現実:歴史-古代エジプト文明 -ナイル川流域-古代エジプトの都市:上エジプト「スウェネト/シエネ(現アスワン)」
☆『アスワン』
アスワンは、元はスウェネト/シエネと呼ばれるた古代都市で
(スウェネトという言葉自体は、エジプトの神に由来すると考えられている。)
て南の最辺境、国境の町、交易の都市であったのだ。
なお、古代エジプトの言語でスウェネト/シエネとは「交易」の意味でもある。
ナイル川は、このアスワンのすぐ南の上流から急流が続いており、
船舶の航行が不可能となっている。
そのような六か所の急流の内、北の下流から数えて
アスワンに第一急流が、
ハルトゥーム(現スーダンの首都)の近くに第六急流があるのだ。
そのために、アスワン(スウェネト/シエネ)は
古代エジプトにおいては長く南の国境とされ、
ここより南はヌビアと言う別の文明圏であると考えられていた。
アスワンはヌビア地方の金や、
さらに南の国から運ばれた香油、黒檀、象牙などが集まる
交易の中継地として栄えてきた。
また神殿建築にかかせない花崗岩の産地でもあり
ナイル川を使って下流の都市へ巨岩を切り出した港町として知られる。
古代からこの地に住むヌビア人の影響もあり
他のどのエジプトの町より
アフリカ的な雰囲気が感じられ街歩きも楽しい。
▼逸話:
なお、ヘレニズム時代のエジプトで活躍したギリシャ人の学者であり、
アレクサンドリア図書館を含む研究機関ムセイオンの館長を務めた
エラトステネスは(紀元前275年 - 紀元前194年)は、
(なおアレクサンドリアはエジプトであるが、
エラトステネス自身は北アフリカの現在のリビアにあるキュレネに生まれ
アレクサンドリアで教育を受け、また数年の間アテネでも学んだ
ギリシャ人である。ややこしいがこの頃の学者にはよくある事。ステータス!)
シエネのそばのエレファンティン島と
居住地のアレクサンドリアとでの
夏至の正午の太陽の南中高度の違いから地球の全周を計算している。
これは、シエネでは夏至の日に陽光が井戸の底まで届くこと、
つまり南中高度が 90° となる(北回帰線上に位置する)ことを知り、
天頂からの太陽光線の入射角のずれの存在に気づき、
このことからエラトステネスは、地球は平面ではないと直感し
地球の大きさを計算できることに気付いたからだ。
こうして地球の大きさを初めて測定した人物として、
また素数の判定法であるエラトステネスの篩を発明したことで、
「β」(ベータ)とも嘲笑……いや、あだ名されている。
その「β」(ベータ)の由来とは、
「世界で2番目に物事をよく知っている人」という意味である。
もっとも1番の人は「α」(アルファ)と呼ばれることにはならなかったが。
「物事をよく知る達人、エラトステネス。ただし! 世界じゃ2番目だ。」
「ならば世界一は誰だ!?」
「プラトンさ」
その業績から彼は「第2のプラトン」とも
プラトンには及ばない男故に「β」(ベータ)とも……
それでも彼は古代における卓越した科学者のひとりであり
かのアルキメデスの親しい友人でもあった。
元々エラトステネスの地球の大きさの測定の値は
「距離の『測定』も天文学的『観測』も
大雑把な見積もり以上のものでしかなく、
扱いやすい概数値として表されたものであることが明らかなものであった。
故に、地球の大きさの実質的な最初の測定は
10世紀アラビアの天文学者「アル=ビールーニー」によって行われている。
(地球の自転を説き、地球の半径を約6,339.6kmと計算している)
現実:歴史-古代エジプト文明 -ナイル川流域-古代エジプトの都市:エジプト植民地「ヌビア(現スーダン)」
に続く。