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現実:食-『ミルクメイド(「エバミルク」或いは「乳搾り女」)』 もしくは『ミルクチョコレート』の開発  +メードとヤクルトレディー

1.ネスレ ミルクメイド(無糖練乳 エバミルク)のこと。


無糖練乳とは、牛乳を濃縮した乳製品であり、粘状の液体。

英語のエヴァポレイテッド・ミルクを略してエバミルクとも呼ばれる。

通常、缶詰として販売されている。

加糖練乳ほどの粘度はないため、チューブ入りの製品はない。


一般的には、原料の牛乳を加熱殺菌し煮詰めて半分以上濃縮し、

成分を均質化させたのち缶などに詰め、再度加熱殺菌する。


 この製法はスイスのメインバーグが発明し、

1885年に製品として売り出した。


 現在の製品は、単純に生乳を煮詰めるのではなく、

脱脂粉乳、カゼインなどの粉末の乳製品や植物油、

増粘多糖類などを配合して、濃度や風味を調整する製法が一般的である。


この種の製品の中では、ネスレ社から販売されている

「カーネーション」が最も有名なブランドであるが、

ネスレ日本は「ミルクメイド」(Milkmaid)

という別ブランドの商品を製造販売している。

これは生乳を原料にしているため、

脱脂粉乳を加えている「カーネーション」とは風味が異なる。



▼ネスレ社:「世界に冠する我らがネスレ!」

★粉ミルクの生産

 ネスレ社の歴史は、

アングロ・スイス煉乳会社が

スイスでヨーロッパ初の煉乳生産工場を開業した1866年に始まる。


 米国人のチャールズ&ジョージ・ページ兄弟が

アングロ・スイス煉乳会社設立を支援。


 スイスで豊富に出回る新鮮なミルクを使用し、

母国で得た知識からスイスのカムにヨーロッパ初の煉乳製造施設を設立。

新鮮なミルクの代わりとして、安全で長期保存のきく製品であるとうたい、

「ミルクメイド」ブランドのもと、ヨーロッパ工業都市へ製品の供給を開始する。



 同時期ネスレの創業者であり、

ドイツ生まれの薬剤師であったアンリ・ネスレは、

画期的な『乳児用食品』を開発し、

1867年にスイスのヴェヴェーで『乳児用乳製品』の生産を開始。


 これは牛乳、小麦粉、砂糖を混ぜ合わせたもので、

母乳での育児が難しい乳児も摂取できる。

乳幼児の高い死亡率に心を痛め、

乳幼児の高い死亡率を解決する取り組みとしてこの製品を開発した。

現在もコーポレートロゴとして使用する鳥の巣マークを使い始めたのもこの頃。


 アンリ・ネスレがいつ乳児用調製粉乳の製造に着手したのか、

はっきりしない。

だが、その動機については、いくつかの要因のあることが知られている。


◎彼の家族に、乳児の死亡率が高いこと。

(当時の常として14人の子供のうち、半数が成人期に達する前に死亡した。)


◎薬剤師助手の経験。

(妻の父は温かい医者として知られており、

 その娘である妻も乳幼児死亡率について熟知していたこと。)


 こうして、アンリ・ネスレは牛乳に小麦粉、穀粉、砂糖を混ぜて粉ミルクをつくり、

母乳栄養養育が受けられない子どもの代用乳とした。


 さらに友人の栄養学者ジャン・バルタザール・シュニッツラーと共に、

乳幼児が消化しにくい酸を小麦から除去した。


 水を加えるだけで作れる製品は、乳児用調製粉乳の製品化第1号だと考えられる。

人々はすぐに新製品の価値を理解し、

「Farine Lactée Henri Nestlé アンリ・ネスレの小麦粉ミルク」は

ヨーロッパ中で売られるようになった。


 1870年代までには米国で、麦芽、牛乳、砂糖、小麦粉で作られた

「Nestle's Infant Food ネスレのベビーフード」は1瓶0.5ドルで売られるようになった。


 だが1875年、アンリ・ネスレは、

なんと会社とヴェヴェーの工場を仕事仲間の3人の地元事業家に会社を売却。


 するとアンリ・ネスレの抜けたネスレ社は、

生産・販売拡大のため、化学者や優秀な労働者が雇われる。


 一方アンリ・ネスレはと言うと、家族とともにモントルーに住み、

グリオン村へも行き来した。


 そこで小規模な貸し付けや公的な資金援助を通して人々を助け、

地元の基盤を向上させた。

グリオン村の彼の家はのちにヴィラ・ネスレとして知られるようになった。



★ミルクチョコレートの開発

 また、ミルクチョコレートの開発で

アンリ・ネスレ自身も重要な役割を果たす。


 その頃ヴェヴェーで近隣に立地していたダニエル・ペーターに煉乳の供給を行い、

それをペーターが使用して1880年代に世界で初のミルクチョコレート製品を開発するのです。


 チョコレートは油分が多く、水とは混ざりにくいため、

滑らかな食感を生み出すためには水分を取り除いたミルクを使用する必要がありました。

その時に協力したのが近くに住んでいたネスレ創業者アンリ・ネスレ。


 当時ネスレは乳児用食品を販売しており、練乳を扱っていました。

ペーターはこの練乳を使い美味しいミルクチョコレートを完成させたのです。


 ミルクチョコレートはマヨネーズのように水と油が綺麗に混ざってクリーム状になった(乳化した)

事で完成しました。

「乳化」できていないミルクチョコレートは油と水がうまく混ざり合っていない状態なので、

舌触りや口溶けが悪くなります。


「乳化」とは、わかりやすく言えば「水と油がよく混ざり合った状態」のことです。

本来、水と油は混ざり合わないものです。

それが、振動をあたえることなどにより均一に混ざり合っていることを「乳化」といいます。


 チョコレートに含まれる砂糖の粒子は、親水性(水を吸収しやすい)であり、

言い換えると、水を誘導しますが、油をはじく傾向がありますが、

チョコレートは、粒子表面が油脂で被覆されている砂糖および他の個体粒子が

お互いすれ違うことによって流動しています。


 つまり、粒子の表面は油脂で被われている必要があり、乳化はチョコレートの原料である

砂糖に吸着し(砂糖の粒子の表面を覆う)分子の他端を油脂中ココアバターに自由な形で漂わせる事で

流動性を高め、それがココアバターの特性になって口に入れた時に体温によりチョコレートのなめらかな口溶け

が得られるのです。



▼ネスレ社とアングロ・スイス社:2つは合弁! 合体ネスレグループ!!


 こうしてアンリ・ネスレが再び独自の偉業を成し遂げている頃、

1878年、ネスレ社とアングロ・スイス社は、

互いに相手のオリジナル製品である煉乳や乳児用乳製品に

競合する製品を販売するようになり、両社の間で競争が激化する。

両社はともに海外での生産と販売を拡大。


1882年、アングロ・スイスは米国に進出。

しかしジョージ・ページの死により失敗に終わる。


1902年、米国の事業を売却、これがその後のネスレとの合併につながる。


1904年、ネスレ社はペーター&コーラーの輸出販売を請け負い、

初めてチョコレートの販売を開始する。

だが創業者のネスレがミルクチョコレート開発に携わっていた事は知っていたのだろうか?


1905年にはアングロ・スイスと合併。

これが現在知られているネスレグループとなる。


 この時期には都市の発展が進み、

鉄道や汽船の普及により物価が下がり、

消費財の国際貿易が飛躍的に拡大する。


1920年代に入るとチョコレートがネスレの第2の主力製品となり、

ネスレは新たな分野への進出を本格化していき、

その後も続々と新製品が開発される。


1938年にはネスカフェが登場。


 なお、以前は英語読みでネッスルと表記していたが、

1994年から本社と同様の読みに合わせるため、

フランス語・ドイツ語のネスレに変更している。

現在では売上高において世界第1位の総合食品飲料企業へと成長。




2.もしくは、乳搾り女のこと。

乳牛から乳を搾るために雇われている少女もしくは成人女性の事である。

欧米では牛の乳搾り作業に従事する女性を意味する

「ミルクメイド」と呼ばれている


 決してミルクないけない*1.メイドさんのことではありません。

(メイドで見つかった他の画像より)



 彼女たちは、クリーム、バター、チーズといった乳製品の材料とするために、

牛乳を使用するのである。


 多くの大きな酪農家では、従業員が他の仕事をする代わりに乳搾り女を雇っている。


 乳搾り女と言う用語は、牛乳配達員の女性職という意味ではなく、

また決してヤクルトおばちゃん……*2.ヤクルトレディーの事ではない!


むしろ、乳搾りの女性職と同じ意味である。


中世には「ミルクメイド」と呼ばれる女性たちが、

荘園で牛の世話をしながらチーズの製造に携わったのである。



「乳搾り女のようなすべすべした肌」という表現は、

人間の肌が並外れてすべすべな様を意味する。


 この用語は、乳搾り女が牛痘に感染した結果、

天然痘に感染したり症状が出たりすることもなく

(天然痘に感染すると、肌に醜い瘢痕が残る)、

天然痘の免疫を移すことに由来した物である。


 それ故、天然痘から生き残った人が通常出る瘢痕あばたも出ない。

この発見は、エドワード・ジェンナーによる最初のワクチンの発明に繋がった。


 つまり、メイドはミラクルなのである。



*1.メード【maid】 の意味

《「メイド」とも》お手伝いさん。また、ホテルの客室係の女性従業員。


 メイド(maid, maid-servant)は、

清掃、洗濯、炊事などの家庭内労働を行う女性の使用人

(女中、家政婦、ハウスキーパー、家庭内労働者)を指し、

狭義には個人宅で主に住み込みで働く女性の使用人。


 男性の対義語はボーイ。


 語源の「maiden」は乙女、未婚の女性という意味で、

過去に若い女性が結婚前には奉公に出されていたことに由来し、

そこから女性奉公人・使用人の意味となった。


 現在では未婚や既婚に関わらず、あくまでも職種を意味し、

ホテルの客室担当従業員ルームキーパーなども含まれる。


 家事使用人は他者の家庭において屋内の作業を行う職業であり、

英語圏では Domestic worker、Domestic servant などという。


 中世的な召使い・家臣から近代的な労働者への過渡的な存在であり、

自分の意志で主人(雇用者)を選ぶ自由を持ったが、

主人と対等な人格を認められることはなく、全面的な服従を求められた。


 衒示的消費の典型として中流階級の繁栄とともに多くの労働人口、

特に産業革命によって伝統的家族経済が崩壊し

現金収入のために労働せざるを得なくなった女性を引きつけ、

19世紀末から20世紀初頭までのイギリスにおいて最大の職業集団となった。


 ヴィクトリア朝イギリスに通底する「家庭の天使」、

「完全な淑女」といった理念を支え、

リスペクタビリティやスノビズムと深く結びついていたため、

ヴィクトリア朝を象徴する職業の一つといわれる。




*2.ヤクルトレディー


 ヤクルトの商品を、

会社の社員など個人へ宅配、販売を行う女性スタッフ(婦人販売スタッフ)

のことである。


 かつてはヤクルトさんとも呼ばれていた。



■世界最強! 知られざるヤクルトおばちゃんの世界


昔、自衛隊の専門誌に

「ヤクルトおばさんはソ連の情報部員ですら入れない部署にまで

堂々と入ってくる」と書いてあったそうです。

来るよ、来るよ、あなたの後ろにベターウーマン!!


 ヤクルトさんは、世界で初めて?託児所を100%完備し子育て世代、

とくにシングルマザーを積極的に雇用した偉大な会社だと思っています。

そして同じ理由で、ヤクルトおばじゃんの根性(営業力)は半端ない。

見逃しがちですが実は世界に通じるグローバルカンパニーなのではないでしょうか?


 あなたの職場にも現れるヤクルトおばちゃん(現・ヤクルトレディー)

の知られざる世界を紹介していきます。


「ヤクルト」というのはスゴイ会社です。

正確に言えば、「ヤクルト」という乳酸飲料がスゴイ、のではなく、

「ヤクルトレディ」というシステムがすごい会社です。

それはいち早く、「女性による個宅販売」という仕組みに着目し、

組織作りをすすめた戦略の賜物でした。


ヤクルトレディの販売方法は、他にも独特の仕組みがあります。


・固定給でなく歩合だ

・ヤクルトおばちゃんは、

朝、必要なヤクルトを販売店から購入し手売りをしていく (※売れ残りはおばちゃん負担)

・おばちゃんの愛想1つでおばちゃんは、儲かる(らしい)。

本社はもっと儲かる。


 乳製品は、健康によく、毎日飲むことに意味がある、

というイメージもあるので、実はよく考えられたビジネスモデルです。


 国内のヤクルトレディーは73年度の6万5700人をピークに減少傾向にあるといわれ。

優秀な販売員が生命保険会社に引き抜かれるケースも多いものの、

女性が働きやすい環境を整えたことが飛躍のきっかけをつくりました。


 女性の社会進出が難しかった昭和40年代、

ヤクルトはいち早く女性おばちゃんの能力に着目し、

販売店に託児所を併設し、おばちゃんにとって働きやすい環境を実現。


 いままで働きたくても働けなかった多くの女性の社会進出を実現させました。

この中には、シングルマザーのお母さん達も多く含まれます。


 こうして採用されたヤクルトおばちゃん達の根性は半端なく、

また手売りというビジネスモデルを最大限に生かし、

あなたの職場、病院、学校、警察署、

はたまた機密に守られた自衛隊までおばちゃん達が侵入してくる? こととなったのです。



「ヤクルト」は世界を制するビジネスモデルになり得た理由


 レディのやる気に火を点け、それを高める「仕掛け」と「工夫」があるからです。

「やる気がある女性が稼げる」という環境を作った、ということではないでしょうか?


 いま、ヤクルトレディは日本だけではなく全世界にいます。

世界31カ国・地域で事業を展開。

販売を担う「ヤクルトレディ」も海外では4万1600人と、日本の4万600人を上回りました。


 日本のママさん達を助けたように、

ヤクルトは世界中の働く女性を助けるビックカンパニーです


 一説には、ヤクルト本社が運営するプロ野球のヤクルトズロワース……

もとい、ヤクルトスワローズは、

一人ひとりが個人事業主であり、基本仲の悪いヤクルトおばちゃんの連帯を深めるため、

本社が用意した連帯意識を高める装置との指摘があり、

都市伝説レベルのお話しでは、ドラフトの指名の際には、

おばちゃんが喜ぶイケメン選手を優遇されるそうです


 またヤクルトスワローズは、

数年前には、母親がヤクルトおばちゃんだった増渕選手をドラフト1位で指名しました。


 増渕選手は、女手一つで、息子をプロ野球選手にまで育てあげたお母さんのため感謝し、

契約金で、弟の学費をねん出、さらに将来の夢として、プロ野球選手として成功し、

お母さんに家を買ってあげることを誓いました


 CSR(企業の社会的責任)が、求められる中、ヤクルトは本業をつうじ、

社会を明るく豊かに、そして健康をつくる会社として、生長をつづけています。


 コミュニケーションがへり、便利な世の中、ネットの世の中になる中、

手売り商売をつづけるヤクルト本社の逆張り経営は、

22世紀のビジネスモデルなのかもしれません。

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