていく。加速するその刃に、天狗はぎりぎりのところで顔を傾けて回避する。
外した__いや、彼のその回避までを計算に入れて外したのかもしれない。凛の目は、その天狗に「人の話は最後まで黙って聞くものだ」と冷たく告げていた。
「さっきから私が指さしてるこれはなんだと思う」
「地面……だろ」
何を当然のことを、と怪訝そうに天狗が答えるが、凛は気にした風もなく無表情で頷いた。
「そう。貴方が言った通り、あのレベルの風はそうそう踏ん張ってやり過ごせるようなもんじゃない。だからね、自分を強くするんじゃなくて、自然の力を借りるんだ。つまり……重力」
「なっ……」
その手があったか、とばかりに天狗が驚きと悔しさの表情を浮かべる。観客席からも、なるほど、とばかりに感嘆の声が上がった。
その様子を見ていた閃は、さすがは教官、凛の手口は見抜いていたのであろう、驚いた風もなくうなずいている。
「もちろん重力を強くすれば立っているのにもエネルギーがいるから、結局自分の方の一時的な筋力強化も不可欠だけどね。でも、このたった二つの組み合わせで、貴方の得意な風は無力化できる」
「……自然に干渉する術式なんてそう簡単にできるもんじゃねぇ……それをあの短時間で組み上げて実戦で使うなんて想像できるはずがない……!」
「誰にでもできることじゃないのは知ってる。でも私は例外……それだけ」
凛の冷たい眼が彼を見据える。天狗の首筋を冷たい汗が流れ落ちた。彼はようやく気が付き始めていた。自分が誰と戦っているのか__自分が誰を相手にとって戦っているのかということを。
血筋も、そこから受け継いだ妖力も、彼の方がはるかに優れていることは明白だった。それでも彼にとって凛は確かな強者で、挑戦者だと思っていた凛は、挑戦者である自分を迎え撃つ格上の相手でしかなかったことをやっと自覚する。
それでも、遥か千年以上受け継がれてきた天狗の血とそこに流れるプライドが、凛は蔑みの対象であるべきだと告げていた。今まで絶対と思い込んでいた妖力の差を鮮やかに覆したその狐に、向けるべき感情すら彼は知らない。
「もったいないよ」
「あ?」
地上の凛が首を傾げて天狗を見上げながら唐突にそう言った。
「あんた、それだけの資質があるんだ。もっと強くなれる。……その驕りさえなければね」
そう言って凛は目を閉じる。
「もう遊びは終わりにしよう」
突然背後から聞こえたその凛の声に、天狗は驚いて振り向いた。扇を振りかざそうとするも振り上げられたその銀色の剣はすでに目の前まで迫っていて、もはや防ぐ術が残されていないことは火を見るよりも明らかで。
その切っ先が胸を貫く痛みとともに、頭上に「戦闘不能」の文字が現れた。試合終了だ。天狗の少年は、自分の力がコントロールを失って地面へと重力のままに落下していくのを感じた。
この学園では、いくらが焼こうが氷漬けにしようが刺されようが切り裂かれようが生徒が死ぬということはないように結界が張られている。戦闘不能の文字が出たところで、敵対者はもう対象に攻撃はできない。
ただしその痛みは本物で、味わう苦しみとて偽物ではない。
胸からあふれ出る血から目を反らして、天狗はどうにか迫りくる地面を見下ろす。先ほどと同じ位置に、平然と凛は立っていた。顔を上空へ戻すと、そこにもやはり、同じ無表情の凛がこちらを見下ろしている。
「どう、して……」
そう声を絞り出すと同時に、その体が地面へと叩きつけられた。凛は軽やかにその隣に着地して、天狗の身体から彼の剣をグッと引き抜く。左手の指を二本、きっちり揃えてその刃の上に翳しながらスライドさせると、その指の動きに合わせて綺麗に血痕が拭われていった。
「さっきと同じ、妖術の応用だ。光の屈折を利用した体の透明化と残像の維持、それを少し複雑な式に変えれば残像の動きも操れる。残像が喋るように感じたのは、簡単な音源転移の術式だ。……組み合わせれば、あたかも地上にいた敵が突然、上空にも一人現れて斬りつけてきたように見える」
その言葉通り、地上に立っていた凛の姿はただの幻影だったのであろう。今はもうそちらの影はかき消えて、天狗の隣にたつ実体だけが残されている。
「狐ってのは、化かす生き物だから……。こういうのが、美しい戦い方ってもんだよ」
凛は剣の柄を握ってそう言いながら、その腕を軽く振る。その動作に合わせて、現れた時と同じようにその剣は光の粒子となってまた空中に消えていった。
凛はもう天狗には興味がないとばかりに目もくれず、観客席の方をすっと見上げた。先ほどと同じ場所に閃が立っていて、凛と目が合うとひらりと軽く手を振る。さすが、とその口元が動いたのが分かる。
凛は少しだけ口元を緩めて肩を竦めると、それきり闘技場ドームを後にした。
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そういえばこの小説、アルファポリス、カクヨムでも連載させて頂いております。
おそらくカクヨムの方が読みやすいかと思われますので、もしそちらでアカウントをお持ちであれば是非ご一読ください!
https://kakuyomu.jp/works/1177354054882769371