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現実:食-『シリアル』 「コーンフレーク・グラノーラ・ミューズリー」 - ケロッグ博士の異常な愛情 -

★ケロッグ博士とは:

ケロッグ博士

「コーンフレークへの砂糖の添加は快楽主義者による我々の『エッセンス』を汚染する陰謀だ。

私はこの事実を性愛行動の際に発見した。そのとき私は異常な疲労に襲われ虚無感を味わった」

(賢者タイムをエッセンスが汚染されたため起きた症状だと勘違いしていた)等、

色々と滅茶苦茶な陰謀論を語る人物である。

語り口調はいたって冷静沈着なため、かえって静かな狂気を感じられる。


 またケロッグ博士は、マスターベーションの弊害を説いており、

砂糖の添加によって性欲がたたまれば、

男は機関銃の銃身(隠語)を針金で縫いつけて勃起できないようにしても、

素手で持ったまま乱射する力技を発揮することになる。

だが全粒食品であるコーンフレークには性欲を抑える効用があるので安心だ、と主張する。




……全て比喩的表現である。

▼シリアル食品:語源はローマの農業の神セレス(ceres)から変化したという説もある。

 コーンフレークやグラノーラなどの、穀物を原料とした加工食品の総称。

トウモロコシ、オーツ麦、小麦、大麦、米などの穀物を、

押しつぶして薄い破片フレークにする、

パフ状にする(膨化させる)、

混ぜ合わせてシート状にしてから砕く

などの加熱調理で食べやすく加工し、長期保存に適した形状にした簡便食である。


 原料となる穀類や加工方法、調味の仕方などにより、上記のようにさまざまな種類がある。

おもに朝食時に使われ1890年代後半からアメリカで商品化されて一般に食べられるようになった。

日本でも1980年代にご飯、パンに続く第三の朝食として認知され、

1990年3月に農林水産省が「朝食シリアル」という品名で品質表示ガイドラインを作成した。


食物繊維の含有量が多く100グラム当り10グラム前後も含まれ、

牛乳とともに食べることが多いため、不足しがちなカルシウム、鉄分も摂取することができる。



○コーンフレーク - トウモロコシを原料とし胚乳(はいにゅう)部に水分を含ませてひき割りにした

          コーンのグリッツをくだいて乾燥させたものを

          ショ糖・食塩などを含む液に漬けて味付けし蒸気で加圧加熱して炊きあげてから、

          これを再び乾燥し1日熟成させたモノを、

          その後1粒1粒をローラーでつぶして圧扁あっぺんしフレーク状にしたのち

          ロータリーオーブンで焼き上げてできあがります。

          (この後ビタミンやシロップを添加する事も)

          直径1~2cm程度の薄いセンベイ状で,牛乳などを掛けて供します。

          高熱によるカラメル化がおこってよい香りも出て消化も良い。


○グラノーラ - オーツ麦やナッツ類に物性油脂やはちみつ・メープルシロップを混ぜて

       オーブンで焼きあげたもののこと。


○ミューズリー- オーツ麦などの未調理の加工穀物とドライフルーツ、ナッツ、種子類などを

        混ぜ合わせたもののこと。



これらは主に、原料・加工法の違いによって名称を変えている。


 主に白かったりドロリと白濁した液体

そう牛乳やヨーグルトなどの乳製品をかけて食べることが多く日本では朝食シリアルとも呼ばれる。

シリアルには非常に多くの種類があり、レーズン、チョコレート、ナッツを加えたものや

ビタミン、ミネラル、プロテイン(たんぱく質)を加えたものもある。


 これらは調理せずにすぐ食べられるコールドシリアル(別称:RTE※シリアル ※Ready to Eat)と、

加熱調理する必要のあるホットシリアル(伝統的なオートミール、ポリッジ)に大別される。



 多くのシリアル食品の元祖が19世紀末にサナトリウムの患者のために病人食として生まれ、

精神科の医師が起源である。

それが1960年代のヒッピームーブメントにおける自然主義、健康食品ブームの中で再誕し広まった。


 19世紀末期から20世紀初頭のアメリカでは、

それまでの典型的な豚肉と白パンのような朝食は不健康であり、

科学に基づいた質素で健康的な朝食を勧める健康改革運動が起こったのだ。


 もっともこの運動は科学者の権威を利用した食品業界のキャンペーンのはずだったのだが、

ピューリタン的道徳心と結びついて菜食主義の熱狂的な流行へと発展した。

しかし、流行が去った後もシリアル食品はアメリカの朝食として定着した。


 だが、科学的に健康な食品であったはずのシリアル食品だが、

子供向けシリアル食品はカロリー過多のジャンクフードとして批判にさらされている。

なら野菜取れよ、野菜!

そもそもお前らの取っているのはまともな食事とは言えないだろうがアメ公……っと、失礼。



 シリアル食品の起源ともいわれるグラノーラは、

全粒穀物を粉にしたグラハム粉をぶどうの種ほどの大きさに粒状に加工した穀物食品

「グラニューラ」を起源とする。

グラニューラは、ニューヨークの医師であったジェームス・ジョンソンが1863年に発明した。


 グラニューラはジョンソンの診療所の治療プログラムのために開発されたため

一般に知られる事はなかったが、後のシリアル産業の発展に大きな影響を与えた。


 また、ほぼ同時期に穀物を主とした自然健康食品として、

スイス人医師マクシミリアン・ビルヒャー=ベンナーがミューズリーを発明した。


 そして1887年に菜食や運動で健康回復を指導するバトルクリーク・サナトリウムの所長であった

ジョン・ハーヴェイ・ケロッグはオート麦、小麦、トウモロコシ粉を粒状に固めたシリアルを作り

「グラニューラ」として売りだしたが、ジョンソンから商標権の侵害で訴えられたため

「グラノーラ」に改名した。




▼コーンフレーク(英: corn flakes):元はグラノース

 水で練ったコーンミールを加熱してから圧搾し、

長さ1cm程度の薄い破片に成型したシリアル食品である。


 器に盛って牛乳や豆乳をかければすぐに食べることができるため、特に朝食用に普及している。

製造時に砂糖、麦芽シロップ、異性化糖などで味付けされているものがほとんどである。

本来の食べ方の他、ケーキやパフェ、菓子類の副材料として用いられる事もある。


 1894年にアメリカ合衆国のジョン・ハーヴェイ・ケロッグ博士によって発明され

健康食品として販売されるようになった。



▼歴史:性欲こそが病気のもと!? コーンフレークは「自慰禁止のための食品」として誕生した!! 

 朝食の定番として、世界中の人々に愛されているコーンフレーク。

この食品の歴史は意外にも浅く、今から約120年前に米国のケロッグ博士によって発明されたものだ。


 しかしこのケロッグ博士、とてつもなくブッ飛んだオカルトっぷりを発揮した伝説的人物であり、

実際に『ケロッグ博士』(1994年)という映画まで製作されているほどだ。

今回は、ケロッグ博士の主張を紹介するとともに、コーンフレークが誕生した"本当の理由"についてお伝えしよう。



 19世紀の終わり、

ミシガン州バトルクリークに暮らしたジョン・ハーヴェイ・ケロッグ医学博士(1852~1943)は

1876年、24歳の時にミシガン州バトルクリークのセブンスデー・アドベンチスト教会のサナトリウム

(保養所)に兄弟で医療スタッフとして参加しバトルクリーク・サナトリウムを監督していた。


 セブンスデー・アドベンチスト教会とは、

1843年-1844年にキリストが再臨すると予告して起こったキリスト教系宗教組織である。

またチャールズ・テイズ・ラッセルはキリスト教系の新宗教であるエホバの証人を設立する前に、

このセブンスデー・アドベンチスト教会についたり離れたりし、

その中で後に彼の教義体系の中核になるものをつかんでいき、

セブンスデー・アドベンチスト教会の本の中の「地獄というのは墓にすぎない」という教義を借用して、

永遠の刑罰の教えに反対し「地獄」(マルコによる福音書9:43-48)の存在を否定した(霊魂消滅説)。



 そこでケロッグ博士は、偶然にもセブンスデー・アドベンチスト教会の教義に合致した、

厳格な菜食主義の病人食を作ったのだった。

実はこの博士、狂科学者マッドサイエンティストというよりズバリ狂信者である。


 キリスト教「第七日安息日再臨派(SDA教会)」、

かつ厳格な菜食主義者であり、地元の療養所でホリスティック療法などを実践していた彼は、

独自の視点に基づき、人々の健康に対して数多くの提案を行っている。

まあ大抵この手の人は周囲に迷惑を撒き散らすものなのだが。


 博士は激怒した。必ず、かの邪智暴虐じゃちぼうぎゃくの性欲を除かなければならぬと決意した。

博士は人間の性欲がさまざまな病気を引き起こすと信じており、性行為を禁忌していた。


 ……博士はホムンクルスか何かの生まれなのだろうか?


 結婚していたものの妻と寝室は別で、交わることもなく、たくさんの孤児を養子として迎え入れた。

(離婚訴訟の際には重大な敗因となることでしょう。)

そんな博士が、性交以上に人間の心身を蝕むものと考えていたのが自慰行為だ。


「自慰は、疑いようもなく忌まわしい行為です」


 そう語っていた博士は、

著書『Plain Facts for Old and Young: Embracing the Natural History and Hygiene of Organic Life

(あらゆる世代のための明確な事実:自然史の抱擁とオーガニック健康法)』

において、自慰行為が引き起こすものとして

癲癇てんかん座瘡ざそう・姿勢の悪さ・関節の硬化・虚弱体質・動悸・

発育遅延・無定見むていけんなど39もの症状を挙げているという。

そして彼は、人々に自慰行為を止めてもらうため、

男性は陰茎を針金で縫いつけて勃起できないようにすること、

女性は陰核に石炭酸フェノールを塗ること、など過激な提案も残しているようだ。

宗教と科学が交差する時、愚行が始まるのですな。


 博士は、ほとんどの病気は健康的なライフスタイルで改善できると信じており

(この主張は現代の医学に照らし合わせても正しいと言えそうだが、

その実、嘘をつくときは9の真実のなかに1の嘘をつくとバレないからだと言う)、

肉や栄養価に満ちた豪勢な食事は性欲を高めてしまうため、

よりプレーンで自然な食事こそ、心と体を浄化するために必要であると考えた。


 このように性欲を高めることのない、よりプレーンで自然な食品の発明に取り組んでいたケロッグ博士は、

コーンフレーク誕生までには「グラニューラ」という食品の商標をめぐり裁判になりかけるなど

紆余曲折あったようだが、1894年、ついに世界の朝食風景を一変させる食品の発明に成功した。


 彼は弟と二人、さらに研究開発を勧めた結果1894年に今日の姿に近い小麦フレークを完成させ、

そして1898年に誕生したのが今や誰もが知る朝食の定番、コーンフレークだったのだ。


 だが完成というが実はケロッグと弟のウィル・キース・ケロッグは、

グラノーラを作ろうとして失敗し、手違いで小麦の生地をフレークにしてしまいました。

小麦粉を練ってローラーで引き延ばし、薄いパン生地の病人食を作っていたのだが、

トラブルによりしばらく放置された結果、パン生地になるはずの小麦が乾燥してしまった。

経済的な理由からその生地を捨てずにそのままローラーで引き延ばしたところ、フレーク状のものができ、

これを愚かな患者たちに与えたところ好評となったのだ。これが1894年4月14日の出来事とされる。


 兄弟は同年5月31日に、「グラノース(granose)」という名称でこの食品の特許を登録した。

兄ケロッグはこの後も研究を重ね、トウモロコシが原料として最適であることをつきとめ

1897年に兄ケロッグは弟とともに会社を設立。


 グラノーラは好評だったが、医師であるジョンは商売をするつもりはなかったので

弟のウィリアム・ケロッグに経営を任せた。


 だが、コーンフレークの口当たりをよくするために砂糖を添加するか否かで兄と仲違いし、兄弟は絶交した。

兄のケロッグ博士は、砂糖の摂取が性欲を増大させ、健康を損なうと考えていたためである。

本来博士にとってコーンフレークとは、人々にあの"忌まわしき"自慰行為を止めるよう促すための

「自慰禁止用食品」そのものだったのだ。


 一方、弟ウィリアムは無味乾燥だったコーンフレークを美味しくするために砂糖を加え、

大々的な宣伝を行い爆発的な成功を収めたため、

1906年にコーンフレーク生産の権利をサナトリウムから買い取りコーンフレーク製造を1906年2月19日に

今のケロッグ社の前身であるバトル・クリーク・トーステッド・コーンフレーク社として独立した。

この後、ケロッグの成功を見てパクリ……後発のシリアル業者が40社以上設立された。


 その多くが「サナトリウムの町」のイメージを製品に取り込むため、バトルクリークに集まった。

現在ではバトルクリークは「シリアル・シティ」と呼ばれ、

ウィリアム・ケロッグは「そのまま食べられるシリアルの父」と呼ばれている。


 これによりアメリカの朝食の形態は大きく変化した。

兄弟がこのような食品を開発した背景として、

2人が健康と心霊的な理由から菜食主義を推奨しているセブンスデー・アドベンチスト教会の信者で、

働いていたサナトリウムも教会の療養所であったことが挙げられる。


 ケロッグ博士は、その後もマスターベーションの弊害を説いて、

全粒食品であるコーンフレークには性欲を抑える効用があるとし、これを推奨した。


「激しい喜びはいらない…そのかわり、深い絶望もない…植物の心のような人生を…そんな平穏な生活こそ、

わたしの目標だったのに…」

植物が持つ自然の力に感銘し、そこに神を見いだしたジョンの考え方は、

次第に教会から汎神論的であると見なされるようになり、1907年には除名された。


 博士は教会から除名されたり、コーンフレークのレシピ公開や砂糖の添加をめぐり

弟のウィルと絶交するなど(ウィルはその後独立し、現在のケロッグ社を設立)波乱の道を歩むが、

人々の健康向上に対する情熱を失うことはなかった。

なぜならその後も身体を浄化するためヨーグルト浣腸を提唱したり浣腸マシーンの発明にも成功してる。


 博士の主張の、頭の面白さは、まさに宗教的信仰や科学的分析がない交ぜとなっている

科学ではなく信仰の領域であるもの、科学的事実だと間違って位置付けられてしまった一連の信念、

すなわち疑似科学的点にある。


 圧倒的なオカルトっパワーぷりゆえ、彼の主張に一種の"ヤバさ"を感じてしまう人もいるかもしれない。

しかし、彼の思想が結実した食品・コーンフレークを私たちが愛し続けていることだけは紛れもない事実で、

19世紀の欧米は性病に対する恐怖感からこうした考えが支持されたのだ。


 工業的大量生産化の後程なくして、ケロッグ社は供給不足の局面に陥った。

当時最も著名だった広告句は「三十日間コーンフレークを食べないで下さい」という反語である。


 しかし需要緩和の願いも虚しく、コーンフレークの争奪戦が起こった。

米国で成功した後、1915年頃にカナダに導入され、

やや後に更にオーストラリアとイギリスの市場に投入された。

これよりコーンフレークは欧州大陸に導入された。



●日本における動向

 日本では1929年に日本食品製造合資会社がコーンフレークの製造販売を始め、

1963年に、ケロッグ社日本法人の日本ケロッグとシスコ製菓(現在の日清シスコ)

によってコーンフレークが発売され、急速に普及した。


 シリアル食品産業の発展により、シリアルを固めてそのまま齧れるようにした

「シリアルバー」がコンビニエンスストアやキヨスク、ドラッグストアなどで多く販売されるようになり、

その他クッキーやビスケットにシリアルを練りこんだものや、

シリアルをチョコレートコーティングした菓子類、

一口大に固めて食べやすくした「ビッツ」

または「バイト」と呼ばれる形状や、

あるいは「ウィートシュレッド」のようなスナック菓子としても味付けして食することができるもの、

カップタイプの個食や、スープに合う塩味のシリアル食品など、応用製品も多数存在する。


 ホテルの朝食バイキングでは、ご飯、パンとともに、提供されることがある。

この場合には、ミルクまたはヨーグルトが提供されていることがある。




▼グラノーラ(Granola):元はグラニューラ

 ロールドオーツ(燕麦の押麦)や、麦、玄米、とうもろこしなどの穀類をつぶして焼いて

フレーク状にしたものを主とした穀物加工品と、

ココナッツ、ナッツなどを、砂糖、蜂蜜、メープルなどのシロップ(糖蜜)、植物油とで

混ぜてオーブンで焼いたもの。さらにドライフルーツなどが混ぜられることも多い。


 オーブンで焼く途中に何度かかき混ぜる、もしくは焼き上げた後に破砕することで適当な塊状とする。

加熱処理の有無がミューズリーとの違いといえる。


 グラノーラは加熱処理を行っているため、原材料の持つ栄養素が破壊されているが、

(故にミューズリーは非加熱)

各メーカーとも必須ビタミンなどを添加し、高栄養価であることを謳っている。

日本の食品メーカーでは主にカルビー、日清シスコ、日本ケロッグが販売している。


 ヨーグルトや牛乳をかけて朝食としたり、おやつとしてそのまま食べる。

軽くて持ち運びやすく栄養価が高いため、キャンプやハイキングの携帯食にも向いている。

今日では、グラノーラを棒状に固めた「グラノーラ・バー」もおやつや携帯食として人気がある。


 また、様々な栄養価が高い半面で、糖質(炭水化物)が低めであるため、

「低糖質ダイエット」をする人に利用されるなど、日本でも人気の理由にもなっている。

ただし、食パンなどと比較してもカロリーは低くないので、

食べすぎればダイエット効果はないことに注意する必要がある。



●歴史:グラニューラを魔改造

 1863年にジェームス・ケイレブ・ジャクソンがサナトリウムの患者のために、

グラハム粉(Graham flour)を使ったグラニューラ(Granula)を発明する。


 グラハム粉というのは

「小麦を一度精白し、胚乳(白い中身)と表皮・胚芽を別々に挽いてから混ぜた粉」でできています。


 このグラハム粉の生地を伸ばしてシート状にしたあと焼成、粉砕を2度行い小さな粒状(ブドウ大の粒)

にされていたが、とてもとても固く、食べるまでに水や牛乳に長時間浸す必要があった。


 ところが1880年頃、ジョン・ハーヴェイ・ケロッグはジャクソンのグラニューラを名称もそのままに

模倣した製品を販売していた。

グラハム粉に変わり燕麦などを使用しローラーでフレーク状に、より食べやすく独自に改良を加えたことで、

この偽造グラニューラはヒットしたのだったが……はて、どこかで聞いたような製造法。


 もっともそれに続いて多くの類似製品も誕生したためジャクソンはケロッグを訴え、

ケロッグのグラニューラはグラノーラに改名された。


 だが、結局グラノーラはその後に発明されるコーンフレークなどのより食べやすいシリアル食品に取って代わられ、

1960年頃までは健康食品の一つとして細々と販売されるに留まっていた。


 ところが、1960年代の自然食および健康食品ブームの折りにグラノーラの人気が再燃し、

ミューズリーのようにドライフルーツやナッツを加えて変化をつけ、

しかも甘味料を加えて食べやすくし今のような形になった。


 グラノーラは元々は19世紀後半に開発された全粒穀物の生地を焼いて砕いた健康食品に

使用されていた商標で、現代の形のロールドオーツを原料としたサクサクするグラノーラは

1960年代のヒッピームーブメントにおける自然主義、健康食品ブームの中で誕生し広まった。




▼ミューズリー:グラノーラとミューズリーの違いは、加熱処理の有無。

 一般的には、オートミールの原料として知られるロールドオーツ(燕麦の押麦)などの未調理の加工穀物と

ドライフルーツ、ナッツ、種子類などを混ぜ合わせたシリアル食品の一種で

栄養価が高くて食物繊維が豊富なことから、ヨーロッパでは主に朝食として日常に取り入れられている

ヘルシーフードです。


 水分でふくらむために少量で満足感を得ることができ、健康を意識している方におすすめの食品です。

主に牛乳やヨーグルトなどをかけてふやかして食べる……ふやかして食べるのです。


 本来ミューズリーは甘味料や油など、いっさい加えていませんが、

市販のミューズリーには砂糖や蜂蜜で調味されているものもあり、

また好みの配合を自作することもできる。


 発祥地であるスイスでは、元来軽い夕食として食べることが多かった。

なぜなら、その名ミューズリー (Müesli) は「シチュー」や「粥」などを意味する

スイスドイツ語の Mues に縮小辞 -li がついたものである。


 また、ビルヒャーミューズリー (Birchermüesli) およびビルヒャームース (Birchermus) は、

発明者名ビルヒャー=ベンナーを冠した呼称である。

なお、ミューズリーにブッターブロート(バターつきパン)とカフェ・オ・レを添えたものは、

ドイツ語でビルヒャーミューズリー・コンプレット

(Birchermüesli komplett、意:完全なミューズリーまたはミューズリー一式)と呼ばれる。

 

●歴史:非加熱的な食品

 1800年代後半から1900年代初頭、生の果物と野菜が療養に必須であると考えたスイス人医師マクシミリアン・ビルヒャー=ベンナーが、

自身の経営するサナトリウムの患者のためにミューズリーを考案した。


 これは、ビルヒャー=ベンナー夫妻がアルプス山脈を登山した折りに食べた、

山岳放牧の牧童の間に伝わる伝統的な食事から発想を得たとされる。


 コーンフレークとちょっと違うのは、ミューズリーの場合「野菜や果物も一緒に採れるように」

という視点で作られていること。


 もっともビルヒャー=ベンナーのミューズリーは、水に浸してふやかした未調理の押しエンバク(燕麦)を主に、

レモン汁、コンデンスミルク、おろしたリンゴから成り、好みで生のヘーゼルナッツやアーモンド粉末をふりかけた、

ローフードに非常に近いものであった。


 コンデンスミルクが使われているのは、当時は冷蔵技術やパスチャライゼーションが普及しておらず、

生乳の衛生に問題があったからである。ビルヒャー=ベンナー自身はこの食物を単に "d'Spys"

(仮名転写:ト・シュピーズまたはト・スピーズ。スイスドイツ語で「食事」「食べ物」の意)と呼んでいた。


 現在見られる形のミューズリーは、1960年代に欧米で健康食品や菜食主義への関心が高まって普及したものである。

近年、全粒穀物の栄養価の高さが注目されていることから日本でも人気を集めつつある。

一部「ムエスリー(Muesli)」と表示されているものは、üはueとも記すことができるからである。



 マックス・ビルヒャーがチューリヒで医者になった頃、医学は対症療法が主で、

病気の症状が出てから、症状を軽くしたり、症状を取り払うことにあるという考え方が一般的だった。


 ビルヒャーは、日常の食事が健康に大きく関わると考え

病気の予防には栄養の摂取が重要だと目をつけた。

1904年にはチューリヒにサナトリウムを開設し、食事療法を実践する。

現代にも通用する健康に対する考え方だが、しかし当時は受け入れられなかったという。


 また米国では1906年、ケロッグ兄弟がコーンフレークを発明し、こちらは早速製品化され、

今では売上90億ドルを誇る有名食品であるが一方、ミューズリーは商品登録もなされず、

ビルヒャーは「お金儲けは考えていなかった」と

チューリヒ州立大学の医学史のエバーハルト・ヴォルフ氏。


「唯一商品登録された彼の考案品は、りんごを擦り卸す金具の板だろう」と、

ビジネスにはほとんど無縁に生涯を終えた。

なおこの卸し金は日本の大根卸しとは違って、目が粗く、りんごは細切れのようになる。


 つまり、お金儲けは考えていなかったミューズリのほうはオープンソースだったわけだ。

一方グラニューラという食品の商標をめぐり裁判になりかけたケロッグ兄弟は

グラノースを特許を登録した。

しかも兄ジョンは商売をするつもりはなかったと言いつつも弟のウィリアム・ケロッグに経営を任せた。


ビルヒャー博士とケロッグ博士の違いが、もしかすると欧州と米国の文化の違いでもあるのかもしれない。

 ジョン・ハーヴェイ・ケロッグ博士は1876年にはサナトリウム療法の一環として数々のホリスティック療法の機器を考案し使用した。

子宮マッサージ治療、腸内洗浄、アークライトを利用した頭皮脱毛治療、アークライトを利用した光線耳治療、フットマッサージ器、マッサージベルト、博士考案器具による運動、紫外線ランプ歯科治療、熱気風呂、腰痛振動器具、電気コイル治療、腸内洗浄、機械による乗馬療法、など様々な健康器具の開発を行い、その一つに電気風呂も実践されていた。


 これらのほとんどは医学的根拠はないものの、現在でも名を変え多くの健康サービス機関や医療機関などでも使用されている。


 実践されていた様々な健康器具や健康療法は書物などとして残されており、その珍妙な健康法やそれらに興じる人々の様子は実話を元にしたブラック・コメディ映画として、1994年に『ケロッグ博士(原題:The Road to Wellville)』、監督・脚本アラン・パーカー、主演アンソニー・ホプキンス により映画化がされている。



ジョン・ハーヴェイ・ケロッグ医学博士(1852~1943)


1863年 — ジェームス・ケイレブ・ジャクソンがグラハム粉を使った「グラニューラ」を発明。

     ほぼ同時期にマクシミリアン・ビルヒャー=ベンナーが「ミューズリー」を発明。

1875年 — ケロッグ兄、医学学位を取得。ケロッグ博士となる。

1876年 — ケロッグ博士セブンスデー・アドベンチスト教会のサナトリウムの館長として就任。

1879年 — ケロッグ博士が結婚した。

1887年 — 「グラニューラ」を独自に改良を加え販売したケロッグ博士が

     ジョンソンから商標権の侵害で訴えられたため「グラノーラ」に改名。

1894年4月14日 — ケロッグ博士が今日の姿に近い小麦フレークを発見。

1894年5月31日 — ケロッグ博士が「グラノース(granose)」として特許を登録。

1895年1月 — ジョン・ハーヴェイ・ケロッグ(ケロッグ博士)の弟子のC・W・ポストは、

      カフェインの毒性を訴え、小麦等を原料としたカフェインフリーの代用コーヒー

     「ポスタム」を開発して製造販売会社C. W .Post 社(ゼネラル・フーズの前身)を

      ミシガン州バトルクリークに設立した。

      ポスタムはヒットし、ポストはシリアル食品などに事業を拡大し

1895年 — Charles William Post氏がシリアル製造会社ポスト・フーズ(Post Foods)起業。

      シリアル飲料(Cereal Beverage)発売。

      やがてアメリカの3大シェアメーカーのひとつポスト・ホールディングスに。

1897年 — ケロッグ兄弟はサニタス・ナッツ・フードカンパニーを設立。

1897年 — ポスト・フーズ、シリアル食品の第一弾Grape-Nuts発売。

1898年 — ケロッグ博士がトウモロコシが原料として最適であることをつきとめ

    「コーンフレーク」を作り出した。

1906年 — 砂糖の添加の是非で兄弟は絶交。

     ケロッグ弟はコーンフレーク生産の権利をサナトリウムから買い取る。

1906年2月19日 — ケロッグ弟はケロッグ社の前身である

     バトル・クリーク・トーステッド・コーンフレーク社として独立。

1907年 — ケロッグ博士が教会から除名。

1915年 — ケロッグが世界初の食物繊維が豊富なシリアル「ブランフレークス」を発売。

1920年 — ケロッグ博士の妻が亡くなる。

1922年 — ケロッグ・カンパニーに社名変更。

1922年2月 — ポストの会社はデラウェア州に移転し、ポスタム・シリアル (Postum Cereal Company)に改名。

1923年 — ケロッグ・カンパニーが食品業界で初の栄養士、メアリー・バーバー女史を雇用。

1924年 — ケロッグ初の工場をオーストラリアに建設。

1927年 — ポスタム・シリアルがポスタム・カンパニー (Postum Company) に改名した。

1929年 — ポスタム社はゼネラルフーヅ・カンパニー (General Foods Company) を買収・吸収し、

     自らはゼネラルフーヅ・コーポレーション (General Foods Corporation) と改名した。

1943年 — 1月7日 - ニコラ・テスラ死亡。電気技師・発明家

1943年 — 4月18日 - 山本五十六死亡、連合艦隊司令長官

1943年 — 12月2日 - ドイツ空軍がイタリア南部のバーリを空襲し、

     アメリカ貨物船の積荷だったマスタードガス(世界最初の抗ガン剤ナイトロジェンマスタードの正体)

     の流出も加わって多数の死傷者が発生。  

1943年 — 12月4日 - アメリカで1929年以来の世界恐慌の終結が正式に宣言。

     第二次世界大戦のための軍需生産によって失業者が急速に減少し、

     連邦議会の決定によって公共事業促進局が廃止。計画通り!

1943年 — 12月14日 - ジョン・ハーヴェイ・ケロッグ死亡。

1945年 — 9月2日 - 第二次世界大戦終結。

1952年 — 「フロステッド・フレークス」(コーンフロスティ」の原型)を発売。

1962年 — 日本ケロッグが設立。

1963年 — 日本で「コーンフレーク」と「コーンフロスト」(現在の「コーンフロスティ」)を発売

1969年 — ケロッグ・カンパニーは、アポロ11号の宇宙飛行士アームストロング達の朝食を提供。

1985年 — ゼネラルフーヅはフィリップモリス(現 アルトリア)に買収された。

1988年 — クラフトフーヅ(旧)も買収。

1989年 — クラフトフーヅとゼネラルフーヅが合併しクラフトゼネラルフーヅKGFとなった。

1997年 — W.K. ケロッグ食品栄養研究所を開設。

2007年 — クラフトゼネラルフーヅは独立し、社名をクラフトフーヅとした。

2012年 — クラフトフーヅは、モンデリーズ・インターナショナルと改名した。



 ケロッグ社はコーンフレーク、穀類加工食品製造業において世界でトップクラスの規模である。

創業地であり現在も本社があるバトルクリークには、

ケロッグの寄付金で設立されたケロッグ大学コミュニティ・カレッジがあるなど完全な企業城下町であるため、

「シリアル・シティ」(The Cereal City)とも呼ばれている。


 なお、ノースウェスタン大学の経営大学院ビジネススクールにあるのはケロッグ経営大学院スクール・オブ・マネジメント

でケロッグ・スクール、もしくは単にケロッグとも呼ばれる。(アメリカ合衆国イリノイ州エバンストン)




・真グラニューラ グラハム粉の生地シート状にし焼成・粉砕を2度行いブドウ大の粒の小さな粒状にするが

         とても固く食べるまでに水や牛乳に長時間浸す必要があった。


・偽グラニューラ 燕麦などを使用し、ローラーでフレーク状により食べやすく独自に改良を加えた。

         グラノーラに改名。


・グラノーラ   ロールドオーツや麦・玄米・とうもろこしなどの穀類を

         つぶして焼いてフレーク状にした穀物加工品と、

         ココナッツ・ナッツなどを、砂糖・蜂蜜・メープルなどの糖蜜シロップ、植物油、

         ドライフルーツなど混ぜてオーブンで焼いたもの。

         加熱処理の有無がミューズリーとの違い。


・ミューズリー  ロールドオーツなどの未調理の加工穀物とドライフルーツ、ナッツ、種子類などを混ぜ合わせ

         牛乳やヨーグルトなどをかけてふやかして食べる。


・グラノース   グラノーラの生地を乾燥させローラーでフレイク状にしたもの。粒が大きい。


・コーンフレーク トウモロコシを原料とするグラノース。


・ピーナッツバター ピーナッツから作られた食品。

          スプレッド類。パンに塗ったり、和え物の材料にして食べる。

          これもジョン・ハーヴェイ・ケロッグが発明

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