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邂逅


第1話 邂逅




 「隣、いいかな」

 

 声をかけてきたのは彼の方からだった。

 今となっては懐かしい、もう数年前の話のことである。ネオンが導く街の地下、ロンドンのとある会員制カジノが私たち二人の出会いの場所だった。いや、正式に初めて私たちが出会った場所は別にあるのだけど、その時の私は彼の正体を知らなかったわけで__しかしそんなことまで話せば長くなってしまう。今は無暗に話を複雑にする必要もないから、ここでは簡単にこの時の出会いが私たちの記念すべき最初の邂逅であったということにしておこう。


 その夜も私はやはりいつもと同じ、地上から響くサイレンの音と緩やかに流れるジャズの演奏に耳を傾けながら一人カウンターでマスターとの会話をつまみに弱いお酒を舐めていた。彼が私に問いかけたのは、人も増えてきたそんな午前二時。宴はこれから、そんな雰囲気が異様に広いカジノの隅々まで充満していたそんな頃。

 声の主は、ここでは__私を例外として__見慣れぬ東洋人の青年だった。まだ若い、下手をすれば高校生にしか見えないようなその彼は、しかし決して人が悪いようには見えなかった。触り心地の良さそうな黒髪が、整った顔の鋭さを緩和させている、そんな印象。

 ここに来るには若すぎるんじゃないのか__自分のことを棚に上げてそんな感想を抱く。


 「どうぞ……、変わった人ね」


 そう答えて私は、自分の隣の椅子を引いて手で指し示す。昨日塗ったばかりのあずき色のネイルが、天井に浮かぶ淡いライトに応えて揺れるように煌いた。


 「第一声がそれ?」


 気を悪くした風もなく、面白そうにそう言って彼は苦笑した。彼は慣れた身のこなしで席に着くと、聞いたこともないような名前のカクテルをマスターに注文する。酒の席での社交よりもゲームの盛り上がるこの時間帯、バーカウンターには私と彼の二人以外に客はいない。

 思いのほか柔らかそうに揺れたその黒髪に、なんとなく手を伸ばしてみたくなった。


 「私に声かける人ってあんまりいないの、だからちょっと意外なだけ」

 「そうなの?声かけられそうな体裁なのに」

 「目立つから逆に知られてるの。知ってるから、誰も私に直接聞かない。そういうことよ」


 私は肩を竦めてそう答えた。私の存在が、このカジノにおいて異質なものであることはもちろん自覚しているけれど、それでも私に表立って疑問を口に出す人なんてそうそういない。

 完全な会員制が採られているこのカジノでは、お互いの素性は明かしてはならない秘密となっている。オーナーがここに来るに相応しいと判断を下した、その事実が全てでありそれ以上の口出しなど差し出がましい真似をするものではない。それがこの場所における暗黙の了解だったから。

 それに加えて、目立った風采をしているカジノの客というのは中々にクセが強い。若すぎる客、もしくは服装や髪型が堅気ではなさそうな客というのは大概何かしらのバックグラウンドがあってオーナーとのコネクションを保っているものである。そんな彼らとトラブルをおかせば良くて退会、最悪のケースともなると裏組織とのトラブルにすら巻き込まれかねない。もちろん私はそんな妙なことをしでかすつもりはないが、それでも一般のゲストからしたら大人しく振舞っているこの私ですら、あまり近づきたい対象ではないのだろう。

 だから、私に興味本位でものを尋ねる人というのはなかなか珍しい。例え私が、こんな繁華街の深夜のカジノにはそぐわない16,7歳の東洋人の女の子の姿で人目をひく見目をしていても。


 「へえ、触らぬ神に祟りなしってとこかな?」

 「神様なんて、私、そんないいものじゃないわ」

 「平気さ。神様自体、そんないいもんじゃないんだから」

 「随分と罰当たりなこと言うのね」


 マスターから青色のカクテルを受け取りながら彼は笑った。


 「でも間違ってない。君だって知ってるでしょ?」


 そう言って彼は、意味ありげな視線をよこす。私はシンプルに気づかないフリをしていた。実際、その時の私は彼が私の素性をどれだけ知っているかなんて確かめようもなかったのだから、結局のところそれが一番の対処法だったのだ。

 彼はちょっとの間その妙な視線でこちらを見つめていたけれど、ふっと口元を緩めて瞬きをした。もう一度開かれたその目に疑惑の影はもう残っていなくて、なんだか安心したようながっかりしたような気持ちにふと襲われる。カジノで遊びなれている勝負師のはしくれとしては、こういう駆け引きみたいな心の揺れは嫌いじゃなかったから。


 「成人してないように見える」


 どうでもいいような風に、彼は明白な事実を口にする。わざと話題を変えるようなその調子を見て取って、ちょっと迷って私もそれに乗ることにした。神様がどうとか、彼の探るような視線の意図が気にならないわけではなかったけれど、少々深入りしたくない話題は避けた方が賢明と判断して。

 

 私は自分のグラスに向き直って、ちょっと気取ってそれを手にとった。視線を合わせないまま、わざとらしく大袈裟にグラスから一口、黄金色のお酒を呷った。冷えた感覚を飲み下す私の喉が上下するのを、彼がじっと見つめていることを私はもちろん自覚していた。ゆっくりと酒気を帯びた息を吐き出し、拗ねたような声を、わざとだと分かる程度にわざとらしく作る。


 「キザな声のかけ方しておいて、案外つまらないこと気にするのね」

 「がっかりした?」

 「別に。最初から期待なんてしてないもの」

 「傷つくなぁ」

 「嘘」

 「本当さ」


 横目で彼の顔を見てクスリと笑う。そんな彼の顔だって、子供らしい無邪気さはまだ失っていないように見えた。


 「童顔なだけ、東洋人だから」

 「童顔にも限度がないか?」

 「そういう貴方も、私と大差ないように見えるわ」

 「童顔なんだ、東洋人だし。少なくとも18は余裕で超えてる」

 「私もよ」

 「本当?全然見えない」

 「疑り深いのね」

 「疑り深い男って嫌い?」

 「可笑しな人は嫌いじゃないわ」


 そう言って私はもう一度、手に取ったグラスを仰いだ。度数の少ない甘い酒を、今度はしっかりと最後の一滴まで喉へ流し込む。

 アルコールは苦手な部類に入るのだけれど、甘くて飲みやすい酒なら楽しめる。私のために、懇意のマスターが考案してくれた、甘くて弱い、梅酒ベースのアルコール。酒に弱いのならはじめから飲まなければいいのだけれど、頭がクラクラするこの感覚がどうも好きでいけない。


 「でも、私以外の東洋人なんて初めて見た。ここ皆イギリス人ばかり」

 「まあ……ロンドンだからね。……でも僕も、僕以外の東洋人は予想してなかった」

 「ふーん、じゃあそれがわざわざ声掛けに来た理由?」

 「うん、まあ、そうなるかなぁ」


 そう言ってで彼は言葉をきった。透明なグラスに深い藍のグラデーションを刻むそのカクテルを一口分だけ傾けて、彼は続ける__


 「もしかして、同郷じゃないかと思ってね」


 __聞きなれた、私、そしておそらく彼の母国語、日本語で。

 私はちょっと不意を打たれて、しかしどこか期待が報われたような嬉しさを心に抱えて、パチパチと瞬きをした。

 海外暮らしを経験したことのある人なら覚えがあるだろうが、外国で日本人を見つけるというのは中々こころに込み上げてくる嬉しさがある。一般に共通点というのは人の警戒心を緩める働きがあるというが、まったくその通りであると私はこの時に初めて実感した。普段から社交というものを好まない私がこれを機に彼と親しくなったのは、まさに同じ国籍というこの共通点が私の警戒心を緩めたためであったろう。


 __はたまた、彼のその風変わりな性格に、無意識のうちにどこか惹かれてしまっていたのかもしれない。しかしそれはもう、この出会いから数年が経ちすっかり惹かれてしまった今となっては判断のつけようもないところである。

 とにもかくにも、これが私たち二人の「最初の」出会いであった。


 〇

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