現実:食-設備 「ドライブイン」「 道の駅」「ドライブスルー」
▼ドライブイン:
1 自動車に乗ったまま買物・食事などができる施設。主にアメリカで発達している。
2 自動車旅行者を対象として駐車場を広くとった道路沿いの商店や食堂。
主に自動車に乗ってくる人たちを対象として営業する謂わば休憩所。
●1.自動車に乗ったまま利用できる各種のサービス施設。
飲食施設をはじめ、ショッピングセンター、映画館、
銀行などがある。
モータリゼーションが最も早く、しかも本格的に進行したアメリカにおいて、
1920年代に登場した。
drive‐inとは〈自動車で乗り込む〉という意味であり、
最初に登場した飲食施設では、
厳密には『自動車に乗ったまま車内で食事のできる施設』を言った
ドライブスルーとはまったく違ったタイプの店舗形式。
要は注文後商品を受け取るが店舗をそのままスルーしない、
自動車ごと(driveで)乗り入れ(inして)
駐車場内で買物・食事などができる方式。
おそらくエンジンを切ることが出来るかどうかの違いかと思われる。
客は駐車場のそれぞれの駐車スペースに用意された
マイクロホンを通じて料理を注文し、
従業員が調理場から車まで届けるという仕組みで、
マイクを使わずローラースケートをはいたウェートレスが注文に応じるものもあった。
自動車を降りる必要が無いことから、子供連れやペット連れ、
物理的に乗り降りが困難な者や、いちいち乗り降りするのを厭う者、
治安の悪化などの要因で街中でも自動車を降りたくない、離れたくない者など
様々な利用者の思惑があると思われる。
店内の客席を省略したのがドライブインならば、
その発想を進めていって駐車スベースまで省略したのが
ドライブスルーなのではないのだろうか?
自動車に乗車したままで乗り入れることのできる商業施設の
世界初のドライブイン・チェーン店は、
1921年にアメリカのテキサス州ダラスに開業した
「ピッグ・スタンド(Pig stand)」である。
ピッグ・スタンドは客筋をドライバーに特化した点で
従来の軽食店と異なっており、
カーホップと呼ばれた給仕員を介して客は車から降りることなく
注文から決済まで行うことができた。
以来、モータリゼーションの発達に伴い、
同様の業態のドライブインが全米に普及した。
アメリカ合衆国では車に乗ったままで映画を見られるドライブインシアターのほか、
注文から食事までできるファーストフード店や車ごと乗れる観覧車まである。
ドライブインシアター (drive-in theater) は、
巨大な駐車場にスクリーンを配置し、
車に乗ったまま映画が鑑賞できる映画上映施設である。
DTとも略される、DTとも!!
駐車場に巨大なスクリーンが設置されており、
観客の乗った自動車は駐車場内の白線に停まり
スクリーンに上映される映画を鑑賞する。
音声は、自動車内にあるラジオで受信する方法の他、
駐車場にあるポールから音声を引く場合もある。
ドライブインシアターがこの時期アメリカの家庭で人気を博した理由には、
安心して家族全員で映画を観にいくことができるということがある。
自動車の中なら普通の劇場と違い子供が騒いでも他の観客を気にする必要がなく、
また騒がしい子供を家で留守番させる心配も、
そのためにベビーシッターを雇う必要もないという利点があった。
車社会の象徴であった。
夕方から家族そろって自動車で出かけドライブインで映画を見ることは
当時の最も現代的な娯楽であったのだ。
1950年代末から1960年代初頭にブームのピークを迎えたが
夜間のドライブインシアターでは各車内は完全な密室であり、
インモラルなことを行う空間と化しているという扇情的な報道もあり
広い土地を必要とする一方、夜しか営業できず大雨では
上映中止となり冬の観客も少ないドライブイン経営には打撃になった。
また家庭でのカラーテレビやビデオテープレコーダの普及、
レンタルビデオの登場で、家族全員で映画を見る際のプライバシーの問題も解決され、
ドライブインシアターの需要は低下した。
ドライブイン施設もやはり北アメリカでは1950~60年代に最盛期を迎えたが、
その後はドライブスルー施設に取って代われていった。
同様に、もう一方の休憩所の役目を持ったドライブインもまた
日本国内において衰退していった。
●2.都市部からはずれた地域で幹線道路に面して立地している休憩所。
古くは、交通量の多い道路脇などに設けられた、
街道筋(特に有名観光地に通じるような道路)の食堂、
みやげ物店などが併設されており,店舗ごとに駐車場を用意し、
車で比較的長距離を移動している人々の休憩や食事などの場として機能し
ドライブインを名乗っていた。
この際の「ドライブイン」とは
駐車場を伴う休憩施設(英語でのrest areaに近い)や商業施設を指すか、
もしくは特に主要道路沿いの大きな駐車場付きレストランやお土産物屋さんであり、
最近の若い人は馴染みがないかもしれないが、これを人は「ドライブイン」と呼んだ。
故に観光地などに設けられている休憩所、レストハウスもまたドライブインであり、
特に観光バスによる団体客に対応していて、
観光地の土産物ないし記念品の販売や案内を行っていることが多い。
なお、高速道路にあるものは
有人無人を問わずPA、SAと呼ばれる。
この様に、以前は公的機関の支援などなく
これら個人経営の食事や飲み物を提供する道路沿いの店が
かつてはドライバー達の休息を支えていたのだ。
中でも、無人での飲食物提供施設はオートレストランと呼ばれ、
自動販売機による飲食物の購入が可能な休憩所として機能するほか、
ゲームセンターを併設した有人施設(スタッフが常駐する)の形態をとる場合もある。
その多くは貨物トラックの普及に伴う運転手休憩所として機能しており、
ほとんどが食事のみだが、
今のように高速道路網が発達していなくコンビニも無かった1970年代、
長距離トラックのドライバーなど深夜に食事を摂る客を対象として、
主要国道沿いの郊外型店舗として発展したオートレストランが
唯一深夜でも食事ができたり休憩できたりする場所なので
これを当て込んで、長距離トラックドライバー用に
横になって仮眠できるようなシャワーやお風呂などを完備した
部屋などを設置するものもあった。
同様にトラック運転手のために交通情報を告知したり、
運輸省(現・国土交通省)国道事務所から委属された国道情報連絡所を兼ねた所もあり、
緑色六角形で「国道情報連絡所」の標識を設置していた。
だが、トラック輸送が国道から高速道路へ移行したり、
国道の多車線化やバイパス化によって中央分離帯が設置され、
片側一方向の集客しか見込めないようになると、
廃業したりコンビニエンスストアに転業したりする店が増え、数は激減した。
その役目上、見晴らしのいい郊外の丘や海岸沿いなどの所謂辺鄙な場所や、
ドライブや長距離移動に向いた交通量は多いが僻地である幹線道路の道端に
多かった印象がある。
またバイクツーリング展望台や休憩所
の休憩所として
山頂や峠の途中にバイカー達のたまり場として存在していたような。
昔はどこも賑わっていたであろう、
この国道(主要道あるいはそれに準ずる道)の峠付近にあったこのドライブイン。
今やドライブインという語彙すら、もはや死語に近いか?
……そうか、峠の茶屋。それが起源なのか?
ドライブインが衰退した理由を羅列すれば、
・高速道路網の発達化で、近傍道路の交通量の低下とサービスエリアの設備の充実化。
・山中の旧道をバイパスするトンネル等の道路の整備による交通量の低下。
・コストパフォーマンスの高い、【道の駅】の進出。
・都市部から近郊、さらに田舎道にまで拡大するコンビニチェーン。
・そもそも、峠まで上ってきて休憩しようという概念がなくなったのか。
日本では昭和40年代から道路網の整備にと自家用車の普及が進んだことを背景に、
全国各地で開業が進んだ。
道路に隣接して駐車場が設けられ車の出入りが容易な構造となっている。
大型観光バスを何台も収容することのできる大規模な施設も多い。
近年では地域の物産展の開催や観光情報の提供などを積極的に行なって
生き延びている施設もあり、幹線道路沿いの地域の情報発信基地ともなっている。
だが、そもそも一般道では、SAのような施設は重要視されてなかったたことから、
公的で24時間開いている休憩所はほとんど存在しなかった。
それにより民間経営によるレストランや売店を併設したドライブインが
休憩所の役目も長らく担っていたものの、
実質的にはレストランや売店の利用者しか使えず、
しかも24時間自由に利用できるものではなかった。
故に、公的機関によって「道の駅」の制度が創設された背景には、
時代の流れとともに、
レジャーの多様化によって長距離ドライブを楽しむ人が増えてきたため、
一般道路にも誰もが24時間自由に利用できる休憩施設
レストランや物販店を備えた公的な休憩施設である「道の駅」が
長らく求められていたからなのだ。
こうして郊外や地方の幹線道路沿いを中心に多く置かれるようになった。
だが、そのニーズが高まると
次第に都市部から郊外にかけての街道沿いでは、道の駅のほか、
長距離輸送の大型トラックや観光バスに向け、
特に駐車場を拡大整備したコンビニエンスストア、ファミリーレストラン、
ガソリンスタンドが見られるようになり、
飲食やトイレ、シャワーなどのサービスを提供するようになった。
……こうした24時間営業のファミレスコンビニなどの
施設環境が良い店が出店していったため次第にドライブインが潰れていったから
税金で道の駅を整備したともいえるが。
しかし、2000年代以降の時点においても
営業を続けている店は全国に複数存在しており、
その希少さがインターネットやテレビ番組等で取り上げられ、
コアなファンが多く訪れることで、
コンスタントに売り上げを出していることも多い。
最近では、競争力や集客力を高めるために複合店舗化が進んでおり、
トイレと複数の商業施設が広大な駐車場を取り囲むように並ぶものが増えてきている。
・ドライブインと道の駅の違いとは:
一般道での休憩と言えば、昔はドライブインが定番でした。
ドライブインとは、
車に乗ったままで乗り入れできる民間経営の商業施設のこと。
最近は「旅の駅」の名称を使う所が増えています。
一方、道の駅は
国土交通省により登録された休憩施設と地域振興施設が一体となった道路施設のこと。
道路利用者のための「休憩」、
道路利用者や地域の人々のための「情報発信」、
道の駅を核としてその地域の町同士が連携する「地域の連携」
の3つの機能を併せ持つ、24時間利用可能の施設です。
「駅」の名称が使われるのは地域づくりのシンポジウムで
「鉄道に駅があるように、道路に駅があってもいいのでは」
という提案がきっかけです。
確かに「駅」といわれると鉄道を思い浮かべますが、
実は駅のルーツは道の方が先。
馬を乗り換える場所を意味する漢字の成り立ちからも、見て取れますね。
・ドライブインが減少し、道の駅が多くなる理由:
まず、ドライブイン・道の駅の登録件数をみると、
2014年は2,848件で、この10年はゆるやかに減少しています
全体的に、道の駅は増加、ドライブインは減少傾向にあります。
道の駅が増える理由としては、
国土交通省が観光振興や防災、福祉の拠点として
道の駅を強化していることがあげられ、
2014年10月で1,040件を数えるほどに。
土地の主婦が共同で作った料理や採りたての野菜を持ち込む等、
地域コミュニティーの活性化に役立ったり、
収入の増加、高齢者や女性の雇用確保にも貢献しています。
利用者側から見ると、郷土の家庭料理や新鮮な食材が味わえる、
土地の人とのふれあいから地域の個性を感じられる等が大きな魅力です。
観光客だけでなく、地元の人にも利便性が高いことから、
休憩に立ち寄る場所というより、道の駅が目的地になるケースも増えているようです。
その反面、高速道路やバイパスの開通で車の流れが変わった、
道路事情が良くなり移動時間が短くなったので休憩回数が減った、
新たな道の駅やコンビニができてそちらに流れた等が、
ドライブイン減少の理由といえそうです。
最近ではガソリンスタンドが同様の理由で減少していっています。
▼道の駅:
日本の各自治体と道路管理者が連携して設置し、
国土交通省(制度開始時は建設省)により登録された、
駐車場・休憩施設・地域振興施設が一体となった道路施設のこと。
長距離ドライブや、女性・高齢者のドライバーが増加するなか、
交通の円滑な流れを支えるため、
一般道路にも安心して利用できる休憩施設の整備が求められ、
また、休憩施設では、地域の文化・名所特産品などを活用し
多様なサービスを提供することが望まれた為、
これらの施設ができることで、地域の核が形成され、
道を介した地域連携が促進されるなどの効果も期待されます。
こうしたことを背景として、
・道路利用者のための「休憩機能」、
・道路利用者や地域の人々のための「情報発信機能」、
・道の駅を核としてその地域の町同士が連携する「地域の連携機能」
という、3つの機能を併せ持つ休憩施設道の駅が誕生しました。
なお、「道の駅」は「鉄道の駅」との対比をなす言葉であるが、
もともと「駅」という言葉は街道沿いにある宿場(宿駅)を指すものだった。
現在の「道の駅」の制度のうえでは、
1993年(平成5年)4月22日に正式登録された全国103箇所の施設が「第1号」である。
道の駅の設置構想は、
1990年1月に広島市で行われた「中国・地域づくり交流会」の
会合での提案から始まったもので、
1991年10月から翌年7月にかけて山口県、岐阜県、栃木県の計12か所に
「道の駅」の社会実験が行われた。
これらの施設は実験段階からすでに「道の駅」の看板を掲げていた。
「道の駅」の社会実験段階から用地に含まれ、
実際に道の駅となった場所として山口県阿武町の道の駅阿武町と
岐阜県中津川市の道の駅花街道付知の2か所があり、
道の駅阿武町には「道の駅発祥の地」の石碑が建っている。
このほか、「道の駅」実験以前の施設でもその発祥とされるものがある。
○豊栄発祥説
1988年11月に、新潟県豊栄市(現・新潟市北区)の
国道7号新新バイパス豊栄道路情報ターミナル(現道の駅豊栄)が
旧建設省(現国土交通省)によって設置された。
現在では道の駅発祥の地という石碑が建立されていることもあり、
ここを発祥とする説がある。
○掛合の里発祥説
ふるさと創生事業の一環で1990年3月に供用が開始された
島根県雲南市(旧掛合町)にある掛合の里へ、
先述の中国・地域づくり交流会が見学会を実施し、
現在の道の駅の模範としたためこれが発祥であるという説がある。
なお、掛合の里は設置当初はドライブインとして運用されていた。
そもそも「道の駅」という名称は、
地域振興論が専門の熊本大学名誉教授の徳野貞雄が
農業・農村活性化の事業名に用いたものを、建設省が転用したものである。
その地域の文化・名所・特産物などを活用したサービスを提供し、
道路利用者や地域の人々の情報交流や、地域連携と活力ある地域づくりを促進し、
その地域の活性化をはかることが狙いでもある。
道の駅は官民提携のプロジェクトで、省庁の壁を超え、
各自治体と国土交通省が連携をとり、計画的に地域振興施設の整備促進と、
一般道路の休憩施設整備を併せて行うことが目的となっている。
このため、自動車専用道路のSA・PAを「道の駅」として登録する場合は
別途一般道からも連絡・利用できるようにしている。
1991年(平成3年)に実験的に山口県、岐阜県、栃木県に設けられたのを皮切りに、
1993年(平成5年)4月に第一次分として全国103箇所の道の駅が登録された。
その後、主に地方の幹線道路(国道や主要地方道)から整備が開始され、
道の駅を通じて地域の農産物の販売は増加し、
情報発信によって観光客が増えるなど、道の駅は各地で大きな反響を呼んだ。
2000年(平成12年)には550カ所を突破してその後も道の駅は増え続け、
それまで東京など大都市周辺には道の駅は存在しなかったが、
2007年(平成19年)4月、八王子市に東京都初の道の駅(八王子滝山)が
開設されたことにより、47都道府県すべてに道の駅が設置された。
道の駅の設置間隔については、
高速道路のSA・PAのような明確な基準は設けられていないが、
おおむね10 km程度の間隔があるように計画されている。
なお、間隔が10km以下となる申請があった場合は、
特徴の違いによる棲み分け、交通量の状況、
地域の実情などを総合的に判断して決定する。
道の駅ができたおかげで、
北海道一周・四国一周・九州一周・日本一周など
規模の大きい自動車旅行を行う旅行者でも、
道の駅の駐車場に自動車を停めては車中泊で夜をすごし
宿泊費をまるまる節約することや、
宿に気兼ねせず日の出前に出発し先を急ぐということも可能になった。
キャンピングカーで道の駅を利用し、地域地域の産物を楽しみつつ、
数カ月におよぶような長期の自動車旅行を自由気ままに楽しむ人々もいる。
また設置が進む中で平時の目的以外にも、
道の駅は新潟県中越地震、東日本大震災、熊本地震などで災害支援に役立ち、
一時避難場所、緊急車両の中継基地等で活躍しており、その効果が実証されている。
道の駅は、24時間利用可能な一定数の駐車スペース、
トイレ、24時間利用可能な電話、情報提供施設を備えた施設であることが
登録の条件となっている。
また、多くの場合、道路や地域の情報を提供する案内所が置かれ、
その他、その地域の自主的工夫のなされた施設が設置され、
その地域の文化・名所・特産物などを活用した農産物直売所、
売店、レストランなどのサービスが提供されている。
これまでに地域の特色を生かした個性ある道の駅が誕生しており、
温泉や宿泊施設、公園、博物館を併設したものなど多様である。
なお、わずかだが、冬期は積雪などのため閉鎖される道の駅がある。
2004年10月に発生した新潟県中越地震を契機に防災拠点機能が追加されている。
主な機能としては、断水時でも使用可能なトイレ、非常食・飲料水の備蓄、
停電時の非常用電源の確保等がある。
道の駅は、道路管理者の国(地方整備局)や
都道府県が基本的な施設である駐車場やトイレを整備し、
市町村、またはそれに代わり得る公的な団体(ほとんどは第三セクター)が
地域側施設を設置する形が取られる。海の駅と重複登録している施設もある。
また「ハイウェイオアシス」と言う
休憩・情報・観光・レジャー施設の機能をあわせ持つ、
高速道路沿いにある「SA」や「PA」と、
一般道路沿いにある休憩施設である「道の駅」を合わせたような施設がある。
これは体験参加型のアトラクション、アスレチック広場などのアウトドアレジャーや
スポーツ、遊園地などのアミューズメント、
地域の味覚や物産を購入できる飲食店や
売店があるレクリエーション施設というのが特徴である。
従来のSAやPAとは異なり、
高速道路だけでなく、一般道路からもアクセスすることができるため
「道の駅」となっているハイウェイオアシスもあり、
高速道路を使わない人でも利用は可能となっている。
▼「ドライブスルー」:ドライブインとは似て非なる設備。
自動車に乗ったまま商品やサービスが提供される機能およびその設備である。
入口から自動車で進入してきた利用者は、
そのまま自動車から降りることなく窓越しに
商品の受け取りや代金の支払いなどのサービスを利用し、
用が済むとそのまま自動車を前進させて、
そのまま出口からさっさと退出できるようになっている。
ちなみに駐車場はあっても、
あくまでドライブスルー用としての専用駐車スペースが無いのが
座席代わりの専用駐車スペースがあるドライブインとの違いである。
一般的にはハンバーガー店をはじめとする
ファーストフード店での利用実態が広く知られているが、
他にも銀行窓口(ATM)クリーニング受付・引渡し、
調剤薬局での受取など応用範囲は広い。
○アメリカのドライブスルー:
ドライブスルーの形式は、1930年代にアメリカ合衆国で生まれ、
その後は他の国々にも広まっていった。
アメリカでは車社会が発達していることもあり様々な業種のドライブスルーがある。
図書館の本の貸出(要予約)や返却を行うドライブスルー、
募金を促す寄付のためのドライブスルーなどである。
ラスベガスには結婚式を執り行うドライブスルーもある。
アメリカでドライブスルーが発達した理由としては、
駐車場を探す手間が省けるという理由のほか、
治安面で夜間や人気のない場所でも犯罪から身を守ることができること、
子供連れや身体が不自由な場合に利便性があることなどがある。
○日本のドライブスルー:
最早ファストフード店のドライブスルーは日本でもお馴染みの存在となっている。
日本では、変わり種として年賀状の受付期間における混雑緩和のため
郵便局の駐車場で差出ができる「年賀状引受ドライブスルー」や、
酒店において顧客が車両に乗ったまま購入品の引き渡しや
空ケースの引き取りを行うサービスを実施しているところもある。
なお、少なくとも日本では業界初とされる旅行代理店における導入事例では、
事前に電話申込を行ってから出向くことを推奨するほか、
比較的単純なチケットの受け渡し以外の複雑な旅行相談などは
ドライブスルーではない併設の既存窓口で行うとするなど、
ドライブスルーの役割を特化している。
日本においては1960年代半ばが導入の端緒といわれるが、
正確な記録が残っていないため、起源ははっきりしていないが、
1965年(昭和40年)、東京都中央区の山本海苔店に設置されたものが記録に残っていて、
当時の役員がアメリカを旅行した際、現地の車社会を目の当たりにし
「海苔も車に乗ったまま買えるようにしよう」と思いついたのが導入のきっかけであったと言う。
ドライブスルーの発祥について、同社は「日本初と思われる」としている。
1976年(昭和51年)、新潟県長岡市のフレンド喜多町店に設置。
やはり同社の研修旅行でアメリカへ行った際、
現地のファーストフード店のドライブスルーを見た創業者が
車社会への対応を見越して導入を決めた。
ファーストフード業界では国内初だが、
同社はドライブスルーの発祥そのものに関しては
「正確に日本一(国内初)なのかどうかまでは不明」としている。
1977年(昭和52年)、東京都杉並区のマクドナルド環八高井戸店に設置。
ファーストフード業界では上記の前年のフレンドに次ぐものだが、
同社では当時の同店の設備について
「日本で初めての本格的なドライブスルー方式を採用」としている。
元祖本家正調と各種取り揃っている。
・パーキングエリア:
高速道路にある休憩施設で約15km間隔で設置されている。
主要な場所は、売店やフードコートが設置されているが、
交通量が少ない場所はトイレと自販機のみの場所もある。
最近では、売店+フードコートの代わりに、
イートイン可能なコンビニを設置するケースもある。
・サービスエリア:
高速道路にある休憩施設で約50km間隔で設置されている。
基本的な設備は、レストラン、フードコート、売店、インフォメーション
(場所によってはエリアコンシェルジュなどと呼ばれる)、
ガソリンスタンド。
(高速道路の末端部ではパーキングエリアと同じくトイレのみという場所もごく一部あり。)
・ドライブイン:
一般道路にある駐車場付きで食堂やお土産屋を併設しているお店。
(24時間営業とは限らない)基本的に、個人や企業が経営している。
・道の駅:
一般道路にある無料の駐車場で24時間駐車場やトイレが使えるのが最低条件。
レストランや売店などが付帯施設として設置されていることが多い。
設置は地方自治体が多く、国土交通省が認定している。
(中には大きな観光施設をそのまま道の駅に転用したものもある。例:美ヶ原高原美術館)
・ドライブスルー:
車の中にいながら、注文・買物ができるお店。
マクドナルドなどのファーストフード店が有名だが、
最近ではクリーニング店や調剤薬局など、あらゆる業種のお店が出ている。