長嶋家
チョーさんの家は歩いて2時間ほどのところにあった。
そのマンションは田園風景をぶち壊すように建てられた、風景になじまない高級マンションだった。
チョーさんには似合わない、オシャレで今風なデザインだ。
敷地はアイボリー調の塀で囲まれており、外界の風景と一線を引いている。
車が出入りできる開けっ放しの門の前に立ち、太陽に照らされてきらきらと輝くマンションを見上げた。
「さてチョーさん。じゃ、鍵持ってきて。」
チョーさんが驚いた顔をした。
「わ、私がですか!あんまり家族の顔見たくないんですが・・・」
心情は察することができる。
「分かった部屋には俺が入るからとりあえず玄関まで送ってくれ」
まるでホテルのようなエレベーターに乗り込み、チョーさんが手慣れた動作で7階に上がる。
扉が開くと正面の壁に「長嶋家 喪中」の張り紙が貼ってある。
右に曲がるとすぐに小さな提灯が下がっているのが見えた。
一番奥の角部屋がチョーさんの自宅だ。
玄関前に近づくと中からお経の声と線香の香りが漂ってくる。
「で、鍵はリビングの小物入れにあるんだな。分かった。取ってくる。」
うつむいているチョーさんにそう言って俺はドアノブに手をかけた。
バチッ!
鈍い音がして手が弾かれる!
な、なんだ!
ふらついた俺は横の窓に手を伸ばす。
バチッ!弾かれる。
中に入れない!いや、部屋に触ることすら出来ない!
いままでこんなことはなかった。
「結界?!」その文字が頭をよぎった。
そうか!お坊さんのお経は、魂が外に出ないようになのか、または処理隊が入ってこないようになのか。よくわからないが魂が通過できないような結界を作るようだ。
そうとしか考えられない。
「入れないぞ、どうする。誰かドアを開けた時に滑りこむか。いや、ドアを開けても結界の中には入れるとは限らん。」
「こりゃお手上げですね。」チョーさんが肩を竦めている。
丁度その時、ガチャリとドアが開いた。
すかさず俺はそこに飛び込もうとしたが、バチッ!と大きな音をたてて弾かれ、後ろの壁まで吹っ飛んだ。
あいたた・・・腰に手を当てて視線を移すとそこには喪服の女性が・・・
化粧もせず、年齢的には50代後半ってところだろうか。
ひどくやつれて疲れ切った様子で口をハンカチで押さえながら飛び出してきた。
涙があふれる特徴的な大きな目から、その人が誰かはすぐに分かった。
じっと立ち尽くすチョーさん。その視線は女性に注がれていた。
「妻です・・・」
視線を外すこと無く、そう呟いた。
「お父さん、ごめんね。ごめんね。」
女性は顔を手で覆い、呟く。
またドアが開いた。とりあえず間に合わせたと言わんばかりのグレーのワンピースを来た女の子だ。
「娘です・・・」
チョーさんが呟く。
娘さんは母親の肩に手を置き母親を抱きしめた。
「私もお父さんのこと大好きだった。お父さんが私のことを好きになってくれるように頑張ったんだけど・・・」
「お母さんも振り向いて欲しくて・・・でもどうして良いかわからなくて・・・お父さんに辛くあたっちゃってた。ごめんなさい・・・」
俺は尻もちをついたままチョーさんを見た。
すぐ横でこれをじっと見つめるチョーさん。
メガネの下から涙がこぼれ落ち、握りしめたこぶしに落ちた。
ばん!
静寂を破る大きな音がした。
振り返るとエレベーターから処理隊が銃をこちらに向けて駆け寄ってくる。
「危ないっ!」チョーさんが両手を広げ家族の前に立ちはだかる。
「?・・・おとうさん?」
親子はなにかに感づいたように顔を上げた。
「やばい!逃げるぞ!」俺はトクとチョーさんの手を引っ張る。
少し未練を見せたが、何かを決意したように家族に向けていた視線を戻した。
しかし、反対側の非常階段からも処理隊が登って来た。完全に挟み撃ちだ。
俺は回りを見回したが、逃げ場所は一つしか無いことはすでに分かっている。
「トク!チョーさん、飛ぶぞ!」俺は7階の手すりに足を掛けながら叫んだ。
「いやいや、ここから飛び降りたら僕死んじゃいます!」困惑顔のトク。
「ばかやろう、俺たちゃもう死んでるんだ!これ以上死ぬもんか!」
自信はなかったがそう言うしか無い。
チョーさんがトクの腕をとって俺の目を見た。
その目はどこまでも見通せるような目だ。何かが吹っ切れた。いや、何かを決意したような信念のようなエネルギー。
これがレーザービームのように焦点がさだまっていた。
俺とチョーさんで嫌がるトクを手すりに持ち上げ、目を合わせると二人同時にうなずいた。
「飛べ!」
叫ぶと同時に一斉に飛び降りる!
「あぁ〜〜・・・・」
トクの悲鳴がマンションにこだました。
どすっ!
鈍い音がして地面にたたきつけられた・・・
「あたたた・・・」
俺はゆっくり顔を上げた。どうやら死んではいないらしい。
ってか死んでるんだが・・・
幽霊なんだからもうすこしふわふわと落ちていくことを期待していたんだが・・・こんなもんだ。
処理隊も飛び降りることは想定していなかったのだろう。回りにはまだ誰もいない。
しかし、すぐに追いかけてくることは明白だ。
「早く!とりあえず車にいこう。もしかしたら鍵がつけっぱなしかもしれん。」そう言うと俺は二人を置いて駆け出す。続いて二人も駆け出した。
マンションの裏手にある駐車場に駆けつけるとアスファルトに書かれた「長嶋様」の文字が目に飛び込んできた。
そこに停まっていたのはパールホワイトの高級セダンだ。
「これかっ!」ドアノブに手をかけ、がちゃがちゃと何度かひっぱってみるが鍵がかかっていて開かない。
やっぱりか・・・
そこにトクが雪崩れ込んできた。
「うわわぁ!」
俺に体当たりをかませ、ボンネットに倒れこむ。
その時、トクの手がアンテナに触った。
「うわぁ!吸い込まれる!助けてー!」
な、なんだ!トクの体がみるみるアンテナに吸い込まれていく。
俺の目はスライムのようにずるずると吸い込まれるトクに釘付けになった。
気づくとトクの体は運転席の中へ。すげえ・・・
俺は呆然と立ち尽くす。なんか幽霊らしいところを初めて見た・・・
「出して!出してよぉ!」
トクの叫び声。
は、いかんいかん、俺は我に返った。
「トク!落ち着け、ほらドアロック外せるだろ!」
ドアがガチャリと開き、トクが出てきた。
「あ、開きました。」照れたように苦笑い。
「チョーさん、鍵は!」
座席に上半身だけ突っ込んで回りを探しながらチョーさんは答えた。
「いや、なさそうですねぇ・・・」
くそ!映画ならここでかっこ良く直結とかして走りだすんだろうけど。俺はそんな知識は到底ない。それに日本の防犯テクノロジーに勝てる気もしない。
「あ、それならやっぱり私の車にしましょうかね。これは家内の車なんです。
私の車は鍵をなくした時のために車に合鍵を貼り付けています。」
「え!なんだって!なんでそれを早く言わないんですか。」
「いや、私は車が趣味でして、かなり大事にしてるんです。それに一つ問題が・・・」
「いいから、どの車だ!」
あれですとチョーさんが指差す。
そこにあったのは国産スポーツカー。
それは・・・
「二人乗りなんですよね、これ」
振り返ると処理隊は非常階段を降りたところだ。もうこうなったら何でもかまわん。
タイヤハウスに貼り付けていた鍵を取り出し、ドアを開ける。
そして後ろにトクを押し込む。
「狭い〜狭いっす」
「泣き言言うな!
チョーさん。あんたこんな車乗ってるんなら運転そうとう上手いんか?」
「はい、私はこれまでずっとゴールド免許で・・・」
「替われっ!」
運転席にいたチョーさんを引っ張りだし、俺がハンドルを握る。
こいつは化物だ、インパネにならんだメーター類がそのポテンシャルを物語っている。
チョーさんが説明する。
「私はアマチュア無線と車が趣味でして・・
学生時代に好きだったんですが、最近復活しましてね、この車はショップのおすすめでいろいろ部品を交換しまして・・・
こいつを磨くのだけが私の楽しみで・・・」
学生時代の話は聞いている。チョーさんの説明を無視し、キーを回す。
ぶぅおんんん!
「ああ、これリミッターも外してますから気をつけて。あんまり回すとエンジン壊れちゃいます」慌てるチョーさんを無視し、ギアをローに入れる。
キュキュキュ!
激しいスキール音とともに矢が放たれたように車が飛び出した。
すげぇ、金はかかってそうだ。
前を見ると処理隊がこちらに向かってくる。
「チョーさん、こいつぶっ壊れるまで走っていいか?」
一瞬困惑の表情を見せたが、その後ニヤリと笑いチョーさんは言った。
「はい、存分に走らせてやってください。」