現実:歴史 ダイナーの歴史
▼歴史: 馬引きの「パイオニアー・ランチ・ワゴン」 → 移動屋台専用車「ランチワゴン」 → 座席付きの「ランチワゴン」 → 食堂車「ダイニング-カー」
(単一ユニットのダイナー) → プレハブ建築式ダイナー → 伝統的なダイナー設計の外観の普通の建築物ダイナーレストラン
- 1872年 ダイナーの起源;ロードサイドレストラン時代の幕開け
ダイナーの起源は移動屋台である。
世界初のダイナーはロードアイランド州プロビデンスにて、
プロビデンス・ジャーナル社の社員向けに暖かい食事を販売した
手押し車をヒントにした「パイオニアー・ランチ・ワゴン」 -馬引きワゴン-
(元々は幌馬車で旅行をする人を対象にした調理機器を乗せた馬車のことで、
それをヒントに馬車の荷台を料理製造販売ができるように改造した移動式屋台)
であるといわれている。
この誕生により近代的なロードサイドレストランは時代の幕を開けたと言える。
ワゴンの所有者ウォルター・スコットは以前から、
新聞社で働いていた親しい印刷工たちに、
家で準備したサンドイッチとコーヒーをカゴで売り歩き、収入の足しとしていた。
なぜなら通常の工場労働者の仕事は午後8時に終るが、
その頃には通常のレストランは店を閉じている。
24時間勤務で夜勤の工員であればなおさらである。
そこで、茹で卵と、パイ、コーヒー、ひき肉を挟んだサンドイッチを
その場でランチ・ワゴンで調理し、熱々の状態で提供するようにした。
一方そのランチ・ワゴンを真似した元警察官のルーエル・ジョーンズは、
顧客にサービスをするオープンカウンターを備えた、
天井がガラス張りで敏捷な印象を与える明るい赤いワゴン車を開発して参入した。
- 1887年
ニューイングランド博覧会でサムエル・M・ジョネッシャは、
顧客が中に入れる大きさの、長さ16フィート(約5m)、幅7フィート(約2m)の
大イタチ(大板血)……ではなく、
食事ができるワゴンを800ドルで造り紹介した。
中には調理場を備えステンドグラスを使用していた。
一方マサチューセッツ州ウースターで
後にランチ・ワゴン王と呼ばれるようになったトーマス・バックレーが
ニューイングランド・ランチ・ワゴン社を設立し、
移動屋台専用車のランチワゴンの生産を開始しその商売は成功し、
彼は「ホワイト・ハウス・カフェ」ワゴンで知られるようになった。
- 1889年
全米の275の町にランチ・ワゴンを設置営業していた。
- 1897年
ニッケルメッキのコーヒーアーン(大型のコーヒーマシン)、
モザイクタイル、照明、黒檀の床ebony pedestalを備えた豪華なワゴンを開発した。
さらにワーセスターにホワイト・ハウス・カフェと呼ばれる
固定式のランチ・ワゴンを設置した。
面積は18,000スクエアーフィート(1,674平方メートル)で、
内装に縞大理石メキシカン・オニックスを使用し、
ソーダファウテン(炭酸飲料ディスペンサー)を備えた豪華な造りだった。
- 1891年
チャールズ・パーマーが幾つかのワゴンを開発し、
1891年の9月に移動式屋台で最初の特許を得た。
彼は「ナイト・ランチ・ワゴン」の名称でそれを登録、
1901年までに「ナイト・ランチ・ワゴン」と「ファンシー・ナイト・カフェ」とを
ウースター周辺に出店した。
そして、そのワゴンを造り販売をするビジネスが誕生し、
全米の各地の路上でランチ・ワゴンのビジネスが見られるようになった。
それ故、19世紀後半にはアメリカ東海岸北部で
座席付きのランチワゴンがぞくぞくと現れ、
高価な不動産を購入することなく、オフィス街で営業した。
ただニューイングランドでは人気の移動式ランチ・ワゴンも
他の地域では営業が10時までに制限され、
それ以上の長時間営業をするためには固定式にしなければいけないという問題を抱えた。
また、移動式ランチ・ワゴンの低所得労働者向けの安っぽく、
けばけばしいイメージを払しょくするべく、
ランチ・ワゴンの内外装の高級化が必要になった。
そこで経営者たちは使い古した市電を購入し、
ランチ・ワゴンに改造をするようになった。
ニューヨーク州ニューロシェルのランチ・ワゴン製造業のパトリック・ターニーは
その安っぽいイメージを払しょくするべく、
列車食堂の豪華な内外装に改装することにした。
女性が利用できるように、ゆったりとしたブース席、換気装置、排気ファン、
トイレット等の最新の設備を設置し、その大型ランチ・ワゴンをダイナーDinersと名付け、
1人で運営する小型のランチ・ワゴンをダイネッツと名付けた。
ターニーが1917年に亡くなった時には億万長者になっていた。
その後も、会社は1925年には1日1台のペースでダイナーを製造していた。
- 1906年
フィリップ・デュプリーとアーヴィン・ストッダードは
ウースター・ランチカー社を設立し、
現在「ダイナー」と呼ばれる形式の店をアメリカ東海岸一帯に展開した。
1925年までは、「ランチワゴン」という名称に比べると
「ダイナー」という名称はあまり使用されていなかったようである。
だがウースター周辺には現在も多くのダイナーがある。
- 1917年 最初の「ダイナー」を作ったという異説
一方ニュージャージー州ベイヨンのジェリー・オマホニーが
最初の「ダイナー」を作ったという説がある。
同州エリザベスのジェリー・オマホニー・ダイナー社は、
1917年から1941年に二千店のダイナーを製造し、
そのうち現在も営業を続けている店舗が国内外に20軒残っている。
席数の増加に伴い、ワゴンを製造していた業者の多くが
プレハブ建築式ダイナーを製造するようになった。
ランチワゴン同様に、プレハブ店舗に組み立て済み建築材と
設備を使用することにより、
ダイナーの経営者は飲食店業をすぐに開始できた。
- 1921年 米国で最初のドライブイン
なお、ダラスで煙草とキャンディーと言うお口の恋人の卸売業を営んでいたJ.G.カービーは
車で移動する人は車から降りて食事をすることが面倒くさいと感じていることを発見し、
ルーベン・ジャクソン博士の助けを借りて9月に豚のバーベキューを提供する
車から降りずに食事できる米国で最初のドライブイン、店名「ピッグ・スタンド」を
ダラス・フォートワースの高速道路に開店した。
ウエイターやウエイトレスは車にトレーに乗せた料理を運ぶので、
カーホップと呼ばれるようになった。
ハリウッドのコーラスラインが着用するようなお洒落な制服を身にまとっていた。
その後の10年間でカービーと彼のフランチャイジーは
ピッグ・スタンドを中西部からニューヨーク、カリフォルニアに至るまで展開した 。
- 1929年
また、世界恐慌まで、ほとんどのダイナー業者と顧客は合衆国北東部にあった。
ダイナー業も他の産業同様恐慌の影響を受けたが、
どんなときでも人は食事をするものであり、
高級なレストランよりも安価な料理を提供するダイナーは
営業を始めるのにかかる費用も安いため、被害は他業種ほど深刻ではなかった。
- 1945年
第二次世界大戦後、経済が民需に戻り郊外が発展するとともに、
ダイナーは魅力的な小規模ビジネスの起業対象となった。
この期間に、ダイナーは都市部や小さな町といった本来の商業圏から
郊外の高速道路沿いの土地へと広がり、
ヴァレンタイン・ダイナーズのような製造業者と共に、中西部にさえ達した。
- 1950年代
流線型のダイナーは段々古臭いイメージとなり、
1930年頃から軽食堂の内装にも使われるようになった照明の
ネオンサインの装飾を備えた宇宙船的な未来型の外観デザインとなり、
ダイナーの大型化、近代化が図られるようになった。
(ジリジリと電子音がうるさい)
なお、最近建てられた現代化されたダイナーの構造はこれとは異なる。
- 1960年代
しかしやがてこの時期からファスト・フードチェーンの台頭に伴い、
ダイナーのブームはその終わりを迎え始めた 。
- 1970年代以降
ついにこの時期、多くの地域でファストフード店がダイナーを駆逐したが、
ニュージャージー州、ニューヨーク州、ニューイングランド、
デラウェア州およびペンシルベニア州の一部では、
どっこい生きてる個人営業のダイナーが今なお割合普通に見られる。
この時期に新たに建ったダイナーは、
既にそれまで主流だったステンレス製の細長い流線型の形状を捨て
近代的な未来型の大きな建物へと移行していたのだが、
やがて、この古いプレハブ式のダイナーが普通の工法で増築され、
元の構造がわからなくなるほど新しい増築部に覆われたり
新しい外装を施されるにつれ、かつての「ダイナー」という言葉の定義が曖昧になった。
また、ついにダイナーと呼ばれているもののプレハブ式でなく、
敷地に普通の建築同様土台から建てられる店舗も現れ始め、
これらのより大型の店舗はしばしば「ダイナーレストラン」として
現代では知られるようになっていった。
▼設計:
トレーラーハウスと同様、初期の様式のダイナーは狭くて細長く、
道路での移動が可能であった。
これは定位置での営業を想定していなかった
最初の「本物の」ダイナーから受け継がれた特徴であると言われている。
この「ダイナーワゴン」でない元祖ダイナーは、実際の鉄道の食堂車であった。
食堂車が耐用年数を超過した後に、駅の近くまたは線路沿いの定位置に置かれ、
安価なレストランとして使われた。
ニュージャージー州サミットのサミットダイナー
(オマホニー社、1938年製造)などは、
典型的な「食堂車」様式のダイナーである。
その後、鉄道車両を製造するために設計された設備を流用して製造されたこともあり、
伝統的にこの大きさと形状が保たれた。
初期の間取りでは、サービスカウンターが内装の中心で、
背面の壁に調理エリアがあり、前面には床に取り付けられた客用の椅子がある。
より大きなモデルでは前面の壁と後方にボックス席がある。
なお、装飾は時につれ変化した。
- 1920年代から1940年代
ダイナーはアール・デコの要素を取りいれたり、
食堂車の装飾を模した(実際に再度組み上げられた食堂車も僅かながらあった)
装飾を施された。
外装は琺瑯で、前面に店名が書かれたものやエナメルの帯飾り、
縦溝飾りを入れたものが特徴である。
多くは「筒型ヴォールト」の屋根を持ち、タイル張りの床が一般的であった。
- 1930~1940年代
冷蔵庫から蒸気機関車まであらゆるものに流線型のデザインのブームが巻き起こり、
ダイナーも流線型のデザインを取り入れるようになった。
また、きらきらと光るステンレス製の装飾物を内外装に使う豪華なダイナーに変身し、
この時代のダイナーをダイナーの黄金時代Golden Age of the Dinerと呼んだ。
この時代には全米に6700のダイナーが毎日100万食を提供していた。
1940年代の終わりには13社のダイナー製造会社があり、
毎年250台のダイナーを製造していた。
- 1950年代
流線型のダイナーは段々古臭いイメージとなり、
ダイナーは大型の窓、ステンレスのパネル、琺瑯、ガラスのブロック、
テラゾー(人造大理石)の床、化粧板、ネオンサインの装飾を備えた
宇宙船的な未来型のデザインとなり、規模も大型化するようになった。
なお、最近建てられたダイナーの構造はこれとは異なり、
間取りはレストランに似ており、伝統的なダイナー設計の外観
(通常、ステンレスとアール・デコ要素)を保持するものの、
他の特徴(小さなサイズやカウンターを主としたレイアウト)は失われている。
だが、この時代のダイナー形式の飲食店に対する思い入れが
アメリカ人には深いようである。
カリフォルニア州ダウニー市にある
1958年に開業し長年町のランドマークとなっていたダイナー
「Johnie’s Broiler」が中古車販売店の手にわたり、
諸事情で2007年に解体が強行されてしまった際には、
なんとダウニー市議会が破壊されてしまった店舗の再建を支援した。
また町の有志が当時の写真や図面を基に極力残った瓦礫の中から
使用可能な物を再使用して建材の一部としつつも、
現在の建築基準や消防法に対応させつつ、全く当時と同じ外見で再現し、
新たに「Bob’s Big Boy Broiler」という屋号で
ダイナーとして営業を再開したと言う。
(この際日本でもファミリーレストランとしてチェーン展開している
ビッグボーイがテナントとして入居するという形で営業している。)
- 1970年代
この時期に新たに建ったダイナーは、
これまで主流だったステンレス製の細長い流線型の形状を捨て
大きな建物へと移行したのだが、
それでも古くからのダイナー製造業者による
プレハブ式のユニットを組み立てて建てられていた。
なお、これらの新しいダイナーには、
個人住宅に多く用いられるケープコッド様式やコロニアル様式をはじめ、
多種多様な建築様式が採用されている。
旧式の単一ユニットのダイナーは、
長いカウンターと小さなボックス席を持っていたが、
現在のプレハブ式のユニットのダイナーでは、
より広い食事席、豪華な壁紙、ファウンテン、クリスタルガラスのシャンデリア、
そしてギリシャ式彫刻が追加されるようになった。
斯くしてダイナーはファミレスチェーンと化したのだろうか。
例: アメリカ合衆国の大手レストランチェーン デニーズ(Denny's、NASDAQ:DENN)
年中無休の営業で、フルサービスを提供する全米最大規模のファミリーレストランチェーン。
朝食、ランチ、ディナーと1日の全ての食事を提供している。
店舗の大半は高速道路の出口のそば、小さな町のサービスエリアや、町からやや離れたところにある。
1953年にハロルド・バトラーによってカリフォルニア州レイクウッド(ロサンゼルス郊外)で開業した。
1959年には20店舗を数え、チェーンをDenny'sと改称した。
チェーン店は年々店舗数を増やし、1981年には1000店を数えるまでになった。
1977年には、現在も定番として親しまれているグランドスラム・ブレックファースト
(卵料理、ソーセージまたはベーコン、トーストまたはパンケーキ、サラダ、
ジュース、コーヒーなどがセットされた朝食のフルコース)をメニューに加える。
決してマズくはない。マズくはないのだが、なんか大味。
毎日こんなの食べていたらデブまっしぐら的なジャンクフードのオンパレードであり、
メニューを眺めるだけでお腹いっぱいになること請け合いである。