表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/167

現実:食-兵糧-レーション-米軍 独立戦争から第1次大戦、第2次大戦開始まで

▼独立戦争から第一次世界大戦にかけて:米陸軍のレーションの歴史


 アメリカ軍は1776年の陸軍創設期、キャンプ地での食事や行軍中の食事、戦闘中の食事などは、駐屯地食ガリソンレーションと呼ばれる簡単なパンや肉、野菜などのメニューで賄われていた。


 実は第一次大戦以前(独立戦争~メキシコ戦争~南北戦争~米西戦争)までの米陸軍のレーションとは支給された、または個人購入の食材を使い各自で自炊していたのだ。食材が支給できない場合は食費が支給され、各自食料を個人で調達していたので、今のように軍が纏めて食事を作り、全兵士が同じ物を食べる給食システムは、駐屯地での食事以外一般的では無かった。


 そして、独立戦争からはレーションはその配給対象として部隊単位や小数グループ、さらには個人に至るまでの幅広い範囲をカバーしていき、その配給手段としても、食堂での給仕から戦闘中やサバイバル中の配食までもが考慮されていくようになっていったのである。


 独立戦争当時、革命議会によって制定されたガリソンレーションの内容は、牛肉と豚肉もしくは塩漬け魚、パンもしくは小麦粉、えんどう豆もしくは大豆もしくは同等の野菜、牛乳、米もしくはトウモロコシ粉、そしてビールかリンゴ酒であった。また、ロウソクと石鹸も基本的な物として配給されていた。


 独立戦争後、辺境の兵士の食糧を増量する幾つかの試みもなされた。辺境の兵士はより厳しい状態にあるとして、1796年に議会は、小麦粉やパン、牛肉、豚肉、そして食塩などを標準の軍隊食に追加する旨を決定している。


 1832年10月にはコーヒー豆も登場した。大統領がコーヒーと砂糖をラム酒とウィスキーの代用品とする決定し翌年議会によって施行されたのだ。下士官、軍楽隊員、兵士に対して、ラム酒とウィスキーの代用品として、補給可能な場合には、100人当たり週に6ポンドのコーヒーと12ポンドの砂糖を配給することとし(1日当たり、1人コーヒー4g、砂糖7g)、現物がない場合には代わりに現金で支払うものとした。


 南北戦争の終りには、兵隊1人当たりの基本的な食糧は、1ポンド(454g)の豚肉もしくはベーコン、1.5ポンド(680g)の生もしくは塩漬け牛肉、そして18オンス(510g)の小麦粉で構成されていた。これにメニューによって変わってくるものの、ジャガイモ、エンドウ豆、大豆もしくは米、コーヒーもしくは紅茶、砂糖、食酢、食塩、胡椒、ロウソク、石鹸なども支給されていた。



 やがて1901年には陸軍によって、レーションは使用目的によって以下の5種類に分別されることになった。

(1)駐屯地用ガリソンレーション

(2)作戦中の戦場用フィールドレーション

(3)行軍中など移動中で、調理設備を利用できない場合トラベルレーション

(4)陸軍の輸送部隊によって移動中用

(5)作戦中の緊急時用エマージェンシーレーション



(1)駐屯地用ガリソンレーション


 ガリソンレーション(駐屯地用の食品)としては、生牛肉、小麦粉、豆類、ジャガイモ、すもも、コーヒー(豆)、砂糖、食酢、食塩、胡椒、石鹸、ロウソクなどがあり、これらの食品が入手困難な場合には代用として、生羊肉、ベーコン、缶詰肉、干魚、酢漬魚、缶詰魚、エンドウ豆、米、トウモロコシ粉、玉葱、ホールトマト、その他新鮮野菜もしくは乾燥野菜が用いられた。林檎や桃がすももの代用になったり、コーヒーの代わりに紅茶、また調味料としてキュウリのピクルスが加えられる事もあった。更に、気象条件でアラスカを対象としたり、輸送中での給食も条件に挙げられるようになった。



(2)作戦中の戦場用フィールドレーション


 フィールドレーションは、ガリソンレーションと基本的に同じで、肉、パン、野菜、果物、コーヒーに砂糖、調味料、そして石鹸にロウソクから成っていた。その他に代用品として、生羊肉、缶詰肉、ベーコン、普通のパンに乾パン、ホップ、乾燥もしくは圧搾イースト、米、タマネギ、乾燥ジャガイモ、乾燥タマネギ、ホールトマト(缶詰トマト)、紅茶、キュウリのピクルスなどがある。



(3)行軍中など移動中で、調理設備を利用できない場合トラベルレーション

(4)陸軍の輸送部隊によって移動中用


 普通のパン、乾パン、コンビーフ、ベークトビーンズ(煮たインゲン豆)、トマト、焙煎して粉にひいたコーヒー、そして砂糖は、徒歩以外の移動時に部隊に支給された。こうした移動時の食糧は、駐屯地の貯蔵品から用意され、同等の価格の別の食糧で代用されることもあった。



(5)作戦中の緊急時用エマージェンシーレーション


 緊急用レーションは、作戦中に通常のレーションが入手不可能な時の為のものである。ひとまとまりに包装されており、背嚢や雑嚢などに入れておけるようになっていた。その形状や構成する食品については陸軍省によって決められていた。


 しかし1908年にガリソンレーションとフィールドレーションの構成は改定される。

これは、コーンビーフが生肉の代用として認可されたからである。また鶏や七面鳥が祝日に支給されることも認められた。新鮮な野菜類も、近くで入手しやすいか、もしくは遠方からでも状態の良いまま輸送可能な場合には、支給されることになった。エバミルク(無糖練乳)も新たに加えられた重要な食品の一つである。



▼駐屯地用ガリソンレーションから特殊レーションへ:


 独立戦争から第一次世界大戦にかけて、宿営、行軍、野戦といったあらゆる状態で支給される兵食の中心となったのは、肉にパン、野菜を中心とした、革命議会が規定したガリソンレーションであり、これに食品技術の進化によって少しずつではあったが、新しい食品が追加されていった。


 だが、給食計画の中心はあくまでも駐屯地用ガリソンであり、戦争や軍事作戦時などの非常状態用の特殊レーションの必要性はあまり気に留められなかったのである。


 ところが、第一次世界大戦への参戦によって、戦地の拡大と長期化により膨大な物資を遥か遠方から供給するという経験から、特殊レーションの思想を復活させることとなるが、この事は歴史的にも有意義なことであった。


 何種類かの戦時用レーションは早い時期から開発や試作が行なわれていたが、こうした特殊レーションの基盤が出来上がるのは、世紀が替わり、生産や配送、貯蔵と言った技術が発達してからのことであった。基地内やその他のあらゆる場所での兵隊への給食問題は、専門的知識を必要とするようになり、その為にこの問題の解決には、科学分野、食品工業、そして軍の補給部門とが共同で当たらなければならなかった。



▼第一次世界大戦時の特殊レーション:


第一次世界大戦の時に、以下の3種類の特殊用途のレーションが登場した。

(1)リザーブレーション(Reserve Ration:予備レーション)

(2)トレンチレーション(Trench Ration:塹壕レーション)

(3)エマージェンシーレーション(Emergency Ration:緊急用レーション)



(1)リザーブレーション(Reserve Ration:予備レーション)


 リザーブレーションは1人前ずつ個別包装され携帯出来るようになっており、通常の食事が摂れない場合に利用された。


 このレーションは1人が1日に必要な量が揃っており、1ポンド(454g)の缶詰肉(主にコンビーフ)、8オンス(227g)の缶入り乾パンが2個、2.4オンス(68g)の砂糖、1.12オンス(32g)の焙煎引き割りコーヒー豆、そして0.16オンス(4.5g)の食塩で構成され、1セットで重量が2.75ポンド(1.25kg)で3300kcalの熱量を持っていた。食品の分量は充分で満足の行くものだったが、複数の1ポンド缶で構成されていたので、このころは実用的でも経済的ですらもなかった。



(2)トレンチレーション(Trench Ration:塹壕レーション)


 その名の通り、トレンチレーションは塹壕戦を考慮して作られたものである。1ユニットは25人の1日分に充分な量の缶詰肉と缶入り乾パンで主に構成されていた。缶詰肉には、ローストビーフ、コーンビーフ、それに鮭や鰯などの種類があり、肉と乾パン以外にも、食塩、砂糖、インスタントコーヒー、固形燃料、そして煙草によって構成されていた。

 このユニットは、亜鉛メッキされた大きな缶に納められており、毒ガス攻撃から中の食料を防御出来るように工夫してあった。トレンチレーションは本来は温食を考慮して作られていたが、温めなくてもそのままで食べれるようになっていた。


 トレンチレーションの利点としては、柔軟性のある構成、耐毒ガス性、そしてリザーブレーションよりも幅広いメニューと言ったものが挙げられる。反対に欠点としては、トタン製の重くて扱い難い箱と、25人分が1缶にまとめられているので1人前だけを取り出せない融通性の無さ、一度開けたら腐敗や汚染し始めてしまうこと、そして最後に栄養学的にあまりバランスが取れていなかった事である。



(3)エマージェンシーレーション(Emergency Ration:緊急用レーション)


 エマージェンシーレーションは、一般には「アーマーレーション」もしくは「アイアンレーション」として知られている。これは、ワンパッケージに食品を集約して兵士が持ち運べるようにし、いざ緊急時に他から補給を受けられなくなってしまった場合に、それで生命を保持させようというものである。

 エマージェンシーレーションは、牛肉粉末と加熱加工した小麦粒とを固めた3オンス(85g)のブロックが3つと、1オンス(28g)のチョコレートが3つで構成されていた。これらは楕円形でラッカー塗装された缶に詰められており、兵士のポケットに収めやすくなっている。


 終戦までの約200万個のこのレーションがあのフランスに向けて嫌がらせの如く積み出されるも、1922年にはついに製造が中止させられ、とうとう陸軍のレーションに関する仕様書からも除外された。


 第1次世界大戦中に製造され大量の在庫を抱えたエマージェンシーレーションは、戦後にエマージェンシーでもないのにメキシコ国境を警備する飛行機のパイロット達に押し付け・・・・・・使用され、その際に出てきた色々な不平不満フラストレーション・・・・・・・改善要望が、後の空軍のフライトレーションの元となった。




 第1次世界大戦を振りかえって見ると、リザーブ、トレンチ、エマージェンシーと言う3つのレーションの開発と利用という事実は、特殊な軍事状況に対して特殊なレーションが必要であると言う事を示している。この必要性からレーションの開発研究が刺激され、第2次世界大戦時にアメリカ軍が世界各地に展開した時に研究の最盛期を迎えるが、それと共に様々な給食に関する問題点も浮き彫りになっていくのである。




▼1918年から1936年までのレーション開発:


 トレンチレーションが当然のごとく自然と消滅し、エマージェンシーレーションも当たり前のように廃れてしまうと補給本部は、しぶしぶ将来のリザーブレーションの開発に注目するようになった。そして1920年にはレーションに関し、コンテナにまとめて持ち運びしやすくする事、1食毎に分割する事、チョコレートをメニューに加える事、コーヒー豆をインスタントコーヒーに換える事などが提案された。しかし、缶詰肉、缶入り乾パン、そして野菜という基本的な構成については何の提案もされなかった。恐らく関心の低さ故に、大戦中のバージョンで十分であると思われていたようである。



 補給本部の兵站学校(Subsistence School)でもレーション開発が試みられ、その成果は、1922年に陸軍のレーションに関する仕様に盛り込まれた。そのレーションの構成は以下の通りであった。

 コンビーフもしくはチョコレート:3オンス(85g)、干し牛肉の薄切り:1ポンド(454g)、インスタントコーヒー、乾パン:14オンス(400g)、角砂糖、肉は、1×4×4インチ(25×100×100mm)の寸法のオイルサーディン型の缶2つに詰められ、また乾パンとチョコレートとコーヒーは、1×2×8インチ(25×50×200mm)の缶2つに詰められている。そしてこれらの缶は油紙で一塊にパッキングされていた。


 1923年にこうしたレーションが1万個作られた事を見ると(1個当り1.33ドル)、一通りの成功を収めたものと見なされたようだが、当然のことながら1925年にリザーブレーションは再び改良される。


 乾パンと牛肉の量が減らされ、干し肉がポークアンドビーンズに換えられたというのに、楕円形の缶は大量生産に不向きだったに関わらず、なぜかそのまま残された。1930年に陸軍大学は、改良型レーションを優秀なものと認め、品質管理の高さを誉め、さらにレーションの融通の高さを評価したたゆえか、1932年に補給本部の兵站学校で実験的に円形の缶のリザーブレーションが作られただけで、その後のレーション開発は1930年代の不況の影響で暫く止まってしまった。


 1936年にようやく補給本部兵站研究所が新しく開設され、主食がコンビーフ(牛肉)の"Aユニット"と、同じく主食がポークアンドビーンズ(豚肉)の"Bユニット"で構成されたリザーブレーションが試験的に作られたが、相変わらず主食以外の乾パン、インスタントコーヒー、チョコレート、砂糖、そしてそれらを収めた円筒型の缶はそのままであった。

 なお、主食が鶏パテ(鳥肉)の"Cユニット"や主食がオイルサーディン(魚肉)の"Dユニット"、主食がミックスビーンズ(野菜)の"Eユニット"などは作られなかったもよう。



 この第1次大戦後、第2次大戦開始までの短い時期、陸軍は1種類の特殊レーションの開発ばかり行っていたが、スペイン内戦などから、大量の飛行機と快速戦車による新しい戦略理論が入ってくると、それまでの戦争やレーションに対する構想そのものが全く変ってしまった。その結果、トレンチレーションは移動中に利用可能な食品へと変ってしまい、こうした新しい思想でのレーション開発は、ヨーロッパに戦争の不安の過り始めた1936年から始められた。

現実:食-兵糧-レーション-米軍 A,B,C,D,Kレーション へ続く

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ