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境界  作者: 半透明の空白
3/11

白狐、凛

「おはよう、牡丹」

「おー、弥一」

「随分眠そうだね。週末、ずっと出かけてたって聞いたけど?」


月曜日の朝、どこかけだるげな雰囲気が教室を満たすのは現世うつしよでも幽世かくりよでもさして変わりはない。机につっぷしどうにか昨日の睡眠不足を埋め合わせようと意気込んでいた私に話しかけてきたこの白狐、彼はその名を弥一という。


彼は現世におけるご近所さんというやつで、彼のお社と私のアパートは徒歩3分ほどしか離れていない。所謂幼馴染であるといっても差し支えないくらい古くからの顔馴染みであるが、因みにそんな私ですら弥一が神様であるのか妖怪であるのかいまひとつ判然としないことをここに白状しておこう。

お社付近の人間からはそれなりに有難がられているようだから、最近は神様としてうまくやっているようではあるが。


実はこの二つに大きな差はなく線引きが曖昧なので、私は全部まとめて我々のような生きものを『人外』と呼ぶことに決めている。至極シンプルな区別の仕方で私は好きだが、自らの『神』や『妖怪』としてのステータスに拘りをもつ者たちからしたら『人外』など呼ばれるのは彼らの沽券にかかわるらしい。一度、妖怪として名高いとある天狗を『人外』と呼んだらたら辻風で隣の県まで吹き飛ばされて、ひどい目に合ったものだ。


「うーん、ちょっとね。帰ってきたのが昨日の夕方で、そこから手つかずの課題やってたから……」

「あー、術式の課題でしょ?あれ時間かかるもんね~」


弥一は私の一つ前の席に鞄をおきながら、そう言って勘弁してほしい、といった風に笑った。

基本的に教室の中で決まりきった席というのは存在しないが、それぞれなんとなくの定位置は決まっている。大きくそれが代わるというのはそうそう頻繁に起こるものでもない。


種族の違いがある分、この学び舎におけるクラス内での派閥争いは人間の学校と比べてもずっと激しいといえるだろう。定位置がはっきりと変わるのは、教室内の力関係に変化のあったときだけである。付け加えておくと、ここでいう「力関係」というのは人間の子供たちの社会でいう「陽キャラ」「陰キャラ」とかいった生半可なヒエラルキーの話ではない。

誰が「人外」として一番の強さを誇るかという、文字通りの力関係である。


「そういえば、先週の実技どうだった?」

「あーまあ、悪くなかったかな。一応今の生活水準はキープできると思う」


席についた弥一にそう問いかけると、彼はこちらを振り向きいつも通りの控えめな解答で曖昧に微笑む。この男、大人しく人畜無害そうな顔をしているが、こう見えて成績はかなりいい。生粋の妖狐として元々の妖力のキャパシティがかなり大きいことに加え、相当の努力家である彼は筆記実技ともにトップクラスの成績を誇る。


「あーあ、またそんな控えめなこと言って。まあ弥一が実技で失敗するなんて早々ないもんね」

「牡丹だって苦手じゃないでしょ、実技」

「うーん、でも私は式いじってる方が好きだから筆記の方が得意なんだけどね」

「そりゃあ牡丹は筆記ならトップレベルなんだから、それと比べちゃダメでしょう……。私はたまたま実技の方が得意ってだけだよ」


肩を竦めて目を反らす。かくいう私も、弥一と同じAランクの成績は一応キープしているのだ。

そう、「ランク」とは、この全寮制の学校で総合的な成績に応じて与えられる評価のことであり、これが全寮制のこの学校における生活水準に深いかかわりを持っている。

ランクにはAからEまでが存在し、それぞれのレベルに応じて特権が与えられる。例えばAランク生徒は食堂のメニューがすべて無料、学内の生協も50%offとなる。与えられる寮も、Aランクは二部屋、Bランクは一部屋の個室、Cランクは2人部屋、Dランクは4人部屋、Eランクが6人部屋となり、かなりスペースが異なるのだ。ちなみに、個室であればシャワーまでついているし、Aランク生徒の寮ともなると各部屋にちょっとしたキッチンまでついている。


日本の現世における学校では先輩後輩という力関係が学内を支配していると耳にしたことがあるが、こちらの世界の学校は、この「ランク」に基づいて大まかな力関係が設定されるわけである。しかもそれが生活のレベルに密接に関わっているとなると、成績というのもなかなか、ないがしろにはできない。


「はあー、2人はいいよ、安定して個室とれるんだからさぁ。俺なんかもうこの間の実技ぎりぎりだったからCに落とされるかもってヒヤヒヤしてんのに……。個室のシャワー使いてぇ~」

「あ、紅丸。おはよう」


教室前方の入口からちょうどやってきて私たちの会話に参加した彼は、その名を紅丸という、この幽世では稀にみる人間の少年だ。当然こんなところにいるわけだからただの人間ではないが、それでも彼の要する妖力は我々に比べて非常に少ない。

彼は試験の度にBランクとCランクの間を行ったり来たりしているが、数少ない人間の生徒としてこれは、非常にいい成績といえるだろう。弱肉強食が基本のこの世界、妖力のキャパシティの大小はもっとも基本的かつ重要なステータスの一つであり、それが圧倒的に少ない人間の生徒はまず最初から大きなハンデを抱えているということになる。人の子の生徒はその多くがDまたはEランクに所属しており、辛うじてといえどBランクに食い込んでいる紅丸は、まず人としてトップクラスかつ誇れる能力を持っていると言ってよいだろう。


「共同浴場そんなに嫌だ?一応衛生面はちゃんとしてるって聞いたけど」

「いや、俺はいいんだけどさ、狐たちいれてやれないから不憫でな。あいつら獣だからそうそう風呂なんて入んなくてもいいんだけど、中にはやっぱ水浴びとか好きなやつもいるからな」


弥一の問いに、紅丸は溜息を吐く。狐たち、というのは紅丸に憑いている飯綱たちのことである。人間の生徒の多くは妖使いや妖に憑かれた家の筋の者、もしくは神主などの類の人々であるが、紅丸も例に違わず飯綱と呼ばれる狐に憑かれた家の筋の少年だ。彼は75匹の飯綱達を使役する狐憑きで、その一匹一匹をまるで自分の子供のように可愛がっている。

個々の妖力は決して高くないため、会話などの言語を介する意思の疎通はできないが、紅丸曰く彼らは以心伝心だそうで言語の有無による不自由はしないという。


付け加えておくなれば、一個体ずつの妖力が決して高くない飯綱は、その数の多さを生かした連携という点においてその真価を発揮する。そしてそれは当然、彼らを使う「狐憑き」の人間の采配次第なわけで、飯綱がその力を存分に振るえるかどうかは主人の双肩にかかっていると言っても過言ではない。


「ああ、なるほどね……さすがに狐たちは大浴場入れないもんなぁ」

「良かったら私のシャワー使うといいよ。紅丸の飯綱たち、可愛いもんなぁ」

「マジで?それめっちゃ助かるわ!」

「あー、弥一は紅丸の飯綱ちゃん達好きだもんね~」

「まあ、私と同じ狐だからねぇ」


弥一、紅丸とそんな風に話をしていてふと気づく。やはり親近感は心の壁を打ち砕く効果があるらしい。なんとなく、数週間前にロンドンのカジノで出会った少年を思い出してふっと笑みを浮かべた。今までカジノで出会う人間と深入りをしたことなどなかったのに、日本人同士であるというだけであんなに意気投合し、以来、週末の夜ごとにバーで二人酒盛りをしたりペアを組んでカード勝負に繰り出したりしている。時差のおかげで向こうの夜はこちらの昼間だが、そのせいで課題の時間がおしてしまった。寝不足の原因はここにある。


「あ、そういえばさ、二人とも例の狐の話聞いた?」

「あー、もしかして、凛とかいう白狐のこと?」


ふと思い出したようにそう始めた弥一に紅丸が反応を見せるが、私といえば白狐の凛なんて生徒の名前は聞いたことがない。首を傾げると、紅丸が嬉々として解説をしてくれる。


「半年くらい前にココに来た白狐の女生徒で凛ってやつがいるんだけどさ、そいつがまたヤバいらしくって!」

「ヤバい、ってどういうこと?」

「半端じゃなく強いらしいんだよな、それが。確か年明けてすぐくらいに来たのにもう上級クラスに上がってくるって聞いた」


人間の学び舎とは違って、ここで「入学」「卒業」という制度はない。学びたいものが好きな季節にやってきては事務手続きを通して籍を置き、これ以上はここにとどまる必要がないと判断し社会に出ていくものは勝手に去っていく。人間社会のような決まりきった年数というのがない、個々人が動きやすい勝手気ままなシステムになっている。

そもそもの社会が強さによってのみ構築されるこの世界、政府や王すら存在しない。八大天狗や天狐、仙狐をはじめとする大妖怪、天照大御神とその筋の神々、確かにそういう絶対的な勢力は存在し、彼らが力をふるってそれぞれにこの世界を治めてはいるが、現世のようなはっきりとした社会制度なんてものは存在しない。


つまり、ありていに言ってしまえば、現代社会なんかよりもずっとゆるくできているのである。入学、卒業、その他学校らしいシステムをあまり持たないこの制度、そんな世界らしい制度であるといえばそれまでだが、どこかこちらの世界に蔓延する物憂げな雰囲気を反映していないと言えないこともないだろう。


しかし、そんな現世らしいシステムをきれいさっぱり取り払ってしまったこの幽世の学園においても、いわゆる「学年」に相当する制度は組み込まれている。何年制、という仕組みではないので現世の学校のように決まりきった学年があるというわけではないのだが、その生徒一人一人のレベルに合わせて「初級クラス」「中級クラス」そして、「上級クラス」に振り分けられるという、そういう制度がこちらの世界の学校にも存在するのだ。


入学当初は、(大妖怪、主要な神々の直系の血を引くだとか、そういう)よほどの例外を除いてほとんどの生徒が初級クラスに入れられる。術士も獣使いも妖怪も神も天使も、みな初めはここで様々な術の基礎と制御の仕方を勉強するのである。昇級試験は月に一度行われるが、各科目の教師に推薦をしてもらわないと、そもそも受験すらさせてもらえないため、昇級はそう簡単なことではない。


妖術のキャパシティが大きいものや元々の才能がよい生徒はだいたい半年ほどで昇級し、「中級クラス」の生徒となるが、一般に初級クラスを修了するには1年以上かかると言われている。

現世ではこの初級クラスを修了した人間はプロの「術士」として認められ仕事が得やすくなるとかで、初級クラスを修了したら幽世を去っていく人間も少なくない。人間の生徒の殆どが初級クラスに分布しているのは、妖術の小ささに加えてこんな理由も挙げられるのだ。


そうして中級クラスに昇格した生徒たちは自分の専門となる科目に合わせて授業を選択するのだが、ここから本格的な術、魔法の勉強が始まる。中級クラスからの昇級試験は二か月に一度、これも各教師からのGOサインが必要となり、その試験内容は初級クラスのそれと比べてもずっと複雑で難しい。

中級クラス修了には少なくとも二年、平均的には四年ほどかかると言われ、中にはここで修了を諦めて帰っていく生徒もちらほらいるくらいである。


そうして最速で三年弱、長ければ十年近い歳月をかけてようやくたどり着けるのが、私、弥一、それから紅丸の所属するこの「上級クラス」、というわけである。その年月の長さからも分かるであろうが、ここまでたどり着くというのは生半可なことではない。上級クラスの生徒は学園全体のわずか10パーセントほどで、上級クラスでは、現世で言うところの「大学院~博士課程」レベルの専門的な知識と技術を仕入れていくことになる。


話を聞けば、その凛とかいう白狐はわずかひと月で中級クラスに昇級、その中級クラスも半年足らずで修了したというのだから、これは確かにただものではない。

上級クラスでも上層にいるこの私でさえ四年と二か月、弥一すら三年と十一か月の月日をかけてここまでたどり着いた。それをたったの半年でここまでくる生徒がいるとは、上級クラスAランクの私としてはあまり面白いとは言えないが、だからこそどうにも興味をそそられる。


「私と同じ白狐っていうんで、だいぶ前から噂は聞いてたんだけどね。入学当初から、新入生とは思えないくらいの知識と技量を持ってたって話だよ」

「人間の生徒たちの中でも結構話題になってたぜ。血筋も聞いたことないようなところだから大御所じゃないだろうに、一体どこでそんな術を磨けたのか、ってな」


代わる代わる説明を繰り返す弥一と紅丸に、私はふうんと相槌をうちながら首を傾げる。確かに、ちょっと妙かもしれない。


この学び舎__そうやって私がこの学園のことを曖昧に呼び続けているのには理由がある。この学園には、固有の名というのが存在しないのだ。

何故か、その理由はいたって簡単。

幽世にはたった一つしか学問をする場所が存在しないから。そのために、学校、学園、学び舎といえば必然的にこの場所のことを指すのである。すでに唯一無二であるからこそ、固有名詞をわざわざつけるまでもないという、つまりそういうことなのだ。


しかしここで一つ注目してほしい。上記のことを鑑みれば、要するに、この学園に入らずして術を体系的に学ぶというのは甚だ難しいことなのである。もちろん、他の力のある妖怪に弟子入りしてそこで学ぶであるとか、名のある人外の血筋であれば親を始めとした親戚を師と仰ぐとか、そういうやり方はなくもない。しかし力のある人外は大抵独自の術を有するもので、それは外からひょいとやってきたものにおいそれと授けてやれるものではない。特に最近はそういった秘密主義的なやり方が流行っていることであるし、弟子をとるというのは、よほど相手を気に入るか何か特別な事情がない限りまず有り得ないと言っていいだろう。


そうなると、残るは親戚にそういった大御所がいて術を磨くことができた、という可能性しかないわけなのだが、どうも凛の血筋は特別名が通っているというわけでもなさそうだ。


「どうも妙だね」


首を傾げたまま、今度はそう口に出してみる。二人も同じように考えていたのだろう、思案顔で頷く。


「そう、妙なんだ。あんまり異例の速さなもんだから、他の狐のグループの一部は何か裏があるはずだと踏んで快く思っていないらしい」

「中級クラスで凛と同じ授業受けてたって人間の知り合いがいるんだけどさ__、あの白狐は圧倒的だったって、そう言ってたんだよね。まるで、中級クラスの内容なんか初めから全部知ってるみたいだったって」


余談だが、紅丸は、数少ない上級クラスまでたどり着いた人間の生徒として、学校全体の人間の生徒たちとリーダー格らしいところがある。面倒見のいい彼を慕う人の子たちが少ないはずもなく、彼が学園内に持つネットワークには中々驚かされることがある。


「しかし、これは少しこっちも荒れるかもしれないね」


長い年月が悠々と流れるこちらの世界では、イレギュラーというのは珍しい。凛だとかいう白狐がどれほどの力をもつ狐であるか、それはまだ分からないが、彼女の存在は今、間違いなく学園内で断トツの不確定要素だ。


それが、私を取り巻く学校生活にどれほどの影響を与えるのか、その判断は今はまだ難しい。しかし、これは少々こちらも警戒して、彼女に対してどういう立場をとるべきか考えなければならないだろう。


弥一と紅丸も同じように感じているのだろう。初夏を感じさせる爽やかな夏の風とは裏腹に、そんな緊張の面持ちが私たち三人の顔に浮かべられていた。



前回の投稿より一日間が空いてしまいましたが、どうも、半透明の空白です。以上、三話目でした。どうでしょう……、お楽しみいただけていれば幸いです。

昨日は投稿できませんでしたので、その分今回はちょっとばかり長めにしてみました。


アクセス解析というものの存在につい先ほど気が付きまして見てみたら、どうにかちらほらご閲覧頂いているようでとても嬉しく思っております。感想やご指摘等頂けますと飛び跳ねて喜びますが、そんな贅沢は私には早いでしょうから、どうか続けてお時間のある時にでもサラッと読み続けて頂ければそれだけでとても幸せです……。

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