何故生きる必要があるのか?
朝は嫌いだ。それは一日が始まってしまうからだ。
それは休日であっても変わらない。
朝になれば外からの日差しは瞼を容赦なく通り抜け、目を閉じていても朝であることが感じられる。
とっくに目は覚めているがそれでも目を閉じ続けているのは、目を開けばそこから長い一日が始まってしまうからだ。
特に用事もなくただ夜を待つだけの一日。
その時間をすこしでも短くしようと目を閉じ続けるのがいつもの日課だ。
そして、夜が来ればまた朝を待つ。それだけのことなのだが。
そんなことを考えながら過ごす目覚めの一時は気分が重く、地上で自分が存在することの意味がわからなくなる。
やりたいこともなく、将来の楽しみもない。
昔は夢もあった。週末が楽しみでしかたのないこともあった。
しかし、それは昔の話だ。
ただ心臓を動かすためだけの生活。死ぬのを待つだけの生活。消費をするだけの生活。
「生きていることに意味があるのか?」
そんなことを考えるのも毎朝の日課になっているところだ。
しかし、今日は何かが違う。時間を引き延ばそうという気にもならない。
俺はゆっくりと目を開いた。
明るいが柔らかい日差しが瞳に染み入ってくると、暗い世界が真っ白な世界に変わり、その後少しずつ回りの景色が見えてきた。
そこには、いつも見慣れたサッシ。そしてその外には見慣れた風景が見えた。
見慣れたはずの部屋だがすべてが鮮明に見える。まるで差し込む光さえ見えているようだ。
今朝は久々に気分が良い。いや、今まで経験したことのない爽快感を感じる。
体の疲れも感じない。心も澄んでいる。
今まで被さっていたモヤが突然晴れたような気分だ。
すべての俗世から開放されたような爽快感を感じながらそのまま外に視線を移すと木々の新緑が光に透かされ、葉脈まで見えるような感じだ。
しかし俺はここでやっと異変を感じた。
「ん?何で外が見えるんだろう。」
ベッドで寝ているのであれば見えるのは天井だ。外が見えるはずはない。
俺はベッドの上に立っていた。
そこからサッシ越しに外を見ているのだ。
「俺、立ったまま寝てたんかいな?」
そう思いながらもなにか確信めいた感情がある。
そっと下を見てみると、そこには想像どおり私がベッドで寝ていた。
いや、私が死んでいた。
「ああ、俺、死んだんだ」
確認する必要も必要も感じられない。すぐにそう気づいた。
ここは住宅街。部屋数は少し多めだが、住宅ローンが残るどこにでもある一戸建。
家内は出ていき、娘は年に数回遊びに来る程度。一人暮らしには広すぎる家だ。
この二階に私の部屋がある。
パソコンやギターに囲まれた部屋でただぼーっと立ち尽くしていた。
「死んだんだな。やっぱり」
不思議と何の感情も起こらない。
そして何の感情も起こらないことに対しても驚きもない。
まあ、それも当然か。
昔は家族や家を守るためにがんばった。
苦しい時もあり、それ以上に楽しいこともあった。
怒り・悲しみ・喜び
色んな感情に溢れ、生きていくのに必死だった。
しかし今は楽しみも、いや、苦しみさえ無い。
生きたいと思うこともなく、しかし死にたいと思うわけでもない。
逆の言い方をすれば、生き続けることも別にかまわないが、すぐに死んでしまっても構わない。
そんな思いが長く続いていた。
「まあいいか・・・」
呟いていつもの椅子に深々と腰掛ける。家長だからと言って家族を説得し無理して買った自慢の椅子だ。
以前は子どもたちが競い合って座っていたが、今はそんな争いもない。
安物の壁時計がカチカチと刻む音を聞きながらベッドで横たわる自分の亡骸をちらりと見たあと、朝の日課であるSNSチェックのためにパソコンを立ち上げた。
「なんだ、死んでも使えるんだ。意外と便利なもんだなぁ」
さてこれからどうなるんだろう。天使が迎えに来るのかな。いやここは日本だから三途の川に飛ばされるのかな。
そんなことを考えながらも、ただ待つしかないとSNSの書き込みに目を移した。
そこにはいつもの日常がいつものように描かれている。
私が死んでも、なんの変化もなく続く日常がそこにあった。