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現実:食 餃子-歴史

 中華料理というイメージが強い餃子ですが、実は他の国々にも同じような食べ物が沢山あります。

日本での歴史はまだまだ新しいものですが、世界的には大変古い歴史を持つ食べ物です。

いや、厳密には餃子のような料理ないし、ダンプリングと呼ぶべきだな……、うっかりしていた……。


▶起源:


 歴史は古く、中国の春秋時代(紀元前6世紀頃)の遺跡からギョウザらしき食べ物が食べられていた痕跡が見つかっています。

敦煌の唐代の墳墓では、副葬品として壺に入った餃子が乾燥状態で発見されて、また、現在の中国新疆ウィグル自治区トルファンにあるアスターナ遺跡で唐代の古墳群から餃子、点心の化石が見つかりました。

現実に見つかった餃子の実物としては最古のものです。


 もっとも西域である敦煌や新疆は現在の中華人民共和国の一部かもしれませんが、歴史的な、文化的な中国の一部かどうかは知りませんが。

 それと万里の長城ってどこにあって何のために作られたか地図を見ながら考えれ見れば色々疑問もでてくるでしょうが。北京の真上にある国境って……。


 ちなみに隋・唐代と言えば、五胡十六国・南北朝時代を経て北方遊牧民の影響がまだ色濃く残り、西域との交流も盛んだった時代。

トルファン・オアシスは640年に唐に征服される以前は柔然・高車・突厥などの北方遊牧民の影響下にありました。

よってここで発見された餃子も中国が起源という証明にはなりません。


 なお、華北や東北地方一帯は寒冷地で降水量がそれほど多くないため、米の栽培に適していないが、小麦の栽培には適しているため、伝統的に麺類またはマントウが主食として食べられる。

 一方、伝統的に米食の上海・香港など、華中・華南で出されるマントウは、上記のものより小さく、主食ではなく軽食(点心)として食べられる。

もっとも日本の餃子をおかずとしてご飯と一緒に食べると文句が出るもよう。

(主に北京あたりの人間から)



 ぎょうざの起源は中国などもといわれていますが、同じように具を小麦粉の皮でくるみ加熱調理する食べ物は、ダンプリングと呼ばれユーラシア大陸の中緯度地域のほぼ全域で見られます。

東南アジアのほうでも類似のものが古くから食べられていたといわれています。


 小麦粉を使い中に具となる食材を包み込んだ食べ物が古代メソポタミア文明の遺跡から見つかっています。

そう考えると紀元前3000年頃にはギョウザの起源となる食べ物が食べられていて、それが小麦粉と共にシルクロードを伝わってインドや中国などで発展して、近隣諸国へ伝わったとも一応考えられないこともありません。


 このような食べ物の起源がどこにあるかを調べるのは困難であり、西アジアもしくは中国という二つの説が併存しており現在でも定説はありません。


 西アジア説ではトルコから中央アジアを起源地としており、そこから東西貿易ルート:草原の道ユーラシア・ステップ地帯に広まったということになります。

一方、中国説では中国北部(河北地方: 山西省、河北省)?を起源地としており、そこからはるばるヨーロッパまでモンゴル帝国の勢力が大きかった時代に、中国から取り込んだものが伝播したということになります。


 もっとも、そもそも具を皮で包むという調理法は農耕民のそれではなく遊牧民の文化なのですがね。

そう考えると西アジアあるいは中央アジアで生まれた餃子の様な食べ物が、中央アジアを中心にシベリアからアナトリア半島にいたる広大な地域に広がって居住する中原的都市文化を共有しない牧民、てきチュルク系民族の大移動(拡散)とともに広まったとも考えられます。


餃子を調べるとユーラシアを横断した気分になるというのは言い過ぎでしょうか。


 まあこれらから推察するに、常識的に考えれば……餃子の誕生はひょっとしたら遊牧民起源で、モンゴル帝国が拡大するよりも前から、東の中国と西の中央アジア・ヨーロッパに同心円状に伝播していったのかもしれません。


 中央アジアのウズベキスタン,キルギス,カザフスタン,アフガニスタンでは「マンティ」となっており,調理法は蒸すもしくは茹でます。

トルコから中央アジア,韓国とつながる「マントゥ」系の呼び名になっており、なんとなく餃子の起源地を類推させます。一時中国を支配下に置いたモンゴルは例外に入りますが。


 13世紀にモンゴル帝国とアルメニア同盟の文化交流により初めてキリキア・アルメニア王国に到達した。

朝鮮のマンドゥもまた14世紀にモンゴルを通して朝鮮に到達したとされている。

こうしてマンティが中東発祥の料理であり、シルクロードを通して朝鮮や中国などの東アジアへと広まっていったかも。


「水は高きより低きに流れ」は中国の古典に端を発した言。




▶歴史:


 紀元前8.000~前7.000年(10.000~9.000年前) メソポタミア北部で小麦の栽培はじまる。


 紀元前3.000~前2.000年( 5.000~4.000年前) 小麦が中央アジアから中国に伝わる。


 紀元前 403~前 221年<紀元前5~3世紀>

        戦国時代 シルクロードを通じて石臼が伝えられてから中国でも小麦栽培盛んとなる。


 紀元前6世紀 墳墓から、ぎょうざのような食べ物発見


 漢代の書「饂飩」   饂飩とは小麦粉でつくった食べ物全体の事


 北朝のころ      半月形の饂飩が普及した。


 唐代のぎょうざの化石 新疆出土


 宋代~元代      小麦粉で皮をつくり、肉や野菜、魚介類などをつつんだ半月状や貨幣状、

             花形のものをゆでたり蒸したりして食べる食べ物の説明


 明代         餃子や餃餌の名前が登場



☆中国料理では、小麦粉の食文化を漢代の張騫ちょうけん(? - 紀元前114年)が西域から中国に持ち込んだという説もある。


  絹が西に伝わり反対に西の果実や野菜が中国に伝わったように、 小麦粉の食文化も西方から紀元前に伝わったというのである。

その後、唐代には*1.饅頭(マントウ:現在は具無し_大)、包子(パオズ:具入り_大)、餃子(中)、ワンタン(小)がポピュラーになったらしい。


*1.饅頭

 3世紀の中国三国時代の蜀の宰相_諸葛亮が南征の帰途の事。


 攻め入った地で散々生きた人間の首を次々と切り落として川に沈めたり野ざらしにしてきたので、さすがに嫌気がさしたのか、その地の川の氾濫を沈めるための人身御供として生きた人間の首を切り落として川に沈めるという野蛮で無意味な風習を改めさせようと思いたった。


 そこで小麦粉で練った皮に羊や豚の肉を詰めて、それを人間の頭に見立てて川に投げ込んだところ川の氾濫が静まったという。

 さすがわ稀代のさgi……軍師、神をだまし、本物の頭だと信じ込ませたのだ。これが饅頭の起源とされている。


 もっともその後、饅頭を川に投げ入れるのが勿体無いので祭壇に祭った後で食べるようになり、その上当初は頭の形を模して大きかった饅頭が段々小さくなっていった上に中身の具まで省略していったと言われているのが大陸人らしい。

なお、生きた人間の首を切り落とすのは勿体無くなど無いもよう。実に大陸人らしい。


 その後、北宋時代に中に具が入っている饅頭は包子(パオズ ピン音: bāozi)と呼ばれることが多くなり、現在の中国でマントウといえば、中に餡も具も入っていない一種の蒸しパンを指すのが普通である。

なお上海などの方言では、具が入っていても、入っていなくても、マントウと総称する。


 江蘇省、浙江省、上海市で話される呉語の多くでも中身のある包子と無いものを区別せずに「饅頭」と称するので、「肉饅頭」や「豆沙心饅頭」などと称する包子がある。

新疆ウイグル自治区のウイグル料理でもマンタ(饅頭)と称する。

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