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現実:食-「サイダー」と「ソーダ」の起源と歴史、2つの違いと「ラムネ」と「炭酸水(炭酸泉)」

★サイダーとソーダは別のもの?

サイダーとソーダそれぞれの起源を辿ると、その語源となった原型の飲料にたどり着きます。



▼サイダー:林檎酒(フランス語の「シードル(cidre)」)が語源(故にリンゴ風味)

日本では『サイダー』とは

 「炭酸水にクエン酸や香料、砂糖などを加えた清涼飲料水」

 のことを指すのですが、


欧米では『サイダー』とは

 「甘味や酸味で味付けされた、本来は林檎系の香味の飲み物」

 のことを指します。


 つまり元来の「サイダー(cider)」とは、

林檎酒を意味するフランス語の「シードル(cidre)」が語源となっており、

現在でもイギリス、フランス、アメリカなど欧米諸国で親しまれている飲み物で

いずれの国でも「シードル(cidre)≒サイダー」と呼ぶのですが、

ただ同じ呼び名でも国ごとにその内容は少しずつ異なります。



 特に北米の「シードル(cidre)」では、

ヨーロッパからの入植者が清涼な飲料水が不足していた頃に飲んでいたリンゴ酒が始まりとなり、

その発酵過程で炭酸飲料としての「シードル」が生まれました。


 現在では、ヨーロッパ圏では「アルコール入りのリンゴ酒」のことを指し、

アメリカでは「アルコールなしのリンゴジュース」を指すようになり、

国や地域ごとに「アルコールの有無」「炭酸の有無」「リンゴ飲料に限定するかどうか」

などが違いとして現れています。


 このように本来は『サイダー』とは『リンゴ酒』を表すものですが、

日本では“透明な甘い炭酸飲料”のことを『サイダー』と呼んでいて、

実はアメリカなどではそれらを『サイダー』ではなく、『ソーダ』と呼びます。


『サイダー』という名前が付いた由来ですが、

明治時代、現在の『三ツ矢サイダー』さんが、

サイダーの製造と販売を始めた時『サイダーフレーバーエッセンス』という香料を使っていることと、

『サイダー』という名前の響きが覚えやすかったことから、

ソーダのことを『サイダー』と呼ぶようになったそうです。



 *「サイダー」の原型であり、その語源にもなった欧米の秋の風物詩「アップルサイダー」


 欧米では、現在でも広く親しまれており、こちらの商品は秋の収穫における風物詩として、

毎年「アップルサイダー商戦」なるものが繰り広げられるほどです。


 もっともこの「アップルサイダー」でも、

ヨーロッパ圏では「アルコール入りのリンゴ酒」のことを指し、

他方アメリカでは「アルコール無しのリンゴジュース」を指すのですが。


 実は「サイダー」のイメージはヨーロッパ圏、カナダ・北米、アジア圏それぞれで

異なるものがイメージされる場面は多く、

「サイダー」という単語が、アップルサイダーを指すのか、

アルコール入りの飲料なのか、ノンアルコールのリンゴジュースなのか、

といった行き違いが起こるようです。

(なお、林檎酒シードル用のリンゴ品種はサイダーアップル(Cider apple)と呼ばれ、

 酸っぱすぎたり苦すぎたりするリンゴが酒造に使われる。)


 さて、日本にはなじみの薄いこの「アップルサイダー」という飲み物ですが、

Youtubeなどの動画サイト上では、欧米人同士で

「アップルサイダーが、アルコール入りのものか、ノンアルコールか」を巡った言い争いも起こるなど、

熱烈な人気を誇る文化的な背景を持った飲み物の1つとされています。



まとめ

・フランス語のリンゴ酒を意味する「シードル(cidre)」が語源

 故にヨーロッパ圏では「アルコール入りのリンゴ酒」の事を指す。


・ヨーロッパからの入植者が飲んでいたリンゴ酒「シードル(アルコール入り)」が始まりだが、

 発酵過程の物を炭酸飲料とした為、新たなリンゴジュース「シードル(アルコール無し)」が生まれた

 故にアメリカでは「アルコール無しのリンゴジュース」を指す。

 ただしアメリカなどでは“透明な甘い炭酸飲料”を『サイダー』ではなく、『ソーダ』と呼ぶ。


・日本では明治時代に製造した時『サイダーフレーバーエッセンス』という香料を使ったから。




▼ソーダ:オランダ語が語源

 サイダーとは対照的に、香味料が加えられていない純粋な炭酸水のことを「ソーダ」と呼びます。


 元々はオランダ語が語源となっており、

その意味は「水酸化ナトリウム」や「炭酸水素ナトリウム」を指す言葉。

厳密な「ソーダ」の定義は、「水に無機塩類と炭酸ガスを混和させた飲み物」であり、

お酒のサワーを作成するための炭酸水などがこれにあたります。


 炭酸水たんさんすいとは、炭酸ガスを含む水のことをいう。

ソーダ水・ソーダとも言われる。特にソフトドリンクの多くでは、

飲み物に清涼感を与える目的でこの炭酸ガスを原料の一つに使用し気泡を立たせる。

これは炭酸飲料とも呼ばれる。

自然界でも炭酸水は湧き水や温泉などの形で産出し、

飲用可能なものはミネラルウォーター等の形で販売される。

現代では水と炭酸ガスに圧力をかけ人工的に大量生産されている。


 歴史的に最初の炭酸ソーダ水は、レモネードに重曹(炭酸水素ナトリウム)を加えた物だとされる。

重曹とレモン果汁に含まれるクエン酸の化学反応によって炭酸ガスが発生する。

この方法は、炭酸ガスを水に溶解させる高圧装置が普及するより早く大量生産されるようになった重曹を利用し、

材料を水とともに瓶に封入することで家内工業レベルでも容易に炭酸水を製造可能である。


 化学反応の産物であるナトリウム塩の風味を打ち消すため、

レモネードのように果汁や甘味料、香料などで味付けされ、多様な炭酸飲料へと発展した。

この名残で、元来ナトリウム化合物を指すソーダが炭酸飲料の代名詞にもなっている。



まとめ

・本来は香味料が加えられていない純粋な炭酸ガスを含む水=炭酸水のことを「ソーダ」と呼ぶ。

・炭酸飲料「ソーダ」の厳密な定義は「水に無機塩類と炭酸ガスを混和させただけの飲み物」。

・自然界でも湧き水や温泉などの形で産出し飲用可能なミネラルウォーター等の形で販売されるが

 現代では水と(食用の)炭酸ガスに圧力をかけ人工的に大量生産されている。

・最初の炭酸ソーダ水は、レモネードに重曹(炭酸水素ナトリウム)を加えた物。(故にレモン風味)

 元々は「水酸化ナトリウム」や「炭酸水素ナトリウム」を指すオランダ語が語源。




▼ラムネ:レモネードが語源(故にレモン風味)

 『サイダー』と同じ炭酸飲料に『ラムネ』があります。

日本では夏の風物詩でもあるこの「ラムネ」。

その原型で、語源にもなった「レモネード」がなまって発音されたことで

「ラムネ」と呼ばれるようになったとも言われており、

リンゴ由来の飲み物である「サイダー」とは異なるレモン香味の飲み物として成立しました。


 日本に初めて炭酸飲料が伝わって来たのは、幕末の1853年。

ペリーの黒船が『炭酸ソーダレモネード』という飲み物を運んで来ました。

この『レモネード』という名前が、やがて『ラムネ』になったそうです。

(レモネードに重曹(炭酸水素ナトリウム)を加えた炭酸ソーダ水=炭酸ソーダレモネード)



 以前は、

ラムネは「レモン風味」、

サイダーは「リンゴ風味」、

という味の違いがありましたが、時代を経ることで、

サイダーにもレモン系の香料が使われるようになったことから、その定義も移り変わっていきます。

イチゴ味やメロン味といった非柑橘系フルーツ風味のラムネも存在し、

これらはレモネード(レモン水)という原義に立ち返れば、明らかに語義矛盾である。



 アルコールを含まない無色透明の炭酸飲料としては、

日本ではサイダーの呼称が使われることが多いが、

ラムネは一般に(無色透明であるかに関わらず)「玉詰びんに詰められた炭酸飲料」を指す。

清涼飲料水の販売大手・サントリーの公式回答でも、

現在では「ビー玉栓のガラス瓶であるか、そうでないか」が区別の基準となっており、

「ビー玉栓のガラス瓶であるもの」が「ラムネ」と呼ばれます。


 ラムネといえばあの独特の瓶のかたち。

ビー玉が入ってくびれた独特の形状の瓶は、1872年にイギリスのハイラム・コッドが

米国特許を取得したものが元になっており、コッドネックボトルと呼ばれる。

ラムネ瓶、玉詰め瓶とも呼ばれる瓶はイギリスで考えられたものでした。


 瓶には、上から5分の2ほどの位置にくびれが設けられており、

口とくびれの間にラムネ玉と呼ばれるガラス球が封入されて、

この瓶に飲料を充填し、間髪を入れずに瓶をひっくり返すと、

内部の炭酸ガスの圧力でラムネ玉が口部のゴムパッキンに押し付けられ、瓶が密閉される。

すなわち、炭酸飲料の内圧だけを利用して密封する仕組みであった。


 このように王冠で栓をするものとは違い、何度でも繰り返し使えることから軍隊でも採用されたそうです。

旧日本海軍の艦艇においては、消火設備として設置された炭酸ガス発生装置をラムネ製造器に転用し、

水や砂糖などを瓶に詰めれば、ラムネが完成します。

中元本店の創業者が戦艦大和に製法を伝え、戦艦大和のラムネ製造室では、

伝授された製法でラムネがつくられ、船員たちに飲まれていました。

このように乗組員の嗜好品として供給した事も相まって、戦前から広く庶民に親しまれました。



 また中身を飲む際は、瓶の口を密封しているラムネ玉を瓶内に押し込み、内圧を逃がすことで開栓する。

長らく木製の押し込み用具(玉押し)が販売店頭などに置かれていたが、

1980年代以降、開栓用の凸型をしたプラスチック製の器具「ラムネ開け」(玉押し)

を添付して販売するのが主流となった。

この「装着型のラムネ開け」(玉押し)は、販売時にはラムネ玉が押し下げられないように

リングを挟む形で容器上部に装着されており、

開栓時にリングを外して再び容器の口に取り付け直接ラムネ玉を押し下げることで開栓する。

開栓時には同時に容器の口を抑え込んでおかないと中身が吹き出すことがある。

なお、開栓の際に瓶を斜めに傾けると、泡を出さずに開けることができる。

ラッパ飲みやコップに注ぐ際に瓶を傾けると、

押し込まれたラムネ玉が再び上がって口を塞いでしまうことがあるが、

多くの瓶には口の手前にくぼみが付いており、そこに玉を引っ掛けるとこれを防ぐことができる。



 サイダーはリンゴ酒のシードル(Cidre)が語源と言われ、

明治時代はリンゴ風味、容器は王冠栓の瓶でした。

ラムネはレモネード(Lemonade)がなまったものと言われており、

レモン風味で容器はビー玉栓のガラス瓶でした。

長い年月を経るうちに、2つの境目はあいまいになり、現在は容器によって区別されています。


 また、神戸外国人居留地はラムネ発祥の地と言われることがある。

1870年、神戸にやって来たスコットランド人の薬剤師アレキサンダー・カメロン・シムが

外国人居留地18番で薬剤師として勤務、

1884年(明治17年)頃に「18番」と呼ばれる(居留地18番地にあったことに因む)

日本で初めてラムネの製造・販売を始め、やがて事業を引き継いで、ACシム商会を設立。

「日本清涼飲料水工業発達史」には「神戸の A.Cシム商会が日本で最初のラムネだろう」と記されている。

ACシム商会のあった居留地の「18番」がラムネの代名詞になるほどの人気商品でした。


 帆前船マークのこのラムネはほかのメーカーのラムネの3倍程する高価格であったにも関わらず、

品質の良さから大人気で模造品まで出回ったといいます。


1886年(明治19年)当時、日本ではコレラが流行し、社会問題に。

瓦斯ガスを含有した飲料水を飲むとコレラにかかることなし」

といういつの時代でもあるデマ新聞記事が出たことから、ラムネは爆発的に売れることになりました。


 帆前船を菱形で囲ったレッテルを貼ったシム商会のラムネは、「18番」の愛称で親しまれました。

当時のラムネはビー玉の入った玉ラムネではなく、コルクを針金留めしたものでしたが、

栓を抜くときの音から「ポン水」と呼ばれていたそうです。



▼炭酸水:ウィルキンソン(ウヰルキンソン) (WILKINSON)


1889年(明治22年)頃に、

日本に定住していたイギリス人のクリフォード・ウィルキンソンが狩猟の途中に、

兵庫県有馬郡塩瀬村生瀬(現在の兵庫県西宮市塩瀬町生瀬)で天然の炭酸鉱泉を発見した。

ウィルキンソンがこの鉱泉水をロンドンに送り分析してもらったところ、

医療用・食卓用として非常に優れたものであるとの結果を得た。

当時の日本政府は外国人向けの良質な食卓用水を求めていたこともあり、

ウィルキンソンはこの鉱泉水を瓶詰めにして販売することを企画した。


温泉会社からラムネ部門を譲り受け、イギリスから必要な設備を取り寄せて、

兵庫県武庫郡良元村小林の紅葉谷(現・兵庫県宝塚市紅葉谷)に工場を設けて、

1890年(明治23年)からボトリング事業を開始した。

当初のブランドは仁王印ウォーターであった。


1901年(明治34年)に王冠クラウンコルクを使用した瓶を発売。

1904年(明治37年)にザ・クリフォード・ウヰルキンソン・タンサン・ミネラルウォーター・カンパニー

(資本金50万円)を設立、ブランドもウヰルキンソン・タンサンと改めた。




▼炭酸泉:有馬温泉

 なお、近隣の有馬温泉といえば、

温泉と炭酸泉を利用した炭酸せんべいや炭酸水、今では炭酸マッサージ等も行われています。


 かつて有馬温泉の地に湧き出る炭酸泉に甘味を加えて飲んだのが、有馬サイダーの始まりといわれています。

明治時代には「てっぽう水」の名称で販売されていました。


明治34年(1901年)に大阪・堺の酒造家で

清酒「春駒」醸造元の鳥井駒吉(大阪麦酒会社・現アサヒビール社長)は、

温泉地有馬に「有馬鉱泉株式会社」設立し、ガス入りミネラルウォーターを製造し、

神戸居留地の外国人、外国航路向けに発売していました。


 それに香料、糖分を加えた高級飲料のサイダーは明治41年(1908年)発売され、

好評を博し大正2年(1913年)時には、

有馬シャンペンサイダー、有馬ストロベリーボンズ、鼓シトロンなどの

ネームバリエーションを展開していましたが、

大正13年(1924年)には、金泉飲料に買収され、

さらに翌年日本麦酒鉱泉株式会社に買収され、

大正15年(1926年)には川西市の平野に移され、有馬での製造は幕を下ろしました。

 ※有馬鉱泉株式会社は、25年間企業活動し、内サイダーが製造されたのは18年間でした。


 川西市の平野には、元々帝國鉱泉株式会社(明治40年(1907年)設立)があり、

「三ツ矢印 平野シャンペンサイダー」→(明治42年(1909年)に「三ツ矢シャンペンサイダー」改称

が造られていましたが、大正10年(1921年)に同じく日本麦酒鉱泉株式会社に合併されていました。

そのため、有馬でのサイダー造りが川西市の平野に移されたのは、

日本麦酒鉱泉株式会社が合理化のため統合したものと思われます。



 しかし2002年に有馬の新しいお土産、「ありまサイダー」として復活させました。

てっぽう水の名にちなんだ大砲のデザインが施されたレトロなラベルや、

一番のこだわりであるかなり強めの炭酸と上品な甘味で、大人の味に仕上がっています。



 有馬温泉は日本のサイダーの発祥地。

ある時は「シトロンサイダー」と言う名前で売られていました。

その会社が「大日本麦酒」に買収され、大日本麦酒は第二次世界大戦後の財閥解体により

「アサヒビール」と「サッポロビール」にわかれました。

シトロンサイダーもアサヒは「三ツ矢サイダー」

サッポロは「リボンシトロン」と言う名前でサイダーを売りました。

その当時のビンを使って、サイダーよりもふるい名前「鉄砲水」と言う名前で作りました。

鉄砲水とは炭酸水を一升瓶に入れて持ち帰るとき、鉄砲のようにコルクの栓が飛ぶ事から、そう呼ばれたのです。


 また有馬温泉には鉄分を含む茶褐色をした「金泉」と、

無色透明の炭酸ラジウム混合低温泉「銀泉」がありますが、

この銀泉のお湯には炭酸が含まれていることが分かりました。

しかし当時は炭酸泉そのものは毒水として恐れられ、

地元の人でも近づくことすらしなかったといいます。


 その炭酸泉も明治になり、オランダの薬学者が調査したところ、

飲用が可能で、消化を助け、胃腸にも良いといったことが分かりました。


 この炭酸泉水を使って有馬名物を作ることはできないかと考えらたれた結果、

明治40年に誕生したのが、この「炭酸せんべい」だと言われています。

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