表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/167

現実:食-兵糧-レーション-米軍 MRE(エムアールイー)

現実:食-兵糧-レーション-米軍 A,B,C,D,Kレーション

MREエムアールイー 個人用戦闘糧食:Meal, Ready-to-Eat:MRE


 アメリカ軍が採用している個包装されたレーションMRE(Meal, Ready-to-Eat)はそれまで米軍で使われていたMCI(Meal-Combat-Individual)の後継個人用糧食として、1975年にアメリカ国防省はMREをレーションとして正式採用することを決定し、米陸軍ネーティック兵士センター NSC (Natick Soldier Center)で開発がすすめられました。1980年代頃からMCIレーション(Cレーション)に取って替わった。

 Cレーションが缶詰中心で重量や缶の処理の問題があったのに対し、MREはフリーズドライ食品と簡易包装により大幅な軽量化・合理化が図られている。



▽フリーズドライ食品:


 最初に登場したMREは、当時長距離偵察部隊用に採用されていたLRPレーションを発展させて開発された経緯から、LRPレーションで実績のあったフリーズドライをメインミールに使ったメニューもあったのですが、フリーズドライは調理に多少の手間と清潔な水が必要であったため(調理に熱湯を必要とし、もちろん冷水でも調理することは可能だが、時間がかかり、上手に戻せない)1987年のメニュー改正で廃止されることになります。もっともフリーズドライにも利点はあるので、LRPレーションや寒冷地用RCWやMCWでは現在でも使用され続けています。



簡易包装レトルトパック


 まず課題であった、それまで一般的に使われていた缶詰の欠点である、重く、ゴミの処理が大変で、開けるのに手間のかかるという不具合を解消するために、1940年から開発を進めてきた「レトルトパウチ方式」を採用することになりました。これはポリエステル、アルミ箔 ポリプロピレンの三重構造のシートで食物をくるみ、熱加工によりパックを溶かして密閉し、外部からの雑菌や光、酸素などを遮断して食物の劣化を防ぐと言う物で、摂氏21度の環境で最低3年は品質劣化を防ぐことが出来ると証明されています。


 何しろ便利なのは、平たいパウチは熱が均等に伝わり温めやすく、軽量でゴミも嵩張らない、そして一番兵士に喜ばれたのが缶切りなどの工具が一切不要で簡単に開封できること。また製造工程や製造コストが缶よりも安く、その後、他国軍や民間でも大いに利用されることになります。MREは基本的に、そのレトルトパックで密閉された、メインディッシュ、クラッカー+スプレット類、デザート、ドリンク類(粉末)とアクセサリーパックで1食分を構成し、平均1250キロカロリー摂取できるようになっています。


 もっともレトルトパックは非常に優秀なパッキング方式のですが、熱に弱い素材で包装されている為に、缶のように直火にかざして内容物を温めるということが出来ません。特殊な環境下に置かれている兵士にとって食事は非常に重要な行為なのですが、冷たい食事は不味く、士気も低下します。第二次大戦時GIたちは重い携帯ストーブを持ち歩き、それでレーションを温めたほどでした。ベトナム戦争時代には冷えた缶詰のレーションに飽きた兵士にとって、ヘリコプターで運ばれてくる調理された温かい食事は、何よりのご馳走だった。

また、状況が許す限り、前線に展開している部隊を夕刻には引き上げさせ、夕食は駐屯地で食事を摂らせるように努めていた。そして翌日、朝食を済ますとまた、作戦行動地域に向かうのだ。


 レトルトを温めるにはお湯で茹でるという方法が一般的ですが、現代のGIは個人装備が増え、とても鍋や余分な水、ましてやストーブを持ち歩く余裕などありません。それ以前に戦場で火を焚くなどということは自殺行為に等しく、冷え切った食事を仕方なく胃袋に送り込んでいました。しかし温かい食事を望む声は日増しに高まり、1993年、遂に火を使わず画期的な方法でレトルトを温めるMREヒーターがMREに付属するようになります。これは水を触媒として鉄の酸化熱を利用した物で、発熱剤に水を加え、発熱したらレトルトと密着させることで食品を温めるため、煙も光も出さず評判がよく、最初は別支給であったMREヒーターも1994年頃よりMREに同梱されるようになりました。その後も少しづつ改良を重ねながら現在にいたっています。




▽フィードバックによるメニューの変更:


 お口の敵"MRE"はあまりにも有名。もっぱら米陸軍最大の敵である。初期型のこの"破壊力"の原因は「とりあえずは保存ができて、栄養をとれれば十分だよね」という考えで開発されたためと言われている。って、それどこのイギリス料理? 


 アメリカの一般人も兵士も不味いという、つまり誰が食べても不味い。謎の不味いゴムパッキンみたいな菓子を平気で食う人々がそこまで言うのだから間違いない。この散々各国から味覚オンチと揶揄されたアメリカ人でさえ拒否反応を示し、残飯が40%も出て兵士が1日に必要なカロリーを補いきれなかったであろうという報告が出る程に忌避された。


 現在のMREではそのまずさはいくらか改良されているが、現在でも「マズイ」糧食の比喩表現として使われる。一部には「レーションの味と戦争の強さは反比例する」などと言う話もあるが、あまりアテにはならない。



 1978年から製造テストが始まり1981年から製造が始まった。正式に軍から採用されたMREは随時それまで使われていたMCIから交換され、1980年代半ばには全てのアメリカ陸軍部隊で食べられるようになり、1983年に34日間かけて、第25歩兵師団でMREの有効性を確認するフィールドテストが行われた。兵士たちは3食全てをMREのみで過ごした(通常は2週間以上食べ続けるのは控えるべきとされる)。

 結果、MREにレーションとして総合的に可という評価が下されたものの、残飯が多く、後の開発に課題を残した。1個当たりカロリー換算で60%が食べられたが、残りの40%は破棄されたのである。その後も各部隊からフィードバックされたデータを元に逐次改良が加えられていきます。1986年に同じ師団で調査が行われ、評価の向上と残飯の減少が見られた。


 この調査という名の人体実験の尊い犠牲フィードバックを反映し、1988年に製造が行われたMRE XVIIIから様々な変更がなされた。12食中9食の主食が変更され、主食の量が5オンス(約142グラム)から8オンス(約227グラム)に増やされた。市販品のチョコレートバー、あるいはキャンディーバーが4つのメニューに追加され、タバスコソースも4つのメニューに足された。12のメニュー全てにインスタントジュースの粉が増やされた。だがこのインスタントジュースとやら、蛍光色でドイツ軍やイタリア軍の飲料はまともなので、どう考えても手抜き。もっとも商品名にジュースと書いていいものは果汁100%のものだけと決まっているので、ジュースとはどこにも書かれていないがアメリカでポピュラーなクールエイドと同じ種類の色付き砂糖水。


 1991年の湾岸戦争の初期のフィードバックに基づきMRE Xからさらに多くの変更がなされた。乾燥コーヒー粉末が市販品のフリーズドライコーヒーに交換され、タバスコソースが全てのメニューに追加された。ドライフルーツは半生の加工品と交換され、市販品のキャンディーバーがさらに4つのメニューに追加された。


 湾岸戦争の際にMREは、想定された10日間を超えて長期間使用された。多くの部隊では60日以上もMREのみで過ごしたのである。この時のフィードバックを反映して、MREに3つの大きな変更がなされた。

 1.保存性を高めたパンが開発され、クラッカーに加えて添付されることになった。

 2.初期の試作品がワックスのような味がするとして採用が見送りになった。

 3.砂漠の高い気温でも溶けないように加工されたチョコレートバーが採用された。


 また、FRHという化学薬品の反応を利用したヒーターが添付され、お湯を沸かせなくても温かい食事が取れるようになった。ヒーターはビニール類の袋に収められている薄型のものであり、使い捨て。使用の際にはその袋にレトルトとヒーターを共に入れ、少量の水を注ぐ。すると蒸気が出るほど発熱してレトルトが温まる。



 その後数年間にわたって様々な変更がなされた。陸・海・空軍共同の調査委員会が、マンネリ化を防ぐため少なくとも毎年2つのメニューを変更することを提案した。またいくつかの副食が変更され、デザートやコーヒー、紅茶にも変更が加えられた。


 1993年製造のMRE XIIIが配布されて以来、70個の改善処置が取られた。


 1994年の第1四半期に3つの大きな変更点がフィールドテストされた。

 ○1つ目は無味乾燥な包装を市販品に似た包装に変えることである。

  調査で新しい包装のほうが消費意欲と評価を向上させることが発見されていた。

 ○2つ目はMREの包装をより簡単に開封できるようにできるようにしたことである。

 ○3つ目は、以前より長く作られた、澱粉由来の生分解性プラスチック製スプーンである。

  MRE XVIIからこれらの変更は施行された。


 1994年の後半からメニューの数を増やしていく改善案が研究され始めた。

  12種類から段階的にメニューの種類を増やすことで、単調になりがちなMRE中心の食事を

  より長い期間使用できるようにするのが目的である。


 1996年からメニューの数は16種類に増やされた。


 1997年からメニューの数は20種類に増やされた。


 1998年からメニューの数は24種類に増やされた。


 2005年現在も同じ数のメニューが用意されている。

  なお、24種類の中に現在は4種類の菜食主義者用のメニューがある。



 MREは今でも基本的に登場当初の頃と大きく変わりはありませんが、メニューは飽きがこないように随時交換されていき、1992年から毎年2~3メニューずつ変更されるようになります。そして当初12メニューだったメニューバリエーションもだんだんと増やされて、今では24種類のメニューから好きな物を選べるようになっています。しかもその中には宗教上、思想上の理由から肉食を食べられない兵士に配慮し、菜食主義者向けのメニューが4種類加えられています。


 MREの大きな変化は、1996年ちょうどMREが16食に増えた頃、それまでこげ茶色であったMREの外装が砂漠で目立つということから、デザートカラーのベージュ色に変更になり、これは冷戦が終わり湾岸戦争を経て、これからの戦場が中東の砂漠地帯になることを物語っていました。(実際2003年にイラク戦争勃発)中身も順次ベージュの袋に入れ替わり、1999年プロダクトでは完全に切り替わりました。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ