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現実:食-香辛料 ガルム(もしくは伝説上の生物)

▼冥界の番犬ガルム(Garm):

 ガルムは、

北欧神話に登場する番犬のこと。


 ヘルヘイムにあるヘルの館「エーリューズニル」の番犬で

入り口にある洞窟グニパヘリルに繋がれている。


 無闇に冥界へと近付く者たちを追い払い、

冥界から逃げ出そうとする死者を見張る。


『グリームニルの言葉』では「犬のうち最高のもの」と評されている。

「うちの犬は最高だ」とでも言いたいのか?



 かの神々の黄昏ラグナロクの際には自由になるも、

ガルムが死に際にテュール(ゼウスの同語源)の喉を噛み切り

相打ちになる運命にある。


 ちなみに、この本来は天空神だったらしい軍神テュール、

火曜日を意味するTuesdayの語源だが、

メタ的に最高神の地位を追われて一介の軍神に転落するわ、

作中でフェンリルに片手を食いちぎられ隻腕の戦士の姿にされるはなど

厄災続きの存在である。


 また、番犬ガルムの見た目は狼犬に似て巨大な身体であり、

胸元には渇いた血が付いており、

その胸元の血は死者の血である。

……涎掛け必須か?


 さらに軍神テュールとの絡みからかフェンリル狼と同一視されることがある。

フェンリル狼「俺は犬じゃねえ!」




 ……ではなくて、



▼調味料ガルム(garum):

 ガルムは、

古代ローマ時代に使用された魚醤のこと。


魚醤ぎょしょうは、

魚類または他の魚介類を主な原料にした液体状の調味料。

魚醤油うおしょうゆ塩魚汁しょっつるとも呼ばれる。




▼古代ローマで大人気、魅惑の万能調味料:その由来

 紀元前、紀元後である古代ローマ当時において

その食卓で主な調味料として使われていた。


 この様にローマ世界で最もよく使われた調味料だが

そもそもの発祥は古代ギリシアである。


 そうローマの文化とは、

その多くはギリシャの文化の継承と模倣から始まったのだ。


 ローマの詩人ホラティウスには

「征服されたギリシアが野蛮な征服者をとりこにした」という有名な言葉がある。

って、カレースパイスか!?


 ギリシア語のガロス(garos) 

またはガーロン(gáron)を語源とするとされるが、

実のところその語源は不明なのである。


 だが別説では、ガルムはギリシャ料理とフェニキア料理の両方に起源を持ち、

ガルムという名称もエビを意味するギリシャ語に由来するともいわれている。




▼魚醤工場 -ケタリアエ- :ガルムの作り方


 当時ケタリアエ(cetariae)と呼ばれる工場などでは、

塩漬けの魚とガルムという2種類の製品が同時に作られていた。


 この2つを一緒に製造することには、非常に合理的な理由がある。

ガルムを作れば、塩漬けの工程で廃棄物として生まれる魚の内臓

というありがたくない副産物を、

きれいに使い切ることができるからだ。


 だからどのケタリアエにも設けられていた施設として、

中央の中庭、魚から内臓を取り出す部屋、

完成したガルムの貯蔵場所などがある。


 なかでも特徴的なのは、ガルムの製造に使われていた大樽だ。

大樽は通常、セメント(ローマン・コンクリート)を使って

床に埋め込んだ形で作られたが、

岩から削り出したものもいくつか見つかっている。


 大樽の内部はオプス・シグニーヌム(opus signinum)

と呼ばれる防水性の高い材料で覆われており、

貴重な調味料が染み出すことがないよう工夫されていた。



 ガルム製造のために一般によく使われる魚は

シラス、サバ、アンチョビ、マグロやカツオ、

スプラット(キビナゴ)、イワシ、カタクチイワシなど

脂ののった様々な小魚の内臓を原料とする。


 また漁師は獲った魚を種類ごとに、

また部分ごとに分けて並べ、

ガルム製造業者が好きな種類の魚と部位だけを

原料として選べるようにしていた。


 ガルムを作るには、

まず新鮮な魚の内臓を細切れにし塩水に漬けて発酵させるため

塩と香りの良いハーブを何層か挟みながら大樽に詰めて、

または、魚や甲殻類に塩を加えて素焼きの甕に入れて、

時々撹拌しながら適度に刺激臭を放つようになるまで日光にさらし

天日に2 - 3か月当てて発酵、液化および熟成させる。

(地方によっては香草の煎じ汁を混ぜることもあり、

 工房の庭で香草を栽培することもあった。)


 このとき塩分が腐敗の進行を抑制する。

重要なのは塩の量で少なすぎると腐るし、

逆に多すぎると独特の風味を生む自然な発酵のプロセスを阻害してしまう。


 発酵の段階が終われば、内容物をろ過する。

発酵容器に目の細かい ろ過器を入れて透き通った上澄み液を汲むのだ。

こうして出来上がった琥珀色をした濃厚な液体が

魅惑の万能調味料:魚醤ガルムなのである


 完成品は栄養豊かで、大量のタンパク質とアミノ酸が含まれ、

特に天然のうま味成分グルタミン酸に富み、

ミネラルやビタミンBも豊富である。


 なお完成品はまろやかで繊細な風味だが、

発酵中はひどい臭いがするため、

ガルム生産者は近所から苦情が来ないよう

都市の郊外で生産していた。


 また、こうした工場は

一般に新鮮な魚が手に入りやすい海岸付近に作られてもいた。




▼ガルムの類似品:アッレク(アレック)、リクアメン


 なお、取り出した後に残された酒粕同様の搾りかすの固形物は

アッレク(allec)またはアレック(alec)と呼ばれ、

それらは、最貧層の住人が主食の粥に混ぜて味付けに使用されるなど

ガルムの低品質な代替品として広く流通していたのだった。

……って、代用醤油か?


 また、類似の調味料として「リクアメン (liquamen) 」がある。


 この「リクアメン」は液状か半液状の塩味の調味料とされ、

1世紀のローマの作家コルメラの『農事論』では

ラードを用いた塩気の多い調味料としてリクアメンが登場し、

4世紀のコルメラの継承者パラディウスは

塩漬の梨をベースにしたリクアメンを語っている。


 このため、ガルムとは別の塩味の調味料とする説があるのだが。


 また、アピシウスの記録によれば、

古代ローマで塩味をつけるのには

塩よりも「リクアメン」を用いる事の方が多かったそうな。




▼ヒュドロガルム:こっちのガルムは薄いぞ、あっちのガルムは苦いぞ

 では西暦1世紀が終わる頃、

裕福なローマ人が開く宴には、どんな料理が並んでいたのだろうか。


 一皿目はおそらくガルム味の豚で、次はガルム味の魚だろう。

そして料理と一緒に供されるワインにも、

やはりガルムが入っていたはずだ。


 さて、古代ローマの料理にこれほど多用されていた調味料ガルムとは、

いったいどんなものだったのか。


 現代の調味料で最もガルムに近いと思われるのは、

東南アジア料理の定番である、

発酵させた魚と塩から作る液体状の魚醤ぎょしょうだ。


 現代の魚醤と同じく、

ローマのガルムも発酵させた魚(具体的には内臓)と塩から作られていた。

ローマ人はこれをそのまま味付けに使うほか、

コショウ、酢、ワイン、オイル、飲料水といった材料と組み合わせて用いていた。


 ガルムが古代ローマ料理に欠かせない調味料となるにつれ、

これを漁場から食卓に運ぶための広大な交易路が形成されていった。


 また現代の高級食材と同様、

最高級のガルムは天文学的な値段で取り引きされた。


 こうしてガルムは、等級によってローマ庶民の日常の食品ともなり、

また富裕層向けの高級品ともなった。


 そう、最高級のガルムはキャビアほどではないが、

高級な香水と同程度の価格で取引されていたというのだ。


 また、現代のワインやチーズに数多くの種類があるように、

ガルムにもいくつもの等級と価格が存在し、

これは製造に使われている魚の種類や液体の濃度によって異なったのだ。


 薄いガルムはさほど裕福でない家庭で使われ、

またローマ帝国末期のアルモリカ(現在のフランス、ブルターニュ地方)では、

軍隊からの大量の需要を満たすために安価なガルムが作られていた。


 この安価なガルムとは水で希釈された「ヒュドロガルム」のことであり

この水増しガルムはローマ軍団用として供給されていたのだ。




▼大プリニウス:溢れ出る好奇心を持つ偉丈夫

 一方、富裕層は高級なガルムを買い求めた。


 古代最大の百科事典『博物誌』の著者;大プリニウス

(古代ローマの博物学者、政治家、軍人。

 ローマ帝国の属州総督を歴任するも

 ローマ西部艦隊:司令長官であった79年のヴェスヴィオ火山噴火時、

 市民の救助と『調査』のために急行したが、有毒ガスで窒息して死んだ。)

が特に好んだのが「ガルム・ソキオールム(garum sociorum)」と呼ばれるもので、

これはカルタゴ・ノウァ(現在のスペイン南部、カルタヘナ)郊外で生産されていた。


 特にサバをベースにしたこの魚醤を大プリニウスは絶賛し、

その香りは最高級の軟膏や香料に匹敵するすばらしさだと述べている。

(対して『博物誌』の中において、彼は同じく香辛料である胡椒については、

 「今ローマで大流行しているが、これはインドから輸入するために対価として

 大量の金銀がインドに流出している。由々しき問題だ」と警告している。)


 また『博物誌』によれば、

蜂蜜酒のような色にまで薄めたものをそのまま飲料として飲んだという。

徴兵逃れの常套手段、醤油一升飲みか? (錯乱


 実は古代ローマではこれが万病に効く薬とされていて、

犬による咬傷、赤痢や潰瘍にまで効くとされていたのだった。


 さらに化粧品の材料としても使われ、

脱毛やそばかすの除去にも使われ

更にガルムは慢性的な下痢や便秘にも効くと考えられていた。

DHA&EPAパワーか?


 だが一方で、哲学者・政治家のセネカ(コルドバ出身)などは、

『ガルム・ソキオールム』が高騰する様を見て次のように記している。

「あなたは、高価な腐敗した魚の血の塊である『ガルム・ソキオールム』が

 その塩漬けされた腐敗物によって胃を痛めつけていることがわからないのか?」




▼マルクス・ガビウス・アピキウス:美食のためなら死んでもいいお太り様

 一方西暦1世紀初期のローマには、

マルクス・ガビウス・アピキウスという名の裕福な美食家がいた。


 古代史における最古の料理本の一つで、

4世紀に編纂されたとみられる『料理帖(De re coquinaria)』は、

この人物と関連があるといわれており、別名『アピキウス』とも呼ばれる。


 この古代ローマのレシピを編纂したアピキウスに

掲載されている料理のほとんどにはガルムが使われていた。


 この本には、ガルムなどの魚醤を重要な材料として用いるレシピが

数多く掲載されている。


 たとえば、次のパルティア風チキンもその一つだ。

「チキンをていねいに下ごしらえして4つに切り分ける。

 リクアメン(ガルムに似た魚醤)をかけたコショウ、ラベージ(緑色のハーブ)、

 キャラウェイ少々をつぶし、ワインを加える。

 チキンを陶製の皿に載せ、上記の調味料をかける。

 ラセル(フェンネルに似た植物ラセルピキウムの汁)とワインを加える。

 調味料を馴染ませたら、チキンを蒸し煮にする。コショウをふりかける」


 この他、

「ワイン(東ローマ帝国ではワインとガルムを混ぜたものをオエノガルムと呼んだ)、

 酢、コショウ、油などと混ぜて茹でた子牛肉」

「ムール貝の蒸し物」

 はては

「洋ナシ」

と蜂蜜のスフレのような料理にまで使った。


 この料理本の中でいちばん簡単なレシピは、

卵を焼いてワインとガルムを混ぜたもので味付けをした一品だ。

なお同書には腐敗したガルムを美味しくするテクニックまでもが記載されている。




▼ガルムの輸送ネットワーク:

 さて、アンセリューヌおよびアグド近海の紀元前5世紀の難破船からは、

ガルムの痕跡が残るアンフォラ(縦に細長く両側に取っ手の付いた陶器)

が見つかっている。


 実はどこで作られたどんな品質のものであろうと、

すべてのガルムは例外なくアンフォラに詰めて輸送されていたのだ。


 さらに一部のアンフォラには、

ティトゥリ・ピクティと呼ばれる文字が刻まれていて、

この文字はアンフォラの外面に付けられた“ラベル”のようなもので、

中にどんな食材が入っているかを示しているのだ。


 このラベルだが、例えば

『1世紀のポンペイ』在住の解放奴隷でガルム輸入業者の

「アウルス・ウンブリキウス・スカウルス」が

ガルムを製造していた証拠として見つかっている。

(何故見つけられたかお察しである、南無)


 なぜなら、アンフォラに書かれたティトゥルス(品質表示のようなもの)は

「ガルム輸入業者アウルス・ ウンブリキウス・スカウルスの作業所から」

と読めるのだ。


 また彼はガルムの大手商人サプライヤーとして活躍していた人物で、

商売で富を築き、古代ローマでも特に豊かな街ポンペイに邸宅を持つに至ったのだが、

自身の富の原動の象徴として彼の家の中央広間アトリウムの床は、

ガルム用アンフォラをモチーフにしたモザイクに彩られていた。

(何故見つけられたかお察しである、アーメン)


 結果として彼はその印と名前を、

自分の財産である格調高い不動産に刻むことで後世まで残しえたのだ。


 - 閑話休題 -


・イタリア半島では:

 そもそもガルムの輸送ネットワークとは、

ローマ世界各地からローマ本国への一方的な輸入でも、

また本国から各ローマ属州への一歩的な輸出でもなく、


 イタリア半島からイベリア半島へ掛けての海岸線に広がる

広大な各地のガルムの生産拠点と古代ローマ世界消費地とを結ぶ

輸送ネットワークなのであった。


 そう、古代ローマの時代よりも古くから、

イタリア半島北部のガリア・キサルピナ(或いはトガタとも)の地である

リグリア海沿岸地方(コルシカ島の対岸)から

イベリア半島のヒスパニア・バエティカにかけてまでの海岸沿いに

古代ギリシアのエンポリウムが繁栄した一因として

ガルムの生産地と輸出港があったのだ。


*ガリアとは、

 ガリア人(ケルト人の一派)が居住した地域の古代ローマ人による呼称。

*ガリア・キサルピナとは

 ラテン語でローマ側から見て「アルプスのこちら側のガリア」という意味。

*ガリア・トガタとは

 トガをまとった=完全にローマ化したガリアという意味。


 元来の「ガリア」とは、

イタリア半島北部のガリア人が住む地域を指し示す言葉であった。

だが「ガリア戦争」の遠征記録『ガリア戦記』にあるとおり、

ローマ人がガリア人の土地で領土を拡大するにつれ

ガリア人と同系統の諸部族が天然の要害であるアルプス山脈の西方・北方にも

多数住んでいることが知られるようになり、

それらの地域も段々と「ガリア」に含まれるようになった。

 だがそのようにローマに制圧された属州「ガリア」の適応範囲が広がるにつれ、

逆に本来のイタリア半島北部などは本土イタリアに編入されて完全に同化していまい

以降この地は最早「ガリア」などとは呼ばれなくなった。

またイタリア半島北部が「地域としてのガリア」に含まれなくなった為

近代では同胞の住んでいたフランスの雅称として使われるようになってしまっている。


*エンポリウムとは

古代ギリシアの都市国家ポリスにおいて対外交易に用いられた場所のこと。



 また、そもそもローマがそれらの地方へと進出していったのも

人口の増加と市民の富裕化でガルムの消費が増えたため

ガルム生産地を獲得するというのが目的のひとつだったともいう。



・イベリア半島にて:

 この様にローマで人気の高かった調味料ガルムだが、

幸いにも主要な材料としてさまざまな種類の魚が使われていたため

その用途に分けてローマ世界の各地でそれぞれに生産されていた。


 中でもイベリア半島では、特に多くの塩漬け工場が存在し、

そこではその大半がサバあるいはマグロを主な原料として使用していた。


 例えば現在、この地域にあるエスコンブレラスという町の名は、

ラテン語でサバを意味するスコムブリスに由来しており、

ローマ時代のカルタヘナにあった漁場の名残を感じさせる。


 またスペインにあるバエロ・クラウディアは

地中海と大西洋が出会うジブラルタル海峡の近く

という至便な場所に位置していた為

ガルム生産の重要拠点であった。


 なぜならこの一帯の海はある種の魚たちの回遊ルートになっており、

古代の人々はマグロが産卵のためにここを通るのを狙って網を仕掛けたのだ。

なお、この手法は、今も現地で用いられている。


 このようにイベリア半島にあった工場の大半は、

アンダルシア地方の海岸から、

ポルトガルのタホ川河口にかけて点在していた。


 そして、これらの街から出荷されたガルム入りのアンフォラは、

ローマ帝国全土で見つかっている。


 アンフォラが発見された場所をたどれば、

ローマ帝国各地の消費者にガルムを届けていた、

陸と海にかけて広がる広範なネットワークが見えてくるのだ。


 当然ながら、イタリアには各地からのも含めて大量のガルムが供給されており、

ローマの「テスタッチョの丘」では数多くのアンフォラが見つかっている。


*「テスタッチョの丘」とは、

食品用陶器の破片ばかりが30メートルを超える高さまで積み重なっている場所だ。

要は夢の島、貝塚のようなものだが、

この当時からちゃんとゴミの分別はなされていたもよう。



・イングランドへ:

 ガルムはまた陸路で地中海から西ヨーロッパを越え、

遠くイングランド北部の山岳部にあるハドリアヌスの長城にまで到達している。


 この当時のローマ市民にとって文明世界の最北端にあたるこの寒い土地でも、

ローマ兵士や市民は地中海の日光に照らされて発酵した魚醤の風味を

楽しむことができたわけだ。


 恐るべきローマの兵站能力。


 しかし、市内からはガルムの工場が見つかっておらず、

多くの研究者は市壁の外にあったのではないかと考えている。


 それぞれの港ごとに独自の伝統的製法があったが、

アウグストゥスの時代には

イベリア半島のフェニキア人都市カルタゴ・ノヴァであるカルタヘナ産や

(第二次ポエニ戦争においてハンニバルはこの町からイタリアに侵攻した)

同じくイベリア半島の大西洋に面する港湾都市カディス産

(大航海時代にコロンブスがこの港から出港し、インディアス艦隊の拠点港となった)

が最高とされるようになり、

それらを「ガルム・ソキオールム(同盟者のガルム)」と呼んだ。


 なお、大カトーが生存していた紀元前2 - 同1世紀にかけては、

ガルムは贅沢品だった。


 しかしやがてローマの料理にとって必要不可欠な調味料となり、

クラゾメナイ(現在のトルコ国内)、

レプティス・マグナ(同リビア)、

カルタゴ・ノウァやアンティポリス(ともに同スペイン)など

ローマ国内の様々な地域で生産されるようになったのだ。


 素焼きの壺やアンフォラなどに入れた魚醤が、

これらの生産地からローマにも送られていた。


 現代に残るガルム工場の遺跡としては、

バエロ・クラウディア(現在のタリファ)や

カルテイア(現在のサン・ロケ)のものがある。


 スペイン産ガルムはローマに輸出されており、

そのためこれらの町の名も当時はある程度知れ渡っていた。


 ルシタニア(現在のポルトガル)産のガルムもローマでは高く評価されていた。

ルシタニア産ガルムはラコブリガ(Lacobriga、現在のラゴス)の港から

ローマに向けて出荷されていた。


 リスボン中心街のバイシャ地区にもローマ時代のガルム工場跡がある。


 ガイウス・マリウスがガリア・ナルボネンシス(フランス南端部)

に作った運河フォッサエ・マリアナエ (Fossae marianae) は

ガルムをガリア、ゲルマニア、ブリタンニアといった地方に運ぶ拠点となった。



 なお現代において、塩蔵アンチョビーから骨と皮を除いてオリーブ・オイルに漬けたものが

イベリア半島を中心に製造されており、

ガルムなどの魚醤との関係が指摘されている。



 また2008年、あのポンペイで見つかった製造中のガルムの残留物が

全て鯛を原料としていたことがわかった事である発見があった。


 実は鯛とは夏に群れて漁獲されたため、

結果ヴェスヴィオ山が8月に噴火したことの傍証となったのだ。


 しかし、そんな発見とは裏腹に実は魚醤ガルムそのものは

ローマ帝国の滅亡と共に製法が途絶えてしまい、

調味料の主流もソースへ移ったため幻の調味料と言われるようになりました。


 そこで幻となった魚醤ガルムを再現しようと、

13世紀以後にコラトゥーラ・ディ・アリーチが登場しました。

(コラトゥーラ・ディ・アリーチはヨーロッパでも

 南イタリアのアマルフィー海岸を臨むチェターラという街でだけ生産される

 特産品の魚醤

『天然発酵旨味調味料コラトゥーラ・ディ・アリーチ・ディ・チェターラ』です。)


 また近年でもローマ時代の資料を元にガルムの復元が試みられています。


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