現実:職―呪禁師
★呪禁師:
病気平癒などのための呪文を唱えることを仕事とした律令制に規定された典薬寮の職員で、呪禁によって病気の治療などをした呪師。
日本古代の律令官制において、宮内省管轄の典薬寮に属した官人で定員は2人、正八位上相当官である。
呪禁 (呪文をとなえて悪気を払うこと) つまり〈まじない〉のことを司った。
また、律令制においては呪禁も病気治療や安産のために欠かせないものとされ、呪禁師の中で優秀なものは呪禁博士(定員1名)に任ぜられ、呪禁生(定員6名)の育成に努めた。
▼呪禁:卑弥呼が使った鬼道が原型とも
道教に由来する術(道術)で、呪文や太刀・杖刀を用いて邪気・獣類を制圧して害を退けるものである。
呪禁の中でも特に持禁と呼ばれるものは、気を禁じて病気の原因となる怨気・鬼神の侵害を防ぎ、身体を固めて各種の災害を防止する役割があった(『令義解』「医疾令」)。
呪禁師はその呪術によって病気の原因となる邪気を祓う治療などを行った。
呪禁は、道教の影響を受けて成立した道教系統の方術とみられる呪文を唱え一定の作法にしたがって悪気を祓い病気や災難を除去するまじないであるが、古くは仏教の祈祷と混同されて用いられた例もある(『日本書紀』敏達天皇6年条)が、本格的な導入の初出は『日本書紀』にある持統天皇5年(691年)条である。
また、出産時にも呪禁が行われて母子の安産を図った。
そのため、古代においては一種の病気治療の手段の1つとして考えられ、日本の律令制にも典薬寮に呪禁博士・呪禁師が設置された。
▼その衰退と消滅:
767年(天平神護3)8月16日、大瑞と判定された瑞雲の出現によって〈神護景雲〉と改元された日に、関係のあった多くの官人たちとともに呪禁師の末望足が外従五位下を特授されて貴族官人の末席に列したケースがみられる程重用されていたが、早い時期に呪禁に関する職制は衰微していき、代わりに台頭してきたのが陰陽道の陰陽師である。
なお、呪禁職制衰退の背景には、奈良時代後期に続いた厭魅や蠱毒に関わる事件との関連も指摘されている。
厭魅蠱毒事件の続発によって呪禁そのものが危険視されたこと、呪禁師と同様に道教の呪術:道術の要素を取り入れて占いなどにあたった陰陽道の役割拡大による陰陽師の台頭によって、8世紀末頃には事実上廃止され、9世紀には呪禁師の制度自体が消滅した。
こうして本来は天文学や自然観測による暦の作成や時刻の設定・占いなどが役割の陰陽師が、呪禁などによる病気平癒のための術を行使するようになったのだ。